【短編】「えっ、はんぶん魚ってキモッ」と婚約破棄された人魚姫はニンゲンの世界で真実の愛を探す
昔むかしのある日のこと。
海洋国家バホエマール王国の、海に面した白亜の王宮にひと組の男女の姿がありました。
一人はエリオット王子。
このバホエマール王国の王子です。
もう一人はアリール姫。
この国の誰も知らない「アトランティカ王国」という国からやってきた美しいお姫様です。
「それで、話ってなんだい、アリール。僕たちの結婚式のことかな?」
「ううん、違うの。私、エリオットに伝えたいことがあって」
嵐の夜、海で遭難した王子を助けたのが二人の恋のはじまりでした。
すれ違うこともあったけれど、想いが通じ合った二人は婚約者となりました。
「エリオットに隠しごとはしたくないから……」
「なんだい? 美しいアリールの秘密ならなんだって許してしまいそうだ」
「ふふ、よかった。あのね、エリオット。私————」
さて。
バホエマール王国の王宮には庭園があります。
その中には、「海洋国家」らしく海をモチーフにしたプールがありました。
秘密を打ち明ける。
王子にそう告げたアリール姫は、水辺に近寄って靴を脱ぎ。
足先を、ちゃぷっと水に浸しました。
そして、アリール姫がなにごとか呟くと。
「——私、人魚なんだ」
アリール姫が履いたスカートの裾から魚の尾びれが覗きます。
さらに、巻きスカートをほどくと、お姫様の下半身は魚のものになっていました。
それを見たエリオット王子は、最愛の人の真実の姿に動じることなくニッコリ微笑む——ことはなく。
王子は、顔をしかめて言いました。
「えっ、はんぶん魚ってキモッ」
「エリオット…………?」
あからさまにがっかりした王子は盛大なため息を吐きます。
いままでにない王子の姿に、アリール姫は動揺を隠せません。
「だいたいさ、下半身が魚ってすることできないじゃん」
「え? エリオット、なんのことを、それに、私の秘密ならなんだって許せそうって……」
「はー。やっと顔も体もタイプの女を手に入れたと思ったんだけどなー。マジかよ、クソ」
お姫様から目を離して、王子は頭をかきむしります。
こんな王子の姿を、アリール姫は見たことがありません。
伸ばした手は取られることなく、アリール姫の唇は震えています。
「ああ、婚約は破棄ね。俺、卵にかける趣味はないんだわ」
そう言うと、王子はアリール姫の元を離れていきました。
胸元から、通信用の魔道具を取り出して。
「あ、もしもしデボラちゃん? 今日ヒマー? 夜這っちゃっていーい?」
どこぞの女と会話しながら。
美しい庭園のプールサイドには、アリール姫が一人ぽつんと残されました。
「ニンゲンって難しいなあ。恋って難しいなあ」
そう言って、はらはらと涙を流すアリール姫だけが。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「なにソイツ、サイッテー!!! 処す!? 海ごとぶちまける!?」
「お、落ち着いてアクア! そんなことしなくていいから! 波が高まってるから!」
アリールが婚約破棄を言い渡されて三日後。
傷心のアリールは海辺を訪れていた。
波打ち際の岩場に腰掛けて、アリールはつま先を海に浸している。
アリールの話し相手は海の中にいた。
興奮しているのか、バッシャバッシャと尾びれを海面に打ち付けている。
アリールと仲の良い姉の人魚、アクアである。
「こんなの落ち着けるわけないじゃない! ちょっとソイツ海辺に連れてきなさいよ!」
「ダメよアクア、仕返しなんて」
「はー、もう、アリールは甘いんだから」
傷つけられた本人になだめられて、アクアは怒るのをやめた。いったん。
「じゃあ一緒に帰りましょ。やっぱりニンゲンの世界じゃなくて海の底の方が楽しいわよ?」
「ううん、帰らない」
「えー? アリールにそんなこと言うなんてニンゲンってサイテーじゃない?」
「ううん、いいニンゲンもいるし、ニンゲンの世界は楽しかったわ。エリオットはアレだったけど」
「そう……アリールったら頑固なんだから」
海から顔を出したアクアは困ったように笑う。
と、アリールが座る岩場に、海から一匹の蟹が這い上がった。
赤黒い甲殻は硬そうで、立派なハサミは鉄さえ切り裂きそうだ。
「帰らないのか?」
「うん、心配してくれてありがとね、セバスト」
蟹が突然話はじめても、アリールが驚くことはない。
なにしろ蟹のセバストは、幼い頃から一緒に海底で過ごした友人なので。
「それで、目的地はあるの? もともとはあのクソ男に会いたくてここに来たんでしょう?」
「とりあえず、隣の国に行ってみようと思うんだ。そっちにはいろんな種族がいるんだって!」
「へえ。アトランティカみたいね」
「ふさふさの毛並みで耳が頭の上にあるニンゲン?もいるみたい。猫とか犬みたいな」
「ああ、たまーに海辺を散歩してる子たちね。それならこの辺にもいるんじゃない?」
「ううん、それが、立って歩いてるの!」
「ふーん。変わってるのねえ」
「うん。……だから、私も受け入れてくれると思って」
「アリール…………」
一度はひどく傷つけられたのに、アリールはまだ「ニンゲンの世界」に憧れていた。
ほかの国なら、自分を受け入れてくれる人がいるだろうと。
恋に破れても、「ニンゲンの世界」は楽しかったと。
「俺も行く」
「セバスト? 無理でしょあんた」
「ありがとう、セバスト。気持ちだけもらっておくね。セバストはあんまり海から離れられないだろうから」
「王より秘宝をいただいた」
蟹がガサゴソと胸元を漁る。
硬い甲殻しかなさそうなそこから、光る玉を挟んで取り出した。
「それは何? お父様、そんな宝持ってたかしら」
「セバスト、あんたまさか……」
二人の言葉に耳を貸さず——耳はないが——セバストは取り出した光の球を飲み込んだ。
すぐに、封じられていた魔力が弾ける。
まばゆい光に包まれて、アリールとアクアが目を閉じる。
二人が目を開けた時。
「これで、俺も行ける」
そこには、一人の男がいた。
頭から爪先まで包む全身甲冑の色は赤黒い。
ところどころゴツゴツしたそれは、どこか蟹の甲殻のようだ。
かたわらには大きな盾と剣もある。
「はー、ほんとに使うなんて……」
「セバスト、なの?」
「そうだ、アリール姫。恋や、ニンゲンのことはわからぬが——」
岩場に腰掛けたアリールの横に、人化したセバストが跪く。
「——アリール姫のことは、俺が守ろう。海底の頃と同じように」
「ありがとうセバスト! ニンゲンの世界を楽しむ仲間だね!」
アリールはセバストの手を取り、いっぱいの笑顔を浮かべてぶんぶんと手を振る。
アクアはその様子を見て、あちゃー、とばかりにぺしっと額に手を当てた。
こうして、ニンゲンの世界を旅する仲間?を得たアリールは、バホエマール王国を出て隣国に向かった。
もちろん、アリールを守るため海を離れた蟹の騎士も。
一方で、アリールの姉であるアクアはアトランティカ王国に帰ってすぐに王宮に向かった。
アリールが受けた仕打ちを、姉妹の父に報告するために。
「——ってことなのよ! ヒドくないお父様!?」
「ふむ……」
「いくらアリールが『仕返ししちゃダメ』って言ったってさあ! 私許せないんだけど!? どうなのお父様! どうなのアトランティカ国王ポセイドン!」
「アリールは、王子に名乗ったのだな? アトランティカ王国の姫だと」
「そう言ってたわよ。じゃないといくら想い合ってても、ニンゲンの世界の王子が婚約しないでしょう?」
「アトランティカ国が、海底にある我らの国だと知らずとも——国の、姫だと知っていたと。けれどアリールにこのような仕打ちをしたと」
「お、お父様? ちょっと魔力高まりすぎじゃない? あ、あれ、私、煽りすぎたかな」
「それはつまり、我らが、アトランティカ王国が侮られたということ! 許せるはずがなかろう!」
「おーい、お父さまー? 愛するアリールが傷つけられたからって言い訳がオオゴトすぎませんかー? ポセイドンさまー?」
「愚かなニンゲンの王子よ、ニンゲンの国よ! 海を司る我らの力を知るがいい!」
「あの、お父様? アリールは仕返しはダメって言ってましたからね? 直接やっちゃうとあの子悲しんでお父様のことを嫌いになっちゃうかもしれませんからね? 私忠告しましたよ?」
「む、それはいかん! だが黙って見過ごすことなどできん!!!」
「それは私もよ! だから、みんなに相談してやり方を考えましょ」
「うむ! みな集まれ!」
その日、アトランティカ王国では王たるポセイドンの呼びかけに応えて、知恵ある者たちが王宮に馳せ参じたという。
こうして、王が愛する——国民からも愛される——姫を蔑ろにされたアトランティカ王国の、復讐がはじまった。
ニンゲンは誰一人知らぬうちに。
それどころか、のんびりニンゲンの世界を旅するアリール姫本人も知らないうちに。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
アリールとセバストは海ぞいを進み、海洋国家バホエマール王国を出て、隣の国にたどり着いた。
そこは、雑多ながらも活気のある大きな港町だった。
「さて、これからどうしようかなー」
「姫さ……アリール。流れのニンゲンは、『冒険者』になって稼ぐといいらしい」
「へえ、詳しいのねセバスト!」
「カモメに聞いたんだ。…………姫様に不自由な暮らしを送らせたくなくて」
「何か言った?」
「いや、なんでもない。さっそく行こう」
港町の冒険者ギルドという、いかにも荒くれ者が多そうな場所でもアリールが絡まれることはなかった。
斜め後ろにいる、全身甲冑のセバストが睨みを効かせていたので。
ちなみに格好こそセバストの方が物騒だが、実際に戦った場合は圧倒的にアリールの方が強い。
アトランティカ王家の血を引くアリールは魔力量も多く、息をするように水と風の魔法を使いこなす天才だった。
とにかく、隣国に着いた二人は、冒険者となって活動をはじめた。
海洋国家バホエマール王国の王宮は、混沌としていた。
「陛下、大変です!」
「安心しろ、宰相よ。漁村の不漁であれば、今年の税を減免するよう指示をしたところだ」
「迅速な決断ありがとうございます陛下。ではなく! いえそれもあるのですが!」
「ええい、落ち着けい。あの愚息がまた何かやらかしたか?」
「先日ふらりと王宮を出て以来、山の離宮に滞在しているようです。いえ、それでもなく!」
「いずれ始末をつけねばならぬな。して、どうした」
「何やら不穏な言葉が聞こえましたが、いまはそれどころではありません。航路が!」
「航路? 探索中の南洋航路で何かあったか?」
「南洋航路だけではありません! いま我が国が使っている航路すべてが航行不能となりました!」
「…………は? なぜだ?」
「それが、原因がさまざまなのです! 潮の流れが変わった場所、クラーケンが新たな住処と定めたらしき海域、昨日までなかった岩礁に航行を阻まれた地点もあります」
「なんだそれは!? モンスターはともかくとして、自然現象が同時に、だと?」
「はい。別ルートを探ろうにも、このようなことが同時に起こったため『海の神がお怒りだ』と船乗りたちが恐れをなし……」
「無理はあるまい。して、船乗りや民に被害は? 民はどれほど亡くなったのだ?」
「それが、一人も。一人も死んでおりません」
「…………は?」
「漁師のほかにも、この状況が続けば困窮する民は多いでしょうが……いまのところ、人命はいっさい失われておりません」
「不幸中になによりの幸いか。ならば立て直せよう。宰相よ、そなたの知恵を貸してくれ」
「はっ!」
各地の不漁、さまざまな原因により航路が使えなくなったこと。
いまのところ民の命は失われていない。
しかし、手を打たなければすぐにでも飢える者が出てくるだろう。
(王子と違って)真っ当な国王は、対処に頭を悩ませるのだった。
同時多発的に海洋で起こった事件の、原因は不明である。
港町で冒険者生活をはじめたアリールは、ニンゲンの世界を楽しんでいた。
「今日も水辺での依頼か」
「私たちの特徴を考えるとねー」
「すまん、不満なのではなく嬉しかったのだ」
「そうね、なんだかんだ水辺は落ち着くもの……あら?」
二人が冒険者になってから半年ほど経った秋のある日のこと。
今日は川を遡った森に自生する、とある植物の採取の依頼を受けて街を出た。
小さな滝の横の崖に生えている植物で、慣れない冒険者にとっては「危険なわりにおいしくない依頼」だった。
水に濡れた崖は滑りやすく、モンスターが出なくても命を落としかねない依頼だったので。
「たいへん! ニンゲンが川で溺れているわ! こんなに浅い川なのに!」
「ニンゲンは足がつく深さでさえ溺れることがあるそうだ。なんのための足だろうか」
「もう、セバスト! いまはそんなことより助けないと!」
なにやら考え込む蟹の騎士を置いて、アリールはためらうことなく川に飛び込む。
服を着たままスイスイ泳いで、溺れるニンゲンをすぐに助け出した。
人魚に戻るまでもない。
「大丈夫、ニンゲン! ニンゲン?」
「『獣人』だと思う。港町にはいない、熊という生き物の獣人だろうか」
「へえ、くま!」
「ガハッ、ゴホッ!」
「よかった、息してるみたい! 水の中で呼吸できないのは大変ね!」
一命を取り留めた熊の獣人は、出稼ぎのために港町に向かっていたらしい。
途中、魚を獲ろうとして足を滑らせ、溺れてしまったとか。
そんな話をしながら、三人は連れ立って港町に歩いていった。
アリールは溺れかけた彼が心配で、セバストはアリールの望むままに、熊の獣人は恐縮しながら目的地へ。
こののち、熊の獣人は恩返しするために冒険者となって二人と行動をともにする。
パワー派の彼はいい仲間となり、三人の冒険者パーティ「世界のかけら」は港町で名が売れていくのだった。
海洋国家バホエマール王国では、秋が過ぎて冬を越し、春になっても情勢は変わらなかった。
不漁は続いている。
あいかわらず航路はすべて航行不能で、代用航路も見つからない。
バホエマール王国から出る航路以外は問題がないらしく、王宮の面々は理由がわからんと頭を抱えていた。
そんな、春のある日のこと。
予算削減でわずかに荒れてきた王宮に、およそ一年ぶりに放蕩王子エリオットが帰ってきた。
「うーっす、父上。最近忙しそうですねー」
「ああ。わかったならさっさと行け。待て、エリオット。そういえば婚約者はどうしたのだ? お前が『婚約する』と言い出した時は驚いたものだが、いい子そうで安心していたのだが……近頃姿を見ないな。離宮に置いてきたのか?」
「あー、アレね。婚約破棄しました」
「…………は? いまなんと言った?」
「父上、耳が遠くなりましたか? 婚約破棄したんです」
「……聞くまでもないが、破棄を言い出したのはお前からであろうな?」
「もちろんです」
「コイツ! 王家の『約束』をなんと思っている!!」
「は? やだなー父上、あの婚約は書面もかわしてなかったじゃないですか。そんな正式な『約束』じゃないですって」
「あああああああああ!」
「陛下! 落ち着いてください陛下! お気持ちはわかりますが!」
アリールとセバストの二人に熊の獣人が加わったのが秋のこと。
それから半年弱が経った春、三人は港町の門の前にいた。
「そう、行っちゃうのね。せっかく仲良くなれたのに」
「出稼ぎだから仕方ねえだ。命の恩人のアリールさんにまだ恩を返し切れた気がしねえだが……」
「何度も言ってるでしょう? たまたまだもの、気にしないで」
「だども、冒険者活動の報酬まで均等にもらっちまって」
「いいのいいの。お金?って使い方よくわからないし」
「それはそれで心配だべ」
もともと冬の間の出稼ぎだった熊の獣人は、迷った末に予定通り街を離れることにした。
本人は「恩返し」を続けるつもりだったが、アリールとセバストが何度も「それは気にしなくていい」と言い聞かせた結果である。
「んじゃあ、アリールさま。いままでありがとうございました!」
「あ、ちょっと聞いてもいい?」
「なんだべ? おらにわかることならなんだって」
「えっと……その…………恋人は、いますか?」
「ああ! おら、故郷の村に幼なじみを待たせてるだ。んだば出稼ぎに来て、これで結婚して二人の新居を構えられそうだべ!」
「あっ。そ、そう、そうなんだ」
「それもこれもアリールさまのおかげだべ! 本当にありがとうごぜえます! この恩は一生忘れねえだ!」
「あっ、うん。じゃ、じゃあ、しあわせにね」
「何かあったらいつでも言ってくだせえ、おらいつだって駆けつけます! ありがとうごぜえました!」
最後に深々と頭を下げて、熊の獣人は港町を去っていった。
田舎の素朴な獣人は本当に悪気がなかったらしい。
どこぞの王子と違って。
「それで、なぜ婚約を破棄したのだ?」
「いやー、それが俺も騙されてたんですよ」
「ほう?」
「なんか、アリールは人魚で。はんぶん魚ってマジでキモいじゃないですか」
「ほう、人魚。………………人魚?」
「『お姫様』って言ってたけど聞いたこともない国だし、アレは騙りだったんじゃないかなーって。ひょっとして魔物だったとか?」
「人魚。お姫様。聞いたことのない国の…………?」
「そうそう。え? あの、どうしました父上? 俺の胸ぐらを掴んで」
「宰相! 儂はいまほど! この愚息の話を聞き流したことを悔やんだことはない!」
「御意に。衛兵!」
「え? 父上? あれ、その拳なんで、へぷっ!」
「お前のせいかぁぁぁぁあああああああ!」
エリオットの頬に国王陛下の拳がめり込む。
王子は奇妙な声をあげて吹っ飛んでいった。
王様の追撃は続く。
エリオットの護衛であるはずの近衛騎士は助けようともしない。それどころか救いを求めて伸ばされた手をさりげなくぺしっと足で払っている。さんざん振りまわされてきた近衛騎士(42歳独身彼女なし)は王子に思うところでもあったのか。
「ほ、ほやじ、なんで、ごふっ」
「陛下、その辺で。命を取ってしまってはマズいでしょう」
「はあ、はあ。うむ、そうだな。ここで殺しては収まるものも収まらんかもしれん」
「では……」
「ああ。…………いまはできぬが、情勢が落ち着けば早々に継承者を決めて儂は蟄居しよう。それでコヤツを愚息に育てた責任が取れるとは思わぬが」
「陛下、いまは先のことよりも」
「うむ、そうであったな。誰ぞ、コヤツを担いでついてまいれ」
「ち、ちちうえ? おやじ? なにを……」
国王を先頭に宰相、王子の両腕を押さえる騎士たちが王宮を歩いていく。
辿り着いたのは、海に迫り出した祠だ。
「海洋国家」を自負するバホエマール王国が、王宮内で海の平穏を祈る場所である。
柱に支えられて壁のない祠で、国王その人が海に向かって膝をつく。
「海よ! おそらく海の中にあるであろう、人魚が暮らすアトランティカ王国よ!」
国王が海に向かって呼びかける。返事はない。
が、返事はないままに、国王は続けて謝罪した。
我が国の王子が姫君に失礼なことをして申し訳ないと。
この程度で許しを得るつもりはないが、王子を煮るなり焼くなり好きにしてほしいと。
願わくば、面と向かって謝罪するために対話の機会を設けてほしいと。
そうして、一通り語ったのち。
「ちょっ、親父!? なにを、ヤバイ、溺れる、おれ泳げないんだって、わー!」
国王は、エリオット王子を海に投げ入れた。
しばらく頭を下げる。
王子が上がってこないことを確認すると、国王一行は祠から引きあげるのだった。
数日後。
王都の浜辺に、波に揉まれて?ボロボロになった王子が打ち上げられたという。
一命は取り留めたが、王子は海に投げ入れられてからの記憶が一切なかった。
ただ。
王子の腹には「いらん」と一言力強い文字が、背中には「海にゴミを投げ捨てないように」と美しい文字が書かれていたという。
その後、王子は廃嫡。
今後はずっとモンスターとの戦いの最前線に勤務させ、海のあらゆる恩恵を二度と受けさせない。
国王が海に向かってそう誓うと、婚約破棄に端を発した海の異常はようやく収まる。
そうしてやっと、国王も宰相も民たちも胸を撫で下ろすのだった。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
「はあ。これって振られちゃったっていうのかな」
「俺にはわかりません、アリール」
港町の門で、アリール姫と蟹の騎士が熊の獣人と別れたあとのことです。
アリール姫は、港街の喧騒から離れた岩場を訪れていました。
服が濡れるのもかまわず、岩に腰掛けて足を海に浸しています。
「そうだよね、別に『好きだ』って言ったわけでもないし、言われたわけでもないもんね」
「それは間違いありません」
「仲良かったと思ったんだけど、友情ってことかー。はあ、ニンゲンは難しいなあ」
お姫様は傷心中のようです。
ひょっとしたら、一目惚れした王子様との恋とは違う、友情からはじまる恋に胸をときめかせていたのかもしれません。
「またどこかへ移動しますか?」
「うーん」
王子に振られた時、アリール姫は拠点を移動してこの港町へやってきました。
あの時と同じように、蟹のセバストは気分転換を提案します。
「そうだ! 今回は、ちょっと海の底に行こうかな!」
「海の底……アトランティカ王国へ」
「うん! 傷心旅行じゃないのよ? ほら、私の宝物が置きっぱなしだし、ね? ひさしぶりに海の中の景色も見たくなったし!」
ニンゲンはそれもまた傷心旅行と言います。
けれど、セバストは首を振りました。
「申し訳ありません、アリール。俺は一緒には行けません」
「え? どうして? せっかくだし二人で遊んだ岩棚とか、冒険した海溝とか行ってみようよ!」
「俺は行けないのです」
「行けない? どうして?」
アリール姫は首をかしげます。
セバストは、行きたくないのではない。
小さな頃から一緒に過ごしてきた仲です、アリール姫にもそれは理解できました。
でも、無邪気なお姫様の質問の答えは——
「俺は、アリールと違って魔法が苦手ですから。これは、秘宝を利用した戻れない人化なんです」
——驚くべきものでした。
「…………え?」
「ですから、俺はアリールが戻ってくるのを待ってます。ニンゲンの世界で」
「なんで!? なんでそんな、戻れないって、じゃあ二度と海の中には」
アリール姫は慌ててセバストの手を取ります。
蟹の騎士が、お姫様に跪いたあの時のように。
「俺は、アリールを守りたかったんです。俺の知らないところで、ニンゲンの世界で、アリールが傷つくなんて嫌だった」
「セバスト……?」
「アリールが……アリーが、ニンゲンの世界を行くなら、俺が守る。そう誓って、ポセイドン陛下に秘宝を頂いたのです」
ここまで言われたら、さすがのお姫様も気づいたようです。
セバストの、熱のこもった瞳に。紅くなった甲殻——いまは鎧——に。
「アリー。俺じゃダメか? 俺は、アリーがいい。昔からずっと、この先もきっと」
「セバスト…………」
アリール姫の目からはらはらと涙がこぼれます。
王子に振られたあの時と同じように。王子に振られたあの時と違う理由で。
海の底からニンゲンの世界へ。
お姫様ははるばる旅をしてきましたけれど————幸せは、案外身近にあるのかもしれません。
ひょっとしたら、恋もまた。
めでたし、めでたし。