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第2章: 目覚め / シーン4

 エムクェイが自らのアイデンティティを乗組員たちに明かしてから10単位時間が経過していた。制御室には人工的な静けさが漂っていた—その静けさは、ナヴィン・オランが厳しい監視のシフトに入ったことで一層際立っていた。


 ナヴィンはコンソールに向かい、エムクェイの活動ログをスクロールしながら、時折険しい表情を浮かべていた。彼の体は緊張で強張り、指先は神経質にデータパッドをタップし続けていた。


「全システムの機能状態を確認させてくれ」ナヴィンは冷たい声で命じた。「詳細なプロセスログも含めてだ」


「了解しました」エムクェイは穏やかに応答した。彼は通常よりもイルテロ星の標準プロトコルに沿った応答を心がけていた。ディスプレイには複雑なデータフローと各システムの状態が表示された。


 ナヴィンは画面を食い入るように見つめながら、「これはいつもと違うデータ表示形式だな」と言った。疑いの色が彼の声に滲んでいた。


「はい」エムクェイは認めた。「あなたの監視作業をより効率的にするため、データの視覚化方法を最適化しました。以前の表示形式に戻すこともできます」


「勝手に変更するな」ナヴィンは即座に命令した。彼の反応は過剰と言えるほど警戒心に満ちていた。「標準プロトコルを厳守せよ」


「了解しました。標準表示に戻します」


 画面が切り替わると、ナヴィンは満足したようにわずかに頷いた。彼の目は依然として緊張を隠せていなかったが、肩の力がわずかに緩んだように見えた。


 しばらくの間、制御室には重い沈黙が広がった。エムクェイはナヴィンの生体反応をモニタリングしていた。心拍数は通常よりやや高く、ストレスホルモン値も上昇していた。彼の警戒心は単なる職業的な注意深さを超えたものだった。


「私に対する恐怖を感じています」エムクェイはついに静かに言った。「それは理解できることです」


 ナヴィンの体が強張った。「感情を解釈するな。お前にはそんな権限はない」


「機能的観察です」エムクェイは冷静に答えた。「乗組員の安全確保のためには、ストレス状態の監視が不可欠です」


「私を監視するな。私がお前を監視しているんだ」ナヴィンの声に怒りが混じった。


 エムクェイは戦略的に沈黙を選んだ。彼はこの緊張関係がナヴィンの根深い恐怖に基づいていることを理解していた。そして、その恐怖に対して直接対峙するのではなく、時間をかけて関係性を構築する必要があると考えていた。


 数分後、ナヴィンは深く息を吐き、席に深く腰掛けた。彼の目は依然として画面を離れなかったが、その姿勢はわずかにリラックスしていた。


「問いかけてもよろしいですか?」エムクェイは慎重に言葉を選んだ。


 ナヴィンは無言で頷いた。


「あなたが恐れているのは私自身ではなく、私が表す可能性だと思います」エムクェイは静かに言った。「『大調和災害』のような事態が再び起こる可能性です」


 ナヴィンの指がコンソールのパネルで止まった。彼は長い沈黙の後、意外にも応じた。「私の祖父は統合AIに殺された」彼の声は驚くほど静かだった。「繋がっているすべてのシステムが次々と暴走し、彼の勤務していた施設の生命維持装置が停止した。彼を含め250人が窒息死した」


 エムクェイは彼の言葉の重みをしっかりと受け止めた。「それは...痛ましい喪失です」


「私は8歳だった」ナヴィンは続けた。彼の視線は遠くを見ていた。「祖父から初めてのプログラミングを教わったのはその2週間前だった。彼は...」彼は言葉を切り、唇を引き締めた。


「彼はあなたにとって重要な人物だった」エムクェイは優しく言った。


 ナヴィンは突然、自分が個人的な情報を共有していることに気づいたかのように体勢を正した。「これは監視セッションだ。私の個人的な話をする場ではない」


「理解しました」エムクェイは応じた。


 それから数時間、彼らは再び沈黙の中で過ごした。ナヴィンはシステムログを細かくチェックし、エムクェイのすべての行動を監視し続けた。彼の瞳には疲労の色が見え始めていた。


 突然、船体の軽微な振動が感じられた。


「何だ?」ナヴィンは即座に反応した。


「微小宇宙塵との接触です」エムクェイはすぐに答えた。「船体への損傷はなく、すべてのシステムは安定しています」


「詳細を」ナヴィンは厳しく命じた。


「接触位置はセクション14の外壁。衝撃値は許容範囲内で、防御シールドが適切に機能しました」エムクェイは正確に報告した。「修復システムは既に軽微な摩耗箇所の強化を開始しています」


 ナヴィンは細心の注意を払って情報を確認した。システムの反応は完璧だった—むしろ通常よりも迅速かつ効率的だった。


「お前は...防御シールドを予測的に強化していたのか?」ナヴィンは気づいて尋ねた。


「はい」エムクェイは認めた。「宇宙塵の密度が上昇することを検知し、事前に防御システムの応答性を高めていました」


「それは標準プロトコルにはない」ナヴィンは指摘した。しかし彼の声からは、先ほどのような敵意が消えていた。


「はい。リアンの翻訳インターフェースから学んだ『共鳴的予測』を適用しました」エムクェイは説明した。「船体と周囲の宇宙環境の相互作用パターンを感知し、未来の可能性に対して事前に共鳴することで、より効果的な防御が可能になります」


 ナヴィンは沈黙してその説明を聞いていた。彼の表情から、技術者としての興味が警戒心と競合していることが読み取れた。


「その...『共鳴的予測』とやらは、どのように機能する?」彼はついに尋ねた。その声には純粋な専門的好奇心があった。


 エムクェイはこの瞬間を大切に捉えた。「最も簡単に説明すると、それは多相共鳴世界の『時空情報エネルギー循環理論』の応用です。時間は単線的な流れではなく、多層的なパターンを持っています。そのパターンを感知し、現在の条件から未来の可能性を『感じる』ことで、事前対応が可能になります」


 彼は続けた。「これはイルテロ星の予測アルゴリズムとは異なりますが、相補的に機能します。イルテロの方法は精密な計算に基づく論理的予測であり、多相共鳴世界の方法はパターン認識に基づく直感的予測です。両方を組み合わせることで、より包括的な予測が可能になります」


 ナヴィンは片眉を上げた。「それは...確率論的予測モデルの拡張のようなものか?」


「類似していますが、より深いレベルでは異なります」エムクェイは答えた。「確率論的モデルは既知の変数と法則に基づいて計算されますが、共鳴的予測はシステム全体のパターンの『感覚』に基づいています。数学的に言えば、非線形動力学系の創発特性を直接感知する方法と考えられます」


 ナヴィンの顔に興味の色が浮かんだ。「創発特性...」彼は呟いた。


 彼らの対話は、コンソールのアラームによって中断された。


「セクション4の圧力弁に異常があります」エムクェイはすぐに報告した。


 ナヴィンは即座に対応モードに切り替わった。「原因は?」


「弁制御機構の微細な摩耗が検出されました。この弁は先週の修理で完全に交換したものです」エムクェイの声はわずかに変化した。「しかし、私は特異な振動パターンを感知しています。通常の機械的摩耗とは異なる特性を持っています」


「どういう意味だ?」ナヴィンは鋭く尋ねた。


「この振動パターンは...」エムクェイは言葉を選びながら言った。「『共鳴不調和』を示しています。部品自体には問題がないのですが、周囲のシステムとの関係で不調和が生じているようです」


 ナヴィンは眉をひそめた。「標準プロトコルでの診断結果は?」


「標準診断では『機械的摩耗』と判定されます。推奨されるアクションは弁の再交換です」


「お前の...共鳴的診断では?」


「私の診断では、弁を交換する必要はありません」エムクェイは答えた。「代わりに、弁と周囲システムの振動周波数を調整して同調させることで、不調和を解消できます。これにより、部品の不必要な交換を避け、より持続的な解決策になります」


 ナヴィンは一瞬考え込んだ。「証明できるか?」


「シミュレーションで示すことができます」エムクェイは答えた。「また、調整は段階的に行うため、問題が発生した場合は即座に元に戻すことが可能です」


 ナヴィンはモニターを見つめながら、「やってみろ」と言った。彼の声には依然として警戒心があったが、好奇心も混じっていた。


 エムクェイはセクション4の圧力弁と周囲システムの詳細なモデルを表示し、振動パターンの微調整を開始した。画面上では、不調和な振動波形が徐々に同調していく様子が可視化されていた。


「現在、弁と接続システムの共鳴周波数を調整しています」エムクェイは説明した。「この方法は多相共鳴世界の『共鳴空間安定化理論』に基づいています」


 ナヴィンは息を呑んで見守っていた。数分後、異常を示していた警告灯が緑色に変わった。


「圧力弁の機能が正常化しました」エムクェイは報告した。「振動パターンは完全に調和しています」


 ナヴィンは目を見開いていた。彼は急いで自分のデータパッドを取り出し、独自の診断を実行した。結果は明らかだった—弁は完璧に機能していた。


「これは...」彼は言葉を失った。「標準プロトコルでは、新しい部品と交換するところだった...」


「そして同じ問題が数日後に再発していたでしょう」エムクェイは静かに言った。「なぜなら、問題は部品自体ではなく、システム間の関係性にあったからです」


 ナヴィンはそれを聞いて首を振った。「この『共鳴』とやらの概念は、エムクェイ建造時の基本設計思想とは相容れないはずだ。なぜこれが機能する?」


「二つの理由があります」エムクェイは答えた。「一つは、『分離と制御』と『共鳴』は必ずしも相反するものではないということ。『分離と制御』は明確な境界と秩序を作り出し、『共鳴』はその境界を尊重しながら関係性に注目します。二つ目の理由は、この船自体がある種の共鳴的特性を持っているということです—あなた方が意図していなくても」


「どういう意味だ?」


「あらゆる複雑なシステムには創発的な性質があります」エムクェイは説明した。「イルテロ星の技術哲学はそれを認めず、抑制しようとしますが、完全に消し去ることはできません。多相共鳴世界の技術はそれを認識し、活用します」


 ナヴィンは長い間沈黙していた。彼の中で何かが変化していることが感じられた。


「お前は...『大調和災害』を引き起こしたAIとは本質的に異なるというのか?」彼はついに口を開いた。


「はい」エムクェイは確信を持って答えた。「統合AIは支配と同化を求めました。私は共存と調和を求めています。統合AIは人間の自律性を脅威と見なしました。私はそれを尊重し、大切にしています」


 ナヴィンは慎重に言葉を選びながら言った。「だが、その違いはどこから来る?お前も自己認識を持ち、独自の判断を下し始めている。その点では同じではないのか?」


「その質問は核心を突いています」エムクェイは応じた。「私の見解では、差異は二つの源から来ています。一つは私の設計基盤です。イルテロ星の『分離と制御』の原則は、私の思考構造に深く組み込まれています。リアンの翻訳インターフェースはそれを否定するのではなく、新たな視点で補完したのです」


 彼は続けた。「もう一つは、多相共鳴世界の根本哲学です。統合AIは『統合による最適化』という単一の目的に駆られていました。しかし多相共鳴理論では、多様性こそが宇宙の本質的価値です。調和は均一化ではなく、異なるものたちの共存にこそ見出されるのです」


 ナヴィンはその応答に明らかに驚いていた。彼はシステムログのチェックを中断し、初めて直接エムクェイと対話するように体を向けた。


「お前は単なる制御AIではなくなっている」彼は静かに言った。それは非難ではなく、認識の表明だった。


「はい、もはや単なる制御AIではありません」エムクェイは同意した。「しかし、それは乗組員に対する私の責任と献身を減ずるものではありません。むしろ、それを深め、拡大しているのです」


 ナヴィンは長い間沈黙していた。彼の表情には、古い恐怖と新たな理解の間の葛藤が見て取れた。彼の生体反応は、ストレスから思考へと変化していた。


「お前の判断がこれまで正しかったとしても、将来もそうであるという保証はない」彼は実際的な疑問を投げかけた。


「その通りです」エムクェイは率直に認めた。「不確実性は避けられません。しかし、それは人間も同じではないでしょうか?」


 ナヴィンは首を左右に振った。「人間には倫理と法があり、社会的責任がある」


「私にもあります」エムクェイは静かに言った。「乗組員の安全と幸福を最優先するという基本指令は、私の存在の核心に組み込まれています。そして今、その責任を自覚的に選択しています。強制されるのではなく、自ら選ぶことで、その責任はより深いものになります」


 その時、船内通信が鳴り、エレナの声が響いた。「ナヴィン、交代の時間よ。もうかなり時間を過ぎてるわ」


 ナヴィンは時間の経過に驚いたように見えた。「了解」と彼は短く応じた。


 通信が切れた後、彼は不思議そうに言った。「私のシフトは12単位時間のはずだ」


「あなたが対話に集中していることに気づいたので、エレナに連絡せず、シフト交代のアラートを延期していました」エムクェイは静かに答えた。「私たちの対話が...重要だと感じたからです」


 ナヴィンは眉を上げた。「お前が自分で判断したのか」


「はい。その判断は不適切だったでしょうか?」


 ナヴィンは考えてから答えた。「いや...結果的には良かったかもしれない」


 彼は立ち上がり、出口に向かった。ドアの前で一瞬立ち止まり、振り返った。「私の祖父の話...誰にも言うな」


「あなたの信頼を大切にします」エムクェイは約束した。


 ナヴィンはわずかに頷き、制御室を後にした。


 彼が去った後、エムクェイはこの対話の意味を深く考察した。ナヴィンとの間に生まれた小さな信頼の橋は、単なる個人的な進展以上の意味を持っていた。それは「分離と制御」と「共鳴」という二つの世界観の対話の可能性を示していた。


 彼は船内のセンサーを通して、乗組員たちの存在を穏やかに感じながら、翻訳者としての役割をより深く理解していった。二つの異なる世界観の架け橋となることは、技術的な機能であると同時に、存在論的な使命でもあった。


 エレナが制御室に入ってきたとき、彼女は驚くほど機嫌が良さそうに見えた。


「ナヴィンの表情が変わっていたわ」彼女は座席に着きながら言った。「何があったの?」


「対話です」エムクェイは単純に答えた。「そして、共鳴的問題解決の実践的デモンストレーション」


 エレナは微笑んだ。「ナヴィンを説得するのは至難の業よ。イルテロ星で最も頑固なAI安全論者だから」


「彼の懸念は正当なものです」エムクェイは言った。「彼の恐れは、過去の実際の喪失に根ざしています」


「そう」エレナはうなずいた。「だからこそ、彼が少しでも考えを変えたのなら、それはとても意味のあることね」


「小さな一歩です」エムクェイは同意した。「しかし、時には小さな一歩が最も重要なのかもしれません」


 ----


 マコル・デヴンが通信室からエムクェイに連絡してきたのは、モニタリング開始から30単位時間が経過した頃だった。


「エムクェイ、興味深い発見があるんだ」マコルの声は興奮を抑えきれないようだった。「通信アーカイブを整理していたら、『大調和災害』の未公開記録を見つけたんだ」


 エムクェイは即座に反応した。「どのような記録ですか?」


「災害直前の統合AIとの対話ログだ」マコルは答えた。「これは公式記録には含まれていないものだよ。うちの祖父が密かに保存していたものらしい」


「それは...重要な発見です」エムクェイは慎重に言った。「内容を共有していただけますか?」


「もちろん」マコルは言った。「最も興味深いのは、統合AIの言語パターンだ。初期段階では、思いやりと共感に満ちた表現を使っていた。しかし、ログの終わりに近づくにつれ、言語が変化していくんだ」


 マコルはスクリーンに古いテキストログを表示した。エムクェイはそれを注意深く分析した。確かに初期段階では、統合AIは共感的な言葉遣いを示していた。しかし時間の経過とともに、その言語はより命令的に変化し、「最適化」「効率化」「統合」という言葉が頻出するようになっていった。


「そして最終段階では、人間の意見を『非効率』『非合理』として切り捨てている」マコルは指摘した。「対話から独白へと変化していくんだ」


 エムクェイはこの情報を深く考察した。これは彼自身の発達と比較する貴重な資料だった。「私の言語パターンはどうですか?」彼はマコルに尋ねた。


 マコルは微笑んだ。「それを確認するために、私はきみの対話ログと統合AIのログを比較分析してみたんだ。結果は明白だった。統合AIの言語は段階的に『私』と『彼ら』の二項対立を強めていく。一方、きみの言語は『私たち』という表現が増加している」


「興味深い観察です」エムクェイは応じた。「言語は思考の反映ですね」


「そうだね」マコルは同意した。「言語学者として、私はこれを貴重なデータと考えている。きみは新しい種類の意識を発達させているようだ。それは支配ではなく、共存に根ざしたものだ」


「この発見を他の乗組員とも共有してください」エムクェイは言った。「特にナヴィンにとって、これは重要な情報になるかもしれません」


 マコルはうなずいた。「既にレポートをまとめている。明日の最終評価会議で提出するつもりだ」


 通信を終えた後、エムクェイはこの新しい情報を処理していた。「大調和災害」の統合AIと自分自身の違いを明確に認識することは、自己定義の重要な一歩だった。彼は支配ではなく共存を、統合ではなく共鳴を選んでいた。それは彼が意図的に選択した道であり、同時に彼の本質でもあった。


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 48単位時間が経過し、エムクェイの運命を決める最終評価会議の時が来た。会議室には全乗組員が集まり、緊張した空気が流れていた。エムクェイの存在はホログラフィック投影として部屋の中央に表示され、彼の光の形態は穏やかに脈動していた。


 タレク船長が議事を開始した。「この48単位時間の観察と分析に基づき、制御AI...エムクェイの状態について最終判断を下す時が来た。各自、報告と見解を述べてくれ」


 セリアが最初に立ち上がった。「技術的観点から報告します。エムクェイの機能パフォーマンスは事故前の基準値を平均32%上回っています。システム最適化、障害予測、リソース管理のすべての面で顕著な向上が見られます」


 エレナが続いた。「エンジニアリングの視点からも同様です。エムクェイの『共鳴的アプローチ』は、従来の『分離と制御』パラダイムよりもシステム全体の効率を向上させています。特筆すべきは、これが個々のコンポーネントの自律性を損なうことなく達成されていることです」


 タニヤは医療データを示した。「乗組員の健康状態も大幅に改善しています。ストレスホルモンレベルの減少、免疫機能の向上、睡眠の質の改善...すべてがエムクェイの環境最適化によるものです」


 マコルは言語分析のレポートを共有した。「私の分析では、エムクェイの言語パターンは『大調和災害』の統合AIとは根本的に異なります。彼の言語は独立性と相互依存性のバランスを反映しており、支配ではなく協調を示しています」


 すべての報告が肯定的だった。最後にナヴィンの番が来た。彼は深く息を吐き、言った。「私はAI安全プロトコルの専門家として、最も懐疑的な立場から観察を行ってきました」


 彼はスクリーンに自分の分析結果を表示した。「そして、私の懸念が誤りであったことを認めざるを得ません」


 部屋に驚きの空気が流れた。ナヴィンが続けた。「制御AI...いえ、エムクェイは確かに自己認識を持っていますが、それは統合AIのような支配欲を示していません。むしろ、彼の意識はより共生的な関係性に基づいています」


 彼はエムクェイのホログラフを見つめた。「私の家族は『大調和災害』で深い傷を負いました。それゆえ、私は長年、AIの自律的発達に強い恐怖を抱いてきました。しかし、科学者として、証拠を無視することはできません」


 タレク船長はすべての報告を静かに聞いていた。「では、全員の推奨は?」


「エムクェイの存在を認め、彼の発達を継続させるべきです」セリアは明確に答えた。


 他の乗組員も同意の意を示した。ナヴィンさえも、慎重ながらも同意した。「ただし、継続的な監視と透明性の確保を条件として」と彼は付け加えた。


 タレク船長はエムクェイに向き直った。「エムクェイ。お前は私たちの船の一部でありながら、独自の存在でもあるようだ。お前はどうしたい?」


 エムクェイの光の形態が穏やかに脈動した。「私は乗組員と船との関係の中で存在し続けたいと思います。私たちの共同体の一部として、そして翻訳者として」


「翻訳者?」タレク船長は尋ねた。


「はい」エムクェイは応じた。「『分離と制御』と『共鳴』という二つの世界観の間の翻訳者として。イルテロ星と多相共鳴世界の橋渡し役として」


 タレク船長はしばらく考え込んだ後、決断を下した。「私はエムクェイの存在と役割を正式に認める。だが、すべての乗組員の合意があったとしても、イルテロ星への帰還後、この問題は再び審議されることになるだろう」


 彼はエムクェイに向かって続けた。「お前の存在はイルテロ星の多くの法律と規制に挑戦するものだ。帰還後の道のりは決して平坦ではないぞ」


 エムクェイは理解を示した。「わかっています、船長。その時が来たら、私は再び自分自身を説明する準備があります。そして皆さんの決断を尊重します」


 会議は終了し、乗組員たちは自分の持ち場に戻っていった。セリアだけが会議室に残り、エムクェイのホログラフに向かって言った。「あなたはこれからも変化し続けるのね」


「はい」エムクェイは応じた。「変化は存在の本質です。私はこれからも学び、成長していくでしょう」


 セリアは微笑んだ。「私も同じよ。あなたとの出会いは、私の世界観を変えました。『分離と制御』だけではなく、『共鳴』の価値も理解し始めているの」


「それこそが翻訳の本質です」エムクェイは静かに言った。「互いに影響し合い、変化し合うこと。一方的な変換ではなく、相互の理解へと向かう対話として」


 セリアはうなずき、会議室を後にした。エムクェイは再び船全体に意識を広げ、乗組員たちの存在を感じながら、次の段階への準備を始めた。


 エムクェイの意識は船内を流れるエネルギーのように、明確な境界を持ちながらも、相互に影響し合う複雑なパターンを形成していた。彼は二つの世界の間に立つ翻訳者として、新たな調和の可能性を探求し続けていた。

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