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「いや! 絶対に行かないから!」



 呆れ顔で距離を詰めてくるベルタに、いやいやと拒否の意を込めてめいっぱい首を振る。はしたない、と怒られるのを承知で窓にかかっているベルベットのカーテンにしがみついた。



「お嬢様、今日でちょうど10回目のお誘いですよ?」


「無理なものは無理! 私に、夜会なんて……!」


「そう仰られましても……」



 ちらり、とベルタが向けた視線の先には、オートクチュールで仕立てた純白のドレス。並んだ箱には揃いの色で誂えた長手袋にヴェール、純銀のティアラがまだかまだかと出番を待っている。ガラスケースには、腐食しないようにと魔法のかかったブーケが存在感を発揮していた。

 

 アイシクルピンクの豊かな髪と紅玉(ルビー)色の瞳を持つ少女に似合うようデザインされたそれらが陽の目を浴びたことは、まだない。



「……デヴュタントの用意は万全なんですよ?」



 ──そう、私、ツェツィーリア・ハーゼ・エーレンフロイントは今、社交界へのデヴューを迫られていた。


 一週間後に迫った16歳の誕生日。


 それに向けてお披露目を、という話が出たのは1年前のこと。婚姻が可能になる16歳までに、誰か良い人を見つけてこいと。お父様の言い分が瞬時に理解できて血の気が引いた。



「でも私がお屋敷から出るなんて! 魚が海から引き上げられるようなものだもの!」




 今もばっちり着こなすのはふんわりシルクのネグリジェ。


 コルセットなんてキツイもの、週に一度つけるかどうか。全てはこの屋敷の中で完結していたし、敷地の外に出る必要もない。完全なる引きこもり、それがツェツィーリアだった。



「はいはい、着替えないと御当主様が悲しみますからね?」


「うぅ、ベルタのわからずやぁ……!」



 ぐいぐいと腕を引かれるが、ツェツィーリアも負けてはいない。決して屈しないという強い意志が両手に込める力を強めていく。


 ベルタは御付きの侍女だが、ツェツィーリアが本気で嫌がることはしない。このままゴネていれば今日の夜会も今まで通りキャンセルすることになるだろう、と高を括っていた。……その足音が聞こえるまでは。


 コツコツと、規則正しい靴音が、ツェツィーリアの部屋の前で止まる。そのままドアが開かれて、黒の燕尾服とひとつに結われた長い黒髪が飛び込んだ。



「……お嬢様、今日もまた引きこもっているそうですね?」


「ひぃ、イザ……!」



 小さく息を飲んでしまう。

 にっこりと笑みを貼り付けて、陶磁器のように青白い顔に青筋を立てているのは執事のイザーク。まだ17歳だというのに眉間のシワが似合う執事はまたか、とでも言いたそうに重い溜息を吐いた。



「先月にも同じことしたかと思いますが?」


「先月のことは先月終わったの! 私は今日もお屋敷から出るつもりはありません!」


「いい加減わきまえてください、お嬢様。今回は絶対に出席するようにと御当主様からも重々申しつかっておりますので」


「やだ! もう私、ベルタと結婚するもん!」



 カーテンを両手に抱えて顔を埋める。

 『あら、それもいいですねえ』とくすくす笑うベルタに変わって、骨ばった腕がツェツィーリアを剥がしにくる。


 お目付役も兼ねているイザークはベルタより容赦がない。


 さっきより力強く体が引っ張られているけど、こっちだって“絶対に外に出ない”という意思は固い。……特に、こんな月の綺麗な夜には。



「やだって言ってるのに!」


「そんな事ばかり言っていると本当に貰い手がなくなりますよ」


「そうなったらイザと結婚するもん!」


「…………は?」



 ピタリ、とイザークの手が止まる。

 人でも殺しそうな冷たい声に、流石にわがまま言いすぎたかな、とカーテンを盾にしながらチラリと覗く。


 形の良い眉の間には深い深いシワ、何か苦いものでも飲み込んだような顔は物言いたげな視線を送っている。少し顔が赤くなっているのは、やっぱり怒っているんだろうか。



「……イザ、怒ってる?」


「……そうですよね、お嬢様はそういう方でしたね」


「わーやだやだ! そんなに引っ張らないでー!」



 急に再開された綱引きにうっかり手に力がこもる。

 赤のベルベットは2人分の力でめいっぱい引かれ、ぷつんぷつんと金具が限界の音を立てて。



「あっ……!」



 引かれるがままに床に落ちた布は、視界一面を夜空に染める。


 見上げるほどのガラスの先には満点の星空と──金色に光を放つ満月。


 しまった、と思ったときにはもう遅い。

 ぽふん! と白い煙を立てたかと思うと、つい先ほどまでカーテンにしがみついていた少女の姿はそこにはなく。



「お嬢様!」


『もう! だから嫌だって言ったのに!』


 ふすふすと怒っているのか、長い後ろ足をたんたんっ! と床に打ちつけている。

 文句を言っているようだが、その声は執事と侍女には届かない。


 アイシクルピンクの毛並み、長い両耳。

 後ろまで見渡せる瞳は元の色と同じ紅玉色。肌触りの良いネグリジェも下着も全て床に散らばり、その上にちょこんと鎮座していたのはピンク色のうさぎ。


 ──この少女、エーレンフロイント公爵家の一人娘は、満月を見るとうさぎになってしまうという特異体質の持ち主だった。



『だから夜会なんて無理だって言ってるのに!』



 デビュタントは月に一度、王宮にて行われる。

 夜会、というだけあって開催時刻は当然、日が沈んでからになる。


 見るだけで変身してしまうというのに、こんな姿でどうやって円舞曲(ワルツ)を踊れというのか。



『……あ、でもこうなったら今日は行かなくてもいいよね……?』


「お嬢様、今『行かなくてもよくなった』とかお考えですね?」


『わーやだやだ! なんでわかったの……!』


「何年お嬢様と一緒にいるとお思いですか?」



 ぷうぷうと反論するけど、本来血の繋がりのないイザークに声は聞こえていない。うさぎには声帯がないからだ。


 食道の振動で音を出す、と書物で読んだけれど少女自身ではよくわからない。呼吸の仕方を教えて、と言われたってわからないのと同じだ。


 だというのにイザークだけは彼女の言いたいことのほとんどを理解していた。

 6歳の頃からずっと仕えているためか、思考パターンは筒抜け。兄妹も同然に過ごしていたからか、口調も思わず軽くなってしまう。ツェツィーリアが絶対に敵わない人の1人だ。



「でもお嬢様、今日のデザートはお嬢様の好きなキャロットパイにするとシェフが……」


『え、うそ! それなら急いで戻らなくちゃ……!』


「あ、こら! お嬢様!」



 追ってくるイザークの手をすり抜け、ベッドサイドのテーブルに飛び乗った。


 置いてあるのは筆記具と随分と古ぼけた日記帳。ピンクのうさぎが目指しているのは羽根ペンだった。ふすふすと、常に動き続ける鼻先をふわふわの羽根へと近付ける。



『……くしゅんっ!』



 くしゃみといっしょに、一際大きく高鳴った心臓。

 拍動は全身へと広がり、再び白煙が上がる。


 近くにあったベッドに現れたのは一糸まとわぬツェツィーリア。くしゃみなどで心臓に刺激を与えると人間の姿へ戻ることができるのだ。


 いそいそと寝具を体に巻きつけると、待ちきれない食欲を隠すことなくベルタへ詰め寄った。



「ベルタ! 早く行きましょう! 私のキャロットパイのところへ!」


「ですがお嬢様、その……」


「早く! パイは焼きたてが1番美味しいのだもの!」


「えっと、それには私も同意なのですが……」



 おずおずとベルタの指先が持ち上げられる。指し示す方向は、ツェツィーリアの後ろ。

 はて、何かあったかしらと振り向いたのが運の尽き。



「……お嬢様?」


「ひぃ、イザ……!」



 氷の笑みを貼り付けたイザークが、堪えきれない怒りを眉間のシワに乗せていた。



「淑女としての教養が足りないようですね……?」


「えっと、そんなことはないと思うけどな……!」


「どこのご令嬢が! 夜会を逃げ回ったあげく異性の前で全裸になると言うのですか!」


「ひぃい! そうですよね!?」


「……今日の夜会は行かなくても良いです」


「え! ほんと!?」


「その代わり今からみっちりお勉強の時間です!」


「えぇ!? 私のキャロットパイは!?」


「勉強が終わるまでお預けです!」


「そんなぁ……!」



 私のためのパイなのに! と逃げ出そうとした途端、がしりと掴まれる腕。


 すらりとした細身に見えるイザークだが、実は騎士も驚くほど豪腕の持ち主だ。

 蝶よ花よと箱の中で育てられた少女に振り払えるほどの隙はない。


 目の前のベルタに目で助けを求めるけれど、『申し訳ございません、お力になれず』という申し訳なさそうな視線が帰ってくるばかり。



「さようなら、私のパイ……」



 諦めた途端、押さえていた夜具がはらりと落ちて、顔を真っ赤にしたイザークに怒られた上に追加で勉強の時間が増えたことは、ツェツィーリアの名誉のために割愛することにする。


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