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鬼人伝  作者: 牧原のどか
閑話 騎手右近控
24/54

狂い咲き

「旦那、右近(うこん)の旦那ぁ。やめときましょうぜ、相手がわりいや」

 平次(へいじ)は必死に右近の気を変えようと話しかけた。

「そうかい?」

 平次の懇願も虚しく騎手(きで)右近は涼しげに笑い返すだけだった。その声はとろけるほどに甘い美声。

 これは駄目だと平次は溜息をついた。

 騎手右近はある日ふらりと現れた風来坊である。

 目に付くのはその異装。

 髷も結わずに髪を流し、女物の花鳥風月をあしらった派手な着物を着崩し、とどめに薄化粧まで施す派手な形だ。

 異形にもかかわらず許せてしまうのはその美貌ゆえだ。派手な衣装に一切負けぬ華やかな女顔。傾城の美女もかくやという美しさ。花町の太夫すら『負けた』と認めるきらきらしさだ。

 どこぞの家中のものらしいが、大小すら腰にない。

 あちらこちらから噂話や与太話を拾ってきては生業としている平次の下に、話を聞かせて欲しいと現れたのが始まりだ。

 右近が好むのは妖や幽霊話の類だ。

 ふらりと現れてはなにか変わった話はないかと聞いて、噂の場所に足を運ぶ。

 そうした類は三月もせぬうちに立ち消えになってしまうのが常だが、右近は懲りもせず話を聞いて代価を置いてゆく。金離れのよさは抜群で、いいお得意様だ。

 平次がこっそりさぐったところによると、どうやら鬼神流の小角の家臣らしい。背丈とその美貌を見ればなるほどと思えるが、お勤めなどしているのかどうか怪しいところだ。

「この話はなんかやべえんで。首の後ろのところがチリチリしやすよ。そもそもこの話の始まりはぁ、とある男の仏さんが見つかったことに始まりやす。長い間花もつけなかった桜の古木が、どういうわけか春もとっくにすぎたってえのに満開になりましてぇ。狂い咲きってやつですかい? 驚いた近所のもんが――いや、河原に住み着いてる類のやつですがね、珍しいってんで見物に出かけやしたら、桜の根元にからっからに干からびた男の仏さんがあるじゃあありませんか。ところがこの仏さん、前夜にここいらへんで仲間と喧嘩した男で、桜に頭ぁ打ち付けてひっくり返ったところを捨ててかれただけでやんした。そのときは死んじゃあいなかったってんですが、一晩でからからの干物の仏さんだぁ。それに狂い咲きでやんしょ、桜に食われたって大騒ぎで」

「らしいな」

「話はここで終わらないんで。人食い桜も乙なもんだと夜桜見物にいった野郎がいたんでやんすよ。こいつがおんなじように仏になりやして。薄気味悪いってんで切ろうとしたやつもいたんすけどね、こいつが切れないんでやんすよ」

「斧のほうが欠けたんだろう?」

 楽しげに右近がいう。

「へい。そのとおりで。それどころか、恐いもの見たさでやんすかね、夜人食い桜を見に行くやつがいるんでやんす。そうすると翌朝にはからっからの干物になって人食い桜の根元に倒れてるって話で」

 どうも犠牲者は一人二人でないらしい。

「救いがたいなぁ。見物料は命と分かっていくのかい?」

 平次が肩をすくめた。

「自分は大丈夫と思ってんじゃねえですかね。人のこたぁいえませんぜ。旦那だってそうじゃないですかい」

「まあなあ、お役目だからな」

「そんな役目があるんですかい? ただの野次馬でやんしょ」

「さて、どうだかな?」

 すました顔ですたすた進む右近に平次はすがりついた。

「帰りやしょう、旦那。命あってのものだねでやんしょ。どっかで一杯やってうまいもんでも食って帰りやしょう」

「お前はここまででいいよ、これで一杯やってくれ」

 右近が駄賃を手渡した。相変わらず手ごたえのある酒手だ。

「金の問題じゃないんで。なんかやばいんすよ。あっしの勘はあてになんないかもしれませんがね」

「いやいや、たいしたものだ。もう少し鋭ければ北が黙っちゃいないさ」

「きた?」

 失言だとみえて右近が自分の口を押さえた。

「忘れてくれ。平次、また話を聞かせてくれよ」

「……きっとでやんすよ、右近の旦那」

 右近はこの次を約束した。きっとまた話を聞きにいくと。

 平次はそれを信じて戻っていった。


 土手を駆け下りながら右近は苦笑した。

 うっかり言うべきでないことを滑らせてしまった。

 平次の勘はたいしたものだ。最初のころこそただの情報屋として使っていたが、早耳であることも重宝したが、なによりも平次がヤバイとつけ加える話はほとんど本物(・・)だ。それが生きた人であれ、そうでないものであれ背後になにかいる。そうと知って一目置いている。

 おそらくは軽い超常能力者なのだろう。もしもう少しはっきりと()ることのできる能力があれば北が取り込んでいただろう。

 北――北張の隠居のことだ。北張の先代は(あやかし)関係を探索する組織を従えている。その組織は人間で構成されているが、ごくたまに生まれる変り種超常能力者を多く組み込んでいる。

そこまでの力がなかったことは自分にとっては幸運だった。

 平次にとってもだ。

 妖はただの人が関わるには危険すぎる。

 化け物を狩るのは小角(バケモノ)の仕事だ。


 その古木の根元に干乾びた人の亡骸が落ちていた。いらい、花が咲かなくなっていた古木が花をつけ、冬だというのに咲き続けている。

 桜が人を食った。

 桜に住む鬼が人の精気を貪り食う。

 そんな噂が流れていた。

 花が咲く。薄紅色のいつつの花弁を持つ花が。空からふりつもる白と薄紅。

 息さえ凍る冬の狂い咲き。

 女はその下で舞っていた。

 くるりくるり、鮮やかな色彩がひるがえる。

 月明かり、狂い咲きの古木の下、女は美しかった。

 それを見つめるのは右近ただ一人。

「美しいな」

 近づくもののない古木の下、そこにたたずむのはなにものか。

 舞姫は右近に気づいたのか踊りをとめて尋ねる。

「なにもの? 人ではないわね」

「角のない鬼にて。騎手(きで)右近と申します。そして──あなたももはや人ではない」

 女の唇が震えた。

「だれぞに害されましたか? 悔しかったのですか? 桜に憑いて人を喰らうほどに」

 人ならざる舞姫。桜に憑いて人の生気を取り込んで――そうまでしても()りたかったのか?

「わたくしは──死にたくなかった。まだ舞いたかった。わたくしは──もっと美しく舞える。もっと巧みに、もっと高みにいけるはずだった! 死にたくなかった!」

 女は叫んで泣いていた。

「あなたに喰われたものも、死にたくはなかったでしょう」

 女はただ透明な涙を流す。

「あなたはすでに死んでいる。人を喰って、姿を現せるようになっても、誰もあなたをみない」

 至高の舞。けれどそれを見るものはない。見れば命を代価にする。右近はここで言葉をきった。

「成仏するつもりはありませんか?」

「いやよ、いや、死にたくない」

 女はかぶりをふる。

 右近は肩を落とし、息を吐いた。

「あなたの舞は美しかった」

 右近の右腕が節くれだち五条の鋭い爪を伸ばした。

 騎手――“鬼手(きで)”の名に相応しく。


 翌朝、狂い咲きの古木が無残に折られていた。半ば引き抜かれた根に絡まるように亡骸があったという。

「あっしは最初、右近の旦那かと仰天しやしたよ」

「そいつは悪かったな」

 そばをすすりながら平次はことの顛末を右近に語った。

「着物の柄が違ったんで、別人だと分かりやしたがね。あんときゃあ心臓が止まるかと。もっともその着物の染めのおかげで仏の身元が分かったんでやんすがね」

「誰だ?」

「半年ぐれえ前から姿を消した舞姫でやんした。へえ、舞を見せる芸人で。職人が染を覚えていたんで。そこから下手人も知れたんでやんすよ。こいつの情人(マブ)の仕業でやんした。別れ話を切り出され、ついかっとなってってやつで。女を殺して桜の根元に埋めたんだそうです。あれでやんすかね、女の死体が滋養になって桜が咲いたんですかねぇ?」

「さあな」

 おそらくは最初の犠牲者となった男があそこで血を流さなければこの事件はおきなかったのだろう。血が、舞姫が憑いた桜を目覚めさせ――古木は妖となった。

 さらなる力――存在し続けるために人の精気を食らい続けた。

 人食い桜の話は誰かが面白おかしく噂話にしたて、しばらくは界隈をにぎわすだろう。そして――いつの間にか忘れ去られる。

「ありがとよ、平次。またなにか話を聞かせてくれよ」

「ありがとやんした」

 右近は二人分のそば代と平次への酒手を置いて店をでた。


 桜に憑いた舞姫と角のない鬼のことは誰も知らない。

騎手右近は小角の一人です。

本家以外の小角が普段なにをしているかという代表で出てもらいました。

左近という双子の兄がいたりします。

左近は左手、右近は右手が『鬼の手』だったりします。裏設定でした。

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