蜘蛛と鬼と剣鬼
夏姫の迎えを頼まれてから四日が過ぎた。狩りの合間に打ち合わせや予定の吟味などを行い、さすがの槌也もやや疲れ気味だ。
それも今日で終わる。小角からの代役の来る日だった。槌也が出立するのは、明日ということになる。
槌也は風丸を伴い、小角の使者を唯一結界の開いている杜の入り口まで迎えに行く。
「以前にも言いましたが、策に乗るお積りはないのですか? 確かに、おぞましいことではありますが、それで身を固められるのなら、それはそれで……」
何かを言い含められたのか、風丸が問題を蒸し返した。
「好きでもない女ァ、抱く気にもなれん」
「……前に、惚れた女に蜘蛛の子生ますのはかわいそうだから抱かないって、言ってませんでした?」
「言った」
「惚れた女も、好きでもない女も抱かなかったら、何を抱くんですか?」
しばし間があいた。
「……一生、清い身を通してやらぁ」
浅黒い顔に微かに血の気を上らせて、槌也が言い捨てた。風丸も頬を染める。しかし──その表情は嬉しそうだった。
「清い身だったんですか……わたくしでよろしければ、色の道を教えて差し上げましょうか?」
槌也が足を止めて振り返った。形相が変わり、全身から殺気じみた気迫を発している。
「気色悪いこと言うな! 男とやるぐらいなら、自決するぞ、俺はぁぁ!」
「そんなに気合をこめなくても……わたくしが嫌いなんですか」
「そういう意味ではな!!」
風丸は涙した。
「子供を残すのも、義務のうちでしょう?」
土御門は代々子供ができ難い。槌也の父親である先代も、好色で何人も側室がいたにもかかわらず二人しか子供はできなかった。その先代にも兄弟がなく、二人の子ができたのは四代ぶりだという。落胤の槌也が土御門に受け入れられたのはそれもあるらしい。四代前の子は、一人は姫なので男の兄弟がいるのは珍しい。
このときの男の方は子ができず、妹姫の生んだ子を養子としてもらい後を継がせている。それが守之と槌也の祖父に当たる。妹姫の産んだ子もその子一人だという。お家騒動とは縁遠い血筋である。
土御門は杜の守りを任されている血筋だけに、できれば続いて欲しい血筋なのだ。
槌也はいざというときの予備らしい。
「いらん。兄上にまかす。跡継ぎでもねぇのに、皇家筋の嫁もらうわけにはいかねぇだろうが。人間の女なんぞに産ませた日には、蜘蛛だらけになんぞ。おめえこそ、子供作れや。小角でも、おまえみたいなのは貴重だろう」
槌也は先祖帰りだ。皇家血筋の女に産ませでもしない限り、その子供も槌也の同じものとして生まれてしまう。だからといって、跡継ぎでもないものに皇家筋の姫を降嫁させるわけにもいかない。そんなことをすれば、事情を知らない大名どもの非難を買う。
風丸がぼそりと言った。
「……わたくし、子供を産めないんです」
「男は、普通、産めん」
槌也は厳かにいい、風丸が悲痛な声で続けた。
「わたくしが好きになった人も、子供を産めない体なんです」
槌也は厳かに言った。
「男は産めん」
絶対の真理である。
男に子供は産めない。
風丸が滂沱と涙した。
「それでどうやって子供を残すんですか。無理ですう」
「ああ、俺が悪かったよ。絶対無理なことを言った」
「分かってて、言ったくせにっっ。酷いですうぅぅ」
男色家の悲痛な叫びであった。
〝舞人〟〝楽人〟〝心話〟〝遠見〟〝癒し人〟“霊眼”いくつもの能力を併せ持つ風丸の力は小角でも貴重だが、それを伝えるべき子供を風丸は得られない。
槌也は足を止めて空気のにおいを嗅いだ。
「きましたか?」
「ああ。おまえ以外の鬼のにおいがする……気のせいか? どこかで嗅いだことがあるような……」
獣道のように細い道を通り、人影が見えた。近づくにつれ、それがかなり大柄なものであることが分かった。槌也も背が高い方だが、それよりも頭ひとつ分は確実に高い。肉付きもよく、均整が取れている。それほど大きくても鈍重な印象はない。惚れ惚れするほどの巨体を滑るような足取りで運ぶ。
その姿に槌也は覚えがあった。
男は編み笠を取った。凛々しく整い峻厳な雰囲気を漂わせる容貌である。
「お久しゅう、槌也殿」
「……五藤、なんでおまえがここにいる!」
唸るように槌也が問いただした。本来ならば、この男は小角の若君のお目付け役なのである。
「代役を仰せつかりましたもので」
「てめえんとこの、若はどうしたよ! 身を固めたのか?」
「いえ、そちらのほうはまだ……代わりに騎手の双子の片割れがついております」
「誰でえ?」
「『鬼の手』の持ち主です。どうにも人手が足りず、この五藤が仰せつかりました」
「鬼どもも、手がたりねえか? そんなんで大丈夫かよ」
「数はともかく、封印の地の守りとなると、質がいりましょう。ある程度の力あるものはすでに何らかの役目についております。一月ほど代役の効くものとなると、そうはおりませぬ故」
「……ひとつ聞くが、俺が迎えに行くより、鬼どもが送ってきたほうが、面倒がないんじゃねえか?」
「そうでしょうが……槌也殿が迎えに行くことが肝要だと聞いておりまする」
「……気に入らねえな……」
五藤は首を少しかしげた。
「その、口の利き方と、目的がよ!」
抜く手も見せず槌也は抜刀していた。尋常の相手なら、そのままから竹割りにされているところだ。
しかし五藤十五は、鍔迫り合いの形でそれを受け止めていた。
槌也の後で抜いて、槌也の刃を受け止めたのである。
槌也の筋肉は隆起し、手加減しているようにはまったく見えない。全力の一撃であった。それに対して、五藤のほうはさして力を込めているようには見えなかった。
「俺が兄嫁と密通するのを待ってるみてえじゃねえか」
「落ち着け。俺に言われても困る」
五藤は少し困っているような顔をした。その間も全力の鍔迫り合いは続いている。
「……まあ、それを望んでいる御仁がいるのは確かだな」
五藤の口調は昔のそれに戻っていた。
「あんの、北の老いぼれ、皇帝の舅だからって、好き勝手やってんじゃねぇか?」
「わかっているなら、俺に当たるな。夜叉丸が欠けるぞ」
ふんっと鼻を鳴らして、槌也は刃を収めた。
「また、腕を上げたみてえだな」
立ち振る舞いだけでも、さらに腕に磨きがかかっているのが分かった。
「なんで、そんな刀、持ってやがる」
「いい刀だろう」
五藤は刀を納めた。五藤の大刀は名工の手によるもので、大枚をはたいてでも手に入れたいと言う者も多いだろう。しかし、槌也は顔をしかめた。
「……ただの〝いい刀〟じゃねえか。名刀でも、普通の名刀じゃあ、魔は切れねえ。夜叉丸、貸そうか?」
「いらん、俺には必要ない」
「……そうか、〝鬼をも斬る剣〟の持ち主だったな、お前……鬼のくせに……」
小角の家は、〝先祖帰り〟の始末と封印の守護を受け持ってはいるが、表向きは指南役として皇帝に召抱えられているという形を取っている。
しかし、皇帝が小角の剣を教えられているわけではない。皇帝の剣術指南役は他にあり、何のために召抱えられているのか分からない、ほとんど飾りだと、実体を知らぬものは嘲る。
武芸者にとっては、小角鬼神流といえば、他に例を見ない血統お止め流という掟がある謎の流派である。小角の血筋のものだけを門弟とし、門外不出。たびたび開かれる武術大会にもまったく姿をみせず、稽古すら、垣間見ることもできない。他流試合は一切受け付けず、本当に強いのかも疑われる。
しかし、それも真実を知れば仕方ない。
小角の者は男も女も総じて体格がよく、その強力や速さは飛びぬけている。それもそのはず、小角は人ではないのだ。度々三皇家といわれる葵の血を取り入れてなお、多くの者が断片的に先祖の神通力を受け継いでいる。
これで常人と試合えば、勝つのは分かりきっている。
妖怪退治を前提とし実戦で磨き上げられた腕に適うものなど多くはない。
天下大平の世に生まれ、武芸など振るう機会などなく、道場剣術と成り果てた剣しか知らないものに、人外の者相手に実戦を積んできた小角に適うとすれば、それこそ剣の道にすべてを捧げ剣のみで生きる剣鬼となったものだけだ。
世が大平でいられるのはこの小角の力によるところが多い。妖怪を倒すことのできるものは少なく、皇家は小角を擁護している。
小角もまた、人であり続けるために皇家に仕えている。
この五藤の変わったところは、鬼として生まれながら、なおかつ神通力を抜かしても剣鬼と呼ばれるものだけが開眼する〝鬼をも斬る剣〟を習得していることである。
人として生まれていても、やはり剣鬼になっていただろう。
おそらくは、小角の中でも最強の名に最も近い男だ。
「剣鬼の旦那は達者か?」
「ああ、達者だ」
「死んだって聞いたぜ」
「あれは……」
「『死んだ』ことにしたわけか。指南役の跡継ぎを、小角の入り婿にするわけにはいかねえからなぁ」
「……分かっているなら聞くな……今は鬼成十衛と名乗っておられる。そのうち小角の中から連れ合いが選ばれることになろう」
「〝きなり〟〝おにになる〟か。旦那らしいねえ」
鬼成十衛と名乗っているのは、皇帝の剣術指南役の嫡男である。武門の家に生まれたということもあるだろうが、この男、剣術にすべてを捧げたまさに剣鬼である。
幼少のころよりその才能を謳われ、日々剣術の腕を磨くことにかけ、天下無双といわれるまでの強さとなった。
小角鬼神流に興味があり、極秘に行われた皇帝の御前試合の、優勝の褒美に何が欲しいか尋ねられ、小角鬼神流との真剣試合を所望したという。願いは聞き遂げられず、それでも鬼神流との勝負を熱望し続けた男である。
槌也の師事した師匠が指南役と交友があり、その縁で顔をあわせ、なぜか気が合い、年の離れた友人として付き合っていた。
皇都での騒ぎは、この男との付き合いがなければ起きなかった。
この一件で槌也は土御門の家に入り、男は死んだことにして名を捨て、小角に取り込まれることとなった。真実を知られ、記憶の改ざんもできぬ特異な能力者を一族に取り込むことはよくあるらしい。同族婚の多い小角にとってはそれも必要なのだという。
「妖怪退治に混ぜろって言ってないか?」
「……何かあったら声をかけろといわれている……」
「味を占めたかよ。俺との勝負、気に入ったらしいな」
「つまらぬ時代に生まれたと思っていたが、そうでもなかったかと喜んでいる」
「……まあ、こんなことでもなければ、鍛えた腕を振るう機会もないからな。置いてきたのか?」
「当たり前だ。人間だぞ。腕はともかく、肉体が脆い。我々とは違う。こんな妖怪だらけのところへ連れてこれるか」
いくら〝鬼をも斬る剣〟の持ち主とはいえ、肉体的には人間でしかない。人間としては頑強だが、頑丈な小角や槌也とは比べ物にならない。限界がある。
「知られたら拗ねられるぞ。俺もおかげで日々腕を磨いてるよ。まあ、相手が物足りないがね。旦那のほうが手強かったな。また、機会があったら旦那とも戦りたいよな」
五藤が呆れたような顔をした。
「腕二本、落とされても足りないのか?」
「余分な腕だったからな。くっついたし」
槌也は脇腹を撫でた。
五藤は天を仰いで呟いた。
「噂には聞いていたが、凄いな」
常人には視えないだろうが、五藤の霊眼はそれを捉えていた。
「ああ。結界の結び目に、俺の結界をかぶせて小物を威嚇しているからな。もともとあんまり妖気のでかい奴はこっちにこられないし、小さい奴は俺の気配に怯えてこない」
「おまえの気配に怯えない奴しか来ないか。それはそれで厄介だ」
「おまえなら大丈夫だろうさ」
俺より強いから、とはさすがに口には出来ない槌也だった。
「結界を壊してしまうかもしれんが……いや、確実に斬ってしまうだろうが、直せないぞ。俺達の張る結界とは質が違うからな」
「それは、まあ覚悟の上だ。帰ってから直すさ。妖怪が外に出なければいい。結界を閉じておくから、出入りは〝跳んで〟くれ」
「承知した」
すっと五藤の視線が風丸に向けられた。
「久しいな三弥。何も分からぬ故、手数をかけると思うが、槌也殿が戻るまでよろしく頼むぞ」
悪気は──他意は──ないのだろうが、何も知らない五藤は、同性である槌也の眼から見ても魅力的な、爽やかな笑顔をふりまいた。
「は……はい。十五様にはお久しゅう。至らぬところもあると思いますが、精一杯努めさせていただきます」
風丸と五藤は同じ一族の出である。もちろん面識があり、五藤にとって風丸三弥は兄二人と同じく同胞だが、三弥にとって五藤は初恋の相手だった。
むろんまったく男色に興味のない五藤には、想いを打ち明けることもできず、諦めたらしいのだが、その張本人と人を交えず二十日ほど暮らさなければならないのだ。風丸の心中いかなるものか──人が口出しするものでもないし、聞かされたとしても五藤が困るだけだろう──なによりも───考えると気色悪いだけなので、槌也は黙って放っておいた。
男は産めん……うん、産めません。真理です。産めたら怖いよね。
騎手の双子の片割れとは右近のことです。
化粧を落とされ、衣服を改めさせられ、髪をくくるよう強制されて猛流のお供。「兄上と紛らわしいだろうが!!」
「安心しろ、左近殿は外回りにでておるわ」
左近と右近は双子でそっくり。まじめな左近は諸国を巡って妖怪退治。酔狂な右近は皇都で妖怪退治をしつつ、五藤のスペア。
実は五藤、千騎に次ぐ腕前だったりします。