6.小さな命、大きな存在
時計の針は、三時を差していました。
部屋の中は綺麗に整頓されていて、しーんと静まりかえっています。
初夏へ向かう力強く眩しい光も、窓からこの部屋に差し込む頃には、優しく暖かい光となって、ソファーの上に落ちていました。
今までアイボリー色のソファーの上には、ミントグリーンとブルーの二つのクッションが置かれていたけれど、そこにもう一つピンク色のぬいぐるみが増えたように見えました。
それは子豚の形をしています。
ピンク色の体は小さいけれど、耳だけ大きく色もそこだけ白色をしていてとても目立ちます。
よくよく見ると、子豚のお腹は規則正しく上下に動いています。ソファーの上のピンク色は、今やすっかりエイブル家に馴染んだ白耳子豚のたんたんでした。エイブルが仕事で留守の間、たんたんはソファーの上のクッションの上で前足も後足もぽーんと投げ出して、お昼寝を楽しんでいました。
ちょうどその頃、エイブルは郵便局で働いていました。
お客さんはひっきりなしに郵便局を訪れて、エイブルの前に列を作ります。
今までエイブルは、やることが思い浮かばないので休日前は何となく憂鬱でした。あれだけ都会で働きに働いていた頃は、休みが欲しい、人間らしい暮らしがしたいと望んでいたのに、いざ、休日があると、眠ること以外に楽しみがなかったのです。
そうなると、エイブルは自分のことを、自分には何もなく、価値のない人間のように思えてくるのでした。仕事場では、お昼の時間に同僚達が休日の間何をしていたか、楽しそうに話しています。それにふんふんと、相槌を打つだけで、自分からは何も話すことがないのです。エイブルは、自分がつまらない人間だと、回りに思われているのではないかと思って、とても寂しく感じていました。
それで、やっぱり仕事が忙しい方が有難いと思っていました。
けれど、今のエイブルは様子が違います。
先頭のお客さんに笑顔で、「お待たせしました。今日はどのようなご用でしょうか?」と大きく明るい声をかけます。
エイブルは、今までもお客さんに丁寧に対応してはいましたが、こんなに楽しそうな明るい声は聞いたことがありません。一緒に働く同僚達は、エイブルに何か良いことがあったに違いないと思いました。
そこで三時の休憩の時に、同僚達はエイブルに、
「エイブルさん、何か良いことがあったのかい?なんだか楽しそうじゃないか。」
そう声をかけました。
すると、エイブルは口を閉じたまま、「んー。」と言いながら笑うような顔をしていました。自分の事を皆の前で話すのは、とても照れくさかったのです。
それでも、おずおずと「実は、子豚を飼いはじめまして…。」と小さい声で言いました。
「へえー、子豚?」
「何でまた子豚を飼おうと思ったんだい?」
「子豚って飼えるもんなの?」
口々に質問されて、思った以上に皆の反応があることに、驚いきながらもエイブルは子豚がどうやって家に来たのか、話しました。
三時の休憩が終わって仕事に戻ろうとしたエイブルに、皆は「今度写真でも見せてくれよ。」と声をかけてやっと持ち場に戻っていきました。
一度にたくさん話してちょっと疲れたエイブルは、深く息を吸い込んで、それからゆっくり息を吐きました。
まさかこんなに皆の反応が温かいとは、思っていなかったのです。
(これもみんな、たんたんのおかげだな。)
エイブルは今ごろ家で白耳子豚のたんたんは、何をしているだろうと思いを馳せます。
(次の休みは、たんたんのおやつを買いに行こう。そうだ、たんたんに首輪か何かつけてやろう。そしたら、一緒に散歩も行けるんじゃないかな。それからそれから…。)
エイブルの頭の中に、休日のやりたい事リストがどんどん書き連なっていきます。
エイブルは、白耳子豚のたんたんと一緒に散歩している自分を思い浮かべました。今やエイブルは、自分に纏わりついていた寂しさをすっかり忘れています。
「たんたんの小さい体に、小さい命が宿ってる。小さいけれど大きな存在。」
エイブルは、そうつぶやくと早く仕事を片付けて一刻でも早く家に帰ろうと、忙しく手を動かし始めました。