異世界で御作仁は怠けたい 4話
がやがやと、周囲が喧騒に包まれる。
野次馬が集まってきたようで、仁達を遠巻きに眺めながら、好き勝手なことを言い始める。まったく遠慮がないのは、当事者ではないものの気安さで、口から出る言葉には、責任など酒を飲んで吐く息程度にも含まれていない。
「おい、私闘だってさ」
「あんなひょろそうな奴で大丈夫なのか?」
「だが、目つきはチンピラみたいだぜ」
「顔の怖さが腕っ節の強さに関係するなら、俺の親父は今頃英雄だ」
「お前の親父、人喰い熊みたいな顔で菓子職人だもんな」
「それよりも、誰か助けてやれよ」
「無理だって。相手はあのドミニクだろう。変態男爵の」
「あいつかなりの手練れだって話だよな」
「素手で鬼豚を倒したらしい」
「それにあいつに近付くと変態が感染って噂だぜ」
「でも、あの子の首輪姿とか、ちょっと見たくね?」
という男の一言が皮切りになって、しん、と一瞬静まりかえったと思うと、野次馬の男共が顔を見合わせ、何やら意思疎通でも図ったかのように、一斉に頷くと。
「よし。どうせ弱そうだし、すぐにやられるだろう」
「だがまて、表立ってドミニクを応援なんて出来ないぞ。世間的に」
「ばか、心の中では負けろと念じ、言葉では勝てとでも言っておけばいいんだよ」
「なるほど。よーし。おーい、そこの奴、なんかがんばれー」
「そうだー。俺たちが応援しているぞー」
はっきりと彼等のやり取りが聞こえていた仁は、くるりと観衆の方角を向き、声を荒げて突っ込む。
「少しも応援する気ないだろう!!」
「そんなことないぞー」
「そうだ、俺たちがついているぞー」
「ちゃんと後ろで見守っているぞー」
「見守るだけだけどなー」
沙漠の砂の一粒ほども心のこもらない声援に、じっと、半眼になり、蔑んだような目を向け、あの野次馬共をどうしてやろうか、などと考える。
「ぐぬぅ……。どいつもこいつも勝手なことばかり言いくさりやがって……。こうなったら、このドミニクとかいう奴をぶっ飛ばして、あいつ等にざまーみろって言ってやる……!!」
暗い決意を胸に秘め、目は燃え、口はつぐみ、手をきつく握り締める。
そんな仁の気を知ってか知らずか、脳天気な声が降ってくる。
「大丈夫。勝てない相手じゃないわ。諦めなければ活路は見えるの! きっと!」
「敵は強大かもしれません。ですが、立ち向かうことで前に進むことだってあります。それに心配しないで下さい。傷はわたしが治します。ええ、何度でも立ち上がれるように。何度でも治します。治療、楽しい治療。うふふ」
ぴーちくぱーちくとさえずり、餌をねだる雛鳥でももう少しおとなしい。
二人は仁のことなど、切り揃えたばかりの爪の先程度にしか信用していないような口ぶりで、たとえ負けてしまっても、あれは酸っぱいブドウだと言いたげな、勝てないのは彼が強いから、だから大丈夫だと、勝負の前から慰めているような。
そうなればまっているのはエルヴィーラの身の破滅だというのに。
いや、むしろ仁は甘いレモンだと思っているのかもしれない。負けることなど想像していないような、負けても勝つまで挑み続ける。勝つまで挑ませ続ける腹づもりなのだろう。なんと恐ろしい。
「準備は出来たかね?」
「出来ていない。と言ったら止めるのか?」
「ははは、もはや君と僕とで決着を付けるまで終わらないのですよ!」
「俺は関係ないんだが」
「一人の女性を巡って勝負する。それもまた運命! なんと素晴しいことでしょうか! 君を倒して僕はまた一つ大人になっていく……」
「ああ、いい加減このふざけた騒ぎを終わらせて平穏を取り戻す!」
「では始めましょうか」
さっと、手甲のついた指ぬき手袋をはめると、コインを一枚取りだし、それを仁に見せてから投げて見せたのは、きっと、開始の合図のつもりなのだろう。大仰な動作で決闘と言い放ったことことからも、どこか舞台役者じみた気色を感じる。
が、ただうさんくさいだけであろう。
仁はコインには目もくれず、ただ目の前のドミニクを、やる気のない目で見遣る。
コインが地面へと落ちる瞬間、ドミニクが手甲に刻まれた文字をなぞる。
するとその文字が、淡く光ったように浮かび上がる。まるで力を持ったように、途端、熱を帯び始めるのだ。
「さあ、僕は油断しません。最初から全力で行かせて貰いましょう」
仁をちらりと一瞥すると、ドミニクは力ある言葉を発する。
「――右手には力の魔法文字。
――左手には速さの魔法文字
――解き放たれよ我が力。パワー・アクセラレーション! 開始!」
拳を顔の前で構え、脇をしっかり締め、拳闘の構えを撮る。
拍子を刻むように、軽く足踏み。
ぐっと、足に力を込めると、蜂の如き俊敏さで仁へと接敵するのであった。
対して彼は、とろんと、眠たげな目を向け、今にも眠ってしまいそうで、まったくやる気がない。
「ふむ? いや、そうやって僕の油断を誘っているのでしょう。だがしかし、油断してひどい目にあったことがある僕からすれば笑止千万。ああ、あのときの失敗を乗り越えて、また一歩僕は強くなったのでした……」
一瞬、毒気を抜かれたようにドミニクはいぶかしんだが、すぐに気を取り直すと、感涙にむせび泣いたように自分の身体を抱きしめ、そしてまた仁へと向き直るという忙しさ。
道化師じみた滑稽な動きに、それだのに、彼のスピードは留まることを知らず、先ほどよりももう一段階早く、氷の上をスケート靴で滑っているかのように進む。
矢の如く、一直線へ仁の元に辿り着き、その拳を彼の顔面に力一杯叩きつけようとした瞬間。仁がぽつりと。
「怠ける」
衝撃の瞬間につぶやき、拳が鼻っ面に吸い込まれたように見えたが――、感触は空気の塊に触れたような、まるで手応えがない。
ドミニクは自分の攻撃が防がれたと考えると、次の一撃を喰らわせるために、今度は軽く左の甲を相手に向かって放とうかと一瞬悩むと。
あろう事か仁がぱたりと、倒れ伏したのだった。
「ふふふ、手応えがなかったような気がしましたが。ちゃあんと打ち倒して――え!?」
が、仁はただ寝っ転がって手枕。
涅槃仏の如き姿勢を取るが、かの建造物と比べては申し訳ないどころか、起き上がって殴られても文句が言えないであろう。神々しさなどまったく無い、宇宙の法則の範疇にある、端っこの、漂うデブリ程度の価値もない。
仁はあろうことか、寝っ転がったままごろごろと反対側まで転がっていくという暴挙。
「うわっ、危ないっ」
「ごーろごろごろ」
ドミニクにぶつかるように転がったため、彼が慌てて避けようと跳んだのだった。
仁は適当な所まで転がると、止まり、ぬっと、年寄りじみた緩慢な動作で起き上がる。
その身体には、砂埃一つついていないようだった。
「解除っと。なるほど。これは便利だ。だが、7秒も消費してしまった。こんな戦いに使うのはなんかもったいない気がするな。もっと、こう、自堕落の限りを尽くし無為に消費しなければならない……!」
と、仁が呟いている間に再び接敵するドミニク。
今度は先ほどの渾身の右ストレートではなく、それを交えた複数のコンビネーションで仁を打ち倒さんと欲するが、仁は先ほどと同じように、今度は逆側へと転がっていった。
そのあまりにも気の抜ける仕種に、ドミニクはおろか、周りの人間まで叫んだ。
「僕をバカにしているのですか!?」
「もっと真面目に戦え!」
「そうだ、遊んでるんじゃないぞ!」
「今晩の酒代が掛かっているんだ。しっかり負けろ!」
口々に勝手なことを言う。
仁は野次馬達に振り返り、堪らず言い返した。
「うるせぇ! 本気で怠けないと防御出来ないだろう!!」
そのあまりにも意味の分からない逆上に、辺りは一瞬静まりかえる。
どうやら聞いていたドミニクですらぽかんと口をみっともなく開いているようで、構えた拳も下がっている。
仁は、隙有りとばかりに彼の懐に潜り込むと、すっと、側面へと回り、視界の端へと消え、
「隙有り! ヴァルキュリア流格闘術、空中回転蹴り!!」
「はふんっ」
軽やかな動作で跳び上がると、呆気にとられているドミニクの横っ面を、足の裏で蹴りつけたのであった。
「ぐっ、なんて卑怯…………」
よほど良い所に入ったのか脳を揺らされたのか、ドミニクはそのままぐらりと身体を傾かせると、白目を向いて倒れ伏してしまった。
仁は倒れたドミニクに向かって、はっきりと、冷笑とも呆れとも徹夜明けの高揚感とも言えない、妙な声音でぽつりと、
「ふははは、油断した君が悪かったのだよ」
悪役にしか見えなかったという。
そんな仁に向かって、納得できない野次馬は、口勝手に野次を飛ばす。
対して仁は彼等に向かって、最初に決めたとおりに言い放った。
「ははは、ざまーみろ。勝利は勝利だ!」
しかし罵声は鳴り止まず、余計にひどくなっていく。
「ぶーぶー」
「外道!」
「ゲス!」
「畜生!」
「お前のかーちゃん、でーべーそー」
「さて、そろそろそのうるさい口を閉じてくれませんかぁぁぁっ……」
ぴきぴきとこめかみに青筋を浮かべ、悪鬼羅刹と見紛う表情を浮かべ、般若の面など可愛らしいくらいの代物で、決して悪を打ち倒す義侠の徒とは比べるだに出来ない、邪悪で、おぞましいなにかへと成り果てている。
そんな彼を前にした群衆が、さあっと、合図も為しに一斉に逃げだしたのは流石としか言いようがない。
散った蜘蛛の子を追いかけるのは骨が折れ、とてもじゃないが捕まえることが出来ないであろう。仁は適当な所で諦め、戻ってくると、ドミニクを治療しているエルヴィーラの姿があった。
杖を掲げると、魔法文字が浮かび上がり、呪文を発し、彼の頬の痣がたちまち消えていった。
そして、ドミニクが意識を取り戻し、起き上がろうとした瞬間。
エルヴィーラが「ふんっ」と声を上げると、力一杯彼の頬を杖で的確に殴打したのであった。
「ぐげぇっ……!!」
蛙が発する断末魔のような、なんともみっともない最後の言葉。死んではいないが。
再び治療魔術を掛け、殴打しようと試みる彼女に、仁は恐怖を覚えながら尋ねた。
「あの、いったい何をしていらっしゃるので?」
「ええとですねぇ。わたしも怖かったし、気持ち悪かったし、すっごい逃げて、疲れて、それを思い返すとちょっとだけ怒りが込み上げて来ましてですねぇ。ですが、無防備な人間を殴るというのは、仮にも治療の魔術の使い手としてはちょっと……と思いましてですねぇ。ならば治してから殴れば、わたしの趣味も達成できるし、罪悪感もなく、尚且つ気分が晴れやかになるというおまけ付きでしてぇ」
「へ、へぇー、そうなんですか」
その言いようのない偏執的な狂気が含まれているような気がして、関わりたくない気持ちが仁を敬語にさせ、思わず後退り。
関わり合いになってはいけない人物だと、仁の心の中で、彼女に対する危険度が、警鐘が鳴り響くほど上がる。警報度は火事か嵐か蛮族の襲撃かというくらい。
さっと踵を返し、片手をあげると、そのままさっさと逃げだそうとして、
「じゃあ俺たちはこれで……」
「待って下さいっ!」
「ええい離せ!」
「これもなにかの縁だと思うんですよぉ」
「くっ、なんだこの握力は……! ふりほどけないっ」
子泣き爺かと思うくらい、ひしと掴んで、女性だから婆などと失礼なことを考える余裕もなく、仁の身体に巻き付くように取付いて離れない。
しっかりと背中に負ぶさる形で乗り、このまま重さが増大し、終いには押しつぶされるか、さもなくば底なし沼に足が浸かり、そのまま果てのない泥の海に沈んでしまいそうな気勢。
「契約書はわたしの面倒を見てくれるって話じゃないですかぁ」
「ええい、そんなもの無効だっ、それに俺はあんたと契約するつもりなんてない」
「わたしを仲間にして頂けるのならば、貴重な治療の魔術がついてきますよぉ」
「間に合っている。それに俺たちは何の変哲もない善良で普通な一般人だぞ!」
「それでも全然構いません。ああ、一緒に泣いたり笑ったり出来る人がいるのって素敵だと思いませんかぁ。わたしもいろいろな方と出会って、お仕事とか魔物退治や探索などお供したのですが、なぜかその後にお声が掛からないんですよねぇ」
仁はエルヴィーラの言葉に、訝しげに顔を歪ませ、鼻梁に皺を寄せる。
「いや、それはあんたが治療ジャンキーな所に恐怖したからだと思うが」
「そんなっ!」
エルヴィーラは目をまん丸に見開き、取り乱したように頭を打ち振ると続ける。
「ちょっと治療をしているときに恍惚とした表情になっているかもしれませんけど、ちょっとまだ治りきっていないと言って何度も治療をさせて貰うことをねだったこともありましたけど、そんなの些細な事じゃないですかぁ。ほんのお茶目ですよ」
「ええい、それが問題だと言っているんだっ」
「そんなっ、それはわたしのアイデンティティーじゃないですかぁ。それを失ったらどうしろというんですか。皆さんのお役に立つことも出来ないじゃないですか。傷を負った人を癒やすことも出来ないじゃないですか。いったいわたしは誰に治療の魔術を使ったらいいんですかぁ」
「最後のが本音だろうっ!」
ふいっと、エルヴィーラが横を向いたのを背中越しに感じると。
「分かる。その気持ちあたしには分かるわ! 誰かの役にたちたい気持ち、それなのに現実はなかなか思い通りに行かないもどかしさ! ほら、ジン、彼女をわたしたちの仲間に向かえ入れましょう!」
「ああああ、めんどくさい奴がめんどくさいことを言い出した」
仁は頭を抱えたい気分になったが、背中の少女のせいでそれも叶わず、試しにぶんぶんと身体を降ってみたが、がっしりと首にしがみついているエルヴィーラは決して手の力を緩めることはなく、足を宙にぷらんと浮かせるばかり。
そんな彼女が仁の耳元でぽつりと。
「言ったじゃないですかぁ。地獄までお供しますよぉ」
その低くうねるような言葉は、地獄の鬼でも恐怖しそうなほどで、さながら背後霊か、さもなくば清姫のような、彼女の掻き抱いている物はきっと、安珍の入った鐘なのであろう。そうなれば決して離しはしない。
「あああああああ、分かった。分かったからもう離してくれっ!」
彼女の持つ偏執的な執着と気質に、仁の心はついに折れ、肯首せざるを得なかったという。
――怠けポイント60
―― 女神からの一言『状況はどうあれ、人助けは人助けです。初回なのでおまけしておきました』