現地へ
それから数日、アイザックはファルクから連日、講義を受けた。
魔導エネルギーがもたらす産業革命、新たな物流網の構築そして庶民の生活にまで浸透し始めた経済のうねり。これまで彼が知っていた貴族の世界がいかに狭く閉鎖的なものだったかをファルクは冷徹なまでの現実で突きつけた。
しかし同時にその知識はアイザックの中に新たな好奇心とそして何よりも「自分ならできる」という漠然とした自信を芽生えさせていた。
「殿下、机上の空論だけでは真の知識は得られません。実際にその目でこの国の経済の鼓動を感じていただきたい」
ある日の講義の終わりにファルクはそう切り出した。
「商業都市へということか」
アイザックは即座に理解した。
「左様でございます。王都からほど近いこの国最大の商業都市『エーテルブルク』へ。そこには新旧様々な商いがひしめき合いこの国の経済の縮図がございます」
アイザックはすぐに両親に商業都市への滞在を申し出た。当然彼らが簡単に首を縦に振るとは思っていなかった。しかし意外にも父と母はあっさりと了承した。
「ふむ、たまには王都を離れて外の世界を見るのもよい経験になるだろう。子爵家を継ぐ者として見聞を広めるのは大切なことだ」
父であるヴァルアール子爵は相変わらず能天気な笑みを浮かべながら鷹揚に頷いた。母もまた扇子で口元を隠しながらくすくすと上品に笑う。
「あら良いじゃありませんか。王都では退屈でしょうし気分転換にはもってこいですわ。でも心配だわ。貴方一人では何かと不便でしょうから……」
母はそこで言葉を区切りアイザックの専属執事であるセバスチャン・グレイを呼び寄せた。セバスチャンは銀髪をきっちりと撫でつけ常に完璧なまでに整えられた燕尾服を身につけていた。顔には皺が刻まれその奥には長年の奉仕で培われた深い洞察力が宿っている。
「セバスチャン。アイザックの護衛と滞在中の世話を頼むわね。決してアイザックから目を離してはなりませんよ」
「かしこまりました奥様。このセバスチャン、身命を賭してアイザック様をお守りいたします」
セバスチャンは深々と頭を下げた。アイザックは両親が自分を心配しているというよりもただ単に体面を気にしているだけのように感じられた。あるいはファルクが彼らの耳に入れた情報がそれなりに危機感を持たせたのかもしれない。いずれにせよこれで晴れて商業都市へ行ける。
出発の日アイザックは馬車ではなく蒸気機関車を選んだ。王都の駅に到着した彼はその巨大な鉄の塊が吐き出す白い蒸気と轟音に圧倒された。貴族の移動手段といえば馬車が一般的であり蒸気機関車に乗るのは初めてのことだった。
「これは……すごいな」
目の前の光景にアイザックは素直な驚きの声を上げた。セバスチャンはまるで子供を見るような目で静かに彼の傍らに立っていた。リリアンもまた初めて見る巨大な機関車にわずかに瞳を輝かせながらすぐに冷静な表情に戻りアイザックの荷物に不備がないか確認している。
ファルクはそんなアイザックの様子を興味深そうに眺めながら涼しい顔で切符を差し出した。
「これこそが魔導文明がもたらした新たな恩恵の一つ。殿下の知らなかった世界はまだまだたくさんございます」
車内に足を踏み入れると豪華ではないものの清潔で機能的な座席が並んでいた。窓の外にはこれまで見たことのない広大な風景が猛烈な速さで後方へと流れていく。風を切る音と機関車の規則的な振動がアイザックの心を高揚させた。
隣に座るファルクは変わらず無表情で持参した分厚い資料に目を通している。その隣には常にアイザックの一挙手一投足に注意を払うセバスチャンと彼の身の回りの世話を焼くリリアン。彼らの存在はアイザックの新たな旅を象徴しているかのようだった。
王都からエーテルブルクまでの道中は驚きの連続だった。車窓から見える風景は刻一刻と変化し田園風景から徐々により大規模な工場や高く積み上げられた倉庫群が見えてくる。そして半日と経たぬうちに巨大な都市のシルエットが地平線に姿を現した。
エーテルブルクは想像をはるかに超える規模だった。駅に降り立つとそこは人々の熱気とけたたましい喧騒に包まれていた。すれ違う人々は皆活気に満ちた表情で、行き交う馬車や荷馬車は絶え間なく商品を運び続けている。
王都の貴族街とは全く異なる生きた経済の息吹がアイザックの全身を包み込んだ。彼はここで何を見つけることができるのだろうか。期待とそしてわずかな不安を胸にアイザックは商業都市の雑踏の中へと足を踏み入れた。
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