葵の思惑
「派手にやったもんだぜ」
「いかにも。『降ろし』かかったらしい。間一髪よの。それでも、詰めていたものの三割は、やられたらしい。残りも半分は気が触れたとか。鬼を見たとか、あやかしの仕業とか、戯言を申しておる。真にそうであっても誰も信じぬがな」
報告を告げた北張葵先代当主は、こめかみに青筋を立てていた。
水芝の所業、とくに『鬼降ろし』を刺激してしまった事態に、憤っているのだろう。
「んで、水芝は、どうするんでえ」
皇帝の意に逆らい葉月を奪おうとした事じたい、すでにお家断絶の域なのだが、それを公にすると、鬼が暴れ回ったことが発覚しかねない。
「改易してやりたいところなれど、当主兼家どのは、与り知らぬこと。公にできぬ事でもあるしの」
皇帝は静かに告げた。
企みに加担した嫡男は既に亡く、事態の大きさに衝撃を受けた先代は、ことのすべてを書状にしたため自害した。加担した家来の多くも、既に鬼籍に入っている。多くの人死にを出した水芝の人的被害は計り知れない。
「先代の首ひとつで許してやるってか?」
ふふん、と西州葵は鼻で笑う。
皇帝と先代北張葵、現西州葵当主、非公式の場ではあるが、事実上帝国の明日を左右する会議ともいえる場であった。
現北張葵当主、南戸葵当主はいない。ことは、天下にかかわることではあるが、北張では、あやかし関係は隠居と称する先代の仕事であるし、南戸葵はまだ幼く、この手の会議には出席させられない。
そもそも、この世に妖怪がごろごろしていることなど、信じるだろうか。当主を継いですぐのとき、信じきれぬ者は少なくない。
まこと太平とは薄氷のごとくだ。
人の身でありながら欲の亡者となった者と、正真正銘の妖怪達に、頭を悩ませなくてはならないのは、皇帝と、三皇家当主の役割なのだ。人が思うほど、帝国の皇族の長も楽ではない。
西州葵が首筋をぽんっと叩いた。
「しっかし、まだ小角に手ぇ出す馬鹿がいるたあねぇ。俺もいっぺん、鬼を見てみてえもんだが、まだまだ現世に未練があらぁ」
物見高い西州葵といえども命を代価にされるとあらば、遠慮したいところだ。
戯れに、千騎に鬼の力の片鱗を見せてもらって以来、芳春は鬼の力を疑っていない。己の体の中に、人の手が──鬼人だが──入り込むのを見せられては、疑いようがない。
「一度でいいのじゃ……」
先代北張葵が、唸るように言った。
「一度でも契れば、開祖様より受け継いだ通力が身を固め『鬼降ろし』は起きなくなる。はよう、契らせねば!」
開祖より受け継いだ妖怪封じの力は、その血肉を与えるだけでなく、交わりによっても発揮される。一度でも交われば、少なくとも、人の心を失う事はなくなる。うまくすれば、正気のまま鬼の力を操ることが可能だ。
「知ってるよ。あっちとしても、そうしたいところだろうよ。けどよ、十二だぜ。できるかどうか、微妙なところだぜ」
それこそ猛流が『鬼降ろし』と知れたときから、それを望んでいる。
しかし、何と言っても子供である。いくつからできるようになるかは、人によって違うし、外からは判断つきづらい。
猛流もそうだが、葉月にも、月の物があるかどうかさえ怪しいものだ。
「そもそも、やりかた分かるかねぇ」
けらけらと、戯れ言を西州葵は言ったのだが、先代北張葵は顔色を変えた。
「小角に、問いたださねば。必要とあらば指南するものをつけようぞ」
ぐぐっと握りこぶしに力を込める。
「やめろ。おめえは、本当にやるから、やめろ。大丈夫だろうよ、あそこのお目付役に、その手のことはぬかりねえ奴がいやがる。奴さんにまかしときな」
「したが、ことは天下の一大事ぞ。祝言などどうでもいい、一刻もはよう契らさねば」
西州葵当主は呆れた。もともと葉月を小角に預けたときから、それを望んでいたのだろう。
「はやるなよ。北張らしくもねえ。水芝みてえなのが、ちょっかいださなきゃあ、二人の仲はいいんだ。ほっといても、時がくりゃあ、やるだろうさ」
似合いじゃねえか、と二人の姿を思いだし、西州葵は笑った。しかし、先代北張は、それでは納得しなかった。
「なんとしても、煽るのじゃ。男がその気になれば、時は早まろうぞ。幼くとも、やればやれるものじゃ!」
「それが、爺が孫にいう台詞かい!」
さすがに、西州が憤る。北張に比べれば、いくらか人情家なのだ。
「天下太平のためなら、安いものじゃ!」
それはもう、きっぱりと、先代北張葵は言い切った。
葉月の父に当たる皇帝は、難しそうな顔をして黙り込んでいた。
先代北張の言うことももっともなのだが、そう契れ、契れと、言われると、父として複雑な気分になる。
四つのとき、天下のための犠牲にすると心に決めた。葉月には鬼の花嫁となり、鬼を鬼人とかえ、帝国を守らせる役割を果たしてもらわなければならない。
覚悟しての事だが──はたして葉月は幸せだろうか──親としての懸念が胸を締め付けた。
北張のご隠居静かに暴走中。




