水芝の企み
「どう見たか?」
猛之は控えていた千騎と五藤に問うた。「偽りでございましょう」
千騎が即答した。
「病と申しておりますが、小春様は姫が倒れたところを見たわけではございませぬ。見ようとしたところを、小角に報告するべきと、連れ出されたのではないでしょうか。真実を見せぬためと、小春様の口から小角への報告をさせるために」
なにもかも『新さん』の警告どおりである。まったく、忠告を受けていてこのありさまとは。『新さん』が知れば間抜けと言われるだろう。
五藤は解せぬと顔をしかめる。
「姫を手中にして返さぬつもりか? しかし、それでは水芝にも疵がつこう。そなたの情報、確かなものなのか?」
「確かな筋の情報よ。恐らくは、天下一のな」
いぶかる同僚に千騎は断言した。
実際、北張のご隠居以上の情報網など、どこにもないだろう。深さでは小角も裏技があるぶん負けていないが、広さでは負ける。全国津々浦々すべて網羅しているのではないだろうか。
厄介事に関しての嗅覚はやたらと効く御仁が、わざわざ伝えにきたのだ。間違いないと見ていいだろう。
おそらく北張葵の意を受けての、情報の漏洩と思われる。
つまりは、事前に皇帝や三皇家には筒抜けになっている。
水芝の企みなど成功するわけがない。
しかし事が起こる前に皇族が動く訳にも行かず、起こってしまえば、この上ない不祥事だ。情報を伝えられた時点で、小角の方でどうにかしろと任されたわけだ。
防げなかったからには取り戻すしかないだろう。
「その、確かな筋とは、どこだ?」
「言えぬ。聞くな」
葵芳春と千騎桜春の付き合いは、店の手違いで、同じ部屋に案内されたのがきっかけだ。なにしろ、同じ『春』の変名で遊び倒していたのだから。 これも何かの縁と意気投合し、芸者をあげて大騒ぎ。すっかり遊び仲間と馴染んだころ、葉月のご機嫌伺いに、お忍びで芳春が小角の屋敷にやってきて互いの素性がしれた。
そのころからちょくちょくと芳春からの警告がある。どうやら城で猛之に告げるには曖昧で、それでも放っておけない話を、千騎経由で告げることにしているらしい。
持ちつ持たれつ、それでこちらもだいぶ助かっている。なにしろ小角の仕事は、命懸けのものが多いのだ。情報は正確かつ多い方がいいに決まってる。
それでもなお続く付き合いは公にはできない。
三皇家当主の一人と、特定の家の家来が、親しくしているというのはあまり外聞がよろしくない。
千騎家の歴史は浅い。桜春の父が兄である猛之より名字を賜り家臣に下った。桜春をいれてもまだ二代。本家にもっとも近い血筋ゆえ養子候補筆頭であったが、猛流が生まれたからには単なる一家臣である。
もともと小角そのものが特別扱いであるのに、その家来までもがと、騒がれるのが目に見えている。
だからこそ小春の前で言わなかったのだ。
「五藤、千騎が言わぬのであれば、言えぬことなのだ、聞くでない」
「はは。しかし宗家様、水芝の暴挙、皇帝様が知れば、お家はお取りつぶしになるやもしれません。大名にも謗られましょう。にもかかわらず、なぜ、このような真似を」
そもそも婚姻自体を公にできねば、意味がないのだ。だが、戦国時代でもあるまいに、手中に囲い込んでこれは我々のものだと主張しても、それでは誰も納得しない。非難を浴びて、皇帝の怒りを買うのが目に見えている。水芝といえば、なかなかの羽振りである。おとなしくしていれば大大名でいられるものを、それがなぜこんなまねをするものか、五藤には解せない。
しごくまっとうな意見だが、世の中には悪巧みというものがあるのだ。そして、人の欲には終わりがない。
「姫が自分から、水芝に嫁ぎたいと申したとしたら、どうなる?」
千騎の言葉に、はっと、五藤は息を飲んだ。
「病療養中、なにかとよくしてくれた水芝の若君に心を奪われ、このまま帰りたくない、若君と添い遂げたいと言ったとしたら? 若君もほだされ、当主もお咎め覚悟でこれを許し――そうだな、詫びとして領地の一部でも返上したら、世間はどう見ると思う? 世間好みの話ではないか?」
「そんな馬鹿な!」
長年、葉月を見てきたものとして、絶対あり得ないっと叫びたくなる話だった。
「と、いう口実がつけばよいだけよ。ほとんど捨て身の賭けだがな」
恐らくは、皇帝も親である。姫の懇願とあらば心を動かされると思ってのことだろう。手を回し、葉月を『悲恋に泣く姫君』に仕立て上げ、世間の同情を買い、場合によっては派手に金銭をばらまいて認めさせるつもりなのだ。そこまでして『皇帝様の親戚』になりたいのだ。
しかし、結果は見えている。猛流と葉月の婚姻は、その次元の問題ではないのだ。
無駄なことをしたものだ。
ふと『悲恋に泣く姫君』という言葉から連想されるものと、葉月の実像のあまりの落差に目眩がした千騎だった。
同僚も同じと見えて
「しかし、しかし、あの姫に、それは、絶対に! ありえん!」
とわめき立てる。
「当たり前だ。断言してよいぞ」
奥でしくしく嘆くより、猛流を引き連れて、どこか手薄なところはないかと、元気に庭を駆け回るほうがよく似合う。
「そのような事になれば、皇帝様も手を回される。姫と直に話されれば、そのようなからくりはすぐばれるぞ」
そうなればお家断絶間違いなしだ。
「姫にそう言わせればよい」
「どうやって!」
千騎はめずらしく、視線を泳がせ、口籠もった。実に言いにくそうに──
「察しろ……」
とだけ言った。
「わからん! あの姫に、どうやって、偽りを口にさせようというのだ」
まったく分かっていない五藤に、千騎は口にするのも汚らわしいと吐き捨てた。
「この、唐変木! 女子はものにしてしまえば、いかようにもいうことをきかせられる、と思い込んでいる男が多いと言うことだ!」
「……? ××♂♀? (言葉にならない叫び)! 姫はまだ十二だぞ! なんという汚らわしい!」
真っ赤な顔をして、絶叫する五藤。
てごめにして言うことを聞かそうとは、乱暴な話だが、しかし、一番ありそうな話ではある。
「愚かなことよ。女子がみな男の言うことを聞くのであれば、苦労はせん。嫁の恐い男など、この世にいなくなるわ」
嫌に重く言う猛之であった。
小角家代々当主の奥方は、皇族からの降嫁である。代々の当主が妻に気を使っていたのは、言うまでもない……
「……」
「……」
妻帯しているものならば、なんらかの共感を示すものかもしれないが、独り身の千騎桜春と五藤十五は、なんと返答するべきか困った。
嫁とは、それほどに恐ろしいものなのだろうか? 結婚するのが──元から気は進まなかったが──親は嘆くだろうが──なんとなく嫌になった二人だった。
猛之も返答を望んでいたわけではないらしく、二人に命じた。
「姫をそのような目にあわせるわけにはいかん。千騎、五藤、姫を取り戻してまいれ」
「はは」
「お任せを」
二人に主命が下ったころ、既に事態は動いていた。
千騎も五藤も一人身です。親はいい加減焦っています。
はよ結婚せいと。
……いつになるんだろうね?……構想はあるよ。うん。