婚約破棄をしろと言われたけれど、身に覚えもなければスキャンダル捏造をされたわけでもなかったので原因究明をしてみたら、事態が斜め上に展開しました!?
そういえば婚約破棄とか悪役令嬢書いたことないなー、と思ってとりあえず婚約破棄騒動に手をつけましたが、書いててめっちゃ楽しいですねこれ。シチュエーションコメディというやつでしょうか? 思いついたら書きたくなるわけだ。
「ハリエット嬢! あなたの婚約、破棄していただけませんか?」
いきなりそんなことをいわれ、控えめに表現して困惑することになりました。
婚約を破棄せよというのもそうですが、それを切り出してきたのが、十六のわたくしよりも歳下であろう、十一、二歳くらいの、とても可愛らしい女の子だったので。
「……失礼ですが、どちらさまでしょうか?」
「申しおくれました! わたし、ヴィクトリア・ソレア=ファン・オトノータシュです! アルドルークの妹の」
可愛いレディがぴょこりとお辞儀をしてお名乗りになって、ようやく、半分ほどは意味がわかった気がしました。
オトノータシュ伯爵家のアルドルークさまは、たしかにわたくしの婚約者です。妹御がおいでだとはうかがっておりましたが、どうしてお兄さまとわたくしの婚約を破棄するようおっしゃるのでしょうか。
「ヴィクトリアさま、その、ご用向きの件は、伯爵閣下の、あるいはアルドルークさまのご意向でありましょうか?」
「いいえ! わたしの独断です!」
堂々たる態度です。このお嬢さんは間違いなく大物の器でしょう。
まあ、それとこれとは少々別問題ですけれど。
「ヴィクトリアさまから見て、わたくしはお兄さまの婚約者としてふさわしくない、そういうことでございますか?」
お名乗りになるまでわからなかったように、わたくしはヴィクトリア嬢と初対面です。ですが、彼女のほうはわたくしの顔を知っておりましたし、もしかすると、悪い噂が出回っているのかもしれません。
そう思って訊ねてみましたが、ヴィクトリア嬢はぶんぶんと首を左右にお振りになりました。さきほどから動作が大きくて、そのたびに縦巻きにセットされた左右の御髪が揺れるのが可愛らしいです。
「まさか! ハリエットさまはゴルディクス公爵家のご令嬢、本来、わが伯爵家などではとてもお迎えできないかたですわ!」
「それでは、どうして……」
「ハリエットさまのほうが格上、つまり、婚約破棄を告げる権利をお持ちでいらっしゃる! 兄のほうからはとても言い出せないことですから!」
わたくしの中で困惑がふたたび高まってきました。このお嬢さんはいったいなにを考えていらっしゃるの?
「アルドルークさまがわたくしを伴侶とすることにためらいがあると、ヴィクトリアさまへお話しになったのでしょうか?」
「いいえ! 人づてに聞くところでは、兄は、家格が釣り合わないならせめて人としてハリエットさまにふさわしい男にならなければと、ずいぶんはりきって日々鍛錬や礼儀作法の習得にはげんでいるそうですわ」
「……では、わたくしとの婚約が決まる以前からアルドルークさまをお慕いしている女性がいらして、ヴィクトリアさまはそれをご存じだということでしょうか?」
「いいえ! 兄は幼年学校から士官学校へ進みましたから、ご学友は男性ばかり、わたしと母以外の女性と話をしたのは、ハリエットさまが十二、三年ぶりです」
十二、三年前だとアルドルークさまは四歳か五歳、さすがに将来を誓い合う仲の女性はいらっしゃらないでしょう。そしてヴィクトリア嬢はまだ生まれていないでしょうから、当時のアルドルークさまの交友関係について知る由もないはずです。
わたくしは、アルドルークさまが士官学校を卒業して王国軍に入隊されたら結婚する、という話になっています。
ふだんは寮暮らしのアルドルークさまが夏期休暇で伯爵邸にお戻りになったときに、婚約パーティが開かれて、わたくしはその一度しかお会いしていないのです。そしてそのとき、ご両親とはあいさつしましたが、妹御については、いらっしゃるとしかうかがっていなかった。
アルドルークさまにはとてもよい印象を持ちましたし、以来お手紙のやりとりは欠かしていませんけれど。
「それでは、いったい……」
もう降参です。わたくしには婚約破棄をしなければならない理由が思いあたりません。強いて残る可能性をあげるなら、ヴィクトリア嬢が極度のブラコンで……しかし、ご本人に面と向かって問いただすべきではないでしょうし、ただの勘ですが、そんなことはないような気がします。
わたくしが完全に言葉を切らしたのを見て、ヴィクトリア嬢はさきほどよりすこしだけ低い声になって口を開きました。
「ハリエットさまに問題はありません。兄アルドルークに問題があるわけでもないのです。……ですが、おひとり――」
「さきほど、アルドルークさまに女性と接点はないと……」
「おっしゃるとおりです。アルドルークは、女性とはいっさい接点がございません!」
急にキラッキラとしたお目々になって、ヴィクトリア嬢はそうおっしゃいました。
ああ、そういうことですのね。そしてヴィクトリア嬢、あなたそういうの大好きなんですね……。
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アルドルークさまへ想いを寄せているかたがいらっしゃる。そのひとはご学友の、男性である。
ヴィクトリア嬢へ追加のご質問を二、三いたしまして、両想いの仲ではないということ、また、ヴィクトリア嬢は確信していますけれども、そのかたがアルドルークさまへ想いを告げられた事実はない、ということをうかがいました。
わたくしが行うべきは、事実関係の確認でありましょう。もちろん間違いないとはっきりして、アルドルークさまもそちらを選ぶとおっしゃるのであれば、身を引くのに吝かではございません。
ですが、寮制の上、女人禁制の軍学校で十年以上をすごされてきたのです。はた目には完全にそういう関係にしか見えなくとも、実際には深い男の友情で結ばれているだけかもしれないではありませんか。間接的な話を聞いただけで早合点はいたしかねます。
そう、わたくしとて、そう簡単にアルドルークさまをあきらめたくはない。直接お会いしたのは一度だけ、次にお顔を拝見できるのは士官学校の卒業式の日ですが、はっきりと惹かれているのですから。
そういうわけで、わたくしは即座に口実を設けて、士官学校の教練を視察することにしました。公爵令嬢としての特権を躊躇なく行使したのはたぶんはじめてです。ゴリ押し、効きますわね。
アルドルークさまやお相手のかた(仮)に余計なプレッシャーを与えてしまわないよう、お忍びで、という点について士官学校側には念を入れておきました。事前通告はなにもなし、わたくしたちは、たまたま士官候補生が教練をしている練兵場近くを通りかかっただけのことです。
……はい、ヴィクトリア嬢もついてきてしまいましたが、これはやむを得ないでしょう。彼女にも、ご自分の目で確認していただくほうがよろしいでしょうし。
士官学校の教練といっても、乗馬をして、徒競走をして、レスリングをして、まあ、普通の体育競技のように見えます。ここでは武具を用いての戦技訓練は行わないようです。陽射しが少々強すぎるのが難点ですが、青春の汗が舞い散る光景は、なかなか見ごたえがあります。
……というか、見物客、多いですわね。オペラグラス片手にきゃーきゃーいってる女性陣、いっぱいいらっしゃるんですけれど。
わたくしたちのような嫁入り前の若いのから、確実にどこぞの奥様連であろう妙齢の淑女組まで。
「士官候補生追っかけ趣味というのがあるのですね、知りませんでした」
日傘を開いた下で芝生の上にハンカチーフを敷いて腰をおろし、わたくしはヴィクトリア嬢へちょっぴり含みある声をかけました。
こんなことなら、わざわざ事前の根回しせずとも堂々とやってこられたではありませんか。目立つとまずいかと思って、馬車も仕立てず従者も連れず、ふたりだけで行こうだなんて気を揉む必要はなかった。
……周囲のかたがたがしっかりお弁当準備してきているのを見てしまいますと、余計に。教練ずっと見ていたらお腹減りますわ、これ。士官候補生のかたたちも途中でお昼休みあるでしょうし。
オペラグラスでぴったりとマークをつけたまま、ヴィクトリア嬢は完全に悪気のない声でこうおっしゃいます。
「名家の子弟が多いですからね、候補生は。玉の輿狙いから、ご息女の連れ合いさがしまで、青田買いをしようと考えるかたは多いんですよ。……ハリエットさま、あれを!」
ヴィクトリア嬢が示すほうへ、わたくしもオペラグラスを向けました。アルドルークさまのおとなりに、黒髪の体格が良い殿がたがいらっしゃいます。周りの候補生のひとたちと比べても、ひとつふたつ上のように見えるのですが。
「あのかたが、例の……?」
「ジャスティン=オーウェルさまです。貴族ではありませんが、先の四年戦争で目覚ましい武勲をお立てになり、特例として士官学校への入学を許されたかたですわ」
なるほど。だから幼年学校から上がってきた貴族の候補生たちとは、同学年であってもお歳は違うというわけですか。オーウェルという姓の勇敢な若者の話は、そういえば父がしていたような気がします。
「オーウェルさまが、その、アル――」
いってるそばからわたくしも息を呑みました。オーウェルさまがたくましい腕を伸ばして、アルドルークさまの肩に回します。触れんばかりに顔を近づけて……!
『アル、どうなんだ、例の彼女?』
『昨日また手紙が届いたよ。姿形だけでなく、心も美しいかただ。おれにはもったいない』
「……え、ヴィクトリアさま、読唇術ですか?」
びっくりしてわたくしはアルドルークさまたちから目を離してヴィクトリア嬢のほうを向きましたが、彼女は気を散らさないで、と手振りで応じて鷹のような眼でオペラグラスをのぞき続けています。どうやら本当に口の動きを読んでいるようです。
『しかし、いきなり婚約を決められて発表パーティで一度会ったきり、次は半年近くも先で、その上すぐに結婚だろう? いいのかよ、本当に』
『結婚なんてまったく考えてもいなかったのは事実さ。だが、イルヴァネイアとの緊張はふたたび高まりつつある。いつ停戦が破られるかはわからん。さっさと身を固めて、後継者も作っておかなきゃ、永遠に機会がこなくなってもおかしくない』
『ったく、お貴族さまはこれだから。お家お家か、固っ苦しいなあオイ。イルヴァネイアなんざ、何度かかってこようが俺がやってやる。おまえは本国に留まれるようにしてやるさ』
『ジェイ、君に甘えはしない。自分の国と家族だ、おれ自身で守る。……もし本国勤務になったら、公爵閣下にご恩返しをしないと』
『はー。……なあ、公爵閣下に見込まれたって、気負っちゃいないか? ご立派なかただってのは俺も知ってるが、娘をやるから生命をかけて忠勤せよっていうのは、どうも――』
そこでピピッと教官どのが笛を吹いて、インターバルの終了を告げました。候補生たちはきびきびと動いて位置につきます。
ヴィクトリア嬢が大きく息をついて、オペラグラスをおろしました。いったい、どこで読唇術なんて習得なさったのでしょうか……?
オーウェルさまのお言葉はわたくしに突き刺さるものもありましたが、アルドルークさまへ、兄貴分として以上の、特別な感情があるようには思えませんでした。
「オーウェルさまは、開明的で自由なお考えの持ち主のようですね」
「刺激的で、先進的ですわ! いかがですかハリエットさま、あのふたりの仲を応援したいとお思いになりませんか?!」
……えーと。ヴィクトリア嬢、オーウェルさまのおっしゃることは、そういう意味ではないと、思うのですけれど……。
「オーウェルさまがおっしゃっていたのは、一面の真理ではあります。親が決めた婚約に、唯々諾々と従ってもいいのか? もっと、お互いのことを知る期間を設けるべきではないのか、と。同時に、アルドルークさまがおっしゃっていたことも思い出してください、ヴィクトリアさま。現在我が国が抱えている国際的緊張を勘案すれば、拙速が巧遅に優先されるのではないか。オトノータシュ、ゴルディクス両家の将来を考慮している、アルドルークさまのご意見に、わたくしは賛同します。いまはたしかに拙速ですけれど、きっと、時間を充分にかけたとしても同じ結論にいたることができる、それだけの愛情を、アルドルークさまとのあいだに築いていける、その自信が深まりました。かえって、わたくしには迷いがなくなりましたわ」
アルドルークさまがわたくしのことを憎からず思ってくださっていた、それを確認できただけでも、ヴィクトリア嬢へお礼を申し上げたいくらいです。
ヴィクトリア嬢は、わたくしの長セリフの意味するところがすぐには了解し難いようで、しばらく固まっておられました。くるくると動き回っているのが可愛らしいかたですが、こうしてじっとしていると、お人形さんのようです。これはこれで愛らしい。
ふいに、ヴィクトリア嬢のお腹が、きゅう〜と鳴きました。
見れば、周囲の見物客の皆さんはお弁当を広げて昼食を摂りはじめておいでです。士官候補生のかたがたはといえば、練兵場の外へ隊列を組んで走って出ていくところでした。持久走がてら、一度宿舎か学舎でお昼になさるかもしれません。
レディらしからぬ振る舞いにおよんだ自分のお腹を両手でおさえて頬を赤くするヴィクトリア嬢へ、わたくしは提案します。
「わたくしたちもお昼の準備をしてくればよかったですね。候補生のかたたちもしばらく戻ってきそうにありませんし、食事ができるところを探しに行きませんか?」
「それでしたら、田舎料理ですけれどおいしいものを出してくれるお店に心あたりがありますわ!」
「今日は口うるさい侍従たちがついてきていませんから、ちょうどいいですね。お薦めのお店、教えてください」
「はい!」
いっしょにご飯を食べてちょっとお話すれば、ヴィクトリア嬢がいだいている、アルドルークさまとオーウェルさまの関係への誤解もとけるだろうと、このときのわたくしはそう思っていました。
+++++
行きに乗合馬車でやってきた小さな町のほうへ続く田舎道を歩いていたところ、大きな樫の木の陰から姿を現した三人組がわたくしたちの行く手をさえぎりました。
半身になって後ろを見ると、そちらにも三人。いずれも、下級貴族か郷士の三男坊以下といった感じの、若い男性です。
「なにかご用でしょうか」
わたくしがそういうと、彼らが応じる前にヴィクトリア嬢が口を開きました。
「士官候補生を見に集まってくる若い女性目あての三下どもですわ!」
身も蓋もない、容赦ないおっしゃりようです。
お兄さまであるアルドルークさまの応援によくきているからでしょう、男性たちも、ヴィクトリア嬢の顔は知っているようです。
「あんたに用事はねえよ、ちんちくりん伯爵令嬢」
「そっちの別嬪さん、はじめて見る顔だなあ」
「カネかかってる仕立ての服こそ着てるが、従者もなしってことは、仮に爵位があっても大したもんじゃねえだろう?」
「大貴族のくせにひとりでフラついたりするのは、そのチビくらいだからな」
「ちょいとつき合ってもらおうかお嬢さん」
「損はしねえよ、こっちは男爵家だからな。アタればあんたの貴族気取りの親はむしろ泣いて喜ぶだろうよ。よくぞ男爵の胤を拾ってきたってな」
嘆かわしいことです。国の将来を背負って立つ世代に、このような風紀紊乱のやからがいようとは。
「ぶれ……っ!」
大声でわたくしの身分を明らかにしようとしたヴィクトリア嬢の口を、ひょいとふさぎます。わたくしが公爵令嬢だと知ったら、一目散に逃げてしまうでしょうからね。
この者たちは手慣れている。あきらかに前科一犯や二犯ではないでしょう。
「この子に手は出しませんね?」
わたくしの言葉を観念と受け取ったのでしょう。自称男爵家嫡男は下卑たニヤニヤ顔ながらうなずきました。
「ガキにゃ興味はねえし、そいつは伯爵ご令嬢だからな。さすがにタダじゃすまねえし」
それどころかお家断絶疑いなしですよ。
「静かにしていてね」
ヴィクトリア嬢へそうささやいて、わたくしは彼女を道のわきへと押し離しました。日傘を畳んで。
わたくしは地を蹴り、一本の得物となった日傘の石突を男爵のドラ息子のみぞおちへと突き入れました。
「ゲォ……」
身を折るクソ野郎の後頭部へ、今度は持ち手のほうを叩き込みます。銃剣術の要領。
ついでに顔面へひざを入れてやりました。鼻が折れて血がスカートを汚します。お気に入りの服でしたが、仕方ありません、廃棄ですね。
「――なっ」
「このアマッ!?」
左手一本でまずはふたり目の口元へ石突で刺突。すかさず右手で払って三人目のこめかみを横撃。ちなみに敵が鉄帽を被っている実戦の場合、薙ぎ払いはこめかみではなく下顎の側面を狙います。
折れた前歯を吹きながらふたり目が地面に伏したときには、すでにわたくしはきびすを返して後方の三人の位置を視覚で捉えていました。もちろん聴覚で打突を与えた相手がちゃんと倒れたかどうか確認することは怠りません。三人目もひざをついています。意識はあるようですけれど、しばらくは動けないでしょう。
一瞬で仲間が半減したことにおどろいたでしょうが、奇襲だったから、と割り引いて考えたのでしょうか、残余の三人は逃げることなく帯剣を抜いていました。そのうちひとりが、人質に取るつもりか、ヴィクトリア嬢へ近づこうとしています。
やむを得ません。
わたくしは腰を落とし、強化日傘の持ち手のほうを肩づけします。ヴィクトリア嬢へあと五歩まで迫っていた四人目の腹部へ狙点を定め、レリーズになっている紐を引きました。
乾いた、そっけない破裂音。膨らませた紙袋を叩いてつぶした程度の、轟音にはほど遠い響き。それでも銃声は銃声ですが。
紐を引くと、石突の先端の蓋が開きます。その一瞬後に撃針が落ちて、リムファイアの実包から弾丸が飛び出す、そういうからくりです。
傘としても使える頑丈な金属製ステッキを作るなら、その軸は中空のパイプになるのが必定となります。せっかく金属パイプがあるのなら、もうひとつ仕込みをするのにためらう理由はないでしょう?
大した口径ではないので頭や心臓に直撃しない限り死にはしませんが、それでも四人目は腹を押さえてうずくまりました。
ヴィクトリア嬢は呆然として立ち尽くしています。まあ、じっとしていてくれたほうが安全でしょう。
さて、残るふたりといえば、片方は完全に顔面蒼白、戦意を喪失していましたが、もう一方は目を血走らせていました。
歯を食いしばってから大きく息を吐き、ついで吸い込みます。サーベルを構え直しました。
そして。
「――させるかあッ!!!」
気喝とともにわたくしのほうへ突撃してきます。この仕込み銃が単発なことを見抜いていますね。次弾装填の時間を与えまいというわけですか。従軍経験があるのかもしれません、よい判断です。
……ただし。
最善の判断は、逃げることでしたけどね。装填しているあいだに距離を稼げば、命中率もいくらかは低下しますから。
走り込みながらの斬撃へ全力で横薙ぎを合わせ、剣の軌道を逸らせて向こうから突っ込んでくる相手の懐へ自然に入り込みます。そして顎めがけてストック側でかち上げ。
さすがに大の男が打ち込んでくる剣をさばくと腕がしびれます。ですが完璧に決まりました。五人目は宙を泳いでそのまま地面へ突っ伏します。
わたくしはあえてゆっくりと傘の薬室を開き、空薬莢を取り出してポシェットからあらたな弾丸を装填します。
わざと音を立てながら薬室を閉鎖。淑女の微笑みで最後のひとりを見据えます。
「降参をおすすめしますが、どうなさいますか?」
「ひ……生命らけは……お、おたしゅけくらはい……」
ガクガクと震えながら、六人目はサーベルを投げ捨てて両手を上げました。
これにて一件落着。不埒者がこのあたりで悪さをすることも、もうなくなるでしょう。
男爵家がひとつ、取り潰されるかもしれませんけどね。空いた貴族の席には、オーウェルさまあたりを任命されるとよろしいのではないでしょうか。
発砲音を聞きつけたのでしょう、教官どのを先頭に、士官候補生のかたが数騎、馬脚をあおってこちらへ駆けってきます。
その中にアルドルークさまがいらっしゃるのを認めて、わたくしは大きく手を振りました。
+++++
午後の教練は急遽中止となり、わたくしとヴィクトリア嬢は最寄りの城市からやってきた警吏のかたも交えて、いろいろと証言することになりました。
士官候補生見物にやってきていたご婦人、お嬢さまがたからも、男爵の三男坊や郷士の不良息子たちに絡まれた、とても口にはできないようなことをされたという女性もいるという噂がある、と引き出すことができました。
被害者のかたが名乗り出るのは難しいでしょうが、伯爵令嬢であるヴィクトリアと、公爵令嬢たるこのわたくしへ非礼を働いたという事実だけで、彼らを存分に罰するに不足はありません。
それからようやく遅れに遅れた午餐をいただくことができて、そして――
「お兄さま! ハリエットさまとのご婚約、破棄していただけないでしょうか?!」
『ええっ!!?』
ヴィクトリア嬢がまさかアルドルークさまへ直接婚約破棄要請をするとは思わず、わたくしのみならず、その場にいたひとびとは全員口をそろえておどろくことになりました。
「ヴィクトリア……どういうことだ? ハリエット嬢がすばらしいかただということは、きょう一日でおまえにもよくわかっただろう」
アルドルークさまが妹御へお訊ねになりますと、ヴィクトリア嬢は、例のキラッキラしたお目々をしてこうおっしゃったのです。
「はい! ハリエットさまは頭脳明晰容姿端麗挙措優美にして無双鮮烈! こんなすばらしいかた、男性の中にもいらっしゃいませんわ! わたし、ハリエットさまのこと愛してしまいましたの! お兄さま、ハリエットさまをわたしに譲ってください!!!」
……まさか、こんな展開になろうとは。
それからアルドルークさまとわたくしが無事に結婚までこぎつけるには、大きな山をいくつか越える必要があったわけですが、それはまたべつのお話となりますので、本日はこのあたりで失礼いたします。
おしまい
よろしければ評価やブクマをいただけると励みになります。お時間あれば同作者他作も見ていただけると嬉しいです。……変なのややたら重いのもあるので味見をしながらどうぞ。
R3/2/20追記:コミカライズされました。詳しくは本日づけの活動報告をご参照ください。
R2/11/17追記:絵の上手い友人が支援画を届けてくれました。…え?なんで傘かって? いや重要だと思ったんですよ。ネタ振ったらしっかり照星と照門実装してくるあたり、絵をくれた近衛さんはやっぱり私のズッ友です。