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鬼人伝  作者: 牧原のどか
血の誓約
12/54

逢魔が時に鬼がいく

 空に茜の雲がかかり、ぽつぽつと明かりが灯される。どこからか夕餉(ゆうげ)の匂いがただよってくる。

 人どおりはないものの、どこからか小さな子供の笑い声が聞こえる。歌いながら家に帰るとみえて少しずつ声が遠くなる。

 ここいらは大名屋敷が軒を連ね、一軒、一軒の屋敷が大きい。なにしろ皇都の屋敷は国元の城よりは小さいとはいえ、皇都での城である。警備の者の住居やら、下働きの者の住居やら、ひとつで一町分の広さがある。

 大任を終えた水芝家からの使者は、ほっとして家路をたどっていた。

「もし、もし、水芝の使者どの」

 物陰から声をかけられ、男は足を止めた。 薄闇に浮かぶ、雪のごとく白い肌、紅をひいたがごとき唇。濡れた黒い瞳は、引き込まれそうな蠱惑(こわく)にみちている。

 あやかしかと、男は思った。人というには、あまりにも美しかったからだ。

 昼と夜の境目――夕暮れ時を逢魔が時という――魔に出会うときと――

「驚かせてしまいましたか?」

「何者じゃ!」

「お静かにお願いします。屋敷の者に黙って出てしまいましたから。小角鬼神流、小角猛之が息、猛流にございます」

 小角の跡取り猛流が、女のような顔をしているというのは聞いていたが、女にも滅多にいない美貌だとは、男は聞いてはいなかった。十二にしては背丈もあるが、まだ成長途中の体は妙な危うさがある。

 こちらへ、と猛流は使者を路地へ手招きした。まさか無視するわけにもいかず、男は物陰へと足を踏み入れる。

「な、何用でございましょう」

「もうしわけございませんが、御屋敷に入れていただくわけにはいきませんでしょうか? 一目、葉月……姫におあいしたいのです」

 気が弱く、人の言いなりというのは、本当らしい。恥じらいうつむく姿は、(つや)さえ感じさせる美貌とは裏腹に、しぐさはいっそ可憐(かれん)とさえいえた。

「わ、わたくしの、一存では決められませぬ。殿にお伺いいたしませぬと……今日のところは、これで」

 男は猛流に背を向けた。一刻も早く立ち去ろうとするところへ──

「待ってください! 一目、一目でかまいません! 姫にあわせてください!」

 猛流が男の手首を掴んだ。  一瞬、男はこのまま猛流を切ろうかと思った。その方が後々の厄介事がなくなるような気がしたのだ。しかし、ここで小角の若君が不審な死を遂げれば、疑惑の目は水芝に向くだろう。そうなれば計画に支障を来すやもしれぬ。男はすんでのところで自制した。

 男がそれを実行していれば、後の惨劇は起こらなかっただろう。

「分からぬことを。お放しください」

 手を振りほどこうとしたが、意外に猛流の力は強く振りほどけない。

「お放しくだされ! 放せというに! くどい! ぐううっ!」

 振りほどくどころか、戒められた手首の痛みに男は呻いた。大の男が、やや大柄とはいえ十二の子供の力に負けている。

 事前の情報では、猛流は女のような顔をした人の言いなりの頼りない跡継ぎであったはずだ。

 侮り切った相手の意外な力に、男は仰天した。

 しかし、それはまだ序の口だった。

「なぜ、そんなに拒むのですか……本当に葉月さんは病なのですか? あなたがたは、なにを企んでいるのですか!」

 猛流が握り締めた男の手首がにぶい音を立てた。

「ぎゃあぁぁぁ!」

「言いなさい! このまま折りますよ!」

 かっと見開いた目が赤光を放った。ぎりぎりと(まなじり)が切れ上がる。脅しのためか、手首にかかる力はさらに強くなった。

 これは、間違っても侮ってよい存在ではない。大の男を片手で戒め、なおかつ全力ではないのだ。

 手首の痛みのためというよりも、猛流の得体の知れぬ力への恐怖のため、男は自分の口が勝手に動くのを聞いた。

「く、詳しいことは、わしは、しらん! た、ただ、ひ、姫は病などではない……あわすわけには……いかぬと」

「病ではない? あなたがたは何をしようと言うのです!」

「し、しかとは、知らぬ! ただ、葉月姫を意に添わぬ婚礼から、お救いし、あるべきところへとお移しするのだとしか」

御託(ごたく)はいい! 葉月さんをどうした!」

 くわっと口が開き、歯並びさえも形を変える。その形相はまるで──

「屋敷の一室へ、お込めして……わしが知っておるのは、これだけだ、本当だ!」

「葉月さんを閉じ込めたのか! 勝手な言い分で葉月さんを! 許せぬ!」

「ぎゃああぁぁぁぁ!」

 肉も骨も一気に握り潰され、手首がもげ落ちた。振り上げられた右手は節槫立(ふしくれだ)ち鋭い五条の爪を備えている。

──その姿、形相は人のそれではなく──

「ばっ、ばけも──」

 顔面を()がれ、男は絶命した。男の命を奪ったのは刃物ではなかった。

 持っていかれた顔面が、恐怖に歪んだまま虚空を見ている。

 それは──己が命を奪ったものを一瞥(いちべつ)し、くるりと背を向けると、血に濡れた手を袖にかくし、駆け出した。

 求めるものはただひとつ。その面影を求めてそれはひた走る。

 男は逢魔が時に鬼にであったのだ。

 打ち捨てられた死体が見つかったのは、しばらく後のこととなる。


 夢を見る──あれは恐らく──幼き日の罪──松江を殺し、貪り喰らった記憶──繰り返し繰り返し何度でも己が罪を思い知らされる。

 一面の赤――現実と違うのは――血の海の中、正気づいた己が喰らっていたのは──身を染めた赤い血、口の中に残る味と握り締めた肉片──転がる首――恐怖と絶望にゆがんだそれは──松江のものではない――葉月のものなのだ。

 己の悲鳴で目を覚まし、そんな日は、朝一番に葉月の下へゆく。

 笑顔でも怒った顔でも、生きている葉月を見て、やっと安堵する。

 自分はまだ正気だと。なによりも大切なものを、殺してはいないのだと。

 そして脅えるのだ。

 いつか、本当にその日がくるのではないかと──人と鬼の間をたゆたうもの――なんで己を信じられようか?

 猛流は人の血肉の味を知っている。鬼の衝動のままに、人をむさぼり喰う喜びを知っている。だからこそ、己の正気を信じ切れない。

 人鬼であるがゆえ、己を信じ切れぬ。

 信じられるものを求めて角のない鬼がゆく。

猛流、変化。本気でお怒りです。

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