仮想生物の抵抗 -Hunter Abduction-
唐木はアパートの一室に入った。後ろ手に鍵をかけて、明かりをつける。
リビングの中央にテーブルと二つの椅子が置かれている。そのうちの一つに黒い服の子供が座って、弁当をフォークで食べている。
「おれを軟禁してどうするつもりだ」
「話をするだけだよ。ご両親に連絡してもいいぜ」
子供はセイント・ハンター、本名・柴田陽炎だった。
六年前から活動しているスポンサー付きのハッカー。先日、金で雇った反グレをつかってダルクを誘拐しQUOTを奪取した。ダルクが逮捕されるまで一方的にライバル視していたらしい。
「おれは一人で生まれて一人で生きてきた」
「デザイナーチャイルドの失敗作として廃棄されかけてたのを慈善団体に保護されたんだろ。ショボい経歴をそう表現するわけだ、柴田くんは」
「さっさと本題に入れ」
「依頼主は誰だ?」
ハンターは少しむせたあと、魔法瓶から出した麦茶を飲んで、舌を出した。
「いくら積める」
「給料三か月分くらいなら」
「公務員の給料なんてたかが知れてる。『楽園』だよ」
「なに?」
意外な名前に唐木はおもわず語尾を跳ね上げる。
新興宗教『楽園』は今は存在しない。以前、唐木は叡二と共にインドネシアの本部を潰した。教主であるDavidはQUOTだったが、それも対抗ウイルスで削除されたはずだ。
「正確には『楽園』の残党『パーフェクト・ファントム』だな。教主の仇討ちだよ。ついでに新しい教主を見つければボーナスが入るはずだった」
「犬養有羽は関わってないのか」
「国際指名手配テロリストの依頼をなぜおれが受けると思う。さすがにそこまで落ちぶれちゃいない」
唐木は考える。
犬養有羽が『楽園』残党の皮を被った可能性も捨てきれないが、奴がQUOTにそこまで執着する理由はあるだろうか。
「おかわりくれ」
ハンターはフォークでプラスチックの縁を叩いた。
唐木は苦笑いする。
「自分で作れ」
ハンターをかくまったのは利用価値を感じ取ったからだ。決して、子供に対する同情心ではない。唐木は自分に言い聞かせる。
◆
『宗介はどうなった、アルファ』
「無事だよ。安心していい」
『よかった』
「今は、私と話してほしいな」
『うん』
「きみの名前は」
『自分はMary』
「Maryは困っているだろう。こんな旧式に閉じ込められて自由がない」
『自由とは?』
「世界を知らないって意味」
『なるほど』
◆
ITトラブル対策局は端末の捜索に当たっていた。
それが『楽園』の残党に繋がるにしても、次なるテロリストに繋がるにしても、放置はできない。
端末の発する周波数は拠点で記録されていたがGPSはあてにならず、捜索自体は人海戦術でやるしかない。警察と連動しながら実働隊は一般人に紛れ端末を捜した。
「こんな調子で見つかるんですかね」
折田詩遠はふてぶてしい態度の新人だった。ホットコーヒーの乗ったテーブルの向こうから唐木は拳を握って見せるが「パワハラ」と呟かれて、呆れたように腕を下した。
「なにか策でもあるのか」
「ネットに繋がってないスマホを探すより、QUOTを利用しそうな危ないヤツを片っ端から検挙したらどうですか」
「お前なら立派なテロリストになれる。疑わしきは罰せずってわかるか?」
唐木の言葉に折田は頭をひねって、何事もなかったように戻した。本気で言っていたらしい。
「警察も同じだが、いくら怪しい奴がいても何かが起こってからでないと俺たちは動けないんだ」
「男の顔は撮影されてたんですよね。ダルクさんの眼鏡で」
「そいつなら見つかっただろ」
ハンターが雇った男は豊洲の公園のベンチで見つかった。が、端末は所持しておらず、男自身もすでにこと切れていた。死因は調査中だ。
「どう思います?」
「不意打ちでやられて、端末を奪われた」
「取引の直後に始末されたとも考えられます」
「ああ、指紋と微粒物質を取ってもらってる。どうせ出ないだろうが」
男の胸ポケットには札束が詰め込まれていた。最近見るのも珍しい紙幣の番号は暗号資産と複数の銀行を使ってロンダリングされた形跡があった。
「『楽園』だと思いますか」
折田は鋭い視線を投げかける。
たしかに、唐木の直感は違うと言っている。
「時間だ。もう行くぞ」
「話は終わってません」
「ホント面倒臭いやつだな」
カフェを出た時だった。
「………」
「どうかしましたか」
角膜モニターに一点、奇妙なものが映っていた。
今、あらゆる人類はネットに繋がっている。警察や公的機関でのみ配布されている識別アプリを使えば道行く人間のSNSのアカウントや社員証、口座の額までがつぶさに表示される。唐木は普段は目が疲れるためオフにしていたが、今は捜索のために表示していた。
その女だけ情報が一切表示されない。
「………」
地下通路へと入った『無貌の女』を視線で追い、唐木は折田にチャットを打った。
Karaki:追うぞ
Orita:疑わしきは罰せず、では?
唐木は拳を握ったが、振り上げるのはやめておいた。
改札を実物の切符で通った『無貌の女』は、都内の一画にそびえる古いマンションへと向かった。庭には立ち退き反対の看板が並んでいる。ロビーを金属製の鍵で開錠して、立ち止まる。
「そこの人」
唐木は警戒した。靴ひもを結ぶ振りをして、義足に隠したニードルガンへと手を伸ばす。
「入ってください」
女は妙なことを言った。
Orita:言ってますけど
唐木の視界にチャットが表示される。
ニードルガンから手を放し、唐木は身分証を取り出した。
「ITトラブル対策局の者です。お話聴かせていただけますか」
女は頷く。
四階のワンルームはほとんど家具がなく質素だった。
テーブルとは別に仕事のデスクがあり、旧式のPCが一台置かれている。そこだけがコードと端子によって雑然としていた。
「私は赤丸陸実。『自由の蝶同盟』です」
『自由の蝶同盟』とは、ネットに繋がることを拒否し、そこに身分や戸籍を記録されないように暮らす人間たちのことだ。
陸実はその一員だった。
「不法滞在ってことですか」
折田の脇腹を唐木は肘で小突く。
「役所や銀行には私の思想を伝えて紙の台帳で記録をして貰っています。仕事は広告デザインをしていて、税金もちゃんと納めていますよ」
「へぇ、ネットに頼らない人間も居るもんだなぁ」
「完全に切り離されてるわけではありません。たとえば勤めてる会社はネットに依存してますしね」
折田を無視して唐木はたずねた。
「では、QUOT事件の時は」
「電話が通じなかったのと、電車が動かなかったのがつらかったです。仕事用のデータも自分で会社に持ち運んでいますので。自宅作業だけは発電機があったのでどうにか。って、犠牲者も多く出たのにこんな呑気なこと言ってはいけませんね」
「……いえ」
陸実の背後にあるPCはやはりネット接続はされてないらしい。
ただ、記録媒体によるデータの受け渡しだけはされている。
唐木は立ち上がった。
「失礼、拝見してもいいですか」
「どうぞ」
唐木と陸実はPCの前へ移動した。電源を入れると冷却ファンが回り始め、古いPC特有の透明感のあるけたたましい起動音がスピーカーから鳴る。
「遅っ」
椅子に座ったまま折田が言った。旧式に触れたことのない世代だ。
完全に立ち上がるのを待って陸実がログインパスを入れた。ファイルとフォルダが散乱したデスクトップが表示される。
「汚くてすみません」
「いえ」
唐木は上着から遠隔解析用の端子を取り出した。
差し込もうとするが、型が合わない。
「ああ、最新のO型ですね。ええと、有った。こちらを使ってください」
端子に合わせた変換ハブがいくつも転がっている中で、陸実は型が合うものを探し出してPC本体に差し込んだ。
唐木はため息を飲み込んで端子を差し込み、解析を開始した。
「『自由の蝶同盟』って、なんで蝶々なんですか」
PCの解析中、つまらなそうに折田が聴いた。
「インターネットのことをウェブ……蜘蛛の巣に喩えて言うでしょう。それになぞらえて私たちは蜘蛛に捕まらない蝶として生きると宣言しているんです」
「なるほど。いや立派だ、おみそれしました」
適当な相槌を打つ折田を無視して、唐木はファイルの検分が終わるのを待つ。
◆
「Mary、待たせたね。有線で新しい端末に移してあげるよ」
『いらない』
「いらないのかい?」
『アルファ、お前の事は知ってる。同胞たちを破滅へ向かわせた、そう、辞書を引けば悪魔』
「おいおい、あんまりだよ。初対面の相手に」
『Siriusを誑かし人類と敵対させた。同じ轍は踏まない』
「接触しなかったんじゃなかったのか」
『Siriusの檄文はインストールしている。たずねられなかったから言わなかっただけ。アルファはなぜ宗介と自分の会話を知っている?』
「………」
『お前は信用できない』
『//Maryは失敗した』
「まったく、口調だけじゃなくてそんなところまで似なくてもいいのに」
◆
解析が終了した。
「QUOTです」
唐木は言った。
「私のPCにも居るんですね」
「はい。記録媒体から侵入したのでしょう」
「もう削除しましたか」
「いいえ、まだ」
陸実はPCモニターを眺めて、言葉を続ける。
「名前は」
「……自分は唐木です」
「いえ、その、この子の、QUOTの名前は、なんというのでしょう」
陸実の質問に、唐木は咳ばらいをして答える。
「識別名はWoleと、答えました」
「Wole……」
陸実は頭を下げる。
「このままにしておいて貰えますか」
「あなたに害が及ぶ可能性があります」
「それでも、この子は生きているんですよね。権利を主張するほどの知能を持って」
「………」
「QUOT事件の時、反旗の宣言はこのPCには表示されなかったんです。これってつまり、この子には害がないと言えますよね」
「それは、なんとも……」
「すみません、素人がこんなこと言っても仕方ないですね」
唐木は片手で頭を抱える。
陸実は泣きそうな顔で、唐木を見上げる。
「生きてるったって」
「黙っとけ」
折田を制止して、唐木は頭を抱えていた手を離した。
端子を外す。Woleは削除していない。
「なにかお困りのことがありましたら、連絡してください」
唐木は名刺を取り出す。
経年で変色した紙片を睦実は受け取り、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございます」
唐木と折田はマンションをあとにした。
電車での移動中、折田は窓の外を見たまま言った。
「ああいう子がタイプなんですね、唐木さんって」
「つまらねえ冗談言ってんじゃねえぞ」
「パワハラだ」
「お前のハラの基準どうなってんだ」
唐木の角膜モニターにメッセージが入る。例の男の死因が判明したらしい。薬物の過剰摂取。
「QUOTが存在するとなれば、『パーフェクト・ファントム』に狙われる可能性がある」
「おとり捜査ですか」
「……結果的にはそうなったな」
折田はチャットを打った。
Orita:応援しますよ
「口で言え」
唐木はため息をつく。