プロローグ
新々刀期の三大刀工の一人、大慶直胤。彼にはいわゆる『松代藩の荒試し』という不名誉な伝承が残されている。それを基に書かれた小説が拍車をかけて、ネットの普及で爆発的に拡散されて、『水心子正秀の弟子で有名なだけ、見た目が良いだけの駄刀』という誤解が広まってしまっている。
ところが近年、世界遺産になった『韮山反射炉』に彼が大きく関わっていたことが江川文庫の研究で明らかになった。
時は江戸時代末期、『松代藩の荒試し』が行われたのはペリー来航の嘉永6年。激動の時代に生きた彼を当時の人々はどう見ていたのか。荒試しにはどのような思惑が隠されていたのか。
別に刀に詳しいわけでもなく、日本史を専攻したわけでもない、古文書の読み方なんて知らないただのアラフォー主婦がググった程度の話ですが、それでも直胤の異常なバッシングに一石を投じることができたらいいなと思い、頑張って書いてみます。なんたって直胤は韮山反射炉や台場(洋式の海上砲台)築造・日本初の洋式帆船『ヘダ号』製作の責任者、『江川英龍様』の師匠だもん。私は江川様ファンである。
そしてこれが一番大切なことだが、私は直胤を上げて山浦真雄(「やまうらまさお」だが「さねお」とも呼ばれる)や清麿を貶めたいわけでは決してない。
(登場人物については後ほど詳しく書きます。)
『真雄と清麿とそれから直胤、みんな違ってみんないい』と思っている。『推し』を褒めるために他の刀工や他担を攻撃するのはオタクのマナー違反だもん。
『プロローグ』
某有名な『お手持ちのお宝を鑑定士が鑑定する番組』に『大慶直胤の刀』が出品された。依頼人の希望額1300万円に対して評価額は500万円。
鑑定士の柴田氏いわく、「刀は名品で直胤のものに間違いない。ただ、直胤という刀は昔の方が高かった。銘文は「男谷信友の館において兜を六回斬った。 折れない曲がらないで兜は斬れた」と書かれている。」
直胤の刀が『折れず曲がらず、兜を斬った』という事実がテレビで伝えられたことに私はめちゃくちゃ喜んだ。鑑定を依頼してくれた方、ありがとう!!そしてその後何日も直胤の汚名が晴れたことを期待して直胤関連の情報をネットで検索してみたが…あれ?
『お手持ちのお宝を鑑定士が鑑定する番組』の話題はちらほらとSNSに上がってはいたが、直胤の汚名返上には至らなかった。
ネットでは依然として、『松代藩の荒試し』で、ポキポキとたやすく折れたという話の方がずっと多く載っいた。汚名は1度広まってしまうと尾ひれが付きまくってもはや人格まで『狡猾』とか、『負けてそそくさと足早に逃げ去った』とかまで書かれている。
そのような直胤の汚名の元になった『松代藩の荒試し』とはどのようなものだったのか。そしてそもそも『直胤』を知っている同時代に生きた人々は彼及び彼が作った刀をどのように評価していたのか。整理整頓大嫌いな私ですが何とか書き散らさないよう、整理して綴っていこうと思っている。