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不本意にも、絆されました

作者: わやこな


 ごきげんよう、わたくしです。

 転生しまして、赤ちゃんになりました。


 カクネ・ゴーガブカ。ぴかぴかの0歳と数か月、ふくふくの愛らしい女の子です。

 前世の記憶はおぼろげでも、赤ちゃんのまま思考できる。となると、そういったアドバンテージがあって然るべき。倫理観と価値観も生まれながらにしてあるので、たぶん、きっと転生した。そういうことです。


 アドバンテージといえば、今のおうち。今世の我が家は、伯爵家です。とっても立派で羽振りがいい。

 お屋敷どころか住処はお城。たくさんの使用人。着ている服も肌触りが良く、フリルがたくさん。赤ちゃんにこんなに必要なのかは不明でも、可愛いのでよし。

 これは人生勝ち組では!?

 ええ、最初はそう思いましたとも。


 環境、駄目でした。


 まず、わたくしの両親は、すでにこの世にいません。

 現在の義理の父、クルンツ伯爵がやりやがりました。奴が犯人です。

 わたくしの美貌の母に横恋慕していた義父が、新婚直後の母を略奪したのがすべての始まり。

 父? もちろん、義父が始末してます。それも母の目の前でバッサリと。

 わたくしを抱きながら、母の略奪メモリアルをうっとり語ったときに判明した事柄でした。ドン引きです。

 しかも、その時結婚していた自分の妻も始末したうえでの略奪。血も涙もなくてさらにドン引きです。


 そして、略奪当時に妊娠していた母が義父を騙しとおして生んだのが、わたくしことカクネ。

 力を使い果たしたのか、母はあえなく産後に病気となり、世を去ってしまったのでした。


 カッコウの子。シークレットベビー。わたくしは、そんな立場なのです。


 ばれたらどうなることか。

 幸いなことに、わたくしは母似の娘だったので今のところは大丈夫そう。今後の成長で父要素が出てこないことを祈りつつ、嫌々と義父に愛想を振りまいています。保身大事。

 ただ、自分好みの……それこそ母のように育てようと計画しているのが不安でしかありませんが。

 どうにも義父が惚れた過去の母は、根性凄まじいわがまま娘だったようで。

 わたくしのところに来るたびに、将来のカクネ像を夢のように語り聞かせてくるのです。わたくしという一人称になったのも、こんな口調になったのもこの義父の洗脳もとい影響なのです。


 そんな義父は、わたくしにかつての母のようなスーパー悪女になってほしいそう。嫌すぎる。

 すでにそのための教師たちを手配しています。やめてほしい。

 でも、狂人に一歩どころか下半身つっこんでる義父なので、曖昧に笑うしかできない。子どもでもあっさり始末するのですよ、この野郎は。わたくしが目覚めてからでも、使用人が何人首になったか。あ、比喩ではなく直接表現です。

 今の人生を、どうにか生き延びなくては。


 それから、さらなる問題が一つ。

 前妻の息子がいるのです。

 わたくしが女の子だったので、始末されずにすんだ跡取り息子。おそらくぎりぎり同い年のお兄さんベビー。

 アンミオという名前の、義父カラーな将来有望な美ベビーさん。あの義父、外面だけは上等なので。

 実はその兄ベビー、普通じゃないんです。



「あ……あ、あぁ……」


 はい、ウワサをすれば今日も来ました。

 わたくしの部屋には使用人もいたはずなのに、いつの間にか床に倒れてピクリとも動いていません。うめき声は彼女からのようです。悪夢にうなされたみたいな、苦しそうな声が断続的に響きます。

 照明もぼんやりと薄暗くなりました。ここだけすっぽりベールで覆ったかのような暗がりです。

 ひやりと感じる肌寒さに身震いしそうになったくらいで、わたくしのゆりかごの横側に白い何かが見えました。


 小さな指です。


 のろのろと這い上がってきた指先が、ゆりかごの縁を掴んでいます。

 やがて、指先から手が現れて、縁を境目に色白の顔がぬうっと出てきました。

 暗がりなのに、その顔色の白さは明らか。底の見えない沼のようなどろりとした瞳が、じっとこちらを見ています。

 じっと。

 ほの暗く、底知れない闇の塊みたいな黒目が、じっと。


 ……はい。これがわたくしの血の繋がらない兄です。めっちゃくちゃ登場が怖い。


 何を考えているのかは、さっぱりわかりません。

 だけど、さながら幽霊や悪魔じみた力をもっていて、わたくしに毎回毎回会いに来てくれます。お互い赤ちゃんなのでちゃんとした会話はできなくても、こんなベビーが普通なわけありません。比較対象がいないので、何とも言えないけれど、前世の常識的にもありえないのは確か。

 

「あうあーう」


 ひとまずコミュニケーション大事と、わたくしは驚きはしても毎回あいさつをすることにしています。愛想もたっぷりよくして、おててもふりふり。にこにこ笑顔でお迎えです。

 なんでそうするかっていうと、この兄ベビー、こうすると白い顔がちょっとだけ血色よくなります。血が通って可愛いところもあるってわかると、怖さも半減するってものです。

 今日だって、ほんの少し頬が赤くなりました。ふくふくした手も上がって……上がって?


「う?」


 ぽた。

 ぽた。

 音は兄ベビーの上がった小さな手から。

 柔らかい皮膚から血が滴って、兄ベビーの服の袖を濡らしていきます。じわじわと生地に染み込んで模様が出来上がってきました。

 まるで文字のよう、というより文字。レタリングばっちりの血文字がそこにありました。

 うっすら発光して、視認性も大変いいですね。見た目最悪なのは置いておきましょう。

 で、その文字は……。


『好きです』


 目を凝らして、何度見てもそう書いてある。

 文字通り、燦然と輝いている『好きです』。わたくしの視線がそこにいったとわかると、文字がさらに変化しました。


『やっぱり、君はわかっている人ですね。観察してわかりました』

『ゆくゆくはあの父を消します』

『幸せに二人で過ごしましょう』


 やべえです。

 あの義父にしてこの子あり。

 赤ちゃんでよかった。声出して泣いてもおかしくないので。いえ、見ている人たちは全員意識ないのだから気にすることではないのかも。早く起きてほしい。


『アンミオって、早く呼んでくださいね。たくさん寝て大きくなってください。僕のカクネ』


「ひぃ」


 うっとりと黒目が細まって、兄ベビー……いえ、怖いのでアンミオと呼びます。アンミオは去っていきました。

 今世のわたくしの世界って、ホラーなのかしら。今からすでに将来が不安でいっぱいです。

 生きなければ。

 い、生きなければ!


 おかしいな。目から何か垂れてきます。ほっぺが濡れています。不思議ですね。

 ぺろっとなめるとしょっぱくて、せつない気持ちになりました。







***






 月日は過ぎ去り早幾年。

 わたくし、花をも恥じらう年頃となりました。

 薄茶の柔らかな髪。けぶるような菫色の瞳。文句なしの可愛いお嬢様です。


 ところで知っているでしょうか。

 人間って、慣れる生き物なのです。

 麻痺する、といいますか。当たり前になると普通と錯覚するといいますか。


 この環境になんとか適応しちゃった、わたくしなのです。

 この環境って何かというと、ポルターガイストばりにカタカタする調度品とか。うめき声とか。そんな諸々の現象です。


 ひとりの居室で気ままにお茶会していたんですけれど。どうしてこうなったんでしょうね。

 いえ、原因は一人しかいないので他愛もない問いかけでした。ふふ、人間は成長するものです。お茶も震えず飲めちゃいます。

 味? 味を楽しむ余裕は、もうちょっと待ってほしいところです。

 カップを机に置いて、ふうと一息。わあ、天井に黒い影。



「カクネ、お茶は終わりましたか? こっちを見て」


 遠い目をしていたら、机に置いていた手をぐいと引かれました。わたくしの右手を骨張った手が包んでいます。

 白い指の小さなおててが、こんなに立派な男の人の手になるとは。

 指先から辿って、顔を見上げると案の定のお顔。対面の椅子に座ったアンミオが、不満そうに口を曲げています。

 成長して義父譲りの美しさも受け継いでも、義父そっくりとならなくて何より。

 相変わらず目は、泥の中のよどみが集まってできましたかってくらい底知れない真っ黒さ。本来明るいはずの髪色も、そのせいでよりくすんで見えるから不思議です。

 今って朝日が差し込んできらきらするはずなのに、煤けた銀か鉄さび色なんですよ。義父カラーの銀髪どこいったんでしょう。


「カクネ」


 焦れたように、アンミオにゆすられました。


「……はい。なにかしら」


 アンミオをきちんと見るときは、まず心を強く持たなければ。

 アンミオはまだいいんです。たまに怖いけど。付属物がいるんです。


「ォオ……アァア……」


 ほら、いましたねえ!

 半透明で、この世のものではない方が、今日は少なくとも一人はいますねえ!

 ひゅ、と息を詰まらせそうになりました。一呼吸、一呼吸。

 そんなわたくしの様子に、アンミオはまた不快そうに眉を寄せています。そんな顔されましても。あなたのせいなんですよ。


「そっちではないです」

「はいはい。アンミオ、何かしら」


 落ち着いて視界をそれから外せば、アンミオはつまらなそうにしてわたくしをなじってきます。


「カクネは僕が呼んでも、いつも一番最初に見てくれません」

「無茶おっしゃらないでくださいます? あなたの」

「アンミオ」

「アンミオの御付きの方が目立つんだもの」


 むっとアンミオの口がまた下に曲がってしまいました。そのままアンミオは後ろに顔を向けると目を細めます。すると、「ぎゅ」と圧縮した声を上げて後ろの方が消えてゆきました。


 今のでわかったでしょうか。

 アンミオ、やっぱり特殊能力持っています。というより、この世界では特殊能力持ちは他にも存在しております。

 割合的には国に数人くらいだそう。常時能力者募集されているうえ、報告義務もあります。さらにはどんな身分だろうと手厚く扱われるので、余程のことがない限り国の人数割合は大体あっているはず。

 ちなみにアンミオの能力についても国に報告済みです。かなりぐずって、当時の報告の場で周囲の人間の正気度を喪失させるというアクシデントもありましたが、まあそれは置いておきましょう。


 とにかく、アンミオは幽霊っぽいのを使役して自分でもそういった感じの力が使えるようなのです。

 なので、目を合わせるときは心せねばならない、というわけです。


「……それで、お話って?」


 しかし幽霊っぽい方、最後にわたくしを縋ってみてくるのやめてほしい。わたくしにはどうすることもできません。

 だって、やめてってアンミオに伝えてもダメです。むっとしてさらに焼きもち妬くんですよ。悪化するだけです。

 こういうときはね、こうするんです。

 手を握り返して、にこっと微笑む。あなただけ見てますよ、ってアピール。

 わたくし、涙をのみ怖さを耐え、何年もかけて学んできましたからね。ばっちりです。


「カクネ、本当に消してはいけませんか」

「消す?」

「父です」

「いけません」

「あの父を消して喪に服すふりをして、そのまま二人になりましょう」

「世間体というものをご存じかしら。いけないことよ、アンミオ。でも、ことに及ぶ前にわたくしへ聞いてくれるのは嬉しいわ」


 駄目なことは注意して、最後は褒めて締める。

 にこにこアピールのおかげで、アンミオはしおらしくうなずいてくれました。

 戦慄のベビー時代から根気強く接し続けた甲斐がありました。この反応をもらうたび、ほっとして嬉しくなりますね。


「わたくしの意見をちゃんと聞いてわかってくれるのは、アンミオだけなのだから。ここでその信頼を裏切るなんてしないでしょう? 違う?」

「はい。その通りです」


 嬉しそうに黒目がちょっと細まって、白い頬に朱が差します。こうしていれば紅顔の美貌なんですよ、アンミオって。可愛いところあるでしょう?

 あ、でもこれで安心はできません。くぎを刺しましょうね。


「わたくしのためだからって勝手に動かないでちょうだいね。一人でやったら、嫌いになりますからね」

「……はい」

「傀儡くらいで留める今が一番いいの。御家も安泰。使用人も安心。わたくしも伸び伸びと過ごせる。ね、いいこと尽くめ」


 義父は傀儡状態になりました。家族の言うことなんでも聞くマシーン化です。

 よくある心霊現象で意識が乗っ取られたり意志薄弱になったりとかの、大体そんな感じが常です。

 ええ、当然アンミオがやりました。


 立って歩ける2、3歳くらいのときだったでしょうか。

 義父に愛想振りまいてたところに、ぬっと現れての強襲。慌てて止めた鮮烈な思い出が残っています。

 確か決行理由は「カクネに僕より早く自分の名前を呼ばせて、自分色に染めた服をいくつも贈ったから」です。怖いくらい愛されておりますね、わたくし。こわい。

 おかげで、アンミオの常識と情緒を育てねばという覚悟が決まったんです。同じ義父の被害者でもありますし、好かれすぎるのはともかくとして、決して悪くはないものと思うようにしました。

 ときどき怖いけど。たまにすっごく怖いけど。


 え? 義父の処遇はどうなのかって?

 誰が父母の仇を憐れと思いましょうか。素直に尊敬できるところありませんからね、あの義父。人間性ドブに捨ててもなお黒く輝きますよ奴は。ざまあみさらせですよ。

 とはいえ、抹殺はいけません。

 あんなのでも我が伯爵家の要だったんです、あの義父。

 わたくしが無事巣立つ日まで、頑張って資金を生み出してもらわねば困ります。


 慈悲がない?

 悪女教育の賜物ですね。義父も本望でしょう。きっと、ええ。


「あの父をカクネが社交でたくさん使うから、面倒が増えるのに」

「だって便利なんですもの」


 義父が傀儡状態なので、ある程度交流して情報を集めると、「あっ父の体調が……」なんて言って退散できちゃうんです。とっても都合よくって便利。

 おかげさまで義父を労わる心優しい娘という名声を手に入れました。義父は病弱の称号を得ました。

 弱きを助けてより良く魅せる。悪女教育が光りますね。いえ、わたくし、全然悪女じゃないんですけどね。


「昨日なんて、僕のカクネに有象無象も寄ってきました」

「わたくしというより、一緒にいたアンミオにでしょう。それにジセン殿下は有象無象ではありません。同じ能力者で幼少のみぎりからお付き合いもしているというのに」


 貴族位で能力者というと、アンミオとジセン殿下、あと片手で数えるほど。その中でも高位なのが我が家のアンミオなので、ジセン殿下の遊び相手として抜擢されておりました。

 つまり、わたくしたちは殿下と恐れ多くも幼馴染という立ち位置なのです。

 だというのにアンミオは一向に仲良くなりません。


「あれと仲良くするときは葬儀で見送るときだけと決めています」


 不敬~!

 思わずさっと周囲を見てしまいましたが、使用人たちは壁にじっと佇んでいるだけです。

 すかさず顔を元に戻されました。念動力みたいなのも使えるんですよ、アンミオ。心の声が聞こえないらしいので、それだけは心底良かったと思っています。


「ほら。あれの話題になるとすぐよそ見をする。それにあれの能力は肌が合いません。嫌いです」

「ジセン殿下はアンミオのこと、すごく親しげに見てくださるのに。まあ、相性というものはあるから仕方ないのかしら」

「はい。早く国教教会に収納されてほしいものです」


 だから不敬がすぎる。

 義父とは別ベクトルで、アンミオはジセン殿下を目の敵にしています。

 王族にして国教のトップに座ることが確定しているジセン殿下。性格だって、この方に汚い部分なんてあるのかしらってくらい清らか。この方を見ていると、性善説ってあるんだなって思います。


 ええ、本当にすごいんですよ。

 道行く自然を愛でて命の芽吹きに涙したり、老若男女善悪問わず人類皆兄弟思考してますからね。

 頭のお花畑極まると、道徳絵本のような優しいワールドマインドになるみたいです。義父とは違う意味で理解できない。そんな人です。


 そんなジセン王子殿下の能力は、退魔やお清めてきなもの。キラキラなパワーで明るく清く整えられちゃうのです。

 その能力により、近くにいると悪意もじゅわじゅわ昇華させちゃうので、国教トップに据えるのは悪い選択ではないのでしょう。

 アンミオの幽霊っぽい能力とジセン殿下の退魔っぽい能力。相性は悪いといわれれば、それもそうかと頷けます。

 ジセン殿下もアンミオも周りに人だかりができますが、前者は憧憬と信愛で後者は畏怖と崇拝ですからね。

 蛇足ですが、後者の方々に、わたくし名誉の生贄扱いされています。なんででしょうね。


「もう。アンミオ、そこまで嫌悪することもないでしょう。どうしてかしらね」

「それは」


 アンミオが口ごもりました。

 そこでわたくし、ひらめきました。わかってしまいました。


「アンミオ、あなた、ジセン殿下にまで妬いているの。だから今更になって、義父を消そうなんて言ってきた……ちがう?」


 握った手先がぴくりと動きました。正解です。

 じっと見つめると、黒目がうろっと動いて視線がもとに戻ってきます。開き直ったようですね。恨めしそうな視線が合いました。


「僕といると兄妹と見られるのに、あれと一緒だとお似合いと称されてしまう。妬くのは当然です」

「ジセン殿下は、いずれ猊下になるのだから婚姻は無理なのよ」

「恋愛は別です。国教では禁止されていません」

「あの、ジセン殿下と、普通の恋愛が、できると思うの?」


 強調して溜めて聞いてみます。

 スーパー博愛主義者。人類皆兄弟。性善説の権化で、四六時中傍にいると清らかすぎて只人は浄化されてしまう。そんな人ですよ。

 わたくしが仮に傍にいたら、いずれ「よくてよ」と慈愛の微笑みでなんでも頷くだけの別人格になりかねません。現状の義父と似た感じですね。絶対にごめんです。

 あっ、目をそらしましたね。


「…………僕のカクネほどとなれば」


 嘘をおっしゃい。

 突っ込みそうになりましたが、苦しい言い訳だと自分でもわかっているのでしょう。アンミオはバツが悪そうに眉を下げました。


「撤回します。ひどいことを言いました。僕のカクネ、どうか嫌わないで」

「その言い様もどうかと思うけれど。ええ、嫌いませんよ」


 手を放して、わたくしは席を立ちました。

 それからアンミオの前まで歩いて、はい、と両手を広げます。

 すると慣れた様子で抱え上げられました。


 アンミオは、ベビー時代の頃から知能や物言いこそ大人顔負けでしたけど、あれ、前妻のせいだったんです。

 義父が母に夢中だったことに嫉妬心が爆発して、ありとあらゆるお呪いだの魔術だの、能力発現の祈祷だのあれこれとしたんだとか。


 賢い人格が生まれながらに持つ子を産めば、能力が優れた子を産めば。あの人はきっと自分を見てくれる。


 その一心でアンミオを産んで、そのあとはバッサリ……はい、義父、改めてどうしようもないことしかしておりません。

 賢い子が目の前で惨殺された母を見て、犯人である父を見て、どう思うでしょうか。そりゃあ歪むってものです。


「よしよし」


 抱え上げられたまま、腕を回して背中を撫でてみます。優しく声をかけながらするのが、カクネポイントです。

 アンミオが小さく息をこぼします。安心したでしょうか。


「カクネ。カクネはわかって、くれますよね。あれについていかないでしょう?」

「ええ、わかっています。寂しがらせたのね。わたくしがジセン殿下について国教入りするなんてウワサが出たのかしら」

「さえずる鳥はもういないけれど。カクネ、国教教会に行くなんて言いませんよね」

「入りません。まだやりたいこともありますし、アンミオを置いていかないわ」


 生まれながらにして賢くて特殊な能力を持ったアンミオは、周りと比べた自分の異様さにもショックを受けていました。だから、同じような境遇に見えたわたくしを見つけて、観察して、そうして夢中になったようなのです。

 賢いだけで人間として育つ環境で過ごしていなかったので、情緒がまったく育っていなかったせいもあるかもしれません。

 育ちに同情の余地ありですし、やはりわたくしが責任をもって手綱を握るしかありません。こんなに好かれていますもの。わたくし、義父と違って血も涙も情もありますから。

 愛って一心に向けられて、それで悪くないなって思うと、意外とずるずるっていっちゃうものみたいです。少なくとも、今世のわたくしの場合は。


「では、これを書いてくれますか」


 目の前にふよふよと巻紙が現れました。あら、従者風幽霊の方。ご丁寧にどうも。見てくれはマシなので、一瞬びっくりするだけで済みました。今後もそのような方ばかりだと嬉しい限り。

 従者風幽霊はうやうやしく巻紙を掲げ、わたくしの目の前で開きました。

 ええと、どれどれ。


『誓約書』


 相変わらずのおどろおどろしい血文字で書かれていますね。


『相互の思考、感情、身体、将来に至る一切の存在を不可分かつ完全なる所有物と認識し、受容する』

『第三者に対する親愛、親交、接触その他これに類する一切の行為を、固く禁止する』

『相互の関係は、恒久的かつ絶対的なものとし、いかなる事情をもってしてもこれを解除または制限することを許されない』


 法令かな?

 わたくしはそれに手を伸ばして、巻紙をつかむとアンミオの胸に返しました。


「書き直しを要求します」

「どうして」


 黒々とした目が、じりじりと見つめてきます。光のない目ってこうなんですね、こわい。

 ああ、使用人の倒れる音が。従者風幽霊もかき消えました。

 四隅から闇が這い寄ってきているかのような、薄暗闇が光を吞んでいきます。

 しかしこれに屈するわけにはいきません。怖いけど、折れてはいけません。

 わたくしはアンミオの胸に巻紙を押し付けながら、睨み返しました。


「あなたの手で、直接文字を書いてほしいわ。もちろんインクでね。それに、誓約書を交わすならもっといいものがあるでしょう」

「いいもの?」


 ぱちぱちと長いまつげが瞼の開閉とともに揺れます。


「まあ、アンミオ。わからないの? 本当に?」

「わからない……」


 しゅんとお返事するアンミオは、本当に思いつかないみたい。

 てっきりわかって用意しているものかと思ったけれど、仕方ありません。人生の先輩として、わたくしが率先してやるのもまた勤めでしょう。手綱を握るなら最後までしなければなりませんから。


「アンミオ。ジセン殿下に依頼して、婚姻誓約書を取ってくるの。彼の方なら、わたくしたちの立場を聞いたら簡単に許諾を出すでしょう」

「あれに……? 婚姻」


 ジセン殿下の名前に、嫌そうにアンミオの顔が歪むのも一瞬。次に呟いた言葉に、ぴたと固まりました。

 わたくしを抱える手もぴたっと止まっています。生きる石像みたい。

 ほっぺを手で優しく数度触れてみます。

 もちもちふわふわのベビーほっぺはそこにないですが、すべすべお肌がそこにありました。毛穴どうなってんでしょう。幽霊ケアか何かしているのかしら。うらやましいすべすべさ。


「カクネ」


 ぐりん、と顔が向いて、アンミオを触っていた手がつかまれました。

 そのまま、リップノイズをさせて唇が当てられます。


「行ってきます。今すぐ。父を使えばすぐにでも向かえるはず」


 ぱあっと光さすくらいの晴れやかさ。いえ、実際部屋が明るくなりました。

 あらまあ、アンミオ、そんな表情できるんですか。

 瞳はとろけて、幸せですと満面に浮かんだ顔。頬も上気して赤くなり、口元もゆるゆるとはにかんでいます。


 これ、わたくしがさせちゃったんですね。


 自尊とちょっとした達成感。あと、きゅんとしました。

 嬉しい嬉しいといわんばかりの様子を見ていると、ふっと昔のアンミオの姿が過ぎりました。黒々とした目を細めて、うっとりこちらを見ているところ。あの時とそっくりなんです。

 わたくしに初めて文字を見せてきた、あの時と。


 薄暗くて、突然で、怖くて。あの時はついつい泣いてしまったけれど。アンミオ、あの時もこの時くらい嬉しかったんでしょう。

 今更ながらにそれを知りました。

 そう考えると、なんだか、こう、もっときゅんとしました。


「アンミオ」


 名前を呼ぶと、止まってその目がじっと注がれます。

 両手を動かしてアンミオの頬を挟みます。わたくしのすること、なんでも止めないのはどうかと思いますよ。冗談めかして頭で呟きながら、顔を近づけて唇を重ねました。

 顔を離すと、今までに見たことないくらいびっくりした表情をしています。

 今日だけで初めての表情を次々に見られるなんて。


「幸せに過ごしましょうね」


 ゆるゆると再起動したアンミオは、震えながら片手で自分の口元をなぞっています。

 そして、わたくしを見て小さくこくんとうなずきました。


「ねえアンミオ。あの時、わたくしに会いに来てくれて、ありがとう」


 あの時、アンミオが来なかったら。こういう関係もなかったのでしょう。わたくしがこうしてここで安穏と過ごせるのももっと難しかったはずです。

 ときめきと好意を自覚すると、今がこうでよかったという気持ちがどんどん湧いてきます。

 アンミオは突然言われたお礼に、ちょっとだけ考えたそぶりをしてから首を振りました。


「全部、カクネがいてくれたから。当然のことで……だから、お礼は受け取りません」

「お礼はキスつきといっても?」

「受け取ります」


 食い気味で答えた言葉がおかしくて笑ってしまう。

 それを緩んだ表情で見てくれるのも、またなんだかおかしくて。


 しばらくして笑いがおさまってから。そっと寄せられた唇を、わたくしは喜んで迎え入れたのでした。









カクネ→隠子

アンミオ→闇深男

クルンツ→くるんちゅ(狂人)

ジセン→慈善

以上の安直ネームでお送りしました。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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