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鬼人伝  作者: 牧原のどか
外伝 蜘蛛草子 社の盟友
38/54

香月槌也

 最初、槌也の生母は父親が誰か、頑として白状しなかった。

 そのため父無し子を生むのは世間体が悪いと、子が生まれた後、遠方に嫁がされた。子供は長兄の次男として育てられた。

 槌也という名は生母がつけたものだが、〝つち〟の音を名に入れたのは、母なりのこだわりであったのだろう。〝つちなり〟と。

 嫁いだ先で一男一女をもうけたらしい。槌也の異父弟妹になるが、槌也は会ったことはない。

 事があきらかになった後も、できればこのままそっとしておいて欲しいと、側室の話を断り嫁ぎ先で暮らしている。

 情のこわい人らしい。

 伯父──義父は堅苦しい人ではあったが真面目な人で、槌也は伯父が父親だと疑いもしなかった。

 子供のころから槌也は自分が他人と違うことを自覚していた。とにかく丈夫で、めったに怪我もしなかった。

 自分でも異常だと自覚していたのは、血を見ると美味そうだと思ってしまうことと、力の強さである。槌也はそれをひた隠しに隠していた。

 剣を教えられたのは、武士として当たり前だが、槌也には天賦の才があると最初に師事した師匠に言われ、その紹介で皇都の名門道場での住み込み弟子となったのだ。

 この時の師匠に柳庄流との付き合いがなければ、槌也の生涯はまた別のものになっていただろう。

 伯父としては、いずれ道場のひとつも持たせてやるつもりだったのだろう。皇都で剣を学んだといえば、地方では評判になる。

 何事もなければ、あるいはそういう人生を送っていたかもしれない。

 その頃の自分はといえば、鬼成の後ろを付いて回るがきだった。天下一の呼び声も高い男に憧れていたのだ。

 鬼成は鬼成で、自分を気に入っていたらしく弟分扱いしてくれた。

 鬼成には異母弟、同母弟、それぞれ一人ずついるが、槌也ほど剣術に身を入れているわけではなく、鬼成はそれが寂しかったようだ。とはいえ、二人が剣術嫌いというわけではない。剣術指南役の息子として精進はしている。鬼成が跳びぬけていたのだ。

 皇都での騒ぎの原因は、かの鬼成十衛である。当時別の名を名乗っていたこの男、どうあっても小角の門弟と勝負がしたいと実力行使に出た。

 小角の門前に張り込み、出入りする者のなかから相手を物色した。

 小角の一族は大柄で美形が多い。皆が武術の心得があるようで身のこなしがすでに只者ではない。

 小角は影で汚れ仕事──つまりは密偵や暗殺──を請け負っているという噂があったが、まんざらただの噂ではないかもしれないと、思ったものである。

 その中で鬼成が惚れ込んだとも言って良いほど気に入ったのが、かの五藤十五である。小角には大柄なものが多いが、そのなかでも飛びぬけた体躯の持ち主であったが、それだけではない何かを感じ取ったのだ。

 そのときは知らなかったが、五藤は鬼神流のなかでも千騎(せんき)とともに双璧と謳われている男である。

 槌也はこの鬼成につきそい門前の張り込みや、尾行まで付き合った。

 ある意味剣の道を志すものとして、小角に興味があったのも事実だが、やはり鬼成を兄のように慕っていたからである。

 それは月の美しい夜のこと。とうとう鬼成は行動に出た。

 五藤十五は同僚である千騎桜春(おうしゅん)と共に藩邸を下がって帰る途中であった。

 もとより人通りのない道であった。しんと静まり返るなか、月明かりにてらされ歩く凛々しい男前である五藤と、どちらかといえば女のように美しい顔をした千騎は対のように見えた。

 五藤の家に向かう道に、開けた場所がある。予め尾行してそれを知っていた鬼成は槌也を伴い、二人の前に立ちふさがった。

「小角の御家中のものですな」

「? そちらは?」

尋ねたのは千騎のほうだった。

ここで鬼成は本名を名乗った。さすがに小角にも知れ渡っているようで、千騎が眉をひそめた。

「後ろの方は?」

「見物人だ。気にするな。後学のため見たいとよ」

 千騎が苦笑した。

「柳庄流のご嫡男でしたな……まさか、闇討ちでもあるまいに、このような所でなにようでしょう?」

「闇討ちではござらん。闇討ちならば、声をかけずに後ろから切りかかろう」

 にいっと笑った鬼成に、千騎も笑った。

「違いない」

「野試合を所望いたす。いざ、尋常に勝負」

 鬼成の視線から、勝負を望むのは自分ではなく五藤のほうと知り、千騎は肩をすくめた。

「ご氏名だぞ、五藤」

 どこか面白がっている千騎とは違い、五藤は困ったような顔をしていた。

「残念ですが、他流試合は禁じられております。わが方のしきたりにて、ご容赦を」

「お聞きの通りだ。それに、このようなまねをすれば柳庄流にも傷がつきましょう。お引取りを」

 軽くあしらおうとした千騎に、むしろ胸を張って鬼成は答えたものだ。

「なんの、柳庄流には傷はつかん。拙者、予め親父殿に勘当されてまいった。もはや柳庄とは無関係と思われたし。なにが何でもこの勝負、受けていただく」

 二人の小角は目を見張った。

「………そこまでされるか…………噂には聞いたが……なんとまあ」

 千騎が呆れたように言うのも無理はない。柳庄流といえば、皇帝の実質唯一の指南役。その嫡男ともなればゆくゆくは父の後を継ぎ指南役になるはずだ。腕が伴わないのならともかく、押しも押されもせぬ天下一の武芸者でありながら、それを投げ捨てるとは。

 そういう男であるからこそ、槌也は惹かれていた。

「名誉にも名声にも興味はござらん。我が知りたいはただひとつ、我がどれほどの者かということのみ」

鬼成が白刃を抜いた。剣を向けるのは五藤のみ。

「いざ!」

鬼成の鋭い切り込みに、五藤は剣を抜いて受けた。白刃と白刃が打ち合う鋭い音とともに、二人が飛びのいた。

 喜悦を浮かべた鬼成と驚愕に目を見張った五藤が、対峙していた。

 鬼成の剣気に、抜かされたのだ。これではもはや勝負を拒むことはできない。

「五藤」

 舌打ちをして、割って入ろうとした千騎に槌也は斬りつけた──千騎は鮮やかにかわしたが、軽く目を見張った。

「勝負の邪魔はさせん」

 ふっと千騎の唇が綻んだ。あまりにも艶やかな笑みに、槌也は一瞬気を飲まれた。

「蒲生流か──その太刀筋は。蒲生流の門弟がなにようかな? 柳庄の隠し子でもあるまいに」

 一度太刀筋を見ただけで流派を言い当てるとは、千騎という男も只者ではなかった。

 千騎の戯言は槌也の気を奮い立たせた。

「戯言を! これなるは香月槌也。故あって与力いたす」

 槌也は二度三度と斬りつけたが、千騎は刀を抜きもせず、飛燕のごとき身ごなしのみでかわし続けた。

 抜くまでもない相手、ということだ。

「その歳でそこまで使うとは、たいしたものよ。筋がいい。が、俺の相手は、十年早い」

 このときには鬼成の援護という考え方はすでに忘れていた。目の前の男にせめて剣を使わせるくらいはしたいとむきになっていた。それほどに力の差があった。

 その間、鬼成と五藤は切り結んでいた。千騎は舌打ちをして──

「おい、五藤。いつまで──」

──同僚を振り返った千騎は、その腕にかすかに流れる血に眼を剥いた。

 微かに避け損ねた剣先が、浅い傷をつけたに過ぎないが、それはあってはならないことだった。

 五藤の能力は、矢も刀も通さぬ〝金剛(こんごう)(しん)〟というものだからだ。それを貫き傷つけられるものは〝鬼をも斬る剣〟だけだ。

「馬鹿な!」

 驚愕のあまり棒立ちになった千騎に槌也は突っ込んでいた。

 回りまで気を配る余裕がないための、無我夢中の突きだったが、すでに千騎にかわす余裕はなかった。

 そして槌也の体は千騎の体を突き抜けた──〝神出鬼没〟あらゆる物を通り抜けられるのが、千騎桜春の鬼としての能力だった。

「しまった!」

 千騎の叫びは己が力を不用意に使ったためではなく、互いの体が重なった刹那、千騎の中の鬼の力と、槌也の中に眠っていたものが呼応したためである。

「こやつ、〝先祖帰り〟か!」

「がああぁぁぁあ!」

槌也の中の土蜘蛛の性が、体を一気に妖化させ始めた。

 脇腹から人にはない第二、第三対の腕が生え出し、瞳を赤く染めた。

 千騎の叫びと、槌也の絶叫に五藤と鬼成も手を止めていた。

「槌也!」

 鬼成は弟分の変化に愕然としていた。

 それは人ではなく──もちろん蜘蛛でもない。人ほどの大きさの蜘蛛がいるわけがない。人と蜘蛛を混ぜ合わせたような、奇怪なもの──に変化しつつあった。

 三対の腕──人のそれと蜘蛛の脚、それを持つ──が苦しげに振り回された。

 顔にはまだ人の面影が残っているが、(あおぐろ)い剛毛が侵食している。

 口からは牙が生え、悲鳴とも雄叫びともつかぬ絶叫をあげている。

 鬼の末である小角には、それがなんなのか分かった。

「……土蜘蛛………土御門の縁者か! やっかいな!」

 五藤は舌打ちした。

 土蜘蛛は、実力で言えば鬼に次いで第二位の実力を持つ妖怪だ。

 小角といえどもたやすく倒せる相手ではない。

 また、血族の少ない土御門を相手にする事に躊躇もある。下手をしたら、血筋を絶やしてしまう恐れもある。

 実を言えば、槌也はこの後のことはあまり覚えていない。体の奥から湧き上がった衝動に支配され、半ば正気を失っていたからだ。

「槌也……なのか……これが……」

 呆然と呟く鬼成に──

「危ない!」

 千騎が腕を突っ込んだ。千騎の腕は鬼成の胸元を通過して──千騎と鬼成の体が同化した──二人の体を槌也の腕がすり抜けて立ち木をへし折った。

 千騎の力は同化した状態ならば、その同化したものまで物をすり抜けさせる。

 そうして鬼成の命を救った千騎は、鬼成を背にかばいながら叫んだ。

「下がっていろ! 人間の出る幕ではない」

「なんだ、あれは! 槌也はどうなったんだ! きさま、今なにをした!」

 さすがに鬼成も気が動転していた。

 続けざまの怪異──槌也が化け物の姿になり──自分の胸から人の手が飛び出し──自分の体を物が通り抜けていったのだ──これで動転しない人間はいない。

 千騎は人ではないが、今は説明どころではない。

「説明している(いとま)はない!」

 余裕も消し飛んだ真剣な顔で千騎も刃を抜く。五藤はすでに槌也に対峙していた。

「槌也……」

 変わり果て奇怪な叫び声をあげる弟分の姿を、悲しげな目で見た鬼成は、きっと顔を上げ、白刃を槌也に向けた。

「下がっていろと言ったはずだ!」

「そうはいかん! 俺の責任だ!」

 鬼成は千騎に怒鳴り返した。

 妖化の衝撃で正気を飛ばした槌也が、動くものに対して、攻撃を仕掛けた。剣技も何もない、無駄の多い滅茶苦茶な動きだ。だが、速さが尋常ではない。

 鬼成は間一髪これをかわし、五藤と千騎は同じく尋常ではない速さでかわした。

 小角もまた人にあらず。

 鬼神流は人以外のものを斬るためにある剣だ。飛燕のごとき速さで斬りかかる。

 この後、槌也は衝動に任せて暴れたらしい。わずかな記憶の断片があるだけだが、槌也は戦いを楽しんでいたという覚えがある。

 複数の腕の攻撃をかわし、最後に鬼成が懐に飛び込んで副腕を二本落とした。しかし、相打ちで、鬼成も左の腕を失った。

 その痛みで一瞬正気に返った槌也の口に、一縷の望みをかけて五藤が傷ついた腕を押し付けた。

 血のにおいに、反射的に槌也はそれを啜った。それが効して、不完全な妖化であったため、槌也の体は人身に戻りだしたが──傷が大きいがため命を守ろうとする本能が、完全な人形に戻るのを拒絶していた。

六本腕の中途半端な姿で、痛みと、わが身に起こったことへの衝撃で朦朧としていると、いささか憮然とした千騎が斬りおとされた腕を持って槌也に近づいた。

「俺のせいらしいからな」

 千騎が槌也の傷口に腕をあわせた。

 一瞬、槌也の腕の傷口と千騎の手が融合し、再び千騎が手を離すと腕は繋がっていた。痛みはすでに消えていた。

 千騎の力はこういうふうにも使える。

 命の危険が去った槌也の肉体は副腕を収め人の姿に戻った。全身を襲う疲労さえなければ、幻と思えるだろう。

 千騎は鬼成の腕も拾い──

「これはおまけだ」

 千騎は鬼成にも同じように腕を繋げた。人にもそれは有効らしい。おかげで鬼成は隻腕にならずにすんだ。

「おお?」

 鬼成は驚いたように、二度三度と腕を動かしていた。

 仕事を終えた千騎の顔は青ざめていた。

 槌也の中で起きていたことが、千騎の中でも起きていたのである。ただ、千騎は自分が何者かを知っていた。それに〝先祖帰り〟でもない。

 槌也のように無防備に己の妖力に飲み込まれたりはしない。

 五藤が傷ついた腕を千騎に近づけた。

「大丈夫だとは思うが、飲んでおけ」

 千騎は逆らわずにその血を啜った。

 口を離した千騎がその傷に触れ──

「世話をかけたな」

 ぶっきら棒に千騎が言うと、五藤は律儀に返答した。

「いや、俺のせいだからな」

 ──五藤と千騎の手が一瞬同化して、撫でるように千騎の手が動いた。放すと傷は奇麗に消えていた。

 それだけを見届けて、槌也は失神した。

三年前の槌也のしでかしたことでした。

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