怒れない僕は勇気を買った。
初投稿です。
世界観作成、ストーリー構成、本文推敲は作者が行っていますが、本文作成にAIを使用しています。
苦手な方はご注意ください。
「何回言えば分かるんだ?」
上司の声が強くなった瞬間、胃がぎゅっと縮んだ。
肩が勝手に上がる。呼吸が浅くなる。
頭の中で準備していた言葉が、全部消えた。
怒りじゃない。
先に来るのは、怖さだ。
言い返したら、さらに詰められるかもしれない。
評価を下げられるかもしれない。
面倒な社員だと思われるかもしれない。
目をつけられるのが怖い。
「すみません」
ほとんど反射だった。
本当は違う。
仕様変更は共有されていなかったし、納期も無茶だった。
言い返せる材料はある。
でも言えない。
口を開こうとすると、喉が固まる。
会議が終わると、同僚が小声で言った。
「さっきの、部長が悪いよな」
僕は苦笑いする。
「まあ……僕の確認不足だよ」
怒りはある。
でも怖さがそれを押さえつける。
昼休み。
スマホを眺めていると、広告が流れてきた。
《あなたの感情、売れます。買えます。》
感情を売買できるアプリらしい。
そのときは少しだけスクロールして閉じた。
正直、怪しいと思った。
帰宅後。
電気もつけずにソファに座る。
胸の奥がじわじわ痛む。
昼に見た広告を思い出す。
感情を買える、と書いてあった。
僕はストアを開き、アプリを検索する。
インストール。
起動。
感情をデータ化する技術。
不要な感情を売却できる。
必要な感情を購入できる。
レビューは高評価ばかりだった。
指が止まる。
《勇気・45分》
価格:3000円
説明文を読む。
対人関係で萎縮してしまう人向け。
発言時の恐怖を軽減し、行動を後押しします。
効果時間は45分。
※使用後、一時的な空虚感や情動の鈍化が報告されています。
僕はしばらく迷った。
そして、購入を押した。
《注入準備中…》
《勇気 注入完了(45:00)》
数十秒後、身体の奥が少し熱くなる。
胸の締め付けが、わずかに緩む。
試しに、独り言を言ってみる。
「違います」
声が出た。
小さいけれど、止まらない。
しばらく後。
《効果終了》
急に、身体が重くなった。
達成感でも怒りでもない。
ただ、ぽっかりと空いた感じ。
自分でやったというより、
誰かに背中を押してもらっただけ。
それでも思う。
――使える。
翌朝。
出勤前、僕はもう一度アプリを開いた。
《勇気・45分》
購入。
《注入完了(45:00)》
会社。
昨日の会議の続きだった。
「で、例の仕様変更の件だけどさ」
部長が資料をめくる。
「結局、誰の責任なんだ?」
昨日と同じ話題だ。
昨日はうまく言えなかった部分。
心臓は速い。
怖さも、ちゃんとある。
でも今日は、体が固まらない。
「仕様変更の共有がありませんでした。
その点については、こちらだけの責任ではありません」
言えた。
会議室が静まる。
《残り 18:42》
時間制だ。
僕は数字を見つめる。
この45分が終われば、
また元の僕に戻る。
怖さに支配される、あの僕に。
それでも――
今は、ちゃんと立っていられる。
45分あれば、十分だ。
そう思った瞬間、
僕はもう一度、このアプリを開く自分を想像していた。
勇気は便利だった。
怖さは消えない。
でも、押しのけられる。
それだけで十分だった。
けれど。
効果が切れたあとの、あの空洞。
胸の奥がすっと抜ける感じ。
何もないわけじゃないのに、何も残らない感じ。
あれが、地味にきつかった。
数日後。
朝、目が覚めたときも、
その空洞は残っていた。
勇気を使ったせいなのか、
もともとこうだったのかは分からない。
ただ、虚無感だけが少し広がっている。
それを埋めたくて、
僕はアプリを開いた。
《喜び・30分》
価格:1200円
説明文。
“軽度の気分低下時におすすめ。
日常の満足度を一時的に引き上げます。”
僕は購入した。
《注入完了(30:00)》
数分後。
胸の奥がほんのり温かくなる。
部屋の空気が軽い。
コーヒーの匂いが、ちゃんといい匂いに感じる。
さっきまであった空洞が、
少しだけ埋まる。
悪くない。
夕方、駅前で彼女と待ち合わせる。
「なんか今日、機嫌よくない?」
彼女が言う。
「そう?」
「うん。最近ちょっと元気なかったから」
その頃には、
喜びの効果はもう切れていた。
僕は少しだけ考えてから笑う。
「まあ、仕事が落ち着いてきただけかも」
嘘ではない。
でも本当でもない。
帰りの電車で、胸の奥の静けさを意識する。
朝に埋まったはずの虚無が、また同じ形で戻っている。
翌週。
プレゼンの日。
僕は迷わず《自信・20分》を購入した。
《注入完了(20:00)》
言葉が滑らかに出る。
視線がぶれない。
部長も頷く。
終わったあと、同僚が言った。
「今日、別人みたいだったな」
別人。
その言葉が、少し残る。
帰宅後。
僕は購入履歴を開く。
《勇気》
《喜び》
《自信》
画面に並んでいる。
数は多くない。
でも、確実に増えている。
一つ使うたびに、
次の選択肢が自然になる。
怖さを押しのける。
虚無を埋める。
失敗を減らす。
便利だ。
でも同時に、
使わない時間のほうが不安になる。
夜、電気を消した部屋で横になる。
胸の奥が静かすぎる。
自分で感じているのか、
ただ効果が切れているだけなのか、
分からなくなる。
僕はスマホを手に取る。
《あなたにおすすめ》
指が一瞬止まる。
――まだ大丈夫。
最近、会社が静かだ。
怒号が減った。
理不尽は減っていない。
納期も仕様変更も相変わらず無茶な時がある。
でも、怒る人がいない。
会議室で部長が資料を叩いても、
声は上がらない。
代わりに、誰かが淡々と正論を言う。
そのあと、静かに終わる。
昼休み。
同僚が小声で言った。
「最近、みんな使ってるらしいぞ」
「何を?」
「感情アプリ。怒りとか自信とか。
自然に出ないやつは買う時代なんだってさ」
笑いながら言う。
冗談みたいに。
でも、否定はしなかった。
「お前も使ってんの?」
と聞かれ、
僕は一瞬だけ止まる。
「まあ、ちょっと」
「だよな。俺も」
あっさりだった。
みんな、使ってる。
もう特別じゃない。
帰宅後。
テレビをつける。
《若年層に“情動生成低下”の傾向》
キャスターが淡々と読む。
「専門家は、感情の外部依存が進むことで、
自発的な情動生成能力が弱まる可能性を指摘しています」
画面にはグラフ。
“自然発生型情動 年々減少”
アプリの通知が重なる。
《自然発生型情動 高額買取中》
怒り:品薄
愛情 : 品薄
孤独感:在庫極少
“現在、孤独感を自然に保持している方は希少です”
僕は無意識に胸に触れる。
静かだ。
怒りも強くない。
喜びも長続きしない。
でも、完全に何もないわけじゃない。
翌週。
総務からメールが来た。
《社員の一部が情動リハビリのため休職します》
説明会が開かれるらしい。
会議室で、人事が言う。
「過度な感情外部化により、
自己生成感情の回復に時間を要するケースが増えています」
つまり。
感じられなくなった、ということだ。
僕は購入履歴を開く。
《勇気》
《喜び》
《自信》
数は増えている。
まだ戻れなくなるほどではない。
――たぶん。
でも、使わない日が怖くなっている。
画面の下に、小さく表示される。
《あなたの自然感情 査定可能です》
指が、少し震えた。
⸻
数日後。
通知が届く。
《あなたの“孤独感”に高値がついています》
孤独感。
在庫極少。
査定額:¥48,000
思ったより高い。
説明文が続く。
“孤独感は近年、市場流通量が著しく低下しています。
多くのユーザーが孤独を自覚する前に《安心》《喜び》《承認》を購入する傾向にあります。
深度の高い孤独感は生成前に処理されるため、自然生成型の孤独感は希少です。
なお、一部の創作活動者および自己探求志向ユーザーからの需要が継続しており、供給不足により価格は上昇傾向にあります
確かに。
孤独は早めに処理される。
だから、高い。
売れば軽くなる。
売れば、もっと効率的になれる。
会議も怖くない。
夜も重くない。
空洞も埋められる。
僕は胸に手を当てる。
この静かな痛み。
誰とも完全には分かり合えない感覚。
怒れなかった夜。
言い返せなかった会議。
効果が切れたあとの、あの空白。
それらが沈殿して、
ここに残っている。
僕は昔から、感情をうまく外に出せない。だから、消えずに残る。
《売却しますか?》
指が止まる。
孤独感を売れば、
僕は穏やかになるだろう。
でも。
孤独がなければ、
誰かを求める理由もなくなる。
孤独がなければ、
自分が他人と違うという感覚も薄れる。
この静かな痛みは、
僕が僕である証みたいなものだ。
だから売らないことに決めた。
孤独感だけが、まだ僕のものだった。
読んでいただきありがとうございました。
次回作もご期待いただければ幸いです。




