ティピと僕の物語
僕にとって、ティピが世界の全てだった。
僕には友達がいない。
生まれつき足が悪い僕は、自分の足で歩いたことはおろか、立ったことさえなかった。普段は車いすを使って移動するか、腕の力で這って進むかのどちらかだ。
おかげで僕の知っている外の世界と言えば、メイドがたまに連れて行ってくれる僕の家の庭くらいだった。
母さんはそんな僕に対し、不自由な体に生んでしまったと常に後悔の言葉を口にしていた。
けれど、誰かしらが傍にいてくれるから母さんが気に病むほどの不便は感じない。
危険だからと滅多に外に出してもらえない僕は、一日のほとんどを書斎で本を読みながら過ごしていた。
大きな窓があるから外の様子も見られたし、高いところの本はメイドが取ってくれる。暗くなれば明かりも持ってきてくれた。
僕はたくさんの本を通じて世界を知った。
一緒になって冒険をしたりイタズラをしたりする「友達」に僕は憧れた。
メイドとは仲が良かったけど、友達とは違う。メイドは父さんに仕えているから、父さんがダメだと言うことは絶対にやってくれない。
うちはお金持ちらしく、僕が欲しいと言ったものはほとんどが手に入った。けれど、友達だけはどうやっても手に入れることができなかった。
あまりにも「友達が欲しい」と訴えたからか、父さんは僕にティピをプレゼントしてくれた。
わざわざ外国から連れてきてくれたという初めての友達は、赤と緑のコントラストが鮮やかな羽をもった小鳥だった。
「ティピピ」と鳴くからティピ。
簡単な名前だけど、ティピも気に入ってくれたらしく呼ぶとすぐに飛んできてくれた。
ティピはインコという賢い鳥の仲間らしい。そのせいか、僕の言葉がわかっているような反応もしてくれたし、ティピから僕に話しかけてくれることもあった。
僕以外の人間には「ティピピ」と鳴いているようにしか聞こえないらしい。けれど、僕にはしっかりした言葉で訴えかけてくれるのだ。
だから、僕とティピは二人だけの内緒話をたくさんした。
僕にはお気に入りの場所がある。
書斎の本棚の足元だ。
本棚はしっかりしているから寄りかかっても倒れたりする心配がないし、床のタイルはひんやりとして、夏場なんかはそのまま座り込んでいると涼しくて過ごしやすい。最高の場所だ。
今まで読んだ中で一番のお気に入りは『アラビアンナイト』だ。僕が生まれ育ったこの地域に古くから伝わる話らしく、父さんも大好きだと言っていた。
中でも好きなのが『シンドバッドの冒険』。だけれど、僕には一生かかってもこういう経験ができないんだろうと思うと寂しくなる。
そんな時にもティピは寄り添ってくれて、僕の話し相手になってくれた。
「――……ねえ、ティピはどんなところから来たの?」
いつもの本棚の陰で、ティピに問いかける。
ティピは僕の肩にとまると、内緒話をするように小さな声で鳴いた。
「へぇ。ここよりずっとたくさんの木があるところかぁ。ジャングルって言うの? そこにはティピの友達もたくさんいた?」
いたよ。でも、巣立ちの時に遠くへ行こうと思って頑張ったら、頑張りすぎて皆がどこにいるかわかんなくなっちゃったんだ。
ティピはちょっぴ寂しそうに答えた。
ティピは他にもたくさんの話をしてくれた。
迷子になって辿り着いた森には綺麗な声で鳴く小鳥がいて、一緒に暮らすうちにティピも同じ声で鳴けるようになったこと。
満月の夜は目が悪いティピたちでも昼間と同じように飛び回れるくらいジャングルが明るくなって、皆でお祭り騒ぎをすること。
ある日人間たちがやってきて、虫を捕まえるような網でティピを捕まえたこと。
本を読んでいる時もそうだったけれど、ティピの話を聞いていると頭に映像が次々と浮かんでくる。
そのひとつひとつを取り逃さないように、僕は必死で万年筆を走らせた。
ティピから聞いた話は頭の中でどんどんと膨らんだ。その世界での主人公は僕だ。
想像の中でなら、僕も空を自由自在に飛び回る鳥になれる。もちろん、シンドバッドにだって。
ティピの話を聞きながら得た感覚を忘れないようにするため、今度は僕が想像の世界で体験したことを物語としてまとめてノートに書きつけることにした。
ティピと友達になって五年。
気が付くと、僕が書いた本は背もたれにしていた本棚の一段を埋め尽くす量になっていた。
その熱量に父さんは感銘を受けたらしく、今度出版社の人に正式な本にしてもらえるよう頼んでくれるという。
「そうすればお前も作家の仲間入りだぞ」
父さんはそう言って笑った。
今まで遠い世界の人たちが書いたものだと思っていた本棚の本の中に、僕の名前が並ぶなんて。なんだかむず痒い心地だ。
でも、僕が本を読んで世界を知ったように、他の子供たちにも本を通じて色々なことを知ってもらいたい。
その一心で僕は続きを書いた。
装丁が決まり、後は完成を待つばかりとなったある日のことだった。
いつものようにティピを連れて本棚の陰へ向かった僕は、ノートを手に取り前日の続きを書き始める。
「ティピ、その後はどうなったの?」
いつものように問いかけるが、ティピの返事がない。
異変に気付いた僕が視線を向けると、ティピは床に落ちていた。
「ティピ!?」
ぐったりと横たわる身体を拾い上げ、慌てて獣医を呼んだ。
ティピを診てもらって告げられたのは「寿命でしょう」の一言だった。
あと数日で本が完成するというのに。その数日すらティピには残されていなかった。
ティピを失った僕は物語を書くことをやめた。
世界を知るすべを失った僕は、物語を生み出すこともできなくなったのだ。
それでも、父さんは僕を元気づけようとして過去に書いた物語を次々に出版してくれた。
「――あなた、そろそろ昼食にしましょ」
夜風のように心地よい女の声が僕を呼ぶ。
ティピを失った僕に、再び筆を執るきっかけをくれた女性。
彼女が僕の物語を読んでわざわざ会いに来てくれなかったら、今頃僕は生きてすらいなかったかもしれない。
「うん、今いいところだからもう少ししたらね」
僕が万年筆を片手に物思いにふけっていると、不思議なことに「ティピピ」という鳴き声が聞こえる瞬間がある。姿は見えないけれど、そこにティピがいるのだとわかって少し嬉しくなれた。
彼女にはティピの声がわからないらしく、いつも曖昧な笑みを返される。
「ねぇティピ、続きを聞かせてよ」
呼びかけるとティピの返事が聴こえるような気がした。
その声に耳を傾けながら、万年筆を走らせる。
ティピはいなくなってしまったけれど、これからも僕は物語を描き続ける。
挿絵・halさま(https://5892.mitemin.net/)
普段書かないタイプの小説が書けて楽しかったです。