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鬼人伝  作者: 牧原のどか
外伝 蜘蛛草子 社の盟友
37/54

蜘蛛草子

 その日の宿舎は宿の都合で二棟に分かれていた。ここでもそうだが、どうやら部屋割りを決める役目の者は、できうる限り槌也と夏姫の部屋を離しておきたいらしい。

 深夜、ときおり槌也が姿を消すことが数度あり、いらぬ用心をしているらしい。

 槌也にとってもそのほうがありがたい。

 一度ならず、人には言えない攻防があったのである。

 ふと、部屋においてあった草子の、表紙に書かれた蜘蛛の絵が目に留まり、槌也はそれを手にとって見た。

 泊り客の無聊を慰める読み物だろう。中身は、国創りの物語のうち、土蜘蛛の段のようだ。

 人気のある話である。

 この話の筋は、御開祖様の英雄譚のうち土蜘蛛を相手にしたものだ。

 この段では、珍しく、戦うのは御開祖様ではない。何かの理由があって──諸説あるが、ここでは省く──御開祖様の到着が遅れ、代わりに表立って戦うのは配下である小角猛宣(おづのたけのぶ)である。

 名前から分かるとおり、小角の先祖である。もちろん、この男、只者ではない。御開祖様に敗北し──その段はその段で、二目と見られないおぞましい姿の化け物が、御開祖様の血を与えられ美丈夫と変化する場面が見せ場で、かなり人気がある──神通力によって人の姿形と心を与えられてはいるが、その本性は人喰いの鬼である。

 知略によって、相手の妖力を奪っていくのが常套手段の御開祖様と違い、この戦いは二大妖怪の真っ向勝負と相成る。

 徐々に相手が弱くなっていく他の段では味わえない派手な戦いが魅力だ。

 並の人間ならそれだけで切り刻める妖糸を、鬼の強力で引き千切る小角。土蜘蛛が妖糸でもって空中を自在に動けば、小角もまた風に乗る。

 多くの物語では、最後は妖怪が降参し家来となり人の姿と心をもらうのだが、土蜘蛛は最後まで降服せず、とうとう小角に討ち取られてしまう。

 幾度も降服を勧められるのだが、土蜘蛛は小角を強敵と認め全力を持って戦う事を歓びとし、満足感の中に力尽きる。

 降服するのはその妻たる雌の土蜘蛛だ。宿した子を守るため御開祖様の配下となる。

 雌蜘蛛は人の心と姿を与えられ、そして、もともと縄張りとしていた土地を守護する任を仰せつかる。

 雌の名は伝えられてはいないが、これが土御門の先祖である。

 戦いの歓びに溺れ、身を滅ばすというのは、なにやら身につまされるものがある。槌也にもその傾向がないでもない。

(業ってやつかね)

 槌也は頁を開いたまましばし身動ぎもしなかった。

「さすがに、感じるものがあるみたいだね」

 槌也は視線だけをその声の主に向けた。

「いくら戦に負けたからって、後々までも妖怪扱い。ご先祖様をそこまで貶められて、何も思わないはずないよね」

「──(辱めるもなにも)──」

 声の主は以前杜に入り込んでいた女だった。

「幕府はこのままずっと、あんた達のご先祖様を妖怪呼ばわりするよ。いいのかい? 良くないよね。その証拠にさっきから、一枚も先に進んでない」

「──俺は字、読むのが遅いんだよ」

 槌也は女に草子をほうった。女は無意識に受け止める。

「読んでくれねえか? 好きな話なんだ」

 女が硬直した。

「これを部屋に置いといたのはおめえだろ。匂いがするぜ。ついでに名前も聞いておこうか? 俺は人間相手に殺し合いをする気はねえが、謀反を企む奴をそうそう見逃しちゃあ、立場上悪いんでね」

 絶句していた女は苦笑いを浮かべた。

「……お見通し……というわけ?」

 槌也はにぃっ、と笑った。

「俺は鼻が利くんだよ」

「……人を呼ばないの?」

 いくら回りに人気がなくとも、一声かければ駆けつけてくる警護の者がいるはずである。それも呼ばず槌也は平然としている。

「呼ぶ必要がどこにある? おまえに俺は殺せねえ」

「いつでも捕まえられるってわけ」

「そういうことだ。行列の通る道を知っていたわけとか、俺がここの部屋を使うことを誰に聞いたのかとか、知りたいことは山ほどあるが、まず聞いておこうか──名前は?」

 女は顔をひずめ、

「柚月」

と答えた。

「やっと名前が分かったな──で、わざわざ俺の前に現われたのはなぜだ?」

「話を聞く気はあるの?」

「陣中にもぐりこんで来たんだ。聞いてやらなきゃ失礼だろうぜ」

 柚月が気を取り直したようにきっと顔を上げ話し始めた。

「わたしは、天主様の使い。あなたを仲間になるように説得しに来たのよ」

「天主だぁ?」

 槌也は顔をしかめた。

 天の主とは、いかにも思い上がった名前である。そんな名を使う時点ですでに皇帝の怒りに触れる。野放しにされているわけがないのだが──

「そう。天主様はこの乱れた世を嘆き、世直しをするため天から降りられたお方」

 槌也は早くも後悔し始めた。どう聞いても誇大妄想の大風呂敷にしか聞こえなかったからである。

「今の世は、大昔に決められた身分に縛られている。初代とも御開祖とも呼ばれる皇帝の先祖が決めた身分だけで、その能力もないものが大手を振って天下に号令をかけている。そのため、あらゆる横暴がはびこり、下々のものは無体な真似に耐え忍んでいる。それがいいことではないのは分かるでしょう。人は解放されなければならないのよ」

 知らないとは恐ろしい。槌也はこっそり心の内で呟いた。

「開放ねえ」

「そう。皇家という偽りの天からの使者ではなく、天主様のもと、自由で公平な世の中にしなければならないのよ」

「…………」

 皇帝、皇家、予備血統家、それらがなくなったらどういう世が来るのか、知りすぎるほどに知っている槌也には、(たわ)けたこととしか聞こえなかった。唯一(あやかし)を抑えられるものがなくなった世は、恐ろしいものになる。

 自由も公平もなにもない。

「あなたも、先代の子という身分に縛られている。同じ子供でありながら先に生まれたというだけで、兄は藩主、あなたは部屋住みという身に甘んじている。不公平だとは思わないの?」

「そうやって、不満を煽り立てるのが手かい? 悪いが、もう十分だ」

 槌也は柚月の演説をさえぎった。

「矛盾してるぜ。この世の不条理を訴えながら──俺の身分を利用しようって腹が透けて見えるぜ──今の身分制度にどっぷりつかってる俺が、それをぶち壊す話にのるとでも思っているのか? 不満を煽り立てて、自分達の笛で踊らせようって寸法だろうが。それじゃあ、騙されてやれねえよ」

 柚月の眉がつりあがった。

「今の世の何が不満だ? 俺にはけっこううまくやっていると思うがね。完全じゃあないが、そこはそれ、どんな仕組みにも抜かりがあるさ。大事なのは、人と人がうまく付き合っていくこと、人のことも考えるってことだろう。それがあればうまくいくさ」

「それは、あなたが下々のものを知らないからよ!」

「おいおい、俺がどこで育ったのか、知らないのか?」

 柚月がぐっとつまった。

 落胤である槌也は伯父の子として育てられている。伯父の身分は下級武士で、町民とたいして違わない。次男として育てられた槌也は早くから皇都に修行にやられ、街中で暮らしていた。柚月の言う所の下々の暮らしにどっぷりとつかっていたのだ。

「俺のこと、どう聞いてるんだ」

 柚月は鼻を鳴らした。もはや軽蔑を隠す必要もない。

「前のお殿様が狩の帰りに武家の娘に手を出して生ませた御落胤。腹違いの領主様が病弱なのをいいことに、お役目を代行するといいながら、お狩場に入り浸って、気に入りのお稚児さんと狩小屋で暮らしてる。家老たちに国向きのことはまかせっきり。贅沢し放題、好き勝手やってる、ろくでなし。奇矯な形をして、粗暴で乱暴狼藉し放題、血を好むって聞いたわ」

 槌也の頬が微妙に歪んだ。

「血を好む……ねぇ」

 言いえて妙っ、と槌也は苦笑した。血を好むのは事実ではある。ただし見るのがではなく口にするものとして。

 乱暴なことをするという意味のつもりだろうが、当たらずとも遠からずというところだろう。

「で? 自分の目で見てどうだ?」

「そのままでしょう」

「──ひとつ訂正してくれや──」

「なにを?」

「俺に男色の気はねえ」

 それだけは譲れない槌也であった。

 目を白黒させている柚月に、槌也はふきだした。ひとしきり笑った後、長年自分の中で鬱積していたものを吐き出した。

「俺ァ、自分が先代の落胤だとは、十五までは知らなかったんだよ」

 槌也は溜息をついた。

「そもそも、手がついたのは一回きりだったらしいからな、先代もそれで子が出来るとは思わなかったし、おふくろも、もう嫡男もおられる中に、落胤騒ぎなんぞ起こしたくなかったらしくて、誰の子か言わなかったんだ。それで伯父貴の二人目の子として育てられたんだ。俺ぁ、自分が普通じゃねえって、薄々感づいてはいたんだけどよ、隠してたし、まさか先祖の業を背負ってるとは思わなかった。部屋住みの次男坊だが、腕が有りそうだったんでそれで身を立てろって、箔付けのため皇都に留学に行かされた。それが運のつきって奴かね? 騒動起こして、どう考えても土御門の血筋だってんで調べて、先代の御落胤って分かったんだよ。おふくろも観念して洗いざらい打ち明けたし、先代もそういえばそんなこともあったなあって、おぼろげながら思い出したしな。それで土御門に引き取られたってわけだ。ひでえ話だろ」

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