冒険はめんどくさいし疲れそう 1話
うっすら目を開くと、そこには美しい彫刻が施された天井が見える。
狼が月を呑み欲さんとした瞬間を、躍動的に描かれている。
半分眠っているような、半分起きているような、ふわりとした微睡み。
ふかふかの寝台に枕。
染み一つないシーツに、身体が沈んでしまいそうなほどの心地よさ。
ヴァルハラの硬い布団とはまったく違った、まさに天国かと思うくらいで。
」
仁はもう少しだけ眠気に身を任せようかと思ったが、あまりぼけぼけとしていては怠けポイントを消費してしまうことになる。
仕方なく起き上がろうと思ったとき、脳天気な声が滝と降り注いできた。
「ほらジン。新しい朝だよー。希望に満ちあふれた朝だよー。いつまでも布団にくるまってないで、あの朝日を見て、飛び込んでいくつもりで、さあ、目覚めよー」
朝からこの元気はどこから来るのか。
宿の一室を縦横無尽に飛び回るカルラに、仁は意気地を削がれたように鼻白むといった気勢で、二度寝をすることを固く誓ったのであった。
「嫌だ。まだ寝ていたい」
「ほら、起きているなら布団から出よう。ね」
カルラは母親じみたお節介な優しさで語りかけるが、断固として動こうとしない。
「嫌だ。たとえポイントが少しかないとしても、俺は全力でこの微睡みを堪能するんだ。俺は、絶対に、布団から、出ない!」
「そんな無意味なことにポイントを使わなくてもいいじゃなの。ほら、あたしと一緒に体操とかしよ? 手を振って深呼吸ぅ。なんなら歯磨きに着いていってあげよっか?」
「そういうわけでお休み。さあ、全力で怠ける!」
「ちょっと、ねえったら、ジンさんってばぁ、あたしの話を聞いてよぉ! ねえってばぁ……」
妖精を誘い拒む障壁。
仁はきっちりとすべてのポイントを消費するまで寝台から出てこなかった。
その間にカルラは、仁を一生懸命起こそうと試みるが、どれもうまく行かず、終いにはぐずる始末で。
「起きてって言ったのにぃ、障壁を這ってまで拒絶するなんてぇ、あんまりよっ!」
「さてと、そうだ、歯磨きに行くがどうしてもと言うなら着いてきていいぞ」
「むぅぅぅぅぅぅ」
カルラは頬を膨らませ、仁に不平を訴えかけるのであったが、彼にはどこ吹く風、柳のように流されてしまったのだった。
「まったく、ジンってばひどいんだから! なにもポイントぜんぶ使わなく立っていいじゃない!」
机の上にはパンとバターとコーヒー。
腕組みなどして、新聞でもあれば読む振りをし、優雅な朝の一時を演出したことであろう。
ジンはコーヒーを口に含み、カルラは勝手にパンを千切って起こりながら食べていた。
そんな光景に妖しげな笑みを浮かべ、誰に聞かせるわけでもなくぽつりと。
「ふっふっふ、やっぱりだ。怠けるの基準はあの女神だ。だからまあまあ緩い。あんまりがちがちに縛り上げると自分の首を絞めかねないからな。朝のコーヒータイムとか、昼のおやつタイムとか、少々の時間なら、きっと、休息として処理され、怠ける扱いにならないのだろうさ」
「それほっほ、はたしはちのもくへっへっへ」
「飲み込んでから言え。飲み込んでから。何を言っているか分からん」
カルラは妖精サイズの小さなタンプラーの中身を、はしたなく盛大に空を仰いでごくりと飲み下した。こういった物にはそれ相応の作法という物があって、大酒蓋に注がれた発泡酒か、炭酸飲料水だったのならば口蓋に押し込んで音を立てるくらい豪快に飲み干すのが似つかわしいが、綺麗な装飾のまばゆいガラス製の。
光の屈折を楽しみ、目と喉で清涼な水を味わうのとでは違うだろう。
しかしこの場にはそんなこと気にするような者はいない。
「わたしたちの目的忘れてないよね?」
「ああ、女神様がうっかり無くした落とし物の捜索だろう」
「違うわよ!? いや、違わないけど!? それじゃあ女神様がドジしたみたいじゃない。遺失した黄金の指輪の捜索よ! 良いわね。無くしたんじゃないの。遺失したのよ。戦時の混乱で盗まれたり、奪われたり、行方知らずになったり、とにかく失われたの!」
「それで、だ。手がかりはあるのか?」
その言葉にカルラが飛び上がり、もったい付けるようにタメ、ふんぞり返るくらい胸を張りながらはっきり。
「まったくないわ! だから一生懸命探しましょう!!」
などとのたまった。
仁は盛大に溜め息を突くと、こめかみを揉む。
肉体的な疲労よりも精神的な疲労の度合いが強く、彼の正気がガリガリと削れていく勢い。
「とりあえず、これからどうするかだが……まあ、まずは金か」
「そうよ。こんな一等客室になんかに泊まるから、所持金がすっかり空っぽよ。なにか働き口を見つけないとあたしたちは餓死するか、帰るかの二択しかないわ! もちろんこんなことじゃあ帰してくれないけどね!」
「働くとかめんどくさい……」
「ふっふっふー。そんなジンにうってつけの仕事があるわ! 運が良ければ一攫千金。運が悪ければこの世とおさらばな仕事が。それに、指輪の情報も入ってくる素晴しい仕事よ!」
――――2――――
これは絶対価値が上がると、初等教育の同級生の言葉を信じ、良く分からない食玩を買ったときの気分がこれであろう。結局それは当たるどころか、そっと、誰にも知られることもなく消えていった。同級生は読み間違えたかなーといって、笑っていたが、彼の的中率は一割にも満たないと知ったときのやる瀬なさと言ったら。仁はまんまとカルラの口車に乗せられてしまったことを早速後悔した。
「冒険者とか……めんどくさいし疲れそう…………」
夢も希望もないことを呟く。
「そもそも、|冒険者組合なんて聞こえは良いけど、結局は日雇いとかの仕事の斡旋組合じゃないか。儲けは良いよでも危険はいっぱいだけどね! みたいな」
他のギルドと違い、徒弟制度や師事する親方も無い。
各地方冒険者組合と中央総会の二つの組織により運営されている。
各地方領主、他組合、ギルド会員などから出資を受けており、その組織や個人がし辛い仕事などを請け負っているという側面もある。
確かに、危険で人を選ぶ仕事を引き受ければ金回りは良いが、五体満足でいられる保証は無い。逆に言えば安価で安全だが人があんまりやりたがらない仕事なども回ってくる。
そんなギルドの受付の真ん前で、濁って白くなった魚の、死んだ目をして立っているのだから邪魔なことこのうえない。律儀に後ろに並んでいた女性騎士っぽい見た目の少女が、用がないなら退いて下さいと丁寧に返すと、彼はそのまますっと横にずれた。
辺りは石と煉瓦造の立派な建物で、ここが冒険者発祥の地などと言う謳い文句があるのだそうで、周りにいる人間もぎらぎらとした目つきの、名を上げようとする意思がひしひしと感じ取れるばかりか、ごろつき紛いの人間も混じっているように見える。
向こうでは遊興にふけているようで、なにやら勝負事をしているようだ。
「そうだ。仁にこれをあげるわ」
「なにこれ?」
カルラが手渡してきた物は、手巾だった。
「あたしがダメにしちゃったから。せめて同じ色を探してきたの」
「…………ありがとう」
「ふっふっふー。あたしって気が利いて可愛らしくて役に立つでしょー」
「その一言が余分だと俺は思うんだがなまったく」
「あっ、待ってよー」
つかつかと受付まで歩いていく。
総合窓口は、一番から五番まであるようで、そのすべての受付嬢がまったく同じ容姿をしているということに気付かされる。
目元の隠れた、中性的で、ある部分も平たく、女性なのか男性なのか、ぱっと、一見するだけなら分からなくなりそうな見た目。それでも、その声音、物腰から、はっきりと女性であると分かる。
仁は思わず近くにいる利用者らしき人に、「あの人達は……」などと尋ねると、どの利用者も言葉を濁らせ「あれはそういうものなんだ。気にするな……」という答えしか返ってこない。
もはや考えても仕方ないと、五つ子なのだと、勝手に納得した。
仁が受付に辿り着くと、底抜けに明るい声が掛かる。呑気で間延びしたとも言う。
「本日はどういったご用件ですかー?」
「いや。えっと。ああ、登録してギルドの依頼を受けたいのですが」
「はい。登録に10、組合証の発行に10、お一様で合計20デナリいただきまーす」
仁は財布を取り出し、降ってみると、中からからからと寂しい音が聞こえた。
中味をぶちまけてみると、数枚のコインがからんと、机に転がる。
「ひとーつ、ふたーつ……。ふむ。2デナリ|(400円程度)しかない。あ、おねーさん。とても綺麗ですね。ぼく、憧れちゃうなぁ」
「えー、そうですかー。お世辞でも嬉しいですー」
「それでですねぇ。ちょっとばかりまけてもらえませんか? あ、ダメならツケとかでも全然構わないんですけど」
「申し訳ありませんけど、まけることは出来ませんので。いくら褒めたってダメなものはダメですよ。わたしたちはそんなに安い人間ではありませんのでー」
「あ、でもお兄さんわたし好みですよ」
「えっ、あなたそういう趣味だったの!?」
「あの目つきの鋭いところが、ちょっと、イジメてもらえるかなって」
「うわー。聞きたくなかった!」
「知られざる真実ってやつねー」
と、窓口を挟み次々と会話を続ける受付嬢達。
あまりにも長くなりそうな上に、建設的なことは何一つ熾りそうもない会話に、仁は「そうですか。残念です」とだけ言って、くるり。
そそくさと受付から立ち去り、カルラの元まで戻ると、妙に力のこもった声で頷く。
「よしっ、詰んだ!」
「ちょ、ちょっとそこであきらめないでよ!」
「だって無理なものは無理だろう。金もない。ポイントもない。ないない尽くしでこれはもう使命は失敗しましたって帰っても良いくらいだ」
「良いわけないでしょう!? それにせっかくだからふかふかの寝台で眠って、おいしい食事に有り付こう――なんてジンが言い出さなかったら持っていた所持金で足りるどころかおつりがくるくらいだったのよ!」
「あっはっは、聞こえないなぁ。それにうまいうまいって隣で喜んで食べていたお前も同罪なのだ。あれだけの金を一夜にして消し飛ばしたなんて知れたら。な? さあ一緒に地獄まで行こうぜ!」
「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
半ば自棄気味に親指を立てる仁と、頭を抱えるカルラ。
騒々しく喚いていたとき、遊興にふけっていた男連中から声が掛かる。
「おい兄ちゃんたち。そこで騒ぐくらいならこっちに来て勝負しないか?」
「無理だろう。あんなひょろそうな奴が」
「だが、あの顔見ろよ。金に縁がなさそうな凶悪な面をしているぜ」
「ほら、腕相撲だ。参加料は10デナリだが、勝てば賞金50デナリ! 更に参加料まで戻ってくる親切設計ときたものだ。で、どうする?」
持ちかけられた提案に仁達はこそこそ相談し始めた。
「良い話じゃない。受けて立ちましょう。大丈夫負けなければいいの。たとえ負けそうになっても踏ん張ればいいの。手が机に付かない限り負けじゃないもの」
「えぇ…………いやぁ、あの人顔怖いし、体格も良いし、疲れそうだし……」
「最後のが本音でしょう!? あたしたちには後が無いの。この期に及んでイヤだなんtね言わないよね?」
「――イヤだ。めんどくさい」
「なんでそんなに怠け者なのよあなたは!」
「俺はめんどくさい作業をやれば助かる、やらなければ死ぬという二択を迫られれば死を選ぶ。そういうやつなのさ」
「格好付けているつもりかも知れないけど、ぜんぜん格好良くないからね!?」
実際に実績があるのだから質が悪い。
「あっはっはっは」
豪快な笑い声。
昼日中の曇り硝子に陽の光が間漏る。飯時の間延びした気勢に、ぴりりとした空気が流れる。声の主は腕相撲の相手と覚しき、熊みたいな男で。
彼は「兄ちゃん達面白いな」と相好を崩すが、取り巻きの男達は仁達を妙に演技掛かった仕草で小馬鹿にし始める。
「やるだけ無駄だじゃないか。賭けにならない。アロイスさんが勝つに決まっていますよね」
「あんな瓢箪鯰に何が出来るんだ。否、無い!」
「言われているわよ。ジン」
「その通りじゃないか。俺のことを良く分かっている」
仁は間延びした声で頷く。
否定するどころか、自分のことを良く分かっているとばかりに肯定するものだから、男達も毒気を抜かれもする。実に暢気な。逆を言えば大物とも言えるかも知れないが、ただ面倒ごとに巻き込まれたくないだけである。
緩やかな仕草は、良く言えば鷹揚で、悪く言えば締まりが無い。
「いや、俺の見立てではなかなか良い肉をしている」
意外なことに仁を擁護するのはアロイスと呼ばれた男だった。
値踏み、というよりも、凝と熱の籠もる目が少し恐ろしい。
「いやいや、ちょっと気怠い達人みたいな雰囲気を醸し出しているが騙されちゃだめだ」
「そうだ。どうせその妖精もぴーちくぱーちく囀ることしか出来ないに決まっている。ははは、お似合いの仲間じゃないか」
「ひどっ! あ、あたしだってやるときはやるのよ! 今はそのときじゃ無いだけで。それにジンだって良いところも少しくらいあるような気がするんだから」
「それは俺をけなしているのか?」
「やれば出来るっていうのは、出来ない奴の常套句だろう? それだけでかい声で喚けるなら朝を知らせる鶏になることをおすすめするぜ。ほら、羽根が付いているところとかそっくりじゃないか。はははは」
「ぐぅぅぅぅっっ!!」
悔しそうに歯がみをするカルラ。
顔を真っ赤にして自分の服の裾を握りしめている。その顔は自分のヘソでも噛み千切らんばかりの形相で。しかし怒りのボルテージが上がりすぎたためか、言葉にならない呻き声をあげている。
仁はというと、少し考え込み、そんな怒髪天を突くカルラに語りかける。
「なぁ、仮にも同じ宿で食事を取った仲って、世間ではどの程度の仲の認識なんだろうか? 家族とは言わないまでも仲間って事で良いんだろうか?」
「えっ?」
カルラは仁の突然の言葉に、一瞬、呆気に取られるが、すぐさま気を取り直して答える。
怒っているはずだったが、なんとも生真面目な妖精なのだろうか。
「うーん。あたし友達がほとんどいなかったからわかんないけど、それくらいの仲ならもう、仲間とか友達で良いんじゃない? あ、じゃあ、あたしとジンはもう仲間ね!」
「もの凄く悲しいことを聞いた気がするけど。なら、ちょっと頑張ろうかな……」
彼女と出会ったときに話していた境遇を考えると、涙が出てきそうで、そういえばそれで吐瀉物まで出したのだから、根の深い問題なのだろう。
再びカルラの顔を見遣ると、そこには想像していたものとは別、ただ、目を白黒させて仁を心配そうに見つめていたのであった。
その慈愛に満ちた表情は、母猫が子猫に向けるぬくいもので。ただ一言、「頑張る」などと言ったものだから、悪い病気に掛かったのではないかと気を向けている様子。
「えっ、急にどうしたの、道端に落ちている物を食べたらダメよ。お腹痛いなら診療所までついていってあげよっか? それともエリーちゃん呼ぶ?」
「あの娘を呼ぶのはやめろ! 俺の気が変わったんだよ。さあ、このやる気は長く持続しないぞー。それでも良いのかー」
「それはダメ。ふれーふれー。ジンしっかりね!」
「応っ」
つかつかと男達の集団に歩み寄る。
アロイスは些かばつの悪そうな顔をしていたが、仁が勝負を受けると分かるや否やにかりと破顔する。取り巻きの男達も、愉快なことが始まったぞとどこか気もそぞろ。先ほどの悪辣としたにやけ顔が嘘のよう。もしかして挑戦者に発破を掛けるサクラか何かの役目じゃ無いかと訝しんでしまうほど。否、違うと仁は胸中で頭を振る。きっと賭け事の対象にでもしていたのだろう。鴨がやってきた程度の認識で、仁の怪訝な視線に気づくと、ぐっと、また不適な笑みを浮かべたのだから。
「それで、掛け金は?」
「無い! が、俺は代わりにこのよう…………いや、この短刀じゃダメか?」
仁が取りだしたのは、やや柄の長い短刀。それも使い込まれた業物の。ルーンが刻まれた。
「ねえジンさん。今、あたしを掛けようとしなかった!? ねぇってば!?」
「ふむ、なかなかの代物だ。掛け金の変わりにしては高価過ぎる物だが、いいのか?」
「構わない」
「ねえジンさん! ジンさんってばっ。ねぇっ。今あたしを掛け金にしようとしませんでした!? それでこいつじゃ金にならねえなって目を逸らしませんでした!?」
「じゃあ決まりだな」
「勝負を受けてくれるのならば全力でお相手しよう」
「ねぇってばぁっ!」
鶏のように妖精が泣き喚きながら、勝負が始まろうとしていた。
――怠けポイント0
――女神からの一言『呆れてものが申せません』