第2話「深夜の指令」
『虚実の狭間に立つ者』
第2話「深夜の指令」
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放課後の教室は、夕陽に染まっていた。
窓から差し込むオレンジ色の光が、机や椅子に長い影を落としている。部活動に向かう生徒たちの声が、廊下から聞こえてくる。
僕は鞄を手に取り、教室を出た。
スマホには、鎮守院からの指令が残っている。
『東京都渋谷区にて、不審な失踪事件が連続発生。都市伝説「きさらぎ駅」の関与が疑われる。至急、調査を開始せよ』
きさらぎ駅。
二〇〇四年頃、インターネット掲示板に投稿された体験談から生まれた都市伝説だ。
深夜の電車に乗っていると、いつの間にか見知らぬ駅に到着する。駅名は「きさらぎ」。周囲には何もなく、時刻表も存在しない。そこに降り立った者は、二度と元の世界に戻れない——。
インターネット発祥の、比較的新しい都市伝説。しかし、その知名度は急速に広がり、今や日本中で知られる存在となっている。
知名度が高いということは、それだけ「力」を持っているということだ。
「……厄介な相手ですね」
呟きながら、僕は校門を出た。
◇
渋谷支部は、渋谷駅から徒歩十分ほどの雑居ビルの中にある。
表向きは「セキュリティ会社」として登記されており、一般人が立ち入ることはない。エレベーターで地下二階に降り、認証を済ませると、鎮守院の施設が広がっている。
「真夜、来たか」
待っていたのは、東京支部の副支部長・鷹取征史郎だった。
四十代後半の男性で、鋭い目つきと厳めしい顔立ちをしている。元は現場で活躍した祓い師だが、今は後進の指導と支部の運営に携わっている。
「お待たせしました、鷹取さん」
「構わん。ブリーフィングを始める」
鷹取さんは、壁面のモニターを起動した。
渋谷区の地図と、複数の顔写真が表示される。
「過去一週間で、渋谷区内で五名が失踪している。全員、深夜に電車を利用した形跡がある」
モニターには、失踪者の情報が並んでいた。
二十代の会社員、三十代の主婦、十代の学生——年齢も性別もバラバラだ。共通点は、深夜に電車に乗ったこと。そして、その後、忽然と姿を消したこと。
「警察は捜査を進めているが、手がかりは全くない。防犯カメラには、電車に乗るところまでは映っている。しかし、降りた形跡がない」
「乗ったまま消えた、ということですか」
「そうだ。そして、目撃証言がある」
鷹取さんはモニターを切り替えた。
映し出されたのは、ある女性の証言記録だった。
「失踪者の一人、二十代の会社員・田村美咲。彼女は失踪する直前、友人にLINEを送っている」
画面に、LINEのスクリーンショットが表示された。
『なんか変な駅に着いた。きさらぎって書いてある。降りてみる』
それが、彼女の最後のメッセージだった。
「きさらぎ駅——」
「ああ。都市伝説の名前そのものだ」
鷹取さんの表情が、僅かに険しくなった。
「この都市伝説は、ネットで急速に広まった。検索すれば、無数の体験談が出てくる。創作も多いが、それらが全て『燃料』になっている」
「人々が語るほど、怪異は力を増す——」
「その通りだ。きさらぎ駅は、今や相当な力を持っていると考えられる」
僕は腕を組んで考えた。
きさらぎ駅の特徴は、「異界への誘い込み」だ。物理的な攻撃ではなく、対象を別の空間に連れ去る。
つまり、通常の戦闘では対処できない可能性がある。
「調査の方針は?」
「まず、現場の確認だ。失踪者たちが最後に乗った路線を特定し、異常がないか調べる。そして——」
鷹取さんは僕を見た。
「お前には、『囮』になってもらう」
「囮、ですか」
「ああ。深夜の電車に乗り、きさらぎ駅が現れるのを待つ。現れたら、内部を調査し、可能であれば失踪者を救出する」
危険な任務だ。
きさらぎ駅に入ったが最後、戻れなくなる可能性がある。
しかし——
「わかりました。やります」
「即答か。度胸はあるな」
「度胸というより、これが僕の仕事ですから」
鷹取さんは僅かに口元を緩めた。
「お前の父親と同じことを言う。血は争えんな」
「父上をご存知なのですか」
「若い頃、何度か共に任務をこなした。厳格で、冷徹で、しかし誰よりも仲間思いの男だった」
父のことを、他人の口から聞くのは新鮮だった。
僕にとって父は、厳しい師匠であり、超えるべき壁でしかない。しかし、かつては現場で戦う祓い師だったのだ。
「今回の任務、単独ではない。サポートをつける」
「サポート?」
「ああ。お前も知っている奴だ」
ブリーフィングルームの扉が開いた。
「よう、真夜。久しぶりだな」
その声に、僕は振り返った。
黒髪を短く刈り上げた、鋭い目つきの青年。
橘凛太郎だった。
◇
「凛太郎——」
「なんだ、その驚いた顔は。俺がいたら不都合でもあるのか」
「いえ、そういうわけでは。ただ、あなたは京都支部のはずでは」
「東京に異動になった。先月からこっちにいる」
凛太郎は肩をすくめた。
「親父がうるさくてな。『東京で経験を積んでこい』だとさ」
橘家は、柊家と並ぶ祓いの名家だ。凛太郎の父・橘厳一郎は、京都支部の支部長を務めている。
「息子を東京に送り込むとは、橘殿も思い切ったことをする」
鷹取さんが言った。
「まあ、お前たちが組めば、大抵の任務はこなせるだろう。今回の件、二人で当たれ」
「了解しました」
「了解」
僕と凛太郎は、同時に頷いた。
◇
ブリーフィングを終え、僕たちは支部のロビーに移動した。
「しかし、きさらぎ駅か。厄介な相手だな」
凛太郎が腕を組んで言った。
「ネット発祥の都市伝説は、対処が難しい。実体があるのかどうかすら、よくわかっていない」
「ええ。しかし、失踪者が出ている以上、何らかの形で『存在』しているのは確かです」
「お前は相変わらず冷静だな。俺なら、未知の敵にはもっとビビる」
「怖くないわけではありません。ただ、怖がっていても仕方がないので」
凛太郎は苦笑した。
「昔からそうだったな、お前は。訓練所時代、初めて会った時から——冷静で、落ち着いていて、どこか達観している」
「そう見えますか」
「見えるさ。だから、お前と組むのは楽だ。変に熱くならないから」
凛太郎は僕の肩を叩いた。
「今回もよろしく頼むぜ、相棒」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
僕たちは、作戦の詳細を詰め始めた。
◇
深夜十一時。
僕は渋谷駅のホームに立っていた。
平日の深夜とはいえ、渋谷駅には多くの人がいる。終電間際の電車を待つサラリーマン、遊び帰りの若者、様々な人々がホームを行き交っている。
彼らは知らない。
この駅から、五人の人間が消えたことを。
そして今夜、僕が「囮」として電車に乗ろうとしていることを。
『真夜、聞こえるか』
イヤホンから、凛太郎の声が聞こえた。
彼は別のホームで待機している。僕がきさらぎ駅に入った場合、外部からサポートするためだ。
「聞こえています」
『よし。予定通り、〇時十五分の電車に乗れ。失踪者たちが最後に乗った便だ』
「了解」
電光掲示板を見上げる。次の電車まで、あと三分。
僕は深呼吸をした。
緊張がないわけではない。きさらぎ駅がどのような空間なのか、入ったら戻れるのか、何もわかっていない。
しかし、それでも——行かなければならない。
五人の失踪者が、そこにいるかもしれないのだから。
電車がホームに滑り込んできた。
扉が開き、乗客たちが乗り込んでいく。
僕も、その流れに乗った。
——第2話「深夜の指令」完——




