第10話「雑草の矜持」
『虚実の狭間に立つ者』
第10話「雑草の矜持」
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作戦開始までの三日間、僕たちは準備を進めた。
葵の潜入をサポートするための連絡手段、緊急時の撤退ルート、そして最悪の事態に備えた戦闘計画。
その間、僕は葵という人物について調べてみた。
「霧島葵——鎮守院の記録には、あまり詳しい情報がないですね」
紬が資料を見ながら言った。
僕は彼女にも協力を依頼していた。結界術の専門家として、いざという時の援護を頼むためだ。
「名門の家系ではないようです。一般家庭の出身で、十二歳の時に鎮守院にスカウトされた」
「スカウト?」
「ええ。彼女には、生まれつき妖を感知する能力があったそうです。それを見出されて、工作員として訓練を受けた」
「なるほど。だから『雑草』と言ったのか」
名門の家系に生まれた僕たちとは、立場が違う。
彼女は、自分の力だけでここまで上り詰めてきたのだ。
「彼女、あなたたちに対してあまり良い印象を持っていないみたいね」
「そのようですね」
「気をつけて。チームワークが乱れると、任務に支障が出るわ」
「わかっています」
僕は頷いた。
葵の態度は挑発的だったが、実力は本物だろう。鷹取さんが選んだ人材だ。信頼するしかない。
◇
作戦開始の前夜。
僕は支部の屋上で、夜風に当たっていた。
「こんなところにいたんですか」
声がして振り返ると、葵が立っていた。
「霧島さん」
「葵でいいですよ。堅苦しい」
彼女は僕の隣に来て、フェンスに寄りかかった。
「明日から潜入ですね」
「ええ」
「緊張していますか」
「まさか。これくらいの任務、何度もこなしてきました」
葵は夜景を見つめた。
「あなたこそ、緊張してるんじゃないですか。人間を相手にする任務は初めてでしょう」
「……よくご存じですね」
「調べましたから。柊真夜、十六歳。柊家の三男で、若くして頭角を現している期待の新人。しかし、これまでの任務は全て妖が相手だった」
彼女は僕を見た。
「人間を殺す覚悟、ありますか」
「……」
「黒田誠一は、罪のない人間を何人も殺しています。排除が必要になれば、あなたはそれを実行できますか」
僕は黙って考えた。
人間を殺すこと。それは、妖を祓うこととは根本的に違う。
妖は、人ならざる存在だ。祓うことに、躊躇いはない。
しかし、人間は——
「正直に言えば、わかりません」
「わからない?」
「その場になってみないと、自分がどう行動するか。今の段階では、わかりません」
葵は少し驚いたような顔をした。
「正直ですね。普通は、『やれます』とか言うものですけど」
「嘘をついても仕方がないので」
「……変わってますね、あなた」
葵は小さく笑った。
初めて見る、自然な表情だった。
「でも、嫌いじゃないです。そういうの」
「ありがとうございます」
「感謝されることじゃないですよ」
葵は空を見上げた。
「私は——やれますよ。人間を殺すこと」
「……」
「何人も殺してきましたから。妖だけじゃない、人間も」
その声は、淡々としていた。
「鎮守院の仕事は、綺麗事じゃない。妖を祓うだけじゃなく、妖を利用する人間を排除することも含まれる。私は、その汚れ仕事を担当してきました」
「それは——」
「同情はいりません。自分で選んだ道ですから」
葵は僕を見た。
「だから、あなたには期待していません。いざという時、動けなくなるかもしれない。その時は、私が代わりにやります」
「……」
「名門の坊ちゃんには、荷が重いでしょうから」
その言葉には、皮肉と——どこか、優しさが混じっていた。
「僕を守ろうとしてくれているんですか」
「はあ?」
「あなたの言葉は挑発的ですが、裏には——僕を汚れ仕事から遠ざけようという意図を感じます」
葵は目を見開いた。
「……なんで、そう思うんですか」
「なんとなく。あなたの目を見ていれば、わかります」
「……」
葵は黙った。
しばらくして、小さく息を吐いた。
「……鋭いですね。さすが、柊家の人間ってところですか」
「買いかぶりすぎです」
「そうでもないでしょう」
葵は苦笑した。
「確かに、あなたには——なるべく、綺麗なままでいてほしいと思いました。勝手な話ですけど」
「なぜ」
「あなたみたいな人が、汚れていくのを見たくないからです。私はもう手遅れですけど、あなたはまだ——」
「手遅れなんかじゃない」
僕は言った。
「あなたは、自分の意志で汚れ仕事を引き受けてきた。それは、誰かを守るためだったはずです」
「……」
「それを『手遅れ』とは言いません。少なくとも、僕はそう思います」
葵は、しばらく僕を見つめていた。
やがて、ふっと表情を緩めた。
「……変な人」
「よく言われます」
「でも——」
彼女は小さく微笑んだ。
「悪い気は、しないですね」
夜風が、二人の間を吹き抜けた。
◇
翌朝、葵は『ブラックボックス』に出勤した。
新規採用の事務員として、何事もなく受け入れられた。
僕たちは、近くのビルに設置した監視拠点で、彼女からの連絡を待った。
「今のところ、順調みたいだな」
凛太郎が言った。
「ええ。葵さんは優秀です」
「お前、あいつと何かあったのか」
「何か、とは」
「昨日の夜、屋上で話してたろ。見てたぞ」
「……別に、大したことは話していません」
「ふーん」
凛太郎は意味ありげに笑った。
「まあ、いいけどな。任務に集中しろよ」
「わかっています」
僕は通信機器に意識を戻した。
葵からの定時連絡は、今のところ問題なし。
しかし、油断はできない。
黒田誠一は、狡猾な男だ。いつ、葵の正体に気づくかわからない。
「何かあれば、すぐに動けるようにしておきましょう」
「ああ」
僕たちは、緊張感を持って待機を続けた。
——第10話「雑草の矜持」完——




