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登場人物紹介①大慶直胤

この小説は小、中学生のお子様方にもお読みいただけるよう、なるべく簡単にかみ砕いた表現を心掛けています。



歴史にお詳しい方や読書に明るい方には物足りない、馬鹿にした表現と思われてしまうかも知れませんが、どうぞご承知おきください。よろしくお願いいたします。

まずは「そもそも大慶直胤って誰?」ってところから。



大慶直胤(たいけいなおたね)


大慶直胤(安永8年=1779年~安政4年=1857年)は江戸時代後期、刀の世界で『新々刀期』といわれる時代の刀工である。師である水心子正秀、源清麿と並んで『江戸三作』と呼ばれる。享年79歳。



『松代藩の荒試し(真田家試刀会とも)』の伝承では山寺常山(やまでらじょうざん)が直胤を罵倒するシーンが



・松代藩に来ている直胤の目の前で刀を折って「大偽物!!」と罵り、直胤が「ご内聞に」と言って急ぎ大坂に逃げるパターン。(坂城町鉄の展示館 山浦真雄・兼虎作品集より)


・「今ここに直胤が居れば「大偽物」として真っ二つにしてやるのに…運のいい奴め!」と手紙に書くパターン。(ネットで広まってるのはこちらが優勢?)



の2通り存在する。どちらが真実か、あるいはどちらも真実でないのか…。真相は私にはわからない。



天保7年に直胤が信濃に行っていること。その後天保8年に大坂に行っていることは現存する刀や書状から確かなので、天保8年がどんな時代かというと、



・『大塩平八郎の乱』が起こる。



・直胤 58歳

・山寺常山 30歳

・『松代藩の荒試し』の主役である山浦真雄 34歳

・山浦真雄の弟、源清麿 24歳


・韮山代官、我らが江川英龍さま 36歳

・遠山の金さんこと遠山金四郎景元(とおやまきんしろうかげもと) 44歳

・プロローグで直胤の刀で兜を斬ったと『お手持ちのお宝を鑑定士が鑑定する番組』で説明された男谷精一郎信友(おだにせいいちろうのぶとも) 39歳



・勝海舟 14歳

・吉田松陰 7歳

・近藤勇 3歳

・土方歳三 2歳

・徳川慶喜 0歳


(数え年と実年齢が混ざっちゃってるかも。めんどくさいから直してない。すみません。大体このくらいと軽く認識してください。)



鬼の副長こと『土方歳三 2歳』という字面の破壊力に霞んでしまいそうだが、大事なのは、直胤は『日本の夜明け』世代が活躍する少し前の『夜明け前』時代の人ということだ。





以下は『新刀、新々刀の歴史的背景 江戸の日本刀(東洋書院)』という伊藤三平先生の著書から抜粋させていただく。



大慶直胤は水心子正秀(すいしんしまさひで)の弟子であり、新々刀の第二世代の代表工であり、当時の刀剣界の名士である。



山形の鎌鍛冶の家に生まれ荘司箕兵衛という。同郷の縁で江戸の水心子正秀に師事する。大慶と号して直胤と名乗る。



文化9年(1812)に師と同じく山形藩主秋元家に抱えられる(一説に文化8年)。



ここで大事だと私が思うのは、『山形藩の秋元家に抱えられる』という点である。『お抱え鍛冶』とか『お抱え工』とかいわれる刀工は、抱えられる藩から『士分』を与えられる。



『士分』とは藩や時代によって差があるようだけど、ものすごくざっくり書くと、



・だいたい足軽(農民の身分)に近いほどの下級武士に相当する『武士としての身分』をいただき家臣となり、『名字帯刀』を許され『扶持(ぶち)』と呼ばれる給料をいただき『藩の御用(役職)』を務めるもの。



らしい。



文字通り『藩に召し抱えられる』ため、普通は仕える藩は1つだけだと思うのだが、『松代藩の荒試し』の尾ひれはひれの中には『松代藩お抱え鍛冶の直胤』と説明されるものまで存在する。



それはなんか多重国籍的な問題があるのでは…。



直胤はあくまで山形藩秋元家に仕え、松代藩からの刀剣作製依頼は『外注を受けた』ものであり、山形藩主との契約の中で



『自藩である山形藩の人達からの注文は株主優待のように割り引き、他藩の人達からの注文は割高にする』



という決まりがあったらしい(藩によってはお抱え鍛冶が他藩に刀を作るのを禁じるところもあったらしい)から、『松代藩の荒試し』でいわれる



直胤の刀は高い!



は直胤のせいじゃないのよね。




話を戻します。直胤は文政2年から各地の弟子、支援者の元に出向いて駐鎚して作刀し、その地を刻印にして中子(茎、なかご)に刻するようになる。



初期の文化期の作刀には師・正秀と同様に濤乱刃(とうらんば)がある。(濤乱刃とは、打ち寄せる波のような華やかな刃文のことで、技巧的な刀が流行った江戸時代中期の『新刀』に多く見られる刃文。)




上手で器用な刀工で、



・柾目肌(まさめはだ、直線模様)で、刃文は直刃(すぐは、直線的)で、沸(にえ、刃文の境目の粒)は中程度の大きさである『大和伝』


・刃文は直刃で、沸が小さい、上品な印象のある『山城伝』


・柾目肌が混じった板目肌で、刃文は互の目、沸が弱く匂(粒子が小さく霞のようになっている)である『美濃伝』


・板目肌で、刃文は互の目(ぐのめ、鋸刃模様)などで、沸が大きい『相州伝』


・木目肌が混じる板目肌(木の年輪のような模様が不規則な指紋のような模様に混ざる。)で、刃文は丁子文(連続する丁子の実のような模様)など派手で、沸はほとんどなく、乱れ映り(刃文と鎬の間の霞のようなグラデーション)がある『備前伝』



の、五箇伝(ごかでん)といわれる日本刀の五大流派をすべて作ることができた。



あとは仲田正之先生の書かれた『実伝 江川太郎左衛門(鳥影社)』で『インテリ』と表現されていたり、上記の『新刀、新々刀の歴史的背景 江戸の日本刀(東洋書院)』で『支援者や弟子も多く、恵まれた刀鍛冶生活を送る』と書かれている。



『松代藩の荒試し』でこれほど罵倒され、たやすく折れるとレッテルを貼られているかのように思われる直胤が実は支持者も多く、恵まれた生活ができていたことを今後テーマを追って紹介していきたいと思っている。



次回ようやく『松代藩の荒試し』の内容紹介。奥歯をギリギリ噛みしめながら綴ります。






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