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異世界で御作仁は怠けたい 2話

異世界で御作仁は怠けたい2



「うぇぇぇぇ……」

「ああ……鼻からも吐瀉物キラキラしたものが……」


 仁達の居る場所は通りの真ん中で。

 それだのに盛大に胃液と昼食の化合物をぶちまけるという醜態しゅうたいをさらけ出して、もはや彼等に近付くものはいない。ただ、必要以上に眉をひそめ、関わり合いにならないよう、早足で通り去っていくだけ。実にむさい光景である。

 胃の内容物から今日の食事が知れるというものだが、それをすれば二度とその料理が食べられないような気がして、止めた。


 仁はカルラの背中を、まるで繊細な硝子細工がらすざいくを研磨するような慎重さでさすってやる。

 これ以上揺すれば、鼻どころか、目頭からも溢れてきそうで怖かったのだ。


 無理にこらえたせいで、鼻から吐瀉物キラキラしたものが流入し、ひどいを通り越して、凄惨せいさんな姿に成り果ててしまっている。カルラに片想いをしている相手が見れば、たちまち百年の恋が冷めるどころか、苦い顔をして、彼女のあわい想いを無かったことにして、きびすを返し、さっと逃げだしてしまうことが容易に想像出来てしまう。

 そして好きだった気持ちに栓をして、二度と開封しないであろう。


 仁は下衣ズボン縫袋ポケットから青色の手巾ハンカチを取り出し、未だに嘔吐えずいているカルラに向かって差し出す。

 海産物が腐ったようなえた臭いがするカルラの。

 瞳には大粒の涙が溜まっており、弱々しく、あえかで頼りない、蚊の鳴くような声で。


「うぅ、あ、ありがとう……こんなあたしでも見捨てないでくれて……」

「いや、さすがにこの状態で見捨てられんだろう。いくら俺だってそこまで鬼じゃない」


 カルラはべそべそと泣くばかりで、鼻水とも涙ともいえない液体を拭こうともせず、力なく頭を垂れ下げ、項垂うなだれるばかり。

 仕方なく仁が、赤子を相手にするように優しい言葉を掛けて、鼻まで拭いてやった。

 するとようやく落ち着いてきたのか、目と鼻は赤らんだままであったが、話が出来るほどには回復したようだ。


「うぅ、お、お見苦しいところを……」

「確かに見苦しかった」

「うぅぅぐぅぅぅ」

「すまん口が滑った。待った、もう済んだことだ。気にするな。俺は気にしていない!」


 導火線に火が付いた爆弾でも相手にしている気分であったが、辛抱強く堪え、ゆっくりと、子どもに絵本を読み聞かせるように語りかける。


「それで、俺にかかっている魔術について、説明して欲しいんだが」


 『説明して欲しい』という言葉に、ぱっと表情が華やぎ、さながら水を得た魚という勢いで、鼻をずっと啜ると、その一言を待っていたと得意気な顔になり、それどころか奇妙な笑い声まで上げる始末で、仁は彼女の吐瀉物キラキラしたものに汚れた手巾ハンカチを覆い被せながら耳を傾ける。

 彼女は自分に役割が与えられることに、喜びを感じるらしい。


「えひひひ。そう、あたしに説明して欲しいんだ。あたしに。えひひひ」


 よっぽど嬉しかったのだろうと、沙友は奇妙なものを見るような顔つきで彼女を見遣る。

 思わず「嘘だ」などと横やりを入れ、冷や水を浴びせたい気分がもたげて来たが、これ以上余計な刺激を与えると、彼女の胸のうちに深く根付いた暗い部分に触れそうで、面倒なことになりそうだったので口をつぐむことにした。

 また|吐瀉物(キラキラした物)の世話は御免被るというのが本心。


「ごほん。あなたには魔術が掛けられています。この魔術はあなたが怠けすぎないようにするための、いわゆる『怠惰強制ギプス』なのです」

「そんなことを考えるのは……あの女神か……まったく、俺が四六時中怠けているような言い方じゃあないか。酷いな。あんなに修行を頑張っていたのに」

「あなた隙あらば逃げだして怠けていたらしいじゃない。酷いときには一日中戦乙女様達と隠れんぼしていたらしいじゃない」

隠密行動スニーキングと言ってくれ。愛想が尽きたとか、あきれ果てたとか言いながらも、諦めないで見つかるまで捜してくれるんだぞ。俺はそれを周囲を気にしつつ隠れながらぼーっと眺める。ふはははこれぞ最高のまどろみ!!」

「あなたがとことんダメな人間なのが良く分かったわ……」


 どの口が、と、先ほどの醜態しゅうたいを見せたカルラに仁は非難じみた視線を送るが、先ほどのように嘔吐おうとされても困るので、見るだけに留めておく。


「それで、こいつの機能は俺を不当に束縛するだけなのか。むちはもういらん。飴をよこせ飴を」

「それは残念ねぇ! でも、完全に怠けることを封じられているのではなく、怠ける為には怠けポイントというものを消費しなければならないの。これを消費することでようやくあなたは怠惰で自堕落な生活が出来るわ。飴と鞭ね」

「いや俺にとっては鞭にしかなっていないんだが。それで、結局怠けポイントはどうやって使うんだ」

「女神様が独自に判断するポイントシステムよ。ほら、チョーカーの後ろの牡丹を押すと、現在のポイントが可視化されるわ」

「あぁっ、これか?」


 首元を探ると、確かにボタンの様な凹凸おうとつがあった。試しに押してみると、ぴかっと光り、仁の目の前にポイントのような文字が表示されたのだった。


「怠けポイント40。女神からの一言『働け』って、なんだこれは!?」

「それが怠けポイントよ。その表示は他人に見えないから安心して」

「それはなにが安心できるんだ。俺への配慮のつもりなのか」


 仁は半眼で呻いた。

 そうすると人相の悪い顔が更に悪くなり、まるで恐ろしい地頭のよう。


「プライバシーに配慮しているでしょ?」

「ええい、こんなんで配慮になるか! まあいい、それよりもこのポイントの意味は?」

「1ポイントにつき1秒。40ポイントなら40秒怠けることができるのです」


 その言葉に仁は驚愕に目を見開き、この世の終わりとばかりに頭を横に振り、少々の間の後、カルラに詰め寄った。


「たったの40秒!? ケチ!! 40億ポイントぐらいくれたっていいだろう!?」

「億って……。なにか勘違いしているようだけど、これはあなたの更生が目的なのよ。それにポイントを消費している間は怠けられるんだからいいじゃない!」

「ああああああうるさい。この際怠けられるなら40秒だって構わん!」


 うおーと気の抜けた叫び声をあげて、やはりこれから怠けようという人間にはあるまじき気合の入れようで、さながら周りに宣言しているような気勢けはいさえ漂わせる。仁はそのまま、力ある言葉、発動呪文である「怠ける」と発し、そのまま後ろへ大の字になって倒れ込んだのである。

 その刹那、カルラの口が「うわぁっ」と開かれたのが見えた。目は口ほどにものを言うとは良く言ったもので、彼女の視線の先。すなわち仁に向かって、驚きとも、呆れとも、気遣いとも、心配とも取れる色を含ませた目を向けると――視界から消失した。

 仁の耳には馬のいななきが届いたであろう。

 視界を遮ったのは、馬車の腹だった。

 彼は馬車に轢かれた、いや、踏んづけられたのである。


 仁の腹の上を車輪が通過したのはそんな時。

 往来おうらいの真ん中で寝っ転がるなどという、実に考え無しの行動の結果であろう。

 馬車に轢かれるなどと、なんとも凄惨せいさんな目に逢う。


 カルラは顔を手で覆い、指の隙間からちらちら仁の様子を確認しようとしている。

 今ひとつ、大丈夫と言って駆け寄る踏ん切りが付かないのは、彼が夏の道路に飛び出て潰れた蛙を想像しているからだろう。でろんと、口やその他の部位から内蔵が飛び出ていれば、もはや忘れることの出来ない悪夢になることは必須である。


 仁が倒れ込んでから10秒ほど経過した頃だろうか。

 むくりと、何事もなかったように起き上がった。


「ふう、死んだかと思ったぜ」

「だ、大丈夫なの!?」

「いたって健康だが」


 ぺたぺたと腹の辺りを触ってみる。違和感はない。欠損もおそらく無い。

 地面に残るわだちの跡も、彼の上で消えているようで。かといって服に泥の線が残っているわけでもない。

 せいぜい寝っ転がったときの、尻が少々砂にまみれていることを除けば、傷一つ無い健康な体そのものの姿。

 馬車自体は仁を轢いたことなど気付いていない様子で、そのまま通り過ぎていってしまった。

 もっとも、車輪が通る瞬間に倒れ伏すという、命を投げ売る行為をする男がいるなどとは、夢にも思わなかったであろう。轢いた衝撃もなく、乗り上げも滑らかに済んだというのならば、道が悪かったと思われてしまった可能性もある。当の本人が無事なのだからなおさらで。


「うむ。俺の怠けたいという一心が、怠けられるだけの魔術を、自分への攻撃を弾く障壁へと強化したのだろう」

「そんなことは……いえ、確かに魔術の力は本人の素養によるところが大きいけど」


 どうにも納得がいかないという顔つきで、カルラが持っていたメモを必死で読み込んでいる。


「えっと、えっと…………やっぱりそんなことどこにも書いていない……。きっとジンの怠けたいという強い意思が、自分に都合の悪い物を拒絶する、外へ弾く力になったのね!」

「なんか、その表現が微妙に気に掛かるんだが、まあいい。それよりもこのことに対してなにか申し開きはあるか?」

「ほんとうに助かっちった☆彡」


 などと、ポーズを取って謝罪する姿が、やたらに仁の神経を逆撫でる。つまりイラッとした。

 妖精ながらそこそこ主張している胸を張りながら言い放つカルラに、仁はじっと、えた目を向け、ぽつりと彼女の心を抉る言葉を呟く。


「役立たず」

「うぐっ」

「無能」

「うぐぐぅ」

「仲間はずれ」

「うぐげぇ――って、あ、あたしに精神攻撃を仕掛けないでよ! ちょっと忘れただけじゃないの! ごめんなさい許してよ! その言葉を聞くと、また、こう、気分が悪くなってくるの!! 吐くわよ。吐いちゃうわよ。吐いた挙げ句に泣き喚くわよっ!! 泣き女バンシーのごとく!!」


 頬を膨らませ、半泣きに形ながら訴える彼女に。


「うむ。気分も晴れたし良しとするか」


 などと実際に晴れ晴れとした顔つきで言い放つ様に、カルラがきっとにらみ付ける。


「あ、あたしをもてあそんだのね!」

「あっはっは、なんのことやら」

「ひどい! きっと女に貢がせるだけ貢がせて、最後に、ぽいっ、て捨てるようなさいてーな男なのよ! みなさーん。聞いて下さい。あたし、この人に遊ばれて捨てられましたー」

「こらっ、人聞きの悪いことを大声で叫ぶなっ。それよりも、だ」

「なによ」

「それでどの程度俺が快適に過ごせるのか書いていないのか?」

「ふっふっふ、そう簡単に自由に行くと思ったら間違いよ! あたしはね。あなたが万が一にでも食事も取らずに怠けすぎて死んでしまわないように近くに居るのが役目なの! もしも食べるのを忘れていたらちゃんと食べないとダメよって優しく語りかけるの!」

「君は俺の夢に出てきて語りかけてくる精霊かなにかか? それよりもだ。ひどいな。まるで俺が度を超した怠け者のような言い方。さすがに怠けすぎて死ぬことなんてない。よ?」

「どの口が言うのかしら……」


 カルラはじっとりと呆れ眼で見据える。

 対して仁は明後日の方角に目を向け、口笛さえ吹いている始末。

 実際に怠けすぎて命を落としたのだから説得力は皆無であろう。


「ふむ。なるほど。発動の間は怠けることに干渉されないのならば、ある意味最強の防御魔法と言っても過言ではないのかもしれない。まあ、そんな有意義なことに使いたくないけどな。ふふふ、誰にも邪魔されず、邪険にされてもどかすことも出来ず、働いている奴の目の前でだらだら出来るなんて最高じゃないか! どうにかして怠けピントを稼がなければ……」

「ポイントは人助けをしたり、ちゃんと仕事をこなしたり、社会の歯車として馬車馬のように働けば加算されるわ」

「あー、なんて面倒な……寝ていたら勝手にポイントが溜まるとかにしてくれると俺は嬉しいぞ」

「そんなにすごまれたって、あたしにはどうすることも出来ないし……」

「役に立たないな」

「うわーん。あたしだってがんばっているの! 妖精にだって心はあるのよ。ちょっとでも褒めてくれたら嬉しいなーって思うの」

「断る」

「ねえねえ、良くできましたって褒めてくれると嬉しいなーって」

「ええい鬱陶しいっ。お前をけなすところはあっても褒めるところなどないわ!」

「そんなっ……!? あたし誰からも褒められたことがないの。だから褒めて欲しいと思うことがそんなにも悪なのっ。ねぇ、ねぇってば。お願いよぅ。ちょっとはあたしの話しを聞いてよぉぉぉぉぉ……」


 などと、カルラが仁に取り縋るように袖を引っ張るが、彼はまったく意に介さず、涙目になりながら、必死で「褒めてよぉ」と懇願する彼女のなんといじらしい姿、とするにはあまりにも捨て身で、顔中の様々な場所から液体を噴き流すのは乙女、いや、妖精としていかがなものだろうか。


「どいてくださぁぁぁぁぁぁい!!」


 と、露天通りを全力で突っ切る少女が居た。

 叫びながらもの凄い勢いで、さながら暴走した馬か、止まることを忘れた猪のよう。

 つまり一心不乱に脇目もふらず、ただただ直進しているのであって、仁達は迷惑なことにこの通りのど真ん中に突っ立ってた。あからさまに邪魔であるが、先ほどの奇行を見せられた通行人達は、触らぬ神にたたり無しといった様子で、触れないように避けていた。ので、彼等の周りはぽっかりと空間が出来ていたのであった。


 少女が走りづらい雑踏を避けるのは自然なことであり、仁達の前に躍り出たのも必然で、お互いに「わっ」と小さくこぼすと、勢いのまま彼の体に吸い込まれていった。

 どんっという音と共に仁にぶつかる少女であったが、彼に対しての衝撃は思いのほか軽く、逆にぶつかった少女がふらりと後ろへ転がるように倒れてしまった。

 どさりと、一回転しながら尻餅をつく少女の。

 逆上がりの途中のような格好で止まってしまっていて、つまり少女のスカートがめくり上がり、下着が丸見えになってしまっていたのであった。

 ペティーコートの裏地と、真っ白なフリルの下着ズロースが――――。



 ――怠けポイント30

 ――硬度:怪獣が踏んでも壊れない

 ――女神からの一言『働け』


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