噂と真実
一行は急ぎ足で一路帝都を目指した。姫君を待たせるわけにはいかないので、やや強行軍である。
岡部はしきりと槌也を気にしていた。
当主のたった一人の弟ということで行きの護衛対象ではあるのだが、本人が宿直さえつけさせない。
藩の威信をかけた行列ということで、自粛しているのか、噂のような乱暴狼藉は働かず大人しいものだ。文句ひとつ言わず黙々と歩いている。
最初は槌也のために駕籠か馬を用意させようとしていたのだが、本人が断った。
馬とは相性が悪い、とは本人の言だが、本当に城のどの馬も槌也に近づこうとはしなかった。一番大人しい馬でさえ、暴れて逃げようとした。
駕籠も、女ならともかく、自分のようなものを担いでいくのは担ぎ手が参ると譲らない。確かに立派な体格をしているから担ぎ手の負担にはなるだろう。
とにかく、自分は護衛だと譲らない。並みの藩士のように徒歩で帝都に行くという。
噂を頭から信じていたものは、首をひねる思いだ。
その日はやや遅めに宿に着いた。岡部孫兵衛は自ら槌也を部屋まで案内していた。
噂では、短気で、すぐ乱暴狼藉を働くという。いざという時は、我が身をかけて槌也をいさめるつもりであったのだ。
「このお部屋でございます」
「ご苦労」
槌也が短く礼をいい部屋に入った。一日歩き尽くめでさぞ機嫌が悪いだろうと思っていたが、そうでもないようだった。
今の所槌也は強行軍にも文句ひとつ言わず、岡部の言うことをよく聞く。
「すぐに膳が参ります。今日はこちらでお召し上がりください」
「分かった」
その時、ちょうど宿の女中が膳を運んできた。障子にその影がうつっている。
「お膳を運んでまいりました」
「おお、ちょうどよい。すぐに──」
「──待て! 入るな!」
槌也が大声で静止した。
女中が障子を開けようとしたところで、凍り付いている。
すわ、何か機嫌を損ねたかと、槌也を振り返ると──掌で顔の下半分を被って、顔をしかめている。
「何事でございますか!」
「酒のにおいがする!」
「は?──お好きだと聞いたので、一本付けさせましたが、それが何か?」
「誰に聞いた! そんなでまかせ!」
「でまかせ? でございますか?」
「俺は下戸だ!」
岡部の脳裏は一瞬真っ白になった。下戸?──よりによって下戸?
「においだけでも、だめなんだ。せっかくの心遣いだが、下げさせてくれ」
「これはしたり。それは申し訳ありませぬ」
「知らなかったんだから、仕方ない。せっかくの酒だ、誰か酒好きのところへ持っていってくれ」
「は、ではそのように」
結局槌也は酒抜きの膳を採った。
岡部は無用の長物となった徳利を下げて部屋を下がりつつ首をひねった。
はて、噂とはずいぶん違うようだが? と。
結局行きでは槌也は噂の粗暴さを欠片もみせず礼儀を守っていた。
多少の行き違いもあったものの、大きな問題もなく行列は予定より早めに皇都の藩邸についた。
藩邸に着くと、岡部が槌也に声をかけた。
「そういえば、槌也様は皇都で剣を学ばれたのでしたな」
「そうだ」
この岡部という男は、武を尊ぶ。道中もしきりと修行時代のことを聞きたがる。国許を離れたことのないものにとって、皇都の剣術界は憧れの的なのだ。
「皇都の有名どころといえば、柳庄流とか小角鬼神流などでございますな。槌也様のは蒲生流とか。柳庄流とも交流のある名門でございますな。そうそう、柳庄流といえば、嫡男の十兵衛殿が亡くなられたとか。お家の方は同母弟の三男が跡継ぎに選ばれたそうで」
いつの間にか情報を仕入れてきたらしい。いかにも残念そうな顔をする。
「もう三年になるそうです。天下一といわれた剣豪も病にはかてませぬなあ、まだお若いのに。お会いになったことなどございませぬか? できれば一度、姿なりと拝見したかったのですが……」
「………会ったことはある」
「それは――残念でございますな。時間があれば、線香のひとつも上げたいところでありますが」
「そうだな……」
槌也は顔を背けた。気をつけないと、笑ってしまいそうだった。
「そうそう、久方ぶりの皇都でありましょう、会いたい方などございませぬか? 出立まで多少時間がございますが──」
「──いや、いい。大事の前だ」
久方ぶりの皇都。古馴染みに会ってみたい気もしたが、彼らが知っているのは香月槌也であって、土御門槌也ではない。
それに、どうせ、本当に会いたい相手には会えはしないのだ。
(知ったら拗ねるな。悪いが素通りさせてもらうぜ、剣鬼の旦那)
柳庄十兵衛という男は、死んだのだ。葬式も出した男に、まさか会いに行くわけにもいかない。所在すら分からないのだ。
小角に聞きにいけば分かるだろうが、そこまでの時間はとれない。
「行こうか。お役目がある」
このお酒はこのあと岡部がおいしくいただきました(笑)
実は嗅覚が鋭すぎるため酒タバコはぜんぜんだめなんです槌也。
剣鬼の本名でました。捨てた名前だけどね。