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平民の私が王妃選考で場違いなのはわかっています。でも、私の手柄を奪った貴族に王妃の座は譲りません

作者: おでこ
掲載日:2026/04/30

数ある作品の中から開いていただきありがとうございます(^^♪


一気に読んでいただいても、お気に入りの場面で一度閉じて続きを楽しんでいただいても、どちらも大歓迎です。どうか、ご自分のペースでゆっくりお付き合いください。(*‘ω‘ *)/


━━━━━━━━━

第一章 私の妃になってほしい

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「私の妃になってほしい」


春の朝の光の中で、エルネスト殿下はそう言った。


私――リーナ・ハーヴェイは、手に持っていた薬草の束を、そっと作業台に置いた。

動揺を、悟られたくなかった。


「……殿下」


「返事を、聞かせてほしい」


殿下の声は静かだった。


でも、その目は違った。

いつもの視察のときとも、昨年の魔物調査に同行したときとも、違う目だった。


殿下は、私に魔法・魔物に関する才があることを理解してくれている。


私はずっと、この人のことが好きだった。


初めて会ったのは、二年前のことだ。

王都外縁の薬草園に突然現れた青年が、名前も名乗らず、ただ私の研究ノートを手に取って、誰よりも真剣に読んだ。


『もっと詳しく教えてほしい』


その一言から、全てが始まった。


その後も、理由をつけては薬草園に来た。

魔物の生態について、薬草の分布について、この国の土地の歴史について。

話す内容は毎回違ったけれど、いつも同じ目をしていた。


私の言葉を、ちゃんと聞いている目を。


気づいたのは、いつだったろう。

殿下の隣に立つとき、胸が温かくなることに。

朝、薬草園に来る足音を、心のどこかで待っていることに。



だから、今日の言葉は、驚きよりも先に、温かさが来た。


「……はい」


小さく、でもはっきりと、私は答えた。


殿下の表情が、初めてほころんだ。


「ありがとう」


その一言が、朝の光の中に、静かに落ちた。


――これから、この人との人生が始まる。


胸の奥が、じんと震えた。


――このまま、全部うまくいく。


と、思っていた。


それから二ヶ月後、先王陛下が病で倒れ、殿下が玉座に着いた日までは。



   ◆



国が揺れた。

誰もが、次の王の言葉を待っていた。

そして誰もが気づいた。


王妃の座が、空白のままだということに。


「陛下。平民との婚姻は、許可できません!」


筆頭家臣の冷たい声が、玉座の間に響いた。


エルネスト――今は陛下と呼ばなければならない人が、初めて、動揺した顔をした。

その表情を、私は忘れられない。


玉座の間には重臣たちが並んでいた。

私はその端に、場違いな格好で立っていた。

木綿のワンピース一枚で、石畳の冷たさだけが足の裏から伝わってくる。


「先王陛下がご病床に伏された今、この国の安定が最優先です。王妃は名家の出でなければなりません」


「民衆が、諸侯が、納得しない」


「平民を王妃に迎えれば、国の秩序が――」


言葉が積み重なるたびに、エルネスト陛下の表情が固くなっていった。


(ああ、そういうことか)


私は静かに理解した。

王子でいる間は、誰も何も言わなかった。

でも王になった瞬間、彼の隣に立つ人間の条件が、変わった。


「……わかった」


エルネスト陛下が、低く言った。


「では、王妃選考を行う。全国から候補者を集め、公正に選ぶ。リーナ・ハーヴェイも、その選考に参加させる」


苦渋の決断だった、と思う。


重臣たちの間に、一瞬の沈黙が走った。


「……平民が参加するなど――」


「選考で最後まで残れば、認める。それで文句はないだろう」


陛下の声に、静かな圧力があった。

重臣たちが、渋々と頭を下げた。


《選考で残れば、認める》


その言葉が、心の中で繰り返された。


その夜。


陛下が一人で薬草園に来た。

護衛も侍従も連れずに、紺の外套を羽織って、ただの青年のように。


「リーナ」


名前を呼ばれた瞬間、胸が締まった。


「すまない……」


陛下は私の目の前に立って、そう言った。

玉座に座っていた人と、同じ人とは思えないくらい、素直な顔で。


「王子のままでいられれば、こんなことにはならなかった」


「……陛下」


「エルネストと呼んでくれ。ここには誰もいない」


私は少し笑った。


「エルネスト様」


彼が小さく息をついた。


「選考は、茶番になる可能性が高い。邪魔をする者も出るだろう。それでも……」


「参加いたします」


私は、遮って言った。


彼が目を上げた。


「貴族たちに嘲笑われても、邪魔をされても、構いません。どんなことがあっても、あなたの隣に立ちたいのです」


「リーナ……ありがとう」


懐に手を当てた。

古い革の感触が、指に伝わった。


三年間、ずっと持ち歩いてきた手帳。

魔物の周期と原因を解析した、全ての記録が詰まった手帳だ。


(願わくば、あなたのそばにずっといたい)


エルネスト様が、私の手をそっと握った。


温かかった。

大きくて、少し荒れていて、それでいて優しい手だった。


「必ず迎えに行く」


声が、耳の奥にずっと残った。


帰り道、夜風に当たりながら、私は空を見上げた。


(……大丈夫)


手のひらに残る温もりを、胸の奥にしまった。

この温もりだけが、今の私の全てだと思った。



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第二章 選考の席に、私の名はない

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王妃選考の開会式は、王宮の大広間で行われた。


全国から集められた令嬢が三十二名。

絢爛たるドレス、宝石、家紋の刺繍。


どこを見ても、私には縁のない世界だった。


案内係に連れられて席に着こうとしたとき、止められた。


「ハーヴェイさんのお席は、こちらです」


端の、明らかに格下の席だった。

他の令嬢たちの席より半歩下がった位置に、飾り気のない椅子が一脚だけ置かれていた。


(私みたいな平民が、場違いなのはわかってる……)


私は微笑んで、その席に座った。

動揺したところで、何も変わらない。


周囲から、くすくすと笑い声が聞こえた。


「本当に来るとは思わなかったわ」

「図々しいにもほどがある」

「陛下も、まさか本気ではないでしょうに」


聞こえるように言っている。

気づいていないふりをして、私は前を向いた。


「ごきげんよう」


正面から声がした。


振り返ると、一人の令嬢が立っていた。

深紅のドレスに、金糸の刺繍。

背筋が真っ直ぐで、笑顔は完璧で、それでいて目が笑っていない。


「アストリア侯爵家が長女、クロディア・フォン・アストリアです。よろしくお願いしますわ、リーナさん」


名前の呼び捨て。

敬称なし。

わかっていてやっている。


その瞬間、昔のことを思い出した。


   ◆


三年前の夜のことだ。


王都が揺れた夜。


魔物の大群が外壁に押し寄せて、兵士たちが散り散りになっていた。

私はあの夜より五年前から、魔物の出現周期を研究してきた。

だから、来ることがわかっていた。

周期と原因を全て書き記した論文を宮廷に提出したのは、発生の三日前だ。


誰も信じなかった。

「平民の娘の妄想だ」と笑った者もいた。


それでも私は動いた。

逃げ遅れた人たちを避難させ、魔物の習性を使って群れを分散させた。

兵士が手を焼いていた個体を、独自の魔法で制圧した。


夜が明ける頃には、被害はぎりぎりで最小限に抑えられていた。


でも。


一週間後。


王都の広場に英雄が現れた。


アストリア侯爵と、その令嬢。


称えられた。

拍手を受けた。

国王陛下から直々に褒賞を授かった。


あの夜、私が作った論文の内容を、そのまま自分たちの功績として。


「自分のものだ」と宮廷に申し出たが、

「あなたの論文ということは確認できなかった」と一蹴され、

「平民の証言には証拠がいる」とも言われた。


その場にいたクロディア様が、静かに私を見ていた。

遠くから、品定めするように。


(やられた……)


あの目を、私は今もはっきりと覚えている。


全部知っていて、それでも黙っていた目を。


   ◆


「リーナ・ハーヴェイです。よろしくお願いします、クロディア様」


私は丁寧に返した。


クロディア様の笑みが、一瞬だけ固まった。


この方が三年前の功績を横取りさせた当事者だと、私は知っている。

だからこそ、この方は私を恐れているはずだ。

嫌いだから敵意を向けているのではなくて、怖いから、徹底的に潰さなければならない。


私は視線を前に戻した。


開会式が始まった。


選考委員が壇上に立ち、規則を読み上げた。

礼儀、品格、知性、政務への理解、魔法の素養――。


「なお」


委員が咳払いをして、紙を一枚めくった。


「平民出身の参加者については、王宮内での高位魔法の使用を制限いたします。これは王宮の安全管理上の規定であり、全会一致で可決された条項です」


ざわめきが起きた。


(そんなの、聞いていない……)


全員が私を見た。


「異議は、ありませんね」


委員の目が、私に向いた。


「……ございません」


私は静かに答えた。


懐の手帳に、そっと触れた。


大丈夫。

高位魔法なんて使わなくても、私にはやれることがある。


そのとき、視線を感じた。


壇上の横、貴賓席。

エルネスト様が、こちらを見ていた。


目が合った。

彼は表情を変えなかった。

でもその目が、静かに語っていた。


《すまない》


私はほんの少し、首を横に振った。

大丈夫、と伝えるように。


彼が、わずかに眉を動かした。


その小さなやり取りが、胸の奥を温めた。


誰にも気づかれない秘密のやり取りが、今の私には何より大切なものだった。



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第三章 魔物は、私が一番よく知っている

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選考第一課題は「緊急時の判断力」だった。


王宮外の演習場に移動し、仮想の緊急事態にどう対応するかを競う内容だ。

魔法の使用も許可されている――ただし私以外は。


演習場に出た瞬間、空気が変わった。


(これは仮想じゃない)


鼻の奥に、かすかな臭いが混じった。

土と腐葉土と、それから――鉄。

魔物の血の臭いだ。


私は立ち止まった。


周囲の令嬢たちは気づいていない。

選考委員たちも、まだ何も言っていない。


西の木立の影が、動いた。


「伏せてください!」


声を上げる間もなく、私は動いた。


一番近くにいた令嬢の腕を掴んで引き倒す。

同時に、最小限の魔法を指先に集中させた。


(群れの先頭だけを制圧して、残りを散らす)


飛び出してきたのは、灰色の体毛を持つ中型魔物だった。

ランクでいえばC。

単体なら危険ではないが、この臭いなら後ろにまだいる。


三秒で分析して、選択し、実行した。


一撃。

的確に、急所だけを。


魔物が地に伏した。

後ろの気配が、一瞬で遠ざかった。


静寂。


令嬢たちが固まっていた。


私は立ち上がって、倒した令嬢に手を差し伸べた。


「怪我はありませんか」


彼女は呆然としていた。

震える手で私の手を掴んで、立ち上がった。


「……ありがとう」


「素晴らしい対応でしたわ」


後ろから、声が来た。


クロディア様だった。

涼しい顔をして、ゆっくりと歩いてきた。


そして、会場の皆に、聞こえるように口を開いた。


「私の指示が届いてよかった。あなたに動くよう事前に伝えておいたのです。ご苦労様でした、リーナさん」


場が、静まり返った。


(……そう来ますか)


私は何も言わなかった。


クロディア様は選考委員に向き直り、滑らかに説明を続けた。


「私は事前に演習場の臭いの変化に気づいておりました。ただ、適切な人員に指示を出すことが指揮官の役割と判断いたしましたので。指示通りに動いてくれた点は、評価いたします」


令嬢たちが拍手した。

委員も頷いた。


(三年前も、こうやって奪ったのかな)


怒りが来た。

でも、それを顔に出したら負けだと知っていた。


ただ前を向いた。


そのとき視線を感じた。


遠く離れた観覧席から、エルネスト様が見ていた。

表情は変わらない。


でも、その目が全てを見ていた。


私が動いたことも。

クロディア様が嘘をついたことも。

私が何も言わなかったことも。


全部。


(そうです、エルネスト様)


私は心の中で言った。


(今はまだ、耐える時間)



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第四章 奪い続ける人たちへ

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第二課題は「資源調達と物資管理」だった。


限られた予算の中で、仮想の辺境村に必要な冬支度の物資をどう調達するかを競う内容だ。


これは事前に計画書を提出し、発表する形式。


薬師の娘として育った私には、物資の価値と優先順位を見極める目がある。

村人たちが実際に何を必要としているかも、体で知っている。


優先順位、代替品の提案、輸送コストの最適化。

三年間、独力で魔物の被害を最小化してきた経験が、全部詰まった計画だった。


発表の順番が来た。


私が壇上で説明を終えた瞬間、


「参考になりましたわ」


クロディアが涼しく言った。


「ほぼ同じ考えを私も持っておりましたわ。ですので、より詳細に発表させていただきます」


彼女が発表したものは、確かによくできていた。

私の模倣であることは間違いないが、より詳細で丁寧に計画されたものだった。


令嬢たちが、また拍手した。


(仕組まれている……)


もう、驚きもしなかった。

ただ腹の底に、静かな熱がたまっていくのを感じた。


課題終了後。


廊下の角で、私は一人の令嬢が泣いているのを見かけた。


地味なドレスを着た、小柄な少女だった。

年は私より二つか三つ下に見えた。


「どうしました」


声をかけると、彼女は慌てて顔を上げた。


「な、なんでもありません」


目が赤かった。


「……本当に?」


彼女は少し迷って、首を小さく振った。


「クロディア様に言われたんです。あなたみたいな小さな家の令嬢が選考に残ってもみっともないだけだから、辞退しなさいって」


胸の奥が、ちりっと痛んだ。


私への侮辱なら、我慢できる。

でも、この子への侮辱は、別の話だ。


「あなたのお名前は」


「シル……シルヴィア・ランドール、です」


「シルヴィア様。あなたが辞退する理由は、何もない。クロディア様の言葉は、あなたを怖がらせるための言葉です。正当な理由ではない」


シルヴィア様が、目をぱちぱちとさせた。


「でも、私は弱小貴族で……」


「選考はまだ続いています。私はあなたが辞退する理由を一つも聞いていません」


彼女がゆっくりと、顔を上げた。


「……ありがとうございます」


笑顔が、少し戻った。


その夜。


薬草園の近くの小径で、静かな足音が聞こえた。


私は振り返った。


エルネスト様が、一人で立っていた。

護衛なし、正装でもない。

紺色の外套を羽織って、ただの青年のように。


「……来ていたのですか」


「労いたくてな」


少し、胸が痛くなった。

この方は今、国の重みを全部背負っているのに。


「無茶をしないでください。陛下が一人で夜歩きなど」


「リーナと二人になれるのに、護衛は連れていけない」


真顔で言うから、困る。


私は小さく笑って、石段に腰を下ろした。

エルネスト様が、隣に座った。


夜風が、静かに通り抜けた。


「今日も横取りされたな」


「ええ」


「怒らないのか」


「……怒っています」


正直に言った。


「でも、怒りを見せる場所が、まだここじゃない」


エルネスト様が、少し間を置いた。


遠くで、虫の声がしていた。


「俺も証拠を集めている」


エルネスト様が言った。


「三年前から、ずっと。あなたが黙っていた間も、俺は動いていた。だからもう少しだけ、待ってくれ」


私は彼を見た。


月明かりの中で、その横顔は少し疲れて見えた。

即位してからまだ三ヶ月。

重臣たちの板挟みで、どれほど消耗しているか。


「……エルネスト様は、眠れていますか」


「まあ、そこそこ」


「嘘が下手ですね」


彼が苦笑した。


「リーナには、ばれるな」


「ずっとそうでしたよ」


彼が少し驚いた顔をした。


「……そうか」


「はい」


私が手を膝に置いたら、エルネスト様の手が、そっと重なった。


温かかった。


何も言わなかった。

ただ、その温もりが、今夜だけはここにいていいと言ってくれているようで。


「必ず、選ばれてみせます」


「ああ、期待している」


彼の声が、夜の空気に溶けた。


しばらく、私たちはそのまま、並んで夜を見ていた。


石段の冷たさも、夜風の肌寒さも、何も気にならなかった。


この時間だけは、選考も貴族も何もかも、遠い話のような気がした。


「……リーナ」


「はい」


「無茶はするなよ」


「……ありがとうございます」


指が、少しだけ強く絡まった。


その言葉で、また明日も頑張れると思った。



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第五章 仕組まれた試練

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それからの選考課題は、あからさまに設計と基準が変わった。


第三課題。


『王家式典礼法の実技審査』


王族の前での立ち居振る舞いを採点する課題だった。

令嬢たちは幼い頃から礼法を叩き込まれている。

平民の私には不可能だという計算が、透けて見えた。


でも。


(二年前から、密かに練習してきた)


エルネスト様と出会ってから、いつかこういう日が来るかもしれないと思っていた。

書物を読み、王都の礼法師に弟子入りして、こっそりと学んだ。


私の番が来た。


一礼。

足の角度、視線の方向、裾の処理、全て規定通りに。


採点官が固まった。


「……問題、ない」


そう言いたくなさそうに、そう言った。


クロディア様の目が、わずかに細くなった。


第四課題。


『王家系譜の暗唱と歴史的考察』


建国から現在に至る全系譜を諳んじ、各時代の政策的背景を述べる内容だった。


誰もが、今度こそ私が脱落すると思っているのがわかった。


「ハーヴェイ殿」


私は壇に立って、まず系譜を諳んじた。

暗記は得意だった。

魔物の習性を数百種類頭に入れてきた私には、人の名前と年号など、それほど難しくない。


そして考察を始めた。


「第三代国王治世の東方政策は、当時の魔物出現周期と完全に連動しています。農地が魔物被害を受けやすい時期に南方への移民を促したのは偶然ではなく、当時の王家に魔物周期の知識があったからと考えられます。その根拠として――」


広間が、静かになった。


採点官が身を乗り出した。


「どこで、そのような考察を」


「独学です」


誰も言葉を返せなかった。


クロディア様が、初めて、視線を逸らした。


第五課題。


『社交舞踏の実技』


これが最も露骨だった。

採点基準が直前に変更されていた。


変更点を見た瞬間、笑いそうになった。


《ダンスの採点に、貴族家ごとの作法の差異を加点要素として追加》


平民の私が習ったのは標準的な社交舞踏だ。


どの貴族家固有の作法も持っていない。

だから加点は一切入らない。


でも。


「ハーヴェイ殿、どうぞ」


音楽が流れた。


私は目を閉じた。


(型じゃなくて、意図を見せる)


踊り出した瞬間、何かが変わった。


私にはどの貴族家の型もない。

だからこそ、全ての動きに意味を込めた。


音楽の呼吸に合わせて、ただ、この国の民として踊った。

礼法ではなく、感謝を込めた。

技術ではなく、その場にいる全員に向けて。


三十二小節が終わった。


広間が、一瞬、静かになった。


それから採点官の一人が、小さく言った。


「……美しかった」


拍手が起きた。

小さな拍手が、少しずつ広がった。


採点基準での点数は高くない。

でも、優秀な令嬢たちの中で、私も何かを届けることができた。


「まぐれですわ」


クロディア様が、隣の令嬢に耳打ちするのが聞こえた。

でも、その声がいつもより低かった。


貴賓席を、そっと見た。


エルネスト様が、こちらを見ていた。

表情は変えないまま、でも目だけが、温かく笑っていた。


それだけで、十分だった。


その夜。


シルヴィア様が私の部屋を訪ねてきた。


「リーナさん。今日のダンス、本当に綺麗でした」


「ありがとうございます。シルヴィア様も素敵でしたわ」


「それと、クロディア様が……怖い顔をしていました。初めて見た顔で」


私は少し考えてから、言った。


「ご報告ありがとうございます。最終選考まで残りましょう」


「なんとか……頑張ります」


「一応、今はライバルですからね」


「そうですね!負けません」


私は微笑んだ。


シルヴィア様とは、良き友人になれると思った。



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第六章 前夜

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選考も進んでいき、多くの令嬢が落選していった。


そして、私は最終選考まで残っている。


(必ず、あなたのそばに……)


最終審査の前日の夜。


廊下を歩いていると、後ろから低い声で呼ばれた。


「ハーヴェイ殿」


振り返った。


白髪の老人が立っていた。

選考委員長のヴェルナー・ガルト。

選考が始まってから今日まで、一度も発言しなかった人物だ。


私は、この方のことを知っていた。


三年前、宮廷に論文を提出したとき、受け取ってくれたのがこの方だった。

当時は魔法省長官だった。


「受け取りました」と言ってくれた。

でも、それだけで返事はなかった。

あの日から三年、この方がどこで何をしていたのか、私にはわからなかった。


「少し、よろしいですか」


老人は静かに、人気のない小部屋に私を招いた。


ランプの明かりの中で、老人はゆっくりと口を開いた。


「三年前のことは、申し訳なかった……」


「もう、過ぎたことなので気にしないでください。ガルド様」


「ただ、ずっと待っていました」


「……何を、ですか」


「あなたが動ける舞台を」


老人が懐から一通の書状を取り出した。


「あなたの論文の受領記録です。日付、署名、全て原本のまま保管してきました。アストリア侯爵家が功績を申告した日付より、三日前の日付です」


胸が、大きく跳ねた。


「なぜ今まで……」


「アストリア侯爵家の力は強大です。私一人が声を上げても、もみ消される。あなたが動ける場所に立ち、国民と諸侯が見ている前で、初めて意味を持つ」


老人の目が、静かに私を見ていた。


「明日の公開最終審査の場で、私は証言台に立ちます。あなたは、あなたのやるべきことをしてください」


喉が、震えた。


「……三年間、持ち続けてくれていたのですか」


「私も諦めきれなかったのです」


「……ありがとうございます」


それだけ言って、老人は静かに立ち去った。


「明日、全部終わりにします」



   ◆



部屋を出た瞬間、廊下に人影があった。


クロディア様だった。


いつもの完璧な笑みが、消えていた。

目の下に隈がある。

口元が、わずかに震えていた。


「見つけましたわ」


「……何の御用でしょうか」


声が、いつもより薄かった。


「リーナ」


名前を、呼び捨てにされた。


「明日の審査、辞退しなさい。そうすれば、あなたが恥をかくこともありませんわ」


脅しだった。

でも、その目は脅しの目じゃなかった。


怖い目だった。

追い詰められた人間の、怖い目。


私は静かに彼女を見た。


「クロディア様」


「なに」


「眠れていますか」


彼女が、固まった。


「……関係ないでしょう」


「そうですね」


私は彼女の傍をすり抜けた。


「明日、全部終わります。クロディア様にとっても、私にとっても」


「ええ、そうね」


廊下の角を曲がる前に、一度だけ振り返った。


クロディア様は、その場に立ったまま、動いていなかった。


深紅のドレスが、ランプの灯に揺れていた。


胸が、少しだけ痛かった。


怒りではなくて、ただ、痛かった。



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第七章 全部、今日終わらせます

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公開最終審査の日。


王宮の大広場に、民衆が集まっていた。

諸侯も、使用人たちも、遠方からの来賓も。

全員が、今日の結末を見届けようとしていた。


最終審査に残ったのは、二名。


クロディア・フォン・アストリアと、リーナ・ハーヴェイ。


「課題は公開答弁です」


審査官が告げた。


「この国の未来のために、あなたは何ができるか。それぞれが述べてください」


クロディア様が先だった。


彼女の答弁は、完璧だった。


政治的均衡、経済政策、周辺国との外交。

貴族間の勢力図を把握し、どの家とどう連携するべきかを淀みなく述べた。

名家の出として積み上げてきた知識と経験が、言葉の一つ一つに詰まっていた。


流れるような答弁が終わったとき、会場から大きな拍手が起きた。

貴族席からは、歓声まで上がった。


《さすがだ》


私は素直にそう思った。

この方は本物だ。

華やかな言葉の裏に、本当の知性がある。


私が勝てるのは、ただ一つの理由だけだ。


「リーナ・ハーヴェイ殿」


私の番が来た。


壇上に立った。


広場を見渡した。

諸侯が、民衆が、令嬢たちが、全員こちらを見ていた。


貴賓席に、エルネスト様がいた。

表情は変えていない。

でも、その目が静かに言っていた。


《がんばれ》


私は、口を開いた。


「この国の未来のために、私が何をできるか」


声が、広場に響いた。


「まず、やらなければならないことがあります。七年後、この国に再び魔物の大規模発生が来ます。それを止めることです」


ざわめきが、起きた。


「根拠を申し上げます。私はこの十年間、王都周辺の魔力濃度の変動と、気候の周期と、地形の変化を記録し続けました。魔物の大規模発生には、三つの条件が重なる必要があります。その条件が、七年後に再び揃う」


私は懐から、手帳を取り出した。


「この手帳には、その全ての記録が書かれています。数値、日付、観測地点。全て、この十年で私が独力で積み上げたものです」


手帳を開いて、数字を読み上げた。


採点官の一人が、身を乗り出した。


「三年前の大発生の際、私は発生の三日前に宮廷へ論文を提出しました。群れの分散方法、魔物の弱点、避難路の設計。当日、私はその論文の内容に従って動きました。夜が明けたとき、被害は最小限に抑えられていた。それが全ての出発点です」


「――嘘をおっしゃい」


クロディア様の声が、切り込んできた。


「その功績はアストリア侯爵家のものよ。平民の娘が書いた落書きなど、誰も提出記録を持っていないでしょう。証拠もない主張を公の場で――」


「あります」


老人の声が、広場に広がった。


ガルト元長官が、証言台に立っていた。


「三年前、私がこの手で受け取りました。受領記録が、ここにあります。日付は、アストリア侯爵家の功績申告より三日前です」


会場が、揺れた。


「そんな……そんなはずが……」


クロディア様の声が、震えた。


私は続けた。


「七年後の大発生を防ぐためには、今から対策を始めなければ間に合いません。避難網の再設計、各地の魔力濃度の定期観測、治癒薬の備蓄計画。この手帳に、具体的な手順が全て書いてあります」


「私にできることは、この国の民が次の脅威で命を落とさないよう、今から準備を始めることです。身分も家名も後ろ盾も持ちません。ただ、これだけがあります」


手帳を、高く掲げた。


広場が静まり返った。


審査官たちが、重い沈黙の後で顔を見合わせた。



   ◆



採点・審査には数時間待たされた。


そして、その時が来た。


「選考の結果を、申し上げます」


長い間があった。


「リーナ・ハーヴェイ殿を、上位と判定いたします」


その瞬間。


「――ふざけないで!」


クロディア様の声が、広場に響き渡った。


「平民が、王妃になるなど!この国の秩序をどうするつもり!」


誰も、止めなかった。


「私でなければこの国は安定しない!貴族たちを束ねられるのは私だけ!身分もない、家名もない、後ろ盾もない平民風情が玉座の隣に立つなど、前例がない、おかしい、許されない――」


言葉が崩れていった。


あの完璧な令嬢が、今、広場の真ん中で壊れていく。


痛ましかった。

怒りより先に、痛ましかった。


「エルネスト陛下!この私の方が相応しい!三年前もそうでした、あの娘ではなく私こそが、この国を――」


「クロディア嬢」


低い声が、広場を切った。


エルネスト陛下が、立ち上がっていた。


玉座から降りて、手に一冊の台帳を持って。


会場が静まり返った。


「私はこの選考を観察してきた。その記録がここにある」


彼は台帳を開いた。


一つ目。


「第一課題。魔物出現を最初に察知し、制圧したのはリーナ・ハーヴェイだ。私が観覧席から全て見ていた」


二つ目。


「第二課題。物資調達計画を立案したのもリーナ・ハーヴェイだ。彼女が作成した草案を盗作した証言がある」


三つ目。


「第三課題から第五課題において、採点基準を不正に変更した事実が確認されている。選考委員三名と、アストリア侯爵家の関与が記録されている」


四つ目。


「三年前の魔物大発生において、被害を最小限に抑えた作戦立案者は、リーナ・ハーヴェイだ。その論文の原本は宮廷記録室で確認された。ガルト前長官が証人として立っている」


声が、広場に重く落ちた。


「以上をもって、アストリア侯爵家に対し、不正功績申告による国家詐欺罪が適用される。王室御用達称号の即日剥奪、三年分の国家褒賞六万ゴールドの全額返納、王都第一区の屋敷および別邸の国庫返納を命じる」


貴族席が、しんとしていた。


「クロディア・フォン・アストリア個人については、選考における不正工作の主犯として、貴族位の停止処分とする」


クロディア様の顔から、色が消えた。


「……お待ちを」


声が、震えていた。


「リーナ……リーナ、お願い。証言を……陛下に、何か言ってください……お願い……」


私は振り返った。


クロディア様の目に、涙が浮かんでいた。

あの誇り高い方が、こんな目をするとは思わなかった。


胸が、少し痛んだ。


でも。


「私はあなたに、何もしていません」


私は静かに言った。


「自分でやったことです」


それだけ言って、私は前を向いた。


後ろから、声が来なくなった。


広場に、静けさが戻った。


そして。


エルネスト様が、歩いてきた。


階段を降りて、広場の石畳を、真っ直ぐ私の方へ。


諸侯たちが見ていた。

民衆が見ていた。

令嬢たちが見ていた。


全員が、見ていた。


彼は私の前で止まった。


「リーナ・ハーヴェイ」


その声が、広場に広がった。


「俺が王妃に望んだのは、最初から君だけだ。三年前も、今日も、これからも」


胸が、爆発しそうになった。


ずっと、我慢してきた。

侮辱されても、横取りされても、追い出されそうになっても、ただ前を向いてきた。


(ああ、もう)


涙が、落ちた。

止められなかった。


エルネスト様が、そっと私の手を取った。

指を絡めて、強く握った。


温かかった。


薬草園の朝に握ってもらった手と、同じだった。


「泣いていい」


耳元に、低く言った。


「もう、全部終わった」


「……っ」


声が、出なかった。


どこかで拍手が始まった。

一人が、二人が、十人が、百人が、何千人が。


民衆の声が、広場を満たした。


「リーナ様!」


誰かが叫んだ。


それが合図だったように、波が来た。


まだ涙が止まらなかった。

でも今度は、止めなかった。


三年間分が、全部、流れていくような気がした。


エルネスト様の手を、強く握り返した。



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第八章 奪えなかったもの

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全てが終わった日の夜、私は屋敷に帰った。


帰った、という言葉が合っているのかわからない。

でも、他に行く場所がなかった。


机の上に、書状が積まれていた。


一通目。

王室御用達称号剥奪の通知。

陛下の署名と、国璽。


二通目。

褒賞返納命令書。

三年分、六万ゴールド。

期限は三十日以内。


三通目。

王都第一区屋敷および別邸の国庫返納命令。

退去期限は六十日以内。


四通目。

クロディア・フォン・アストリアの貴族位停止処分通知。

「停止期間は審議の結果による」とだけ書いてあった。


封を開けるたびに、音がした。

乾いた、静かな音が。


感情が、出なかった。


泣くかと思っていた。

怒るかと思っていた。

でも、何も来なかった。


ただ、静かだった。


鏡を見た。

いつもの私がいた。

背筋は真っ直ぐで、顎は上がっていて、完璧な令嬢の顔が。


でも、後ろに何もなかった。


《私は、何を守っていたのだろう》


父の名声。

侯爵家の誇り。

自分の地位。


全部、今日なくなった。


三年前。


あの論文が宮廷に届いた日、父が言った。


「これを使う。平民の娘の功績など、世に出る必要はない。身分のない者が何かを成しても、正しく評価される世界ではない。それが秩序というものだ」


私は反対しなかった。

父の言う通りだと思っていた。


だから、あの娘の記録を書き換えた。

だから、あの娘が選考に現れた時、必死に排除しようとした。


怖かったから。


ずっと、怖かった。


今日、広場で見た。


あの娘が涙を流した瞬間を。

陛下が階段を降りて、真っ直ぐあの娘の元へ歩いた瞬間を。

民衆が自然に立ち上がって、拍手を送った瞬間を。


(奪えなかった)


私はソファに、ゆっくりと腰を下ろした。


地位も、功績も、家の名誉も。

全部奪えると思っていた。


奪えなかったのは、あの娘が持っていたものではなかった。


奪えなかったのは。


――陛下があの娘を見る目だった。

民衆があの娘に向けた声だった。

あの娘が涙を流したとき、誰もが一緒に胸を痛めた、その空気だった。


私がどれほど完璧な答弁をしても、どれほど正しい政策を述べても、一度もそんな目で見られたことがなかった。


(なぜ)


涙が、出た。


怒りではなかった。

反省でもなかった。


ただ、取り返しのつかないことに、今更気づいた恐怖だった。


あの娘が持っていて、私が持っていなかったもの。


それが何なのか、今日やっと、わかった気がした。


わかった瞬間に、全てが終わっていた。


机の上の書状を、もう一度見た。


国の文字が、冷たく光っていた。


あの娘は今頃、どこにいるのだろう。


陛下の隣で、泣き止んで、笑っているのだろうか。


そう思ったとき、不思議と怒りが来なかった。


ただ、遠かった。


あの場所が、私には届かない場所だったということが、今更になってわかった。


窓の外に、星が出ていた。


取り返しのつかない夜が、静かに更けていった。


そして、アストリア侯爵家は静かに消えていった。



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エピローグ 春の薬草園

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戴冠式から一ヶ月後、王妃の即位式が行われた。


私は白いドレスを着ていた。

飾り過ぎない、でも誰かが丁寧に選んでくれたことがわかるドレスだった。


廊下でシルヴィアが待っていた。


「リーナ王妃、とても綺麗です」


「王妃と呼ばれるのに、まだ慣れませんね」


「……今は私より、高貴なお立場なので慣れてください!」


彼女が笑った。


私も笑った。


あの日、広場で見ていてくれた。

全部を。


「また遊びに来てくれますよね」


「もちろんです。薬草園、案内してください」


「ぜひ」


エルネスト様が、扉の前で待っていた。


正装で、いつもより少し背が高く見えた。


「緊張しているのか」


「少し」


「俺もだ」


それを聞いて、なぜか楽になった。


王様でも、この方はこういう人だった。

二年前も、今日も、きっとこれからも。


彼が手を差し伸べた。


大きくて、少し荒れていて、それでいて優しい手。

薬草園の朝に握ってもらった、あの手と同じだった。


「行きましょう」


「ああ」


扉が開いた。


光が、差し込んだ。


懐の手帳は、今朝、机の引き出しにしまった。


もう、ここには持ち歩かなくていい。

全部、終わったから。


彼の手を、強く握った。


春の光が、二人の前に広がっていた。


ここからが、国を守るための本番である。



ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!


面白かった!スッキリした!と少しでも思っていただけたなら、評価(下の方にある☆☆☆☆☆)やリアクションで評価をいただけると、本当に飛び上がって喜びます!


最後に広場を包んだあの温かな拍手や歓声は、リーナは王妃に『選ばれた』というより、その真心で『国民から選ばれた』んだなと。作者としても、よい締めくくりになりました!


また他の作品でも、お会いできることを楽しみにしております(*‘ω‘ *)

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