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鬼人伝  作者: 牧原のどか
外伝 蜘蛛草子 社の盟友
26/54

侵入者

 肌に何かが触れたような気がして()(づき)は立ち止まった。

「なに?」

 辺りを見回しても何もない。それでも何かがあるような気がして、軽く目を閉じ、意識を集中する。霊視(れいし)はあまり得意ではないが、それでも気を視る程度のことはできる。

 はたして、霊眼で見ると、森には蜘蛛の巣が張り巡らされているように見えた。

 蜘蛛の巣のように見えたのは、細い細い、糸のような気だ。それが幾重にも張り巡らされている。

(誰がやったのかしら。これは……罠? それとも、結界の一種?)

 よくよく見れば、数本の霊糸が体にまとわりついている。このまま気づかずに進んでいれば身動きが取れなくなるところだった。

 柚月は〝力〟を集中させ掌に力の結晶たる珠を作り出した。

 短い気合とともに柚月はそれを打ち出した。霊糸は引きちぎられ霧散した。

 性質(たち)の悪い、と柚月は毒づいた。この森は、代々領主の狩場とされ、猟や山菜取りはもちろん、立ち入りさえ禁じられているという。森ひとつを丸ごと独占しているとは、なんという贅沢だろう。森で取れる全てが、領主に捧げられ、周りのものがそのおこぼれに預かる。下々の者がどれだけ貧窮していようと、領主は気にもかけないのだ。

 こんな、普通なら気づきもしない妙な技を使ってまで、独り占めにしようとは。

(これは、望み薄かしら。あまり、近づきたくない相手かも)

 領主の一族とはいえ、つま弾きにされているものなら不満もあろう。それを上手く煽れば利用できそうだと考えたが、どうにも嫌な予感がする。厄介事ばかり起こしそうな相手なら、断念するべきだろう。

「おい、誰の許しを得て、ここにいる」

 いきなりかけられた声に柚月は仰天し、声の主を振り返った。

 奇矯(ききょう)(なり)をした若い男だった。

 元は悪くない。浅黒い肌に、野趣の強い端正な顔。背も高くがっしりとしていて、戦国の世に生まれたならば己の腕だけで名を馳せただろうと思われるような、無骨な雰囲気を漂わせている。

 奇抜なのは衣装だ。

 髪も結わず短く切り、前面と後方を鎧うていながら、脇腹が、なんとむき出しなのだ。

たとえれば、腹掛けだろうか。背中にも衣を使っていそうだが、前面と後方を紐で繋いでいる。脇腹を出すような衣装をわざわざ作らせたとしか思えない。ほとんど半裸の衣装から鍛え上げたしなやかな筋肉が見て取れる。

 まるで自らの体を誇示するのが目的のような姿だ。

 袴も妙に細く仕立ててある。普通なら大小を差しているはずなのに脇差を持たず、飾り気のない拵えの大刀のみだ。

 変わった趣味だ。と、柚月は思った。

 これが土御門槌也。

 現領主の腹違いの弟で、前領主の御落胤(ごらくいん)。体の弱い現領主に代わり領主の勤めを果たすといいながら、『お狩場』の杜に入り浸っているろくでなし。

 男からは血と汗のにおいがした。

「なんだ、おめえ、妙な(なり)して」

 こいつには言われたくない。柚月はむっとした。

「き、奇妙なのは、そちらの方でしょう。どこから参られたのかは存じませんが、いきなり現われるので、驚きました」

 一体どこから現われたものか。気づいたら目の前にいた。それまであれほどに気を張っていたというのに、気づかなかった。

「ああ? (わけ)(おんな)が男のなりしてりゃ、妙だろうが」

 柚月は二度驚かされた。若衆の姿をした柚月を、一目で女と見破ったものは、今までいなかった。せいぜい、女のような顔をした軟弱そうな男と思われるのが常だった。

「わたしを女子(おなご)と申されるのか。確かに顔は軟弱なれど、それはあまりに──」

「女だろ。女より別嬪(べっぴん)な男なんざ、見飽きてるけどよ、おめえは女だ」

 槌也が断言というにも当たり前すぎる口調で否定した。

「女子ですか、その方」

 槌也の後ろに控えていた小袖姿の若者が言った。

 女より別嬪な男とは、これの事だろうと柚月は思った。

 やや目が細すぎるのが難といえば難だが、繊細に整った優しげな顔は見惚れるほどに美しく、涼やかな微笑を薄い唇に浮かべている。背は高く、槌也と同じくらいだが、ほっそりとした優雅な立ち姿だ。

 これが噂のお稚児さんだろうか──稚児というには歳を食っているように見える──槌也より年かさのように思えるのだ。

「ああ。おめえの所は、女より奇麗な男がごろごろしてるから、違和感ねえだろうがよ」

 連れに答えてから、槌也が柚月に目を戻した。

「この辺りの者じゃねえな。ここが『お狩場』だって、知らなかったのか? 悪いことは言わねえから、さっさと出ていきな。でねえと、命がねえぞ?」

 脅されているのだと、柚月は思った。

「お(とが)めが、あるのですか」

「いや、そんなモンはねえけどよ」

 がりがりと槌也が頭をかいた。ふっと視線をはずしてぽつりと言う。

「有りのままってやつだ。危ねえし──俺は、若え女、見ると喰いたくなるんだよ。さっさと出てってくれや」

 かあっと血が頭に上った。

(こっ、この、好色男っ! なんて、いやらしい奴なの!)

 思わず、〝力〟を使ってしまいそうになったが、柚月は懸命に我慢する。ここで騒ぎを起こしては、計画が台無しだ。

 柚月は槌也に背を向けて、走り出した。

(なんて奴! なんて奴! 食いたいだなんて、いやらしい。あんなの、味方に引き込むなんて、とんでもない! 一緒に天罰くらわしてやる!)


「なんだ、ありゃあ。なに、怒ってやがる」

 いきなり怒って走り出した女に、槌也は訳が分からないとぼやいた。

 奇妙な女だった。

 年のころは十四、五。中々整った可愛らしい顔をしているのに、小姓の形をしている。それが妙に似合う凛々しさもあるのも確かだ。気も強そうだ。

 兄に女を男装させて侍らせる趣味はないし、そんな特別な趣味の持ち主の噂は聞かない。『お狩場』だと知らなかったのを思えば旅の者だろうか。

 案外、旅の用心に男の形をしているのかもしれない。女の旅は色々と物騒だと聞く。それにしては旅姿ではなかったのが気になると言えば気になる。

「怒りますよ。女子に、喰いたくなる、なんて言えば」

 風丸は拗ねて横を向く。

「ああ?」

 槌也はしばし考え込む。

「ああ、色欲(そっち)の意味にとられたか」

「普通、とります」

 恨みがましい目で風丸が槌也を睨みつけた。

「ああいうのが、お好みなんですか?」

「おめえまで、色欲(そっち)の意味にとるなよ。分かってんだろ。食欲(そのまま)の意味だよ」

「それも、問題ですけどね」

 風丸が溜息をついた。

「そのために、おめえがいるんだろうがよ、鬼」

「わたくしが治せるのは『生なり』までです。『降り』られたら、どうしようもありません」

「始末は、つけられるだろうが」

 ふいっと風丸が眼をそらす。

「……それをやりたくないから、言っております。わたくしの気持ちはご存知でしょうに」

 槌也は一瞬にして全身に鳥肌を立てた。必死に悪寒に耐える。

「……すまん……それだけには、応えられねえ。絶対に」

「分かっております……とうにあきらめてはいるのですが……ただ……」

 風丸は頬を染めて俯いた。

「あなた様を恋い慕う心を、とめられませぬ……」

 槌也は喉元までこみ上げる酸っぱいものを堪えた。背を向けたまま無言の早足で遠ざかる。

 心の中では絶叫していたが、口にするわけにはいかないのだった。

男色(これ)さえ、男色(これ)さえなけりゃあ、悪い奴じゃねえのにっっ! ちくしょおぉぉ! 何が悲しくて、てめえに懸想している野郎と暮らさなにゃならんのだ、俺は)

「網を直してから帰る。先に帰れ」

「食事の支度をしておきます」

 風丸が一礼して、足を踏み鳴らすと、ふっとその姿が消えた。

 一人になった槌也は網の状態をみて眉をひそめた。

「妙だな?」

 網の破損状態があまりにも大きかった。普通の人間に壊せれるような規模ではない。かといって、物の怪の仕業でもないだろう。網が壊されたのを感じたから、直ぐに遠見を使った。あの女以外には何もいなかったはずだ。空気のにおいを嗅いでも、あの女以外の匂いはしない。

 だが、網は人間の力ごときでは、引き千切れもしないはずだ。まとわりついても、切れることはない。そもそも、ふつうの人間には存在さえ分からない。

「? 何が網を壊した?」

 嫌な予感はしたが、槌也にできることは、とりあえず網をなおすことだけだった。

わたくしの気持ちはご存知でしょうに」

から風丸のバックに点描、もしくはバラの花を散らしてください。


心ある人は槌也に洗面器(新聞紙をひいてね)を差し入れてやってください。

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