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鬼人伝  作者: 牧原のどか
血の誓約
20/54

約束

 一時といえど、己に刃を向けたものを追いかけ、鬼は再び渡り廊下へ出た。

 もはや、なんのため己がそうしているのか、鬼は覚えているのだろうか。それは、血を求めているようにしか見えない。

 庭に面するそこに、鬼以外の者を追いかけていた者達が到着し、鬼の姿に仰天する。

「な、なんじゃ、あれは!」

「化け物じゃ! 鬼じゃあぁぁあ!」

「ひいぃい! 祟りじゃ! 天罰じゃ! 皇帝様の姫君を、謀った天罰じゃあ!」

「ああ! 若君が! おしまいじゃ! 水芝は、おしまいじゃあああ!」

 人の姿をした怪異はまだしも、正真正銘の鬼の姿と、首をもぎ取られた若君や、辺り一面の血の海を見れば、最後の意地も消し飛んだ。腰を抜かす者。頭を抱え込んで泣く者。もはや誰にも戦意はない。

 鬼は足を止めた。

 その前に堂々と、追われていた二人の侵入者が進み出る。

「ここにおられましたか。屋敷の者が、心配致しますよ、若」

 血刀をさげた美貌の主が笑う。

「お気持ちは分かりますが、我らに任せていただきたく、存じまする」

 もう一人の美丈夫も、まるで主にでも対したかのように、話しかける。

 言葉や表情とは裏腹に、その構えは、いつでも動のための一歩が可能な、静と動、ぎりぎりの構えだ。

 それが、鬼の構えと同じものだと、何人が気づいたであろうか。

 かたや、爪をもって人を屠り、ものを通り抜け、矢も刀もはじき返す鬼。

 かたや、幻のようにすべてを通り抜ける男と、生身で刃を折る金剛石のような男。

 ともに常人では傷つけることもかなわぬ者同士。いかなる決着のつけようがあるものか。

 猛流の姿がかききえた。

 キィィン。

 甲高い音ともに千騎が後退(あとずさ)る──否──襲いかかった猛流の爪を打ち払い、とびのいて避けたのだ。それまですべての攻撃をよけもせずすり抜けてきた千騎が──だ。受けるのではなく、打ち払って軌道を変えたのは、受ければ刀が折られかねなかったからだ。

 雄叫びとともに五藤が斬りかかる──が、爪で払い、もう片方の爪で攻撃を仕掛ける猛流から飛びのいた。それまで受ける刀ごと斬ってきた後藤の斬撃が爪で弾かれた。

 猛流が五藤に気を取られた瞬間、千騎が突撃をかけた。身体ごとぶつかるようなそれを猛流が飛んでかわした。

 (ごう)

 大気が唸るような音をたてた。そのときには五藤が俊敏に動いて猛流と千騎の間に入り込んで“それ”を両断するが──

「ぐうぅぅぅ!」

 両の腕で眼をかばい、踏ん張って“力”の余波に耐えていた。五藤にかばわれた千騎も剣を地面に突き立てて飛ばされまいと踏ん張る。

 二人の左右のもの──地面も立ち木も建物も何かにえぐられたように吹き飛んでいる。

 猛流が気塊──妖力の塊を放ったのだ。

 それに耐えた後藤が膝を折る。『金剛(こんごう)(しん)』であり小角のなかでもとくに頑丈な五藤でさえこうだ。

 それでも猛流の眼は五藤と千騎の刀に向けられていた。千騎の刀は神剣、魔剣、妖刀呼び名は数ある“魂の入った剣”妖や不可視の“力”をも斬る。五藤のはただの名剣だが、それに五藤の“剣気”が宿り“鬼をも斬る剣”となっている。その霊眼に力が見えているはずだ。

「さすが若ですな。すきがない」

 千騎は機会をうかがった。

 自分たちがわからぬほどに逆上していては、とめる方法はひとつしかない。

 勝機はひとつ。

 同じ『神出鬼没』である千騎は、自らの身を重ね同化することで、猛流のそれを封じる事ができる。そして五藤は、皮肉なことに、自身が鬼をも斬る剣の持ち主だった。

 千騎が封じ、五藤が斬る。この組み合わせのみが、『鬼降ろし』となったとき、唯一猛流を殺せる可能性のあるものだった。だからこそ、二人は猛流のお目付役なのだ。

 警戒するべきは『鬼の手』。

「なければ、つくるまで!」

 五藤が気合とともに『気刀』を放った。剣にいったん宿らせた剣気を刃と化して打ち出す。気魁ほどの破壊力はないが、斬れる。千騎の姿が水に沈むように地面に消える。無数の『気刀』のすべてを猛流が爪で迎撃──後方、地から千騎が飛び出した──地面の中を移動してきたのだ──猛流の姿がかききえる。その姿を眼で追えるのは小角である千騎と五藤のみ──猛流は千騎にとりつかれるのを嫌い、前方の五藤に襲いかかったのだ。五藤が右の爪を打ち払った。動きの止まった一瞬に千騎が飛び込むが、猛流が身をひねり左の爪が旋回する。その爪をかわし──

「くう!」

 わずかにかわしきれずに右の手の甲から肘近くまでざっくりと朱線が走る。血がしぶいた。その血が角のない鬼にも降りかかる。──身をひねる動作はそのまま蹴りにつながり──五藤の巨躯が蹴り飛ばされていた。地面に叩きつけられ、さすがに呻く。恐ろしいほどの強力だ。

 あれほど水芝家のものが、傷つけようとしても、傷つかなかった両者に傷がついた。

 『鬼の手』その爪は『神出鬼没』も『金剛身』もおかまいなしに切り刻む。

 葉月に告げた猛流が本気になれば──というのは掛け値なしの真実だ。持って生まれたものが違う。恐ろしいことに、これでもまだ猛流は闇雲に暴れているだけで、鬼としての能力すべてを使っているわけではない。

 そのとき鬼がたたらを踏んだ。

 鬼は人語を忘れたかのように、喉で唸る。それでも、襲いかからない。

 鬼も何かを感じ取っているのだろうか。

「若……」

 みれば飛び散った千騎の血が鬼の顔にかかっている。近しいものの血のにおい──鬼が戸惑うように辺りを見回し

「……せん……さん」

 言葉を話した。

 ふと、最初に鬼に話しかけた男──千騎が微笑んだ。血刀を鞘におさめ滑るような足取りで、鬼の方へと近づいてゆく。その動きに隙はないが、緊張も殺意もない。

 千騎は傷ついた右腕を鬼に差し出す。

 鬼は鼻を鳴らし──それに口をつけた。

 獣の牙のなか、長い舌がひらめいて血をなめ啜る。舌が傷口に触れたのか、かすかに千騎が顔をしかめた。

 痛みはあるらしい。

 それでも、千騎は手をひかない。

 鬼がそれを啜ると、たちまち姿をかえた。

 逆立った髪は、しなやかになびく髪に。赤光を放つ目は、濡れたような蠱惑に満ちた黒い瞳に。耳まで裂けた口は、紅を引いたような形のよい唇に。獣のような牙は、人の歯へ。節槫立った手は、人のそれの形へと。

 鬼の血が混じる分だけ皇族のそれには劣るが、小角の血にも妖物を人に戻す効力がある。

 それはまさに──伝説の再現。

 恐ろしい鬼が、美貌の少年へと姿を変えた。目の当たりにした者は、それがなにかすぐに思い当たった。

 鬼神 血の契約の段。

 これよりのち、お前達の娘の一人を、この者の家にやるがよい。この者の子孫の鬼の血を鎮めるため、我の血を交ぜ続けるのじゃ。それを怠れば、たちまちこの者の子孫は鬼となり、世に災いをもたらすであろう。この者の家に、我が血を継ぐ者あらば、鬼を鬼神と変え、いついつまでも天下を守り続けるであろう。

 有名な一節が脳裏に蘇った。

「開祖様……」

 開祖に対する畏敬が、男達に沸き上がった。

 伝説は真実だったのである。

 これを講談屋が見れば、その場面をありありと語ることができるようになるか、悪夢にうなされ、二度と語れなくなるかの、どちらだろう。

 一般に知られている、開祖様の建国話には、煙に巻くためのまったくの作り話もあるが、何割かは真実が含まれていたのである。活劇談にみせかけた、後世への警告。

 目の当たりにした者は、それと知る事ができ、見ていない者は、聞かされても講談の聞きすぎと、笑い飛ばすことだろう。

 猛流は膝をついた。肩で大きく息をつく。青ざめ、全身が汗で濡れている。

「正気に戻られましたか?」

「お手数、おかけしました」

「我らの役目なれば、造作もないこと」

 千騎は傷に触れた。軽く撫でたようにしか見えないのに、跡も残さず傷がうせた。

「……殺してください……」

「若?」

 千騎が猛流を抱き起こした。

 あのとき――囚われの葉月を目にしたとき――なにをしようと手を伸ばした?――

「もし……ぼくが……人に戻れなくなったら……葉月さんを手にかけようとしたら……殺してください……その前に……」

「お任せください。そのときはこの千騎、身を挺して、若をお止めいたします。さすれば、五藤が片をつけてくれましょう」

 五藤が頷いた。

「仰せのとおりに。その後は、お供致します」

 そのときは主と友を同時に手にかける事となる。そうなれば、一人のうのうと永らえる気などなかった。いさぎよく自害し、あの世の供をするまでだ。

 猛流は千騎の腕の中で泣いた。

 人鬼であるがゆえに。

 きっと二人は誓約を守ると、信じるが為に。

 喜びの涙であった。

以前千騎が言っていた二人がかりでも~というのは本当でした。猛流強い。

千騎、五藤も人間相手なら無双なんですけどね。

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