後始末
「おい! 大丈夫か!」
同僚に抱えられる〝力〟の直撃を食らった犠牲者に駆け寄った。
「気を失っております。触れただけにしか見えませなんだが、あれはいったい──槌也様、血が!」
「吼えるな、大した事はねえ」
槌也は無造作に口を拭った。
「ですが、そのお姿は──」
〝力〟の直撃を食らった辺りの衣が裂けていた。肉体は耐えられても、その上の布は耐えられなかったようだ。あまりにも見苦しい。
「着替えくらいはあったな」
「はい」
「持ってこさせろ」
「それはすぐにも、しかし、お体の方は」
「なんともねえ。鍛え方がちがわあ」
槌也は気を失っている護衛の傷を検めた。どうやら柚月が加減したか、とっさで力の集中が足りなかったか、したようだ。
痣になっているが、触ってみた感じでは骨も折れていない。
槌也は安堵した。
「怪我人の手当てを。追手は出すな。騒げば水野の家来衆に知れる。それより、夏姫の警備に人を回せ。こうやすやすと曲者に入り込まれたと知られたら、土御門の恥だろうが」
実の所、柚月に追手など差し向けても怪我人や死人を出すだけだろう。あの能力はただの刀では防げない。仲間も最低十数人はいるはずだ。
「それより警備の責任者と、宿の手配をしたものを呼べ。問い質したいことがある。言っておくが詰め腹は切らせるな。祝い事を血で汚したくないからな──どうした?」
返事をせずに硬直している臣下に槌也は尋ねた。
「い、いえ。なにも──かしこまりました」
家中のものはかしこまり、指示されたことを果たすため怪我人を連れて下がった。
槌也はその反応で、自分の失策を悟った。家臣の前ではできるだけ畏まっていたのだが、急場で素地が出てしまった。
──まずいなぁ──ただでさえ、評判悪いのによぉ──ああ、もう面倒臭い、急場だ、今夜は猫はなしだ、猫は──
後悔しても後の祭りというやつだ。
槌也は着替えをすませてから警備の責任者と宿の手配をしたものと面談した。
宿の警備の状態と、この部屋を槌也が使うことを誰が知っていたかを調べるためであった。
柚月は先回りをしていた。自分さえ到着するまで知らされていなかった部屋をどうやって知ったものか。
行列を待ち伏せしていたことといい、何者かが手引きしたとしか思えなかった。
結果は、『その気があれば誰で知ることができる』であった。
この宿では数日前から高貴な方がお泊りになるということで、気合を入れて部屋の支度をしていた。
特に高級なものを取り揃え整えていたのが、夏姫の部屋と槌也の部屋である。揃えられたのが男物か女物かで、どちらが泊まるかは一目瞭然である。
そこから手繰ることは不可能であった。
どの街道を使うかは、予め知ることのできる者は限られてはいるが──国許や皇都の上役に限られる──出立した後ならどの街道を使っているかはあきらかで、伝令がわき道を使って追い抜いたことも考えられる。
女足にあわせている行列を抜くのは簡単だ。馬を使えばすぐだ。
「なんとも、汗顔の極みでございます。これほどやすやすと曲者の侵入を許すとは! 皺腹掻っ捌いて、お詫びいたしたい所でございます」
警備の責任者である岡部孫兵衛が、今にも責任を取りたいといわんばかりに訴えるのを、槌也は手を振って止めた。
「本命には何事もなかったんだろうが、かまわねえよ。陽動だろう、俺が教われたのは」
「陽動で、ございますか?」
完全に狙われたのは槌也だが、あえてそれらしい嘘をつく。嘘も方便という。これくらいは仕方ない。
「そうだろう。一行で襲われるのなら夏姫だろうが。護衛を襲う理由なんて、他にあるかよ。夏姫が無事ならおまえは務めを果たしたんだ、腹切る謂れがねえだろうが」
「それで、追手は出すなと。た、確かに、そうでございます。いや、慧眼、恐れ入りました」
深々と頭を下げる岡部に、槌也は溜息をついた。実直なのだろうが──扱いづらい。
これくらい言ってやらねば、実直すぎるほどに実直なこの男は、詰め腹を斬る。
殿に申し訳が立たないというのだが、守之にしても、信頼するこの男を失うのは痛手だろう。
腹を切るより、誠心誠意仕えさせるほうが、守之も喜ぶだろう。
槌也は話題を変えた。
「それより、世事に疎くなっていたが、国許で世直しを説いている者がいるのか?」
岡部は背筋を伸ばして、顔を引き締めた。
「誰がそのようなことをお耳にいれました」
「いるんだな?」
「天童教とか申す、不逞の輩でございます! 自分達の教祖こそ、天からつかわされたなどと申し、人心を惑わし軽挙妄動を煽る、不埒者供でございます! そのような者どものこと、誰が槌也様のお耳に!」
今にも湯気でも噴きそうなほど真っ赤な顔をして、岡部は喚いた。
「事もあろうに、天の使いを自称するなど、御開祖様への冒涜! 殿も捨て置けぬと捕縛を命じておりまするが、いつも今一歩というところで、取り逃がしております! ああ、あの不埒者どもが!」
「そうか。すっかり世間に疎くなっていたな、そんなもんが蔓延っているとは知らなかったぜ。ご苦労だった。もう下がっていいぜ。夏姫の警備を厚くしておいてくれ。それから」
槌也は辺りを見回した。血で汚れた畳と、一連の騒ぎで壊れた調度類が目に入った。高価なものだろうに、嵐が通ったような有様だ。もったいない、と槌也は溜息をついた。
「これの弁償をしておいてくれや。それくらいの予算はあるだろ」
土御門は大名なのだ。下々のものに迷惑はかけられない。幸い裕福な家でもあるのだ。
「は、わが藩の威信にかけて」
岡部は深々と頭を下げた。
槌也は思わず口には出来ない感想を抱いた。
(いや、何もそんなもんかけなくとも)
槌也は領地内で囁かれている自分の噂を詳しくは知らなかった。ろくでもない噂ばかりと承知しているが、一々聞くのも馬鹿らしい。
故に、岡部が自分の事を日々見直しているとは、まったく分からなかったのである。
「このお部屋では、寝られませんな。すぐに別の部屋を仕度させましょう」
「悪いが、そうしてくれ」
さすがに、ここまで荒れた部屋では寝られない。警備が厚くなれば、さすがに夏姫も忍んでは来ないだろう。
岡部は顔を上げると、大真面目に槌也に意見した。
「時に、槌也様。こうなると槌也様にも宿直をつけませぬと」
「いらん」
槌也の応えは素っ気なかった。
「しかし、また曲者がいつ現われぬとも限りませぬ」
襲撃があったばかりだ、さすがに岡部も簡単には折れない。
「……こう見えても、腕に覚えがあるんだがな……人の気配が近くにあると、鬱陶しい」
「蒲生流と聞き及びました。確か皇都でも名門の──嬉しそうな顔をした岡部は、ここで表情を引き締めた──いえいえ、御身は殿のたった一人の御舎弟。ただの護衛とは言えませぬ」
「いらん」
しばし押し問答が繰り返され、槌也が譲歩案を出した。
「それじゃあ、こうしよう。俺より弱い奴をつけたって意味がねえだろう。一人選びな。そいつが素手で俺を押さえ込めたら、明日から宿直をつける。逆に俺がそいつを押さえ込んだら、二度と宿直をつけるという話はしない。どうだ?」
「よろしゅうございます。わが方でも選りすぐりの者を連れてまいりましょう」
護衛の実質的責任者、岡部孫兵衛は胸を張った。護衛に選ばれたものは、岡部が手塩にかけて育てたものが多い。自信満々である。
「されど、よろしゅうございますか? 曲者に脇腹を打たれたとか」
「もう治った」
嘘ではない。槌也の強靭な肉体は治癒力も人の比ではないのだ。
「脇腹が痛むせいで負けたとは、聞きませぬぞ」
槌也の言葉を兆戦と受け止めた岡部が顔をしかめた。
「かまわん。言わんさ、その必要がない」
槌也は不敵に笑った。
「二言はございませんな」
「もちろんだ」
結局、槌也に宿直が付くことはなかった。
まだ続くよ。
ちなみに挑戦者に選ばれたのはあの人。手も足もでませんでした(笑)