小角鬼神流 鬼の末裔達
はしたなくも長い裾をたくしあげ、木を登って枝をつたい塀を乗り越えようとする葉月の姿を見上げ、猛流は困ってしまった。見えてしまうすんなりと伸びた足が眩しすぎて。
男として生まれて十二年、色々と思うところもあるのだ。
猛流が抱えている袋には葉月が詰め込んだ荷物が入っている。
四年前猛流が初めて葉月と会ったとき、葉月は椿の垣根の下をくぐって逃げようとしていた。それから考えれば変わらないと思うべきか、下から上へ変わったとのを成長と思うべきだろうか。
塀の上にたどり着いた葉月は猛流の方に顔を向けた。
「猛流、荷物を頂戴。向こう側に降りるわ」
「はあ、それはいいのですが、何故、ぼくも一緒に行かなくてはならないのでしょうか?」
「あんた、平気なの? このまんまなら、あたしもあんたも親の決めた相手と結婚させられるのよ! 嫌じゃないの!」
猛流は首を傾げた。
「親の決めた許婚が嫌で家出するという話は聞いたことがあります。許婚以外の人を好きになって、その人と手に手を取って駆け落ちするという話もよく聞きます。ですけど、親の決めた許婚と家出するというのはあまり聞きません。何かが違うような気がするのはぼくだけでしょうか?」
猛流は荷物を手渡しながら今の自分の正直な気持ちを述べた。
「なによ、あんた、あたしに(あまりにも下品かつ即物的な表現により、自主的に規制)したいわけ? ちょっと、なに、耳ふさいでうずくまってるのよ」
思わずうずくまったまま猛流は答えた。
「……聞いてはいけないことのような気がしました」
「さよう。そのような下品な言葉、どこで覚えられましたか? 見事な啖呵ですが」
「良家の子女ともあろうものが、情けないぃぃ! そのような卑語をぉぉ!」
塀の向こう側から、半ば感心半ば呆れ返ったような声と、非常に嘆いていると言わんばかりの声がした。
「うぐっ!」
葉月は恐る恐る振り向き、猛流は塀の向こうに声をかけた。
「千さんと藤さんですか? もう、見つかってしまいましたか?」
塀の向こうから苦笑気味の声が帰ってきた。
「さよう。若、本気で逃げるおつもりでしたら、あのように大騒ぎしないほうがよろしゅうございます。逃避行とはもっとつつましいものですぞ。逐電の道に悖りまする」
どこかおもしろがっている声に代わり、憤懣やる方ないという怒鳴り声もする。
「若! 何ゆえ姫をお止めになられぬのですか! 姫を止めるべきお方が、一緒になっておられるとは! 姫も姫です! そのような、はしたないお姿をなさるとは! 言語道断! 見苦しゅうございます」
「さよう、さよう。後四年も育ったなら見応えもございますが、そのお齢での格好はお転婆なだけです」
「何を言っておるか! 千騎!」
ふざけてばかりいる同僚に、とうとう真面目な方は怒ったらしい。
「吠えるなよ、逐電に失敗した姫を慰めようと洒落にしておるのに。粋のわからぬ奴よのう」
千騎と呼ばれた声は、いけしゃあしゃあと答えた。
「貴様の洒落は笑えぬのだ!」
「そちらの頭が固いのだ、五藤」
「どっちも、どっちよ!」
塀の上の葉月が癇癪を起こした。
無理もない。逃げ出すのに失敗したあげく、塀の上でえんえん笑えない漫才もどきを聞かされたのだから。
ぐん、と、塀の上の葉月の体勢が崩れた。
「ちょっと、やめてよ! ひっぱんないで!」
「ご無礼、姫。いったんこちらにきていただきます。塀の上は危のうございます」
「やめてってば! やあだあ、いやあぁぁ!」
抵抗もむなしく葉月の体が塀の向こうに消えた。千騎と五藤に捕獲されたのだろう。塀の向こうが賑やかだ。
「姫、はしたのうございます。裾をお直しください」
「さわんないでよ! 幼女趣味でもあるの!」
「あれは、あれで興があるらしいのですが、わたくしとしては、四年ほど育ってからの方が好みですな」
「その手の戯言は、やめいっっ!」
「若、裏口に回ってください。貴方様も、同罪ですぞ」
「はい」
「放せ! 放せ! やだあ! すけべ! 変態! 鉄面皮! はーなーせーえぇぇ!」
ぎゃいぎゃいと続く喚き声を目印に、猛流は塀ぞいに駆け出した。
皇族の懐刀とも守り刀ともいわれる小角鬼神流本家の屋敷は大きい。その大きさは、下手な小大名の屋敷をはるかに凌ぐ。皇都に持つ屋敷の大きさが、権威の現れでもあるからだ。中に住む者にとっては時々その大きさが恨めしくなることもあるのだが、とりあえずその地位に応じた屋敷に住まねばならぬ。下々に対する体面というものがあるのだ。
猛流が四半刻も駆けたころ、やっと裏口が見えた。
警備も厳重な玄関と違い、裏口はわりと無防備に見える。木戸をあけて、人込みにあっても頭ひとつ分は抜け出るであろう背丈の男が入ってきた。
飄々とした表情を浮かべる整った顔立ちは、女形役者にしたいような色男である。懐手をしたまま何げないようでもありながら、見るものが見れば隙のない足取りで歩を進め、猛流に微笑みかけた。猛流も微笑み返した。
「お帰りなさい、千さん」
「運動なさいましたな、若」
その後から葉月を肩に担いだ、さらに頭半分は長身であろう男が入ってきた。肩の上で葉月がじたばたと暴れても、男の歩みは揺るがない。
「お手数かけます。藤さん」
「放してよぉ! 放してってば! やーだぁ! ちょっと、猛流! なにご挨拶してんのよ! 助けてよ!」
「ぼくが、千さんと藤さんに刃向かって、葉月さんを助けるんですか?」
猛流は不思議そうに聞いた。
うぐっと、葉月は息を飲んだ。
千騎が振り返ってにっこり笑った。
その邪気のない笑顔が、厭味だった。
女顔の色男だが、千騎桜春は小角鬼神流の精鋭である。人より背丈も高く肉付きも細そうに見えるが、実は鍛え上げられたしなやかな筋肉に覆われている。道場で門弟に稽古をつけているときでもまったく本気をださない。底の知れない不気味な部分のある、ある意味恐い男である。
葉月は自分を担いでいる巌のような男を見た。
人より体格のよい小角鬼神流の門弟の中でも抜きん出るであろう逞しい体格を誇る五藤十五は、真面目と実直を絵にかいたような融通の利かない男である。性格はまったく正反対なのだが、千騎と並んで小角鬼神流の双璧と謳われる男であった。よくよく見れば、凛々しく整った美男であるのだが、その峻厳な雰囲気が人の腰を引かさせる。
葉月は猛流を見た。
十二という年齢を考えれば、わりと育った方ではある。物心つく前から修行させられていた体が貧弱なわけはない。しかし、それで双璧と謳われる二人に対抗出来るかといえば、やる前から勝負はついている。
四十を過ぎていた宗家である父親が我を忘れて虜となり側室に向かえたという分家筋の母親の美貌をそのまま受け継いでいるのだが、そこに浮かぶ表情は、いかにも頼りない茫洋としたものだった。覇気のかけらも無い人の言いなりの性格が、もろに顔に出ている。
素直と言えば聞こえはいいが、たんに覇気が無く、人の言いなりになるだけの、自分の考えのない気概のない子供である。
素材は悪くないのにそれで全てがぶち壊しである。
あらゆる意味で勝ち目はない。
それはもう、きっぱりと。
葉月は深いため息をついた。
これが自分の許婚かと思うと、情けなくなる。
五藤の肩に担がれたまま葉月は天にむかって絶叫した。
「いつか、ぜっえぇぇたい、逃げ出してやるうぅぅぅぅ!」