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鬼人伝  作者: 牧原のどか
血の誓約
13/54

小角の役割

「遅かったか……」

 血の匂いを嗅ぎ付け、もしやと思いきてみれば、水芝の使者となった男である。吹き飛ばされた顔面が壁際に張り付いている。

「若の仕業か?」

 血の乾きぐあいからして、さほど時をおいていない。万力(まんりき)で千切れるまで締め付けたのではないか思われる片手と、熊にやられたような顔面の傷を、他になんと考えたものか。

 ここは皇都のど真ん中である。野生の獣の仕業とは考えにくい。

 そこに漂う気配の残り香に五藤は顔をしかめた。

「恐らくは。屋敷を抜け出されたのだろう。若がその気になれば、どこからでも抜け出せる。最初から疑っていたか、それとも途中で気づいたか。お怒りだ。知らぬとは、恐ろしいものよな」

 ふだん、猛流は葉月につきあって、わざと屋敷を逃げ出さない。猛流には塀などあって無きがごとし。自ら籠の鳥でいる。

 その気になったということが、恐ろしい。自ら枷をつけたものがそれを取り払ったとき、迷いなどというものはない。

 誰がそれを止められようか?

「『()ろ』されたのか?」

 手首をもがれ、顔面を持っていかれた死体を検分し、千騎は首を振る。

()ろうた後がない。『(なま)なり』であろう」

 欠損箇所に齧った後はない。ならば完全に『降ろし』たわけではないのだろう。まだ人の姿にかえることもできる。

「『生なり』であれば、我らでも止められる。急ぐぞ」

 まだ人の心の片鱗が残っている。

 小角がそうであるように、大名家のいくつかの先祖は妖物であった。

 皇族や予備血統家が頻繁に縁組する大名は、まず、それだ。

 開祖様に、妖怪を人に変える力があったのは本当らしい。自ら人と交わりその血を薄めても、その力の幾分かは受け継がれている。本人さえそれと知らず、開祖の子孫たちは、大名家に流れる妖怪の血を押さえ込む大役を果たしているのであった。

 それでもごく稀に、先祖返りをおこすものがいる。

 小角の場合、最後の見分けは角で行う。角が生える前ならば最悪でも小角の血肉でも元に戻せる。完全に『降ろし』てしまえば、そのときは――悪しき先祖帰りを狩るのは小角の役割だ。

 千騎はすっくと立ち上がった。

「これはどうする?」

「捨て置け。急がねば、どれだけの犠牲が出るか、わからぬ」

 見つかったとしても、誰が人の手によるものと思うだろう。知らぬ者には見当さえつかぬ。知る者は堅く口を閉ざす。それよりも、猛流が血肉に狂えば、八年前の再現だ。

 八年前――猛流が『降ろし』た瞬間本家にいた小角のものの『霊眼』の持ち主はすぐにそれと分かった。そうでないものもその身に流れる鬼の血が共鳴し、『降ろし』が起きたと確信したのだ。

 駆けつけた小角のものが見たのは血にまみれた離れと惨殺された人々。食い散らかされた松江の首と肉片――それはもう肉片でしかなかった――と慟哭する猛流。それをしっかりと抱きしめ泣く華菜の姿。

 食い散らかされた葵の姫が、そこでなにがあったのかを雄弁に語った。

 小角に流れる鬼の血はとくに難物であるらしく、しきりに濃い開祖の血を取り入れているというのに、常ならぬ能力の持ち主が頻繁に生まれる。

 本家当主の役割は開祖の血を取り入れ、それを広げることでさらに鬼の血を薄めることにある。

 たった一代開祖の血を入れなかっただけで、よりにもよって一番開祖の血を取り入れているはずの本家に『鬼降ろし』が生まれたのだ。

 鬼神流(きじんりゅう)は、本当は鬼人(きじん)と書くのが正しい。鬼と人とをたゆたう者達──鬼でありながら人であり──人でありながら鬼である──真の姿がどちらであるのか、教えて欲しいのは、小角の方だ。

 猛流ほどでないにしろ、小角のものは妖怪と変じる恐れがある。欠片しか神通力を受け継がぬものでも血に狂えばそれは脅威である。血にのまれ鬼と化し小角に討たれるものもいるのだ。

 何よりも恐ろしいのは、この、食人をおぞましいと思う気持ちさえ、借り物ではないかという事だった。

 人の血肉をむさぼり喰らう、そのおぞましき姿こそ、自分の本当の姿なのではないか。

 小角に生まれた者、全てがひそかに恐れる(ごう)である。

 猛流はさまざまとそれを見せつける。

「まったく、繰り言ではあるが、水芝も、とんでもないことをしてくれたものよ」

 五藤が唸った。

「本当に病であれば何事もないが……無理であろうな……せめて、姫に手出ししてなければよいが……」

「まったくだ」

 千騎と五藤は駆け出した。その早さたるや、駿馬をも越えようかというものだった。

 人どおりの絶えた町を二つの陰がひた走る。それを目にするものがあったとしても、それを人とは思うまい。獣かあやかしと思うだろう。

 人はそれほど速く走れはしない。

 獣でなく、人でなく、それは鬼神であった。

 後にはただ物言わぬ亡骸が、路地裏に転がるばかり。

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