避難所の少年と物語
東日本大震災の時。
テレビ画面で見たひとりの少年の姿が忘れられない。
場所は避難所。
体育館の床の上。
ブルーシートに布団か毛布を敷いただけの開放的すぎる空間。
周りには荷物が整理する棚も箱もない状態で、積み重なっている。
その小さな布製品たちの山の中。
ひとりの少年が漫画本を食い入るようにして、読んでいた。
周りには大人は写っていなかった。
人がいなくても、大きな体育館の中だ。
プライパシーの保護も何もない。
5メートル先で誰か歩けば、振動と埃が来るところ。
大声で話せば、全ての人に聞こえる空間。
そこに手で持てるだけの荷物を運び込んで、生活する。
自分が同じ歳で、同じ状況だったら。
漫画を読む小学生と思しき少年を見て、最初に思ったのが、「避難所で漫画読んでる」。
ここで読むのか、すごいなと思った。
けれど、状況は違えど、同じようなことを私もしていた。
小学校から帰って、すべてを忘れて物語に没頭した日。
家の喧騒から逃げるために、本を開いた日。
とにかく、ここではないどこかへ行きたかった時。
物語はすぐに私を違う世界に飛ばしてくれた。
声をかけられても気づかず。
音が鳴っていても分からないまま。
物語の世界に沈み込んでいた。
そして、そこから出た時、少しだけ呆然とした後、飛び出してきた現実と向き合ってみようかという気持ちになったこと。
大きな地震と津波で、突然家に帰れなくなった少年。
テレビとコタツとお気に入りの自分のものが、誰の視線にも晒されない守られた空間である自宅から、知らない人たちの中で、何メートルと高い天井と仕切りのない空間で生活する急激な環境の変化。
彼は彼の心を守るために、物語の世界に飛び込んでいた。
固まった姿勢で、漫画に集中する少年。
たった5秒ほどの映像。
それを私は12年近く経った今でも、忘れられない。
その映像を見たから、私は物語の力を信じられる。
その映像を見たから、今、書いている。
誰かの心をここではないどこかに飛ばせますように。
なんの役にも立たない話でも、ほんの数分だけでも、現実から飛ばせるなら。
それだけのために書いている。
避難所の少年は、今なら20代だろう。
読んでいたことすら、覚えていないかもしれない。
私も震災の時のことを覚えているようで、年々何かを忘れていく。
あまりにもあの時、起きたことが多過ぎたから。
対処していくだけで、記憶に残す余力はなかった。
東日本大震災以降、避難所の個別スペースができるような工夫ができるようになっている。
小さなテント、ダンボールの間仕切り、カーテンを使った空間の使い方。
もうあの映像のような避難所の光景を見ることはないのだろう。
それでも目に見えない場所で、傷を隠すために、癒すために、思考と感覚の紙一重のギリギリのところで、今も物語は彼らの心を守っている。
12年目も、3月11日14時46分に、黙祷を捧げる。