猛流と双璧
いつものように逃走を図った葉月をいつものように教育係である乳母に預け、千騎と五藤は本来の仕事である猛流のお目付役に戻った。
「若、物見遊山したいのならば、事前にお言い付けください。お忍びがよろしければひとこと言ってくだされば、この千騎、いくらでも融通をきかせましょう。わたくしに任せてくだされば、後悔しない遊び場をいくらでも紹介しましょうとも」
いい笑顔の千騎に猛流も微笑み返す。
「常日頃の生活態度がよく分かるお言葉ですね」
「千騎! 貴様の生活態度も問題だが、若に悪さを進めるでない! 何のための教育係か! お諌めするのが、我々の役目だろうが」
「ただの前置きではないか。いちいち反応するでない」
「前置きか? あれが、前置きなのか!」
千騎はいきり立つ同僚にちらりと流し目をくれて
「粋の分からぬ奴よのう」
と笑った。
軽くいなされ、怒りの行き場を失った五藤は拳を握り締めた。
殴ってやりたい。切に思うのだが、殴っても手応えもないだろう。
千騎だから。
戯言、戯言、と口の中で呟き、本来の役目を果たすべく、猛流に向かい合った。
「若! 何ゆえ、あのような事をなさいます! 何が不満だと言うのですか!」
「葉月さんが逃げるとおっしゃったので。ぼくにも一緒にこいとおっしゃったので、ご一緒させていただきました」
いつものように微笑んで猛流は答えた。
何かが違うっと思いながら、千騎は尋ねた。
「……なぜ、姫は逃げるとおっしゃったのですかな?」
「ぼくとの縁談が嫌なのだそうです」
ここで千騎と五藤は言葉を失った。
猛流は黙ってどちらかの次の言葉を待っている。
口を開いたのは千騎の方だった。
「それで何故、二人一緒に? 縁談が嫌で逃げるのは、片方がやればよいのですよ。ふたり一緒というのは駆け落ちですが、これは許されぬ仲の二人がするものです。許婚同士の二人の旅は婚前旅行と言うのですぞ」
「ぼくも、何かが違うと思ったのですが、葉月さんのご希望で」
「お止めなさい、若!」
言葉を失っていた五藤が激高した。
「嫌です」
微笑みながら、それでもきっぱりと、猛流は答えた。
「……若は姫とのご結婚は嫌なのですか? 仲は良いようにお見受けしますが」
「いいえ」
「では、どうして姫を止められませぬ?」
「葉月さんのご希望だからです」
「それでよろしいのですか?」
「何になりたいのですか? とお聞きしたら、ぼくの妻以外のものと答えられてしまいました。そこまで嫌われてるのかと思うと少し悲しいのは、ぼくの我が儘でしょうか?」
「違うと思います……」
千騎はこめかみを押さえた。
「ですから、若は姫との婚儀に不満はないのでしょう? ならば、お止めになって姫をお諌めするのが、道理というものでしょう! 何故、姫を止められませぬ!」
訳が分からないと、五藤は嘆いた。
「楽しいからです」
「……」
五藤、撃沈。
「……我らを振り回すのが、ですか……」
問いただす千騎の声にも、さすがに多少険が交じっていた。
「何かを変えようとして一生懸命な葉月さんを見ているのが、です」
千騎と五藤は目を見張った。
「葉月さんが本当に嫌なのは、ぼくとの婚儀に代表される『何もかもが最初から誰かに決められてしまう生涯』だと思います。何も自分では選べないから、何かを自分で決めたくてあがいているんです。葉月さんはとても覇気のある人で、羨ましい。ぼくはそんな葉月さんが大好きなんです」
「……若も、人に決められた生涯から、お逃げになりたいのですか?」
「いいえ。安心してください。ぼくは『飼い殺し』にされてあげます。ぼくが飼い殺されないと、大変でしょう?」
猛流は微笑んだ。優しい笑みなのに、むしろ不安になるような微笑みだった。
「刀は人を傷つけるものでありながら、鞘に入っているから、誰も傷つけないのです。誰も傷つけたくなければ、ぼくは『決められた生涯』という鞘に入っていなければなりません。そうでしょう?」
さすがに感じるものがあるのか、お目付役たちはしばし無言だった。
猛流は逃げ切れないことを知っている。公僕に追われれば、子供が逃げ切れる訳はない。しくじるのは承知のうえだ。それでも葉月をとめはしない。
「……確信犯、ですねぇ。姫には黙っていてさしあげますから、体面上罰はうけてもらいますよ」
「はい。反省室ですか? 座敷牢ですか?」
「反省室。あしたの朝まで御籠りしてもらいます。気晴らしならば、そのうちいい所に連れていってさしあげます」
「はい」
猛流は笑って反省室に向かって駆け出した。その背中を見送り、千騎は溜め息をつく。
「飼い殺し、ねぇ。ご自分の立場をよく分かってらっしゃる。聡明なのも考え物よのう」
ぼんくらであれば、豊かでも何一つ自分では決められない運命を、嘆くことはない。少々賢い程度なら、より上を狙う覇気もある。賢すぎるから、敢えて何も望まない。全てをあきらめてしまう。
望んでも、何も得られぬことを知っている。あがけば何が起きるか分かっているからこそ、全てを他人に委ねてしまう。
それこそが、哀れなり。
「我らも似たようなものだろう。小角の血筋に生まれたからには、それ以外の何物にもなれぬ。それにふさわしくなるだけだ」
「分かっておるではないか。我らもしょせん、鞘に納まるだけの者よ。鬼神になれずば、鬼になるだけよ」
鬼人の血筋ゆえ。
沈鬱な決意を滲ませる五藤を千騎は笑い飛ばした。
「ところで」
「何かな?」
「どこへ、若をお連れになるつもりだ。如何わしい場所ではないだろうな」
「安心しろ。遊び場も、昼用と夜用がある。子供でも大丈夫な昼用の場所だ」
別の意味でぜんっぜん安心出来ないっと、五藤は思った。
「……その夜用というのは、なんなのだ……」
「行くつもりがあるのなら、今宵連れていってやるぞ。行くつもりがないのなら、教えてやらん」
「……貴様の生活態度には、以前から一言いいたかったのだ。いい機会だから、みっちりと話し合おうではないか」
青筋を立てる五藤に、千騎はいけしゃあしゃあと――
「一言あるのは、お互い様よ。其方こそ、たまには息抜きせんか。馬鹿の一つ覚えでもあるまいに、修行修行と。一緒におるこちらまで息が詰まるわ」
「詰まるほど、遠慮しておるのか!」
「おお。この上もないほどに」
「どこがじゃあぁぁぁ!」