第3話「異界の駅」
『虚実の狭間に立つ者』
第3話「異界の駅」
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車内は、思ったより空いていた。
座席に座っているのは、数人のサラリーマンと、スマホを見ている若い女性だけ。僕は端の座席に座り、周囲を観察した。
特に異常は感じない。
普通の電車。普通の乗客。普通の深夜。
電車が動き出した。
渋谷を出て、次の駅に向かう。窓の外を、夜の街が流れていく。
二駅、三駅——何も起こらない。
『真夜、状況は』
「今のところ、異常なしです」
『そうか。引き続き警戒を続けろ』
「了解」
四駅目、五駅目——依然として、何も起こらない。
もしかしたら、今夜は現れないのかもしれない。都市伝説は、いつも同じように現れるとは限らない。条件があるのかもしれないし、単なる気まぐれかもしれない。
六駅目に差し掛かった時——
違和感を感じた。
窓の外が、暗い。
駅と駅の間だから当然といえば当然だが、それにしても暗すぎる。街灯も、建物の灯りも、何も見えない。
まるで、闇の中を走っているようだ。
「——凛太郎」
僕はイヤホンに話しかけた。
返答がない。
「凛太郎、聞こえますか」
ノイズすら聞こえない。完全な無音。
通信が、途切れている。
嫌な予感がした。
周囲を見回す。他の乗客たちは、何事もないように座っている。スマホを見ている女性は、画面に釘付けだ。サラリーマンたちは、うとうとと居眠りをしている。
しかし——何かがおかしい。
彼らの動きが、微妙に不自然だ。まるで、同じ動作を繰り返しているかのような。
ループしている——?
電車が、速度を落とし始めた。
駅に近づいているのだ。
窓の外を見る。ホームらしきものが見えてきた。しかし、駅名は——
僕は息を呑んだ。
白い看板に、黒い文字で書かれている。
「きさらぎ」
——来た。
◇
電車が停止した。
扉が開く。
僕は立ち上がり、扉の前に移動した。
ホームは、不気味なほど静かだった。蛍光灯の明かりが、白々と空間を照らしている。しかし、人の気配は全くない。
他の乗客たちは、誰も降りようとしない。まるで、この駅が見えていないかのように。
いや——見えていないのだろう。
きさらぎ駅は、「選ばれた者」だけが辿り着く場所だ。僕が今夜選ばれたのは、おそらく——囮としての「意志」があったから。
降りるべきか、降りざるべきか。
迷っている暇はない。失踪者を救うためには、中に入る必要がある。
僕は一歩を踏み出し、ホームに降り立った。
瞬間、背後で扉が閉まった。
振り返ると——電車が、音もなく発車していた。あっという間に闇の向こうに消え、後には静寂だけが残った。
「……戻る手段が断たれましたね」
呟きながら、周囲を観察する。
ホームは、どこにでもある田舎の駅のようだった。古びたベンチ、色褪せた時刻表、蔦が絡まった柱。しかし、時刻表には何も書かれていない。列車の時刻も、行き先も、全て空白だ。
ホームの端まで歩いてみる。階段があり、改札口らしきものが見えた。
改札を抜け、駅の外に出る。
そこには——何もなかった。
文字通り、何もない。
駅舎を出た瞬間、目の前に広がっていたのは、どこまでも続く闇だった。道路も、建物も、木々すらない。ただ、黒い空間が無限に広がっている。
振り返ると、駅舎だけが浮かぶように存在していた。
「これが、きさらぎ駅——」
異界。現実とは異なる、別の空間。
ここに、五人の失踪者がいるはずだ。
僕は、再び駅舎の中に戻った。
◇
駅舎の中を、くまなく探索した。
待合室、トイレ、駅員室——全て無人だ。しかし、どこかに人がいた形跡がある。
待合室のベンチに、スマートフォンが落ちていた。
拾い上げて画面を見ると、電源は入っているが、電波は圏外。画面には、LINEのトーク画面が表示されていた。
『なんか変な駅に着いた。きさらぎって書いてある。降りてみる』
——これは、失踪者・田村美咲のものだ。
彼女は、ここに来た。そして、このスマホを落とした。
ということは、彼女自身は——どこかに行った?
駅舎を出て、ホームに戻る。
反対側のホームを見ると、線路を挟んだ向こう側にも同じような駅舎があった。
行ってみるか。
僕は線路に降り、反対側のホームに向かって歩き始めた。
足元の砂利が、じゃりじゃりと音を立てる。
その時——
背後から、足音が聞こえた。
僕ではない、別の足音。
振り返る。
線路の上に、誰かが立っていた。
白い服を着た、女性——いや、女性の「形」をした何か。
長い黒髪が顔を覆い、表情は見えない。しかし、その存在感は——明らかに人間ではなかった。
「——あなたは」
僕は問いかけた。
女は答えない。ただ、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
足音は、一定のリズムを刻んでいる。
じゃり。じゃり。じゃり。
僕は刀の柄に手をかけた。
今回の任務には、霊刀「氷月」を持参している。妖を斬るための、柊家の武器。
女が、顔を上げた。
髪の隙間から、目が見えた。
黒い、底のない目。そこには何の感情もない。ただ、虚無だけがあった。
「——私と、同じに、なりましょう」
女が口を開いた。
声は、複数の音が重なったような、不協和音のような響きだった。
「ここに、いれば、怖くない。ここに、いれば、寂しくない」
「失踪者たちは、どこですか」
僕は問うた。
「彼らを返してもらいます」
「返す? なぜ?」
女は首を傾げた。
ゴキリ、と骨が鳴る音がした。人間ではありえない角度に、首が曲がっている。
「彼らは、幸せ。私と、同じに、なれたから」
「同じに?」
「ええ。もう、怖くない。もう、寂しくない。もう——何も、感じなくて、いいの」
女の口元が、裂けるように広がった。
笑っている——のだろうか。
「あなたも、同じに、なりましょう」
女が、突進してきた。
——第3話「異界の駅」完——




