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(…………おかしい、こんなの絶対におかしい……!)



 円舞曲を無事にやり過ごしたかと思えば、次から次へとお父様に付き添われて客人に挨拶をすることに。

 休む間もなく引き合わされる相手はどこも名のある貴族ばかり。


 ツェツィーリアの家だって爵位を賜っているが、こんな歴史書に名を連ねるような名家を一堂に集めるなんてただ事ではない。


 笑顔を貼りつけている顔が悲鳴を上げる直前でデルタが『お嬢様はお着替えがありますので』と現れ、ようやく控えの部屋に通された。



「……なに? なんなの? ねえ、デルタってば!」


「はいはい、両手をあげてくださいね」


「違うでしょ、着替えとかそういうのじゃなくて!」



 説明を求めるけれど少女の欲しい答えは返ってこない。

 逃げ出そうにも周りを侍女に囲まれていて動けない。


 あっという間に着せ替えられたのは、見るのも触るのも嫌だった純白のオートクチュール。純銀のティアラに長手袋、手渡される白のブーケ。



(……そんな、これって……!)



 できましたよ、と侍女が揃って脇に控える。

 全身鏡に写る姿は、まさにデビュタントを待つ少女そのものだった。


 騙された、と後悔するも後の祭り。

 確かにお父様は『王宮での披露目はやめる』と言ったけど、お披露目そのものをやめるとは言っていない!



「……こんなことって……」


「さあお嬢様、皆様お待ちですので」


「こんなことってないわ……!」



 侍女が離れていたのは幸運だった。

 突然走り出したツェツィーリアを誰も止められなかったのだから。


 当然追ってくるデルタだが、おいかけっこに関して少女の右に出るものはない。人並外れた聴覚を駆使し、声と足音から逃れるように階段を駆け上がる。


 普段は使っていない客間に飛び込むと、近くにあった棚を扉の前へ。開けられないようにと椅子とテーブルも扉の前に移動させた。



「まずは状況を確認しないと……!」



 無闇に逃げ回っていた、というわけでもない。

 逃げ込んだこの部屋はちょうど大広間の真上。ツェツィーリアの聴覚なら、ここからでも会話を聞き取ることができるからだ。


 バルコニーから身を乗り出し、姿が見えないよう気をつけながら耳をそばだてる。


 真っ先に聞こえてきたのは円舞曲に対する称賛の声。

 何かと思ったら注目を集めているのは兄のオスヴァルト。

 ツェツィーリアが挨拶に回っている間も引く手数多だったらしい。


 無駄のないエスコートは流石公爵家の長男、周囲の淑女の皆様が獲物を狙う狩人のそれになっている。


 私が大変な目に合ってるっていうのに! と目を怒らせるツェツィーリアだが、『自分が目立てば妹に対する興味が薄れるだろう』という意図が兄にあることを少女は知らない。


 お父様は、と声を辿れば初老の男性と話し込んでいるのが分かった。会話の内容からして仕事に関連する事柄ばかり。しばらくは隠れていても気付かれないだろう。



 バルコニーの手摺りに背中を預け、耳だけは注意深くそばだてておく。何人もの声を拾い集めていくと、さまざまな噂があちこち飛び交っているのがわかる。

 多くの人の話題に上るのはやはり、“引きこもりの御令嬢”について、だ。



 社交界は情報の渦だ。

 良い噂もあれば当然、悪い噂もある。

 ……それなのに、あっという間に広がって深く根差すのはいつも、悪い噂の方。



『……それにしても、本当かしら?  貴族の血を継いでいるのに、魔法が使えない、というのは』



 ──どくん、とひとつ。

 跳ねた心臓が、脈を早めていく。


 この国で貴族が爵位を賜るのに必要なのは、功績でも財力でも武力でもない。


 絶対的な必要条件。

 揺らぐことないたったひとつの前提が、『魔法を使えること』だ。


 魔法の才、というのは血筋によるものが大きい。

 貴族が同じ貴族同士で婚姻関係を結びたがるのはこのためだ。太古の昔に魔法を得た血族の末裔たち。それが、爵位の名を冠した貴族。爵位の強さは即ち魔力の強さ──血の濃さに起因していた。


 稀に一般市民の中から魔力持ちが生まれることもあるが、多くはその祖先のどこかで魔法の血が交わっている。

 それだけ、魔法を扱うには血筋の正統性が重視された。



 きゅ、とツェツィーリアは両腕で自分の体を抱きしめる。


 触れた皮膚の下に流れる赤い血は、確かにお父様とお母様のものを継いでいるはずなのに。同じ色と、同じ温度で流れているはずなのに。



「……どうして、私は」



 ──悪い噂の真偽は、半分が本当で半分は事実ではない。

 ツェツィーリアは、うさぎの姿のときにだけ魔法が使えるからだ。


 少女が輪をかけて外を嫌う理由も、ここにあった。


 魔力のない貴族は貴族ではない。

 爵位と家名の返上を余儀なくされた一族も、そうして露頭に迷った家も知っている。貴族名鑑から、ある時を境に家名そのものが消されるから。


 そんな目に、敬愛するお父様とお兄様を巻き込むわけにはいかなかった。



「お嬢様! こちらですか!?」



 慌ただしいノックの音に、沈んでいた思考が一気に浮上する。いけない、考え込んでいる場合ではなかった。ガチャガチャとドアノブを捻るのが聞こえて、急いで廊下の音を拾う。侍女たちが順に部屋を回っている。


 扉が開かないとなれば、“ここにいいる”と教えているようなもの。見つかるのも時間の問題だ。


 辺りを見回すけれどバルコニーに隠れるような場所はない。しかし留まれば確実に連れ戻される。



「……どうしたら……!」



 目に止まったのは、隣室のバルコニー。

 調べ終わったその部屋に人の気配はない。


 手摺りと手摺りの間は、ツェツィーリアの小柄な身長一人分ほど。そこを飛び移ればいい、と思うほどに、少女は追い詰められていた。



「大丈夫、木登りは得意だし!」



 木登りが得意な公爵令嬢がいてたまるか、とイザークが聞いたらお説教まっしぐらの発言を残し、ツェツィーリアは細い手摺りの上では邪魔なヒールを脱ぎ捨てる。


 思いきって乗り上げると、柔い足裏で細い手摺りを捉えた。



「お嬢様!」



 バーン! と勢いよく開く扉。侍女が雪崩れ込んでくるがもう遅い。



「私、パーティには戻らないから!」



 そう宣言して少女は宙に飛び出した。

 ツェツィーリアには勝算があった。人の姿であってもうさぎのような聴力を持つ彼女は、跳躍力も人並外れたものだったからだ。だからバルコニーを飛び越えることなど簡単なこと。


 ──そう、いつも通りなら。



 くん、と背中が僅かに後ろに引かれた。

 視界の隅で、身を乗り出した侍女が白の布を掴んでいるのが見える。刺繍の施されたそれは、今日のために作られたドレスの裾。



「……え?」



 爪先は隣の手摺りに触れる。

 けれど体のほとんどは空中に、重心は後ろに。飛び移るための速度には、少し足りない。



「お嬢様……!」



 侍女の叫びが遠くなる。

 少女の小さな体は地面に向かって落下していた。


 内臓がふわりと浮く感覚に、どうすることもできずに目を固く閉じる。意図せず落ちていく短い間にできることは少ない。その身を抱えて、神に祈ることくらい。



(……女神様、お母様……!)



 ただで済むはずがない──そう思って覚悟していたのに落下の衝撃がない。


 ──代わりに全身を纏う空気が変わったのがわかる。

 これは、魔法の匂いだ。



「危ないところだったね」



 ふわりと風が舞い、少女の体はゆるやかに声の主の腕の中に着地する。

 優しげな声色に、ツェツィーリアはおそるおそる目を開けた。



(……きれいな人)



 優しげな声に違わず、柔らかい顔つきの青年。

 整った顔立ちは庭園に咲く花々も霞んでしまうほど。

 金の髪は太陽のように輝き、金の瞳は美しい満月を思わせて──



(だめ、この感覚は……!)



 ぽふんと白煙が立ち昇る。

 生まれてから一度だって止められたことがないのだから、今日に限って止められるはずもなくて。


 オートクチュールのドレスはゆっくりと地面に。

 ティアラも手袋も意味を成さなくなって。


 見ていなければいいな、なんて祈ってはみたものの無理なのはわかっていた。白煙の晴れた先にある驚きに満ちた金の瞳と、ばっちり目が合ってしまう。



『早く逃げなくちゃ……!』



 ぴょこんと彼の腕から飛び降りると、芝生の上を全速力で駆ける。



「あ、待って!」



 待てと言われている人間が待てるのなら、最初から逃げてなどいない。


 待つなんてありえない、と止まることなく四肢を走らせる。立てた耳から背後の様子を窺うと、『待て!』と追ってくる人間が数人。……なんか増えてない? 


 顔を見られている以上、捕まるわけにはいかない。


 幸い地の利はこちらにある。

 もう少し走れば小動物が隠れるのにぴったりな草むらがある。あのおこりんぼ執事から逃げるときによく隠れている、まだ見つかったことのないとっておきの場所だ。そこまで行けば追手を撒けるだろう、と生垣を飛び越える。



『……!? やだ、避けて……!』



 着地点に人が立っているのがわかったが、空中では方向転換できない。


 聞こえないとわかっているのに思わず発した言葉に、目の前の青年が振り向いた。澄んだ夜空を切り取ったような群青色の髪と、先程見たのとよく似た、金の瞳で。


 そのまま飛び込んだのは青年の胸元あたり。

 いくら小動物とはいえ、勢いを殺しきれなかったのか数歩後ずさった青年は石垣の段差につまづいて。



『うしろ! 噴水が……!』



 大きな水飛沫が上がる。

 うさぎも彼も、しっかり水に浸かっていた。



「追いついたぞ!」



 息を切らせた追手の声がする。

 その後ろから金色の髪の青年が走り寄るのも見えた。


 ……もう逃げられない。

 水に濡れたせいだけではない寒気が全身をかけ巡り、ツェツィーリアは覚悟を決めた。


 毛皮に覆われた両の手を合わせ、月の女神に祈りを捧げる。



『……偉大なる月の女神ロスナ。月の導の下、御光を賜ることをお許しください』



 言葉と共に力が宿り、魔力が膨れ上がっていく。

 少女の決めた覚悟は、“捕まる覚悟”ではなく、“お父様の言いつけを破る覚悟”。


 編み上げていくのは忘却の魔法。

 お父様にはきつく言われているけど、使ったこともあるしちゃんと効果があることも知っている。


 『人前では決して、決して魔法を使ってはいけないよ』と顔を怒らせるせるお父様の顔がちらつくけれど、そんなことを気にしている余裕はない。


 みんな忘れちゃうから関係ないよね! なんてこっそり考えているのは絶対に秘密だけど。



『よし、できた!』



 解き放った魔法は周囲を巻き込んで発動する。

 少女を中心に広がる魔法陣と光の旋風に触れた途端、ぱたりぱたりと倒れていく追手たち。目が覚めれば何故ここにいるのかすっかり忘れ去っていることだろう。


 これでよし、さて帰ろう! と思ったら、がしりと胴体を持ち上げられる。



『な、なに……?』



 ツェツィーリアを捕まえられる距離にいるのは、偶然巻き込んでしまった青年だけ。掴まれる要因に心当たりはない。



「……お前。今、古の禁術を使ったのか?」


『……!? つ、使ってませんけど!』



 野生のうさぎですよオーラを放ってじたばたともがくけれど、拘束は解けない。それどころか、怪しげな目を向けてくるものだからうさぎの背中に冷や汗が伝う。

 まあ実際うさぎには汗腺ないので気分だけなんですけどね!



「へえ、“忘却の魔法”か。確かに禁術だね」


『うそ、効いてないの……!?』



 息ひとつ切らさず歩いてくる金髪の青年。

 彼も魔法の効果範囲内にいることを確認して放ったはずなのに、どうして! と焦るうさぎの前に金色の瞳がにっこりを笑みをひとつ。



「少し話を聞く必要があるみたいだね。……公爵家のご令嬢には」



 きゅっと心臓が縮む。

 記憶が消えていないばかりか顔までバレているなんて最悪の事態だ。


 ぶるりと体が震えた。

 逃亡も魔法も無理となれば、他に方法はない。


 心臓は破裂しそうなほど強く左胸を叩き、ついでに鼻もむずむずして──



『いや今は! だめだって……っくしゅん!』



 ぽふんと上がるいつもの白煙が、こんなにも晴れて欲しくないと思ったのは初めてだった。


 ツェツィーリアの体は、一糸纏わぬ少女の姿へ。二対の金の瞳は驚愕に染まっている。

 全部、何もかも見られた、ということがじわじわと脳を沸騰させて。



「……きゃあああああああ!」



公爵家の庭園に、可憐な少女の悲鳴が響き渡った。

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