第7話「見つめる女」
『虚実の狭間に立つ者』
第7話「見つめる女」
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視線は、どこにでもあった。
部屋の中を歩くたび、何かがこちらを見ている気配がする。窓の外、クローゼットの隙間、テレビの黒い画面——あらゆる場所から、視線が突き刺さってくる。
しかし、振り返っても何も見えない。
気配だけが、確実にそこにある。
「真夜くん、状況は?」
イヤホンから、紬の声が聞こえた。
彼女は近くの車の中で待機し、僕の状況を監視している。
「第一段階に入りました。視線を感じます」
「そう。予想より早いわね」
「ネットで広まっている分、力が強いのかもしれません」
「気をつけて。無理だと思ったら、すぐに離脱して」
「わかっています」
僕は部屋の中央に立ち、周囲を警戒した。
『見つめる女』は、段階的に接近してくる。第一段階は視線、第二段階は目撃、第三段階は接触——
つまり、待っていれば向こうから来る。
問題は、いつ来るかだ。
◇
一時間が経過した。
視線は相変わらず感じるが、それ以上の変化はない。
「焦らしてきますね」
「怪異には怪異の理屈があるわ。こちらの都合で動いてくれるとは限らない」
「ええ。わかっています」
僕は椅子に座り、目を閉じた。
感覚を研ぎ澄ませる。視覚ではなく、肌で空気の変化を感じ取る。
祓い師としての訓練は、五感を超えた「第六感」を養うことでもある。妖の気配は、目に見えない。しかし、感じ取ることはできる。
——そこにいる。
目を開けた。
窓の外。
街灯の下に、人影が立っていた。
白いワンピースを着た、長い黒髪の女。
顔は見えない。髪が邪魔をしている。しかし、確実に——こちらを見ている。
「第二段階です。姿を確認しました」
「了解。位置は?」
「窓の外、街灯の下。距離は約二十メートル」
「動きは?」
「今のところ、静止しています」
僕は窓に近づいた。
女は動かない。ただ、じっとこちらを見ている。
髪の隙間から、目が見えた。
黒い、底のない目。感情が読み取れない。
きさらぎ駅の女と、似ている——いや、全く別の存在だ。
きさらぎ駅の女には、悲しみがあった。孤独があった。人間だった頃の残滓があった。
しかし、この女には——何もない。
ただ、「見つめる」という機能だけがある。
「——怪異としての純度が高いですね」
「どういうこと?」
「この女は、『都市伝説そのもの』です。誰かが変化したものではない。人々の恐怖が、直接形を成している」
「つまり、対話は不可能?」
「おそらく」
僕は刀の柄に手をかけた。
「力で祓うしかないでしょう」
その時——女が動いた。
一歩、こちらに近づいてくる。
ゆっくりと、しかし確実に。
「来ます」
「真夜くん、無理しないで」
「大丈夫です」
僕は窓を開けた。
夜の空気が流れ込んでくる。女との距離は、約十五メートル。
飛び降りて、直接対峙する——
その時、女が消えた。
「——っ」
気配が、背後に移動した。
振り返る。
女が、部屋の中にいた。
いつの間に入ってきたのか。音もなく、気配もなく——気づいた時には、そこにいた。
「速い——」
距離は、二メートルもない。
女の手が、僕に向かって伸びてくる。
白い、細い手。爪が、異様に長い。
僕は刀を抜き、横に薙いだ。
手応えがない。刀は女の体を通過したが、まるで霧を斬っているようだ。
きさらぎ駅の女と同じ——実体がない。
「——真夜くん!」
紬の声が聞こえた。
同時に、部屋の周囲に光の線が走った。
結界だ。紬が、外から結界を展開したのだ。
女の動きが、一瞬止まった。
「今よ!」
「——祓」
僕は刀に意識を集中した。
霊刀「氷月」。柊家に伝わる、妖を斬るための武器。
普通の刀では斬れない相手でも、霊刀なら——
刀が、淡い光を帯びた。
僕は渾身の力を込めて、女を斬った。
今度は——手応えがあった。
女が、悲鳴を上げた。
人間の声ではない。金属を引っ掻くような、不快な音。
しかし、女は消えなかった。
体の一部が欠けたが、すぐに再生していく。
「くっ——」
「真夜くん、一旦離脱して!」
「駄目です。ここで逃したら、藤堂さんのところに行く」
「でも——」
「大丈夫です。まだ、手はあります」
僕は、刀を構え直した。
女が再び動き出す。
速い。先ほどより、さらに速くなっている。
怒っているのだ。傷つけられたことに。
女の手が、僕の顔に迫る。
躱しきれない——
その時、視界の端で何かが光った。
札だ。
紬が投げた封印の札が、女の体に貼りついた。
「——!」
女の動きが、完全に止まった。
「今のうちに、核を探して!」
紬が叫んだ。
「怪異には必ず核がある! それを壊せば、祓える!」
核——
僕は女の体を観察した。
どこに核がある?
頭か? 胸か? それとも——
目だ。
女の目。黒い、底のない目。
あれが、この怪異の本体だ。
「見つけました」
僕は刀を構えた。
封印の札が、軋み始めている。長くは持たない。
「——祓」
渾身の突きを、女の目に叩き込んだ。
——第7話「見つめる女」完——




