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鬼人伝  作者: 牧原のどか
血の誓約
14/54

皇帝の血筋

 時はしばし戻る。

 水芝家において、もちろん葉月は(わずら)ってなどいなかった。ぴんぴんしていて、座敷牢に、取り乱す事なく背筋をぴんとのばしど真ん中に座っている。

 野立の場から無理やり連れてこられたのだ。さまざまな不安や恐怖があっても不思議ではない。しかし、不快の色は見えても、恐怖の色はない。

 それが慣れているからであると誰が気づけただろうか?

 格子の向こう、廊下の扉が音を立ててひらいた。

 品性嫌しからぬ老爺(ろうや)が声をかけた。

「このような所に押し込めして申し訳ありませぬ、葉月姫」

 葉月は顔色一つ変えず(たもと)で口元を隠し問うた。

「何者か?」

「水芝の隠居にございます」

「これはなんのつもりじゃ、水芝の。本日は小角の名代として参った。この身は、このような仕打ちをうける覚えはない」

 声に乱れはなく、威厳まで感じさせる態度は十二の小娘のそれではない。

 さすが皇族の姫、非常時において、猫を被るなど造作もないことであった……

「ご不快ではございましょうが、これは姫をお助けするためなのでございます」

「では、とく牢を開けるがよい」

「はっ、これは、これは。流石(さすが)は、正室様の。よく似ておいででございます」

 まんざらお世辞ではなく、先代水芝家当主胤家は言った。

 見事な姫振りであった。小春が見れば感激に噎び泣いたであろう。

 五藤が見ればあごを外すか、影武者かと疑っただろう。

「お隠しにならずとも、姫様が小角との婚姻を嫌ろうておいでなのは分かっておりまする」

「どこからそのような?」

「確かな筋からの話でございます。我らは身命を賭けて、小角よりお救い致すつもりで、事におよんだのでありまする」

「偽りを申せ」

「なんと仰せられる。我らを偽りありと」

「おおかた、そなたらの所望は、我が身、いやさ、皇族の血であろう。小角が羨ましかったのであろう。小角に成りかわりこの身を欲しておる。我欲にまけ、皇帝様の沙汰に逆らおうとは、以っての外。このような企み、成就できようとおもうてか。卑しいものよの。下がりおれ、下郎」

 胤家(たねいえ)は息を飲んだ。

 たかが十二の小娘。恐がらせておいて、猫なで声で懐柔すれば、いかようにも操れようと思っていた。

 しかし、流石(さすが)は三皇家と皇帝様の血を引く姫。気品は南戸葵に劣らず、冷静なることさすが北張葵の血筋。肝の座りは西州葵を彷彿させる。思った以上の難物であった。

 実をいえば葉月姫の指摘は当たっている。水芝は、開祖様の血が欲しいのだ。皇族は世の中でたった四家。一代当たりの姫もそれほど多くない。どの家も(はく)をつけるために皇族の姫を欲しがるが、叶うのは数家にすぎない。

 それならばと、予備血統家の姫にも群がるが、開祖様の血を薄めないためと称し三皇家への縁組や、予備血統家同士の縁組が多いのだ。

 それでも数家はその恩恵に預かるが、何度も縁組をする家と、まったく縁組できない家がある。贔屓(ひいき)だと言いたくなるが、それを承知の縁組であるらしい。

 小角などその最たるものだ。大名家の自分達が駄目で、家臣の小角に、毎度皇族の姫を与えるとは。

 妬ましい、恨めしい、それが八年前の婚約で吹き出した。三皇家でも妬ましいのに、狙っていた皇帝様の姫をとは。

 おのれ、いつか奪ってくれよう。そう思い続け、乳母の愚痴(ぐち)人伝(ひとづた)えに聞き、これこそはと計画を練ったのだ。

「しかたありませぬな。手荒なことはしたくなかったのですが。姫様も一時は我らを恨みましょうが、必ずや我らの真意を分かってくださるはずです」

 あまり時間はかけられないのだ。一刻も早く懐柔してしまわなければならない。長引けば小角も不審に思うだろう。孫娘の身を案じ、北張葵の先代も動くかもしれない。そうなればすべてが終わりだ。

 城に上がっていたころ、何度も顔を合わせた先代北張葵の、『氷より冷たい』と称される何もかも見透かしてしまいそうな視線を思いだし、胤家は震え上がった。

 それまでに、葉月自身に水芝に嫁ぎたいと言わせ、世間好みの話に仕立て上げなければならない。麗しき悲恋に仕立て上げてこそ、世間の同情が買える。そうなれば、皇帝といえども無視はできないはずだ。

 あの、小角に吠え面をかかせてやる。

 暗い決意とともに胤家の腹は決まった。


 胤家が廊下の扉の向こうに消えるのと入れ替わりに、若い男が入ってきた。

 葉月よりは年長だろう。元服をすでにすませているが、まだまだ稚気(ちき)のぬけない年頃か。

 顔立ち云々以前より、その身にまとう傲慢な雰囲気や、己の言うことが通って当然といわんばかりの、甘ったれた表情が滲み出ているのが葉月の(かん)にさわった。

 見るのも汚らわしいと葉月はそっぽを向いた。

 若い男は牢を開けて中に入る。

「水芝当主が(そく)(ゆき)(ひさ)と申します」

「なに用じゃ。入ってよいと、許した覚えはない」

 ひくっと幸尚の口元が歪んだ。

「ここは我が屋敷であります。我が行けぬ場所はありませぬ」

「客のおる部屋は許しがなくば、主人といえど入れぬのじゃ。水芝の者共はそのような事も教えておらぬのか。(しつけ)の悪い家じゃの。そんなことでは、城に上がったとき、大名仲間の笑い者じゃ」

 この家は俺のもの。そこにあるものも、自分の勝手にできるのだ──と言外に言った幸尚に、世間一般には常識というものがある、それを破れば誰でもただでは済まないぞ、家ごと潰されたいか、との、応酬である。

 しかし幸尚はそうは取らなかった。ただ、小生意気な娘と憤っただけである。もっとも、正確に意味が分かったとしても、同じことだろう。

「これは、これは、我は、貴女様の夫となる者。そのように言われる筋合いは──」

「我が夫は小角猛之が息、猛流であると、皇帝様の仰せじゃ。誰がそのような世迷い言を申したかや?」

「はっ、小角の小伜! 聞くところによると、女子の腐ったような表六玉(ひょうろくだま)とか。そのようなものと比べられるのは心外ですな」

 葉月は鼻で笑った。

「分かっておらぬようじゃな。皇帝様の(おお)せを(ないがし)ろにする、これすなわち、謀反(むほん)である。そなた、それが分かっていて、加担(かたん)したのであろうな?」

 皇帝、謀反、という言葉に、幸尚は息を飲んだ。見事な脅迫である。胤家がその場にいれば、北張葵前当主の氷より冷たい視線を思い出しただろう。

「悪いことは言わぬ、この身をとく、小角に返しや。無罪(むざい)放免(ほうめん)には成らぬであろうが、酌量(しゃくりょう)もあろう。お(いえ)断絶(だんぜつ)は免れるやもしれぬ。それも、小角と我が父上、皇帝様の胸ひとつじゃがな」

 ぐぐっと幸尚が喉を鳴らした。

「それとも、水芝一家と天下、どちらが勝つか、(ため)してみるかえ?」

 幸尚は戦になるなどと考えてもいなかった。そもそも、これは御祖父様の言い付けなのだ。御祖父様の言い付けにしたがっていれば何事もうまくいく。

 御祖父様には何かお考えあってのことなのだ。うまく、お(とが)めを受けない方法があるに違いない。それには御祖父様に言われたことをやり遂げる必要があるのだ。

 そもそも、幸尚は既に女を知っている。自分が望めば誰でも寝所に忍んでくる。いかなる美女も、人妻も、思いのままだ。たかが小娘に手をつける必要はないのだ。

 確かに顔は悪くないが、鼻持ちならぬ思い上がった貧相(ひんそう)な小娘。これで皇帝の愛娘でなければ、御祖父様の言い付けでなければ、手打にしてやりたいところだ。

 このとき幸尚の脳裏には、思い上がるも何も、皇族は水芝より高貴であるなどという考え、自分は誰かより下、などという考えはまったくない。

 葉月が一目で見抜いたとおり、甘やかされて育った我慢すると言うことを知らない、大馬鹿者だったのである。

「そこまで言われては、この幸尚も後には引けませんな」

 幸尚は葉月の肩に手をおいて、自分の方を向かせた。

「放しやれ! 下郎(げろう)!」

「葉月姫様におきましては、男の力、というものを知っていただきましょう。そのあとで同じことを言えますかな?」

 恐怖を与えるため、わざともったいつけ、幸尚は葉月をにやにやと笑いながら眺めた。

 わなわなと震え、唇を悔しげにかみしめていた葉月は、きっと幸尚をにらみつけ──

「この、すっとこどっこい!」

 意味不明な罵声とともに、拳を幸尚の顔面に叩きつけた。平手ではない。拳というところが葉月たるゆえんである。

 葉月の堪忍袋の緒が切れた瞬間である。

 幸尚がのけ反ったところを、鳩尾(みぞおち)に肘打ちを入れ、痛みのあまり幸尚が(かが)もうとしたところを、体の下にもぐりこみ、担ぐように投げ捨てた。

 小角ではこれを背負い投げという。

「女だと思って甘く見るんじゃないわよ! あんたごときと、猛流を比べる方が失礼だわ! 一昨日(おととい)きやがれ、べらんめえ!」

 仁王立ちになり、罵声を浴びせかける葉月であった。

 怒りのあまり被った猫も、脱兎(だっと)のごとく逃げ散る。

 この姿を先代北張葵当主がみれば、亡き妻を思い出したであろうか。

 小角では女でさえ武芸を(たしな)む。並の武家の者ならば、軽くあしらえて普通なのだ。屋敷の中ではわりと自由にさせてもらっている葉月は、女衆の習練を面白がって見よう見まねで覚えてしまった。

 思わぬ実践の機会を得たものだ。

 まったく冗談ではなかった。

 胤家の思い込みの原因は明白で――

(小春の馬鹿っ!)

と心のうちで罵ってすませたが、目的は小角に成り代わり、葉月の婚家となるつもりなのだ。それも葉月自身を欲したのではなく、家に箔をつけるための道具としての『皇帝の姫』をだ。

 この、一目で嫌悪さえ覚えた馬鹿を、自分と娶わせようというのだ。

 そのくらいなら、この馬鹿を叩き殺し、屋敷に火をかけてやるっ! とまで葉月は思い詰めた。

 舌を噛むのはたやすいが、それでは無体な真似をしようとしたものがのうのうと生きながらえることになる。

 葉月は閉じ込められてめそめそ泣いて助けを待ったりはしない。乱暴されかけて、泣いて許しを請いはしない。人任せでなく自らの力で助かろうとする、気概にあふれた娘なのだ。

 やられたことは十倍返し。そうしなければ、腹の虫が治まらない。

 そもそも、好意を抱く猛流と、嫌悪を覚える幸尚では、最初から勝負にならないのだ。二人を比べることさえ、天が許しても、葉月は許さない。  はっきり言ってしまえば、水芝の計画など、端っからうまくいくわけがない。なんといっても葉月の情報不足だ。

 ここまで雄々しいのは小角の教育のせいではない。むろん、小春もそのように育てた覚えはない。

 本人の資質であろう。

 まちがっても、水芝が思い描いた、思いどおりになる人形などではない。

「この、小娘!」

 衝撃から立ち直った幸尚が、なけなしの体裁さえ投げ捨て、葉月を思いっきり突き飛ばした。

「きゃっ!」

 見よう見まねの悲しさ、きちんと修行していない葉月は、その稚拙な攻撃を避けられなかった。

 攻めはなんとかなっても守りは弱い。

 十二の華奢な体は吹っ飛んで、嫌というほど打ち付け、気を失った。

(しまった、追い打ちをかけておくべきだった。ちゃんと仕留めないと)

 薄れいく意識の中で、葉月はそう思った。十二の小娘の考える事ではない。

葉月は餌のいらない猫を飼っています。かぶって使うものです。西州葵の当主も飼ってます。公の場ではかぶります。


血筋だなぁ……

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