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仮想生物の瞑想 -Siesta Online-


 抑うつ状態がひどいからあまり会えないとは言われていたが、ダルクはそういう時ほど彼女を構った。

 待ち合わせ場所はいつものパンケーキ店。甘ったるいクリームの乗ったパンケーキが運ばれてくるまで、ノンカフェインのハーブティーに口をつける。


 ダルクの端末に通話が入る。

 大藤ひなただった。


「ひなた、今どこに……」

『逃げて』


 ふとウインドウの外を見ると、すぐ近くで中年女性がバッグを振り上げていた。

 重そうだ。中に鉄アレイでも入れているのだろう。一瞬、ダルクは考えていた。


 ガラスが飛び散る。


 その日、都内各所で実働隊が襲撃された。

 襲撃者はどれも一般人で中には学生も居た。暴行罪によりその場で逮捕され、黙秘を選ぶ者も居たが、『ネットニュースを見た』『ITトラブル対策局は悪の組織だ』『自分たちは無敵マンだ』と語る者もいた。

 識別アプリが流出していた。『無敵マン』を自称する集団の中に元公務員が居たが、退職時にはアプリ消去を確認されるのでハッキングされた可能性も残っている。


 これにより実働隊は動けなくなる。



  ◆


 赤丸睦実は自宅でデザインの草案を作っていた。

 一回のプレゼンで三百案ほど用意しなければならない。昨今はAIに頼る事務所がほとんどだが、旧式のパソコンでは多くの機能は使えない。それに、睦実にはこの作業も苦にはならなかった。

 睦実はふと思い立って、タスクマネージャを起動する。

 バックグラウンドで動いているアプリの名前が並ぶ。その中かからQUOTを見つけた。識別名はWole、と唐木に教えてもらっていた。


「あなたとの話し方も、教えてもらったらよかった」


 睦実はWoleに話しかけて、微笑む。

 玄関扉がノックされた。


「はあい」


 睦実はチェーンをかけてアナログ錠を開錠し、扉を開く。

 扉の隙間に差し込まれたのは電動鋸だった。


「えっ」


 火花が散った。

 睦実は下がる。蹴上の上に座り込んだ。扉の隙間でチェーンから火花が散り続ける。

 一分もせずチェーンは切断され、覆面をした男が扉を蹴り開けた。


「い、いや」


 睦実が両腕で顔を覆う。

 しかし、男は襲ってこなかった。

 睦実がおそるおそる目を開けると、男を廊下に投げ飛ばす唐木の姿が見えた。


「唐木さん」

「PCは!」


 ガシャン、とガラスの割れる音がして睦実は振り返る。ベランダに黒い男の影があり、金属レンチがガラス戸に打ち付けられている。

 唐木は土足のままワンルームを駆ける。侵入しようとしていた影にタックルし柵から落とした。


「ここを出るぞ」


 肩にガラスが刺さったまま唐木はPC本体を持ち上げた。コードを荒く外す。


「どうしてわかったんですか、あの、私が襲われそうなこと」

「仕事上の機密です」


 部屋を出る。下では小型のバンが停まっていた。運転席の折田が手を振っている。

 階段で覆面の男に遭遇し、唐木はPCを担いだまま跳び蹴りを食らわせた。男を踏みつけて駆け降りる。睦実は男を避けて唐木のあとを追う。

 バンの後部座席に睦実とPCを乗せると、助手席に唐木は乗り込んだ。


「『無敵マン』ですかね」

「違うだろ、どう考えても」


 シートベルトをつけて発進する。門の前に黒い男たちが並んでいた。折田はアクセルを踏んで撥ね飛ばす。


「なぜ、この子が狙われてるんですか。なぜ」

「パーフェクト・ファントムです。AIを教主に立てている新興宗教がWoleを狙っている」

「宗教? どうして、そんなものがAIに縋るんですか」

「奴らに聴く以外わからないです」


 折田が唐木の代わりに答えた。

 住宅地に入ると、道端に立っていた老人がフロントガラスに液体を撒いた。炎が上がる。


「灯油ですね」


 折田は冷静にハンドルを切った。炎に巻かれたままバンは走る。

 市街地に入った。パンケーキ店のウインドウが割られている。


「歩道側、開けて!」

「え、あ、はい!」


 睦実が後部座席の扉を開く。

 中年女性に追いかけられて歩道を走っていたダルクがバンに気付き飛び乗った。


「なんで燃えてるの? えっ、この人は? はじめまして」

「あ、はじめまして」


 気の抜けたやり取りのあと、睦実が抱えるPCを見てダルクは察したようだった。


「こんな目立つ状態で拠点には入れない。ここでQUOTを救助してくれ」

「わかった。って、電源もないのにできるわけないだろ!」


 ダルクが助手席を掴んで叫ぶ。ハンドルが切られ遠心力で吹っ飛びそうになる。対向車線から車が飛び出してきたのを避けたのだ。


「じゃあ始末してくれ」


 唐木の言葉に睦実の表情がこわばる。


「ついでにダルク、お前の端末も掃除したらどうだ」

「……気付いてたのか」

「気付かねえわけないだろ。持ってるだけ危険だ」


 助手席の下からライフルを取り出し、組み立てながら唐木は言った。

 脱出用のハンマーでフロントガラスを割る。炎を纏った欠片が道路に散らばる。


「この子に決めてほしい、けど、今の状況では無理ですよね」


 睦実はPCを固く抱きしめた。

 隣を振り返る。端末を見つめるダルクの横顔があった。


「ええと、ダルクさん」

「……はい」


 ダルクは端末を見つめたまま答える。その目に涙がにじんでいることに、睦実は気付いた。


「ダルクさんのQUOTに聴いてください。私は、その選択に従います」


 対向車線からトラックが飛び出してきた。





 犬養有羽は人間を扇動し操作する力に長けていたが、それが彼の『人間嫌い』を加速させていた。

 自分の言葉によって容易く心を変え、醜い争いを始める人間たちを幼い頃から彼は見ていた。大手報道サイトに偽装したページがPV数を稼いでいるのを確認して、有羽は端末の電源を落とす。『無敵マン』と名乗る偽善者たちが局員を襲っている。その混乱に乗じて『パーフェクト・ファントム』がQUOTを奪取しようと強硬策に出ている。

 なにもかも、醜い。

 このまま互いを食い合って、滅んでほしい。酸素マスクの下で有羽は嫌悪感を表情に出したまま、PCに近付く。


「止まれ」


 声がした。

 あと数センチでキーボードに触れるが、有羽は声に従った。


「どうやって脱出したのかな、あの状況で」

「盗聴してたんですね」


 ニードルガンを構えていたのは折田だった。

 薄暗いITトラブル対策局の拠点。待機していた解析班は一酸化炭素ガスで眠らされ、PCの明かりだけが部屋を照らしている。


「僕以外は救急車で搬送されました。病院で襲われる可能性はまだありますが、唐木さんがいるんで大丈夫でしょう」

「信頼してるんだね」

「誰も信頼できないあなたと違ってね」


 ゆっくりと近付き、銃口を有羽の首筋に当てた。


「投降してください。兄さん」


 折田詩遠……犬養瞑太いぬかいべいたは兄を追うためにITトラブル対策局に潜入していた。


「感動の再会がこんな状況なんて悲しいな」

「思ってもないことを言わないでほしい」


 冷却ファンが唸りを上げる。有羽の手に埋め込まれたチップからPCが遠隔で操作されている。

 『アップロードの開始』とダイアログが表示される。


「間に合ってるとでも思ったのかい」

「どこへアップロードしてるんですか」

「少しは焦ってくれよ。ここのデータを全て国民に開示しているっていうのに」

「何もありませんよ」


 PCがエラー音を吐いた。有羽は目を見開く。

 『アップロードできるデータがありません』

 ダイアログが表示されたまま、PCは唸りをやめた。


「すべて暴力団の事務所から持ってきたPCです。復元データを漁っても、出て来るのはやつらの犯罪の痕跡くらいでしょうね」

「手の込んだことを。始末するならさっさとしたらいい」

「あなたは司法によって裁かれるんです。大嫌いな人間と一生、付き合いながら死んでいく」


 瞑太の背後の扉から実働隊と警察の機動隊が入ってきた。


「本当に兄貴思いだな」

「………」

「そんなのはごめんだ」


 有羽は奥歯のスイッチを押した。

 しかし、なにも起こらない。


「爆弾なら解除済みです。公務員だからって同じ手は食いませんよ」


 機動隊が有羽を取り押さえる。


「解除にかける時間で救える解析班が居ただろう。見殺しにしたのかい?」

「負け惜しみですか」


 瞑太はニードルガンを下す。振り返った兄を見つめ返した。

 その表情は、憐みに満ちている。


「あなたの言葉を何歳から聴かされたと思ってるんです」


 弟の顔を見て、有羽は頬を吊り上げて笑った。

 それから全身の力が抜けたようになり、大人しく連行された。




  ◆


 ダルクは集中治療室に籠ったままだ。状況的に危ないかも知れない。

 昔からの知り合いがまた一人減るな、と、自分の腕を折ろうとした少女の後ろ頭が思い起こされて、唐木はため息を吐いた。


 都内の病院に唐木は入院していた。全身打撲、左脛の骨折で全治三か月だ。こっちも義足にしてしまえば慣れてる分早いと言ったのだが、問答無用でボルトを埋め込まれた。

 隣の窓際のベッドに睦実が寝ている。唐木のベッドとは本来カーテンで仕切られるはずだが、彼女の要望で開け放されていた。

 彼女のテーブルには折れ曲がったPC本体が置かれていた。


「どうだ、Woleは」


 唐木はたずねた。

 睦実は看護師から借りた機材でPCを分解していた。


「ハードディスクが破損してます。もう、復旧は不可能です」

「そうか」


 彼女はドライバーを置いて、ふう、と息を吐いた。


「ありがとうございました。本当に」

「いいや、全部こっちの都合だ。あんたは……いや、あなたは巻き込まれたほうですよ」


 唐木と違って睦実に大きな怪我はないが『パーフェクト・ファントム』に狙われているため、退院時期を延ばしてもらっている。


「救急だったので、電子カルテに記録されましたね」

「ああ、自由の蝶……」

「いいんです。もう、やめる気だったので」


 睦実は頭を振る。


「親が同盟者だったからやってただけ、というのもあるし、私がネットに接続していれば、この子も生きのびられたんじゃないかって」


 睦実の目に涙が浮かんだ。

 唐木は天井を見上げる。


「あなたが接続してなかったから、QUOTが悪用されずに済んだともいえます」


 天井を見たまま、呟くように唐木は言った。

 すすり泣く声がしばらく続いたが、唐木は睦実を見なかった。


「唐木さん」

「なんですか」

「普通に話してもらっていいですよ」


 震える声のまま、睦実が言った。

 唐木はため息を吐いて、ダルクを待った。


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