第5話「二つの顔」
『虚実の狭間に立つ者』
第5話「二つの顔」
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朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
スマホのアラームが鳴り、僕は目を覚ました。
午前六時半。いつもと同じ時間だ。
体を起こし、軽くストレッチをする。昨夜の任務の疲れが、まだ少し残っている。きさらぎ駅での戦い——いや、対話——は、精神的な消耗が大きかった。
しかし、学校は休めない。
表の顔を維持することも、祓い師の務めの一つだ。
「……行きますか」
僕はベッドを出て、身支度を始めた。
◇
僕が住んでいるのは、渋谷区内のマンションだ。
鎮守院が用意した、祓い師用の住居。セキュリティが万全で、簡易的な結界も張られている。一人暮らしには広すぎる部屋だが、文句を言う立場ではない。
朝食を済ませ、制服に着替える。
鏡に映った自分を見る。黒髪に黒い瞳、平均的な体格。特別目立つ容姿ではない。それが、むしろ都合がいい。
鞄を手に取り、玄関を出た。
◇
私立明城学園高等部。
それが、僕が通う学校の名前だ。
都内有数の進学校で、偏差値は高い。しかし、僕がこの学校を選んだのは、学力のためではない。
明城学園には、鎮守院関係者の子弟が多く通っている。万が一の事態にも対応しやすく、情報の共有もしやすい。
もっとも、生徒の大半は一般人だ。祓い師の家系に生まれた者は、学年に数人しかいない。
「おはよう、柊くん」
教室に入ると、隣の席の女子生徒が声をかけてきた。
名前は、藤堂美月。明るい茶髪に、人懐っこい笑顔が特徴的な女子だ。
「おはようございます、藤堂さん」
「今日も朝から真面目だね、柊くんは」
「そうですか? 普通だと思いますが」
「普通じゃないよ。いつも姿勢良くて、言葉遣いも丁寧で。うちのクラスで一番真面目なんじゃない?」
藤堂さんは笑いながら言った。
彼女は一般人だ。妖の存在も、僕の正体も知らない。だからこそ、この何気ない会話が——どこか、心地よかった。
「柊くんって、部活とかやってないよね」
「ええ、やっていません」
「放課後、何してるの? バイトとか?」
「……まあ、そんなところです」
嘘ではない。祓い師の仕事も、ある意味では「バイト」のようなものだ。報酬も出るし。
「へえ、何のバイト?」
「警備関係です」
「警備? 高校生で?」
「家の関係で、特別に許可をもらっています」
「すごいね。柊くんって、いろいろ謎が多いよね」
藤堂さんは興味深そうに僕を見た。
「でも、そういうの嫌いじゃないよ。ミステリアスで、かっこいいと思う」
「……ありがとうございます」
どう反応していいかわからず、僕は曖昧に答えた。
チャイムが鳴り、担任の教師が入ってきた。藤堂さんは前を向き、僕も教科書を開いた。
日常が、始まる。
◇
午前中の授業は、滞りなく過ぎていった。
数学、英語、国語——どれも特に難しいとは思わない。祓い師としての訓練の合間に、勉強も欠かさずやってきた。知識は武器になる。それが、父から教わったことの一つだ。
昼休みになると、僕は教室を出た。
屋上で一人で昼食を取るのが、僕の習慣だ。人混みが苦手なわけではないが、一人の時間も必要だった。
階段を上がり、屋上への扉を開ける。
——先客がいた。
「あ」
フェンス際に立っていた人物が、振り返った。
見覚えのある顔だった。
「……神楽坂さん」
「真夜くん」
神楽坂紬だった。
訓練所時代の仲間であり、幼馴染。神楽坂家の令嬢で、結界術と封印術のエキスパートだ。
「なぜ、ここに」
「私も明城学園に通ってるのよ。知らなかった?」
「知りませんでした。学年が違うんですね」
「ええ、私は三年生。今年から東京支部に異動になったの」
紬は微笑んだ。
訓練所時代と比べて、大人っぽくなったと思う。長い黒髪は艶やかで、立ち居振る舞いにも品がある。
「久しぶりね、真夜くん。最後に会ったのは、いつだったかしら」
「一年ほど前だと思います。京都での合同訓練の時ですね」
「そうだったわね。あの時は、あなたに散々やられたわ」
「結界を破るのに苦労しました。神楽坂さんの術は、相変わらず厄介です」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
紬は笑った。
僕も、少しだけ口元が緩んだ。
◇
二人で、屋上のベンチに座った。
弁当を広げながら、近況を話し合う。
「きさらぎ駅の件、聞いたわよ」
紬が言った。
「凛太郎くんから連絡があったの。あなた、都市伝説と『約束』したんですって?」
「ええ、そうです」
「大胆ね。普通の祓い師なら、考えもしないことだわ」
「批判ですか?」
「いいえ、感心してるの」
紬は首を振った。
「私たちは『祓う』ことしか教わってこなかった。でも、それだけが正解じゃないのかもしれない」
「神楽坂さんもそう思いますか」
「ええ。私の家は、封印を専門にしているでしょう? 封印って、言い換えれば『共存』なのよ。完全に消滅させるのではなく、力を封じて共に存在する」
紬は空を見上げた。
「だから、あなたのやり方は——私には、理解できる」
「ありがとうございます」
「でも、気をつけてね。組織の中には、あなたのやり方を快く思わない人もいるから」
「わかっています」
榊原の顔が、脳裏をよぎった。
あの男は、僕に何を期待しているのか。そして、何を警戒しているのか。
「ところで、真夜くん」
「はい?」
「雪華さんのこと——何か進展はあった?」
その名前を聞いて、僕は息を止めた。
姉の雪華。一年前、口裂け女に攫われた姉。
「……いいえ、まだです」
「そう……」
紬の表情が曇った。
「雪華さんは、私にとっても大切な人だったわ。訓練所時代、よく面倒を見てもらった」
「知っています」
「だから、私も協力するわ。何かわかったら、教えて」
「ありがとうございます。助かります」
僕は、本心から礼を言った。
姉の捜索は、僕一人では限界がある。協力者が増えることは純粋にありがたかった。
——第5話「二つの顔」完——




