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 廊下を早足で駆け回る侍女の足音が、屋敷中を浮足立たせる。厨房ではひっきりなしに人が出入りし、色鮮やかな料理が大広間へと運ばれていく。


 いつもならつきっきりのイザークもここにはいない。

 それだけ大掛かりになっていることに、ツェツィーリアは首を傾げて疑問符を辺りに撒き散らす。



「……なんでこんな大事(おおごと)に?」



 ──はっきり言おう。

 ツェツィーリアに友達と呼べる存在はいない。


 滅多なことでは外に出ない上、過保護な父親が屋敷内へ入る人間を極端に制限しているからだ。だから誕生日は家族3人で過ごすのが通例となっていた。


 だというのに、デルタの気の入りようもいつもとは違う。

 昨晩から『肌の手入れは流行りの薔薇を』とか『髪艶のオイルは入念に』とか『寝る前に香水を振っておきましょう』とか。いつもの3倍は時間をかけて手入れをした。


 今だって、ドレスはもう着終わっているというのに装飾品は何にしましょう、と代わる代わる別のイヤリングをあてがわれている。



「……デルタ? もうそろそろ行かないとお父様が……」


「そうですね! でもお嬢様の晴れ舞台ですもの、やはり一番お嬢様が輝くアクセサリーでなくては……!」



 ……こんな調子である。

 ちなみに今日のドレスはラベンダー色のプリンセスライン。少し濃いめの色合い、縁には銀糸で細かな刺繍が施され、何よりツェツィーリアのアイシクルピンクがよく映える。

 少女が気にしている低めの身長と控えめな胸元が目立たないように、レースのハイネックと小さな花のモチーフが華やかな印象を与えていた。



「決めました!」



 ようやく耳に飾られたのは花をモチーフにした金細工。その中心には赤い石が嵌め込まれている。



「お嬢様の瞳は磨かれた宝石よりも美しいですからね! 比較対象になるかと思いまして」


「でも誰かに見せるわけでもないし……」


「まあまあ! オスヴァルト様に会うのも久しぶりなのですから、いっぱい着飾っておきませんと!」


「それにしては気合い入り過ぎてるような……」


「ほら、もう時間ですよ!」



 誰のせいで時間がかかっているのか、という文句も言えないまま連れ出されたのは階段前の扉。

 2階に位置するここを開けると大広間へと繋がっているのだが、どうしてここにいるのかはわからない。家族で食事をするならいつも通りダイニングでいいはずだ。


 『合図があるまでここでお待ちください!』とすごく楽しそうに去っていったデルタの指示に従って待っているけれど、やっぱり疑問符を撒き散らして頭の上に並べることしかできない。


 何か情報はないかと耳をそばだてるが、分厚い扉の向こうは聞き取れない。代わりに鼓膜を揺らすのは、廊下を歩いてくる規則正しい金属音。とても馴染みのある足音だと気付いたツェツィーリアの顔は、自分でも知らないうちに綻んでいた。



「お兄様!」


「ツィー、元気だったか?」


「ええ、もちろん! お兄様も、お変わりなくて安心致しました!」



 左右の頬にキスを送られ、少し恥ずかしいけれど少女もキスを送る。その度に香る懐かしい匂いに心が明るくなる。


 ツェツィーリアは母親に生き写しだとよく言われるが、兄のオスヴァルトはまさに父親の若い頃を思わせるような風貌だった。

 赤の髪は燃え盛る炎、瞳は上等な翠玉に陽の光をたっぷりとまぶしたように輝きを放つ。兵士の中でも名誉ある紅の騎士団長の名を賜っており、普段は王宮内の警護を受け持っている。


 婚約者がいてもおかしくはない年頃だがそれらしい相手もおらず、適齢期の女性から引く手数多なのですよ、とはデルタの話だったかしら。

 妹としての贔屓目を差し引いたとしてもオスヴァルトは見目もよく、街を歩けば誰もが目を奪われてしまうような青年だった。


 ……だと言うのに彼が結婚できないのは、妹目線で言わせて貰うと一目瞭然。



「俺も、ツィーに会うのを楽しみに頑張ってたよ」


「……お兄様? そんなことばかり仰るから、あちこちの御令嬢からお断りの手紙が届くのですよ?」


「いいだろ? 俺は困っていないし、ツィーのことが心配だからな」



 そう言ってツェツィーリアの頭を撫でる瞳は、蕩けそうなほど優しさに満ちている。


 ──この、妹に過保護・心配性なところ。

 早くに母親を亡くしたのは彼も同じはずなのに、『兄として自分がしっかりしなければ』という思いが強かったのか、幼い妹を守り、気遣うようになった。


 それは父親が多忙になるにつれてより顕著になり、年月を重ねた今となってはすっかり“妹バカ”のできあがりだ。何度か婚姻を前提に身分のある御令嬢と顔合わせをしたのだが、そのどれもが成約とはならなかった。


 その原因の一端を担っている身としては大変申し訳ない気持ちでいっぱいな反面、大好きな兄を取られてしまうのが寂しい気持ちとが競い合っているところ。


 でも今日という日に忙しい兄を一人占めできるのが嬉しいので、脳内会議は終日閉廷。人目も憚らず思いっきり腕にしがみついた。



「こらこら、そういうツィーも甘えんぼさんだな?」


「だって久しぶりなんですもの! 今のうちに堪能しておかないと!」


「それは嬉しい言葉だけど……今日はこっち」



 解かれた腕が導かれたのは兄の掌の上。

 掬いあげられたツェツィーリアの手に、片膝をついた兄の唇が落とされる。



「お嬢様、俺と踊っていただけますか?」



 ぱちくり、と数回睫毛を瞬かせただろうか。

 普段は見上げてばかりの見目良い顔が、まっすぐにツェツィーリアに笑顔を向けていた。


 何も知らない侍女が通りかかったら笑顔の流れ弾で卒倒してしまうだろう。噂好きの御令嬢に見つかったらまた婚約が遠のいてしまうかもしれない。

 ──それでも少女の答えはひとつ。



「ええ、喜んで!」



 同じように笑顔の花を咲かせると、階段前の扉から光が差し込む。そのまま兄にエスコートされたツェツィーリアは、大勢の人が集まる大広間へと足を踏み入れた。


 扉の先で真っ先に目に入るシャンデリアは、陽光を捕まえてあたりに虹を咲かせ、花瓶の花々に光のアクセサリーを飾る。大理石は隅々まで磨かれ、凪いだ湖面を思わせる。その湖面に浮かぶのは、いくつもの色鮮やかなドレスたち。


 ──少女が見たこともないくらいの人数が、階段の上にいる兄妹を待っていた。



 ツェツィーリアの体は思わず強張る。

 それからさぁっと顔から血の気が引いていくのが自分でもわかる。


 え、だって、こんな人数呼ぶ必要ないよね……?

 誕生日パーティーなら、いつも通りお父様とお兄様がいればよくて、新しい友達も他の貴族の人とも交流なんて必要ないのに……?


 逃げ出しそうになるツェツィーリアの腕を、お兄様がしっかりと掴んでいる。

 なんで、と思って見上げると、俺の隣にいれば大丈夫だから、と小さな声で教えてくれる。ちがう、ちがうのお兄様……! ツィーはこんな大きなパーティーはいらなくて……!



「皆様、本日はエーレンフロイント公爵家の一人娘、ツェツィーリアの誕生パーティーに来て頂き、ありがとうございます。どうかごゆるりとお過ごしください」



 ツェツィーリアの気持ちなどお構いなしに。

 主人であるマクシミリアンがグラスを掲げ、月の女神に杯を捧げる。それに倣って来客たちもグラスを掲げると、控えていた楽団からバイオリンの音色が流れ出す。


 ──パーティが始まる合図だ。


 知識としては知っていても、現実として目の前で見る羽目になるとは思っていなかったし、それがこんな騙し討ちのような形で行われるなんて夢にも思わなかった。

 

 

「さあ、行こうか」



 お兄様に手を引かれて、階段を降りるよう促されるけれど従うわけにはいかない。こんな、引きこもりのツェツィーリアがこんな大勢の人間の前に行けるはずもない。


 めいっぱいの力で抵抗するけれど、普段から鍛え上げている騎士団長の腕力に敵うはずもなく。仕方ないなあ、とお姫様抱っこされて、階段を勝手に降りていく。

 誰にも会いたくなくて、お兄様の首元に抱きついて顔を埋めて必死に訴えかける。



「お、お兄様……! わ、わたしやっぱりお部屋に戻ります……!」


「かわいいツィー、少しだけ我慢してくれるかい?」


「で、でも……!」


「一曲だけ踊ったら帰ってもいいから、ね?」


「……本当ですか?」



 お兄様の首に回していた腕を少しだけ緩めて、顔を見つめる。ツェツィーリアの目は涙ぐんでいて、今にも溢れそうだ。お兄様もお父様もかわいい一人娘が泣くところに弱いのをわかっているので、こうすれば言うことを聞いてくれる。そのはずなのに、お兄様は曖昧に微笑むばかり。いつものように「ツィーの仰せのままに」とは言ってくれない。



「ほら、下ろすからね」



 ゆっくりと近づいてくる華やかな喧騒は、書物からではわからないくらい眩しい。普通のご令嬢なら喜ぶ華やかなパーティーなのかもしれないけど、引きこもりの少女には逆効果。こんなの知らなくてもよかったのに!


 下ろされたのは大広間の中心。

 兄妹が向かい合うと、楽団の演奏がピタリと止まる。


 指揮棒が振られ、軽やかな曲調に変わる。

 ツェツィーリアも知っている曲だ。だけどこんなに大勢の前で踊ることになるなんて!



「大丈夫か?」


「無理ですお兄様、足が震えて……!」


「安心して、体は預けてくれていいから」



 優しく微笑みかけてくれるお兄様だけが頼りの中、ツェツィーリアは、まずはこの注目の中躍りきるのが先……! と全ての思考を隅に追いやった。


 くるりくるりと無心でステップをなぞる。

 よろめけばお兄様に支えられ、最後にはふわりと一回転。ようよう一曲を踊り終えると、穏やかな音楽に切り替わる。


 お兄様に連れられて広間のセンターを譲ると、何組かの男女がステップを刻み始めた。とりあえず、この場はなんとかなったらしいと実感して、ツェツィーリアは心の中で安堵の息を吐いた。


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