狂信と騙り
「なにやら、疲れているものが多いようじゃの。なにかあったのかえ」
出立をつげに来た槌也に、夏姫は駕籠の中から問いかけた。
「何事も。気散じに、少々相撲など。お騒がせしましたか?」
「勝ったのは誰じゃ」
「わたくしで」
「さようか。殿御はいつまでも童のようじゃの」
夏姫は涼やかに笑った。
槌也の相手を務めた早川と、岡部が苦虫を噛み潰したような顔をしていたのは余談。
警備を厚くしたのが効をなしたか、あの後は何事も起きなかった。水野の家臣には急に増えた護衛に訝るものもいたが、用心のためといわれれば納得するしかない。
出発の合図が告げられ、一行がゆるゆると進み始めた。
槌也は足を止めたまま動かない。
「どうかなさいましたか?」
「悪いが先に行ってくれ、野暮用だ」
わけがわからぬものの、岡部は一礼し先に進んだ。
槌也はたびたび行列を止めたり、動かず先に行かせたりするが、理由は一切明かさない。何事もなくすんでいるから、岡部も黙認する。
槌也は行列を先に行かせ、一点を睨み続けていた。
やがて一行の姿が見えなくなって──槌也は商家の二階に向かって不敵に笑って見せると行列を追いかけた。
その姿を見送っていた者達がいた。
槌也が睨み続けた商家の二階、そこに柚月とその一行は隠れていた。一行が泊まった宿のものが見れば、その中に数日前から奉公に来ている男の顔を見ただろう。
雨戸の陰に隠れ、行列を見送った柚月は唇を噛んだ。
「忌々しい。あれは分かっていたね」
槌也は自ら鼻が利くと明言していたが、どうやって探り当てるものか。
「仕掛けないのか?」
仲間の一人が尋ねた。柚月は首を振る。
「無理だ」
「このまま手をこまねいているつもりか?」
柚月は同士に冷たい目を向けた。
「あの妙な術をもう一度味わいたいのか。ここは退いて天主様の支持を仰ぐしかない」
あの妙な、蜘蛛の糸のような細い気は、柚月の力で引き千切ろうと思えば、相当な力の集中がいる。そんなものを食らえば、仲間もただではすまない。
「まったく信じられん、おまえの力が効かないとは」
そういう男も自分から仕掛ける気などさらさらない。ここに居る者の大半が槌也の術を喰らって、金縛りになっている。槌也の存在を恐れている。
まず、槌也を排除してからでなければ、自分から仕掛けようとはしないだろう。
柚月にだから言えるのだ。
「土御門に戻ろう」
「しかし、天主様の言いつけが」
「──では、小弥太がやるか?」
柚月がいうと、男は青い顔をして首をふった。
「おまえ───宿の奉公人を見て──は宿に戻り、少ししてから何か理由をつけて戻ってこい。すぐに辞めては疑われる。私達は手はずどおりに──」
「そうだな、そうするしかあるまい」
やっと全員の意見があって、刺客一行は腰を上げた。
天主様の言いつけをひとつも果たせないのは、恥ずべきことだが、柚月の力さえ効かないのではなす術がない。
柚月は天童教でも特別扱いだ。みな、面には出さないが柚月を化け物だと思っている。柚月もそれに気づいてはいたが、どうしようもない。
柚月は生まれつき妙な能力があった。
思うだけで物を動かすことができた。
他人がそういう力がないということを、小さいころは知らなかった。
また、回りも小さな子供の言うことを真に受けることもなかった。
だがやがて柚月の能力に気づくと、肉親さえ石を投げ柚月を追い払った。
〝化け物〟と。
そんな柚月をひろい、受け入れてくれたのが天主様だ。
曰く、その力は世直しのために授かったのだ。天の授けてくれたものを誇りにするがいいと──柚月に居場所をくれた。
それからは言われるままに天主様に仕えた。天童を演じ、言われるまま力を示し、また密かに人を殺めた。
天主様はそんな柚月を特別に可愛がってくれていた。
この失態でどれほど天主様を失望させるかと思うと、いたたまれなくなる。天主様は柚月の不甲斐無さにお怒りになるだろう。
〝世直しのため、授かっただぁ? 生まれつき持ってた力だろうが。数は多くねぇが、人には時々そういう変り種が生まれるんだよ〟
ふと、槌也の言葉を思い出し、柚月は不機嫌になった。
〝人間はな、時々とんでもねえ力を生みやがる。まじりっ気なしの人間のくせに、才能と修練で鬼をも切る剣鬼になるやつだとか、器物に妙な能力を付随させる名人とかよ。おめえのなんざ、分かりやすい力だよ〟
もし、そうならなぜ自分は化け物と、家族からさえ呼ばれなければならなかったのか。石もて追われなければならなかったのか。
(戯言よ。あたしを惑わせるための、虚言よ。騙されるものですか)
柚月の力を知りながらも、槌也は柚月を人間として扱った。
〝引けよ。夜叉丸は、人間も切れるが、俺ぁ、真っ当な人間相手に、殺し合いする気はねえんだよ〟
柚月は頭を振った。
心のどこかで槌也の言葉を信じたいと思っていたのかもしれない。
人としては異質な力を土御門槌也も持っている。槌也もまた、化け物と呼ばれたことがあるのだろうか。
天童教の教祖天主は本名を権左といい、ある浜辺で漁師をしていた。
実はこの男、騙りである。
そもそも数年前、柚月を拾ったことに起因する。最初行き倒れた子供と思い、柚月に施しを与えたのである。
やがて回復した柚月に奇妙な力があることを知り、最初は追い払おうかと思ったが、これは使えると考え直した。
行き場のない柚月をうまく手懐け、奇妙な形をして世直しだの、天からつかわされただのもっともらしい事を言い、柚月の力を見せて幾らか騙し取る。
その程度の騙りだった。
それがうまくいきすぎた。
なにせ柚月の力は仕掛けのない本物である。天の使いとの言葉を真に受け、寄進は集まるは、弟子志願の若者は集まる。村や町の有力者さえ言いなりだ。権左は有頂天になって、さらに大風呂敷を広げる。
いつの間にか、金を巻き上げるという目的を忘れ果て、自分の王国を作るという妄想にとらわれた。心から自分を信じるものに囲まれ、ちやほやされているうちに、自分を見失っていたのだ。
権左にそんな器量があるはずがない。どこまでもただの騙りである。それを省みず、偉そうなことが言えるのは、回りの信者の盲信のせいであった。
そのうち武家のお偉いさんまでよってくる始末。
実の所、目障りなものをどうにかしてくれという相談が多いのだが、それは柚月にやらせればいいのである。
万が一何かあれば、扮装を解いて金を持って逃げればいい。
信者が知っているのは頭巾で顔を隠した姿だけであり、素顔に戻ってしまえば誰もそうとはわからない。
世直しも、天からの使いも嘘っぱち。常に逃げる用意を怠らなかった。それが──こんな事になろうとは──神ならぬ身の知るところではなかった。
「天主様―」
「お、お助けを!」
「ぎやあぁぁ──」
「化け物! 化け物じゃああ!」
いくつもの悲鳴を尻目に、権左は逃げていた。もはや命あってのものだね、他人に関わっている余裕などない。
信者が何人死のうが、知ったことではない。
ここさえ切り抜ければ、隠しておいた金でいくらでもやり直せる。
葉ずれの音が追いかけてくる。何かの足音と、息づかい。それはもはや恐怖の象徴だった。
権左は悲鳴を上げた。
「柚月、柚月ぃぃ」
権左に特別な力などない。
あるのは小姓に化けさせた柚月の方だ。
小姓姿をさせ、身近においていたからこそ、誰もそれを疑わなかった。
だが、柚月のいない権左はただの人間に過ぎない。
捕まれば、引き裂かれ喰われるしかない。
「助けてくれぇ、柚月ぃぃ」
権左の叫びは誰の耳にも届かなかった。
哀れな最後です。人を騙し続けた報い。