最高の場所-3
ローディは、ものの見事に言葉を失った。自分の顔がとんでもない間抜け面になっているのは自覚しているが、それを止めるすべはない。
(なっ、何このモデル顔負けの美形カップル!)
一人は百八十センチを優に超えるだろう長身の、色気がダダ漏れ状態の青年である。そんな彼の腕に手を絡ませている人は、これまた絵画から飛び出してきたのかと思いたくなるほどの美女だ。
その彼女に向かって、エイムズが顔をしかめる。
「二時半までには来いと言っただろ。今までどこで何をしてたんだ?」
「あぁ、すまんすまん。そう怒るな」
先ほど聞こえた美声と同じ声が、彼女の色づいた唇から聞こえてくる。ずいぶん男らしく敬語のけの字もない口調で話す美女は、パンツスーツをまとう体を青年からわずかに離し、ショートボブの金髪を揺らしながら自身の背後を指差した。
「星に導かれたものだから、寄り道をしてきた。喜べ、面白い人材が見つかったぞ」
目を輝かせる様はとても美しく、また可愛いものの、その口から出たものはわけのわからない発言だ。しかしエイムズは慣れているのか、特に困る素振りも見せずに彼らの背後へと視線を向けた。
「その軍人がか?」
「ああ」
倣って見れば、いつの間にか、閉じた扉の横に男性が無表情で立っていた。
高級感のある事務的空間に、ダークネイビーブルーの戦闘服はどうにも似合わない。そのせいで違和感を放っているが、あまりに強烈な外見を持つ二人に気を取られたせいで入室に気づけなかったらしい。――いや、それ以上に彼自身の気配が薄い。軍人特有の技だと言われてしまったら、納得するしかないのだが。
視線ひとつ動く気配を見せない彼の直立不動ぶりに首を傾げたところで、ローディは我に返った。美女の深い緑色の瞳が、まっすぐにローディへと向けられたせいだ。彼女はローディを見たまま、エイムズへと話を続ける。
「こいつのことはあとで紹介するとして。お前が話していた新人というのは彼か?」
慌てて立ち上がったローディを軽く笑いながら、エイムズが頷く。
「ローディ・ワイズ。今はまだ十八歳だったか。この春にセントラル大学工学部を卒業した技術者だ。専門は機械工学だが、工作好きだからまぁたぶん、いじれんものはないだろう。で、ライフルの腕は特級品。実力は世界競技委員会のお墨付きだ」
「ほう、それはすごい」
言うと、美女が青年の手から離れて近寄ってきた。そうしてローディの前に立ち、にっこりと微笑む。
「初めまして、ローディ。私はリュシエール。リュウと呼んでくれて構わんよ。部隊の指揮官になる。よろしくな」
差し出された細く真っ白な右手に焦り、ローディは思わず掌を服で拭いてから握り返した。
「こっ、こちらこそ、よろしくお願いしますっ」
「うん」
笑う彼女はローディより少しだけ身長が低い。百六十センチ半ばだろう。年齢は二十四、五歳か。間近で見る美貌は本当に綺麗で、華奢で、可憐で、ここまで来ると高嶺の花と呼ぶことすら陳腐に聞こえそうなほどの美女っぷりなのだが――
(あれぇ?)
ローディは内心で首をひねった。
(ほんとに女の人? もしかして男の人?)
パンツスーツはおそらく女物である。しかしネクタイを着けたその胸元に膨らみがまったくないのだ。いっそ皆無と言ってしまってもいいかもしれない。さらに、堂々とした立ち居振る舞いの彼女とこうして真正面から向き合ってみると、顔立ちが女性ではなく少年のようにも見えてきたのだから困る。
(別にどっちでもいいって言えばどっちでもいいんだけど……うぅ~ん)
「私は女性でも男性でもないよ。無性だ。いちいち説明するのは面倒だから、表向きは女性で通しているがな」
「へっ?」
心を読まれたかのようなタイミングと発言に驚いているうちに、リュシエールが手を引っ込めた。特に機嫌を損ねた様子はなく、むしろ面白がるような笑顔である。
「私は天使なんだ。わけあって魔力の半分を失っているが、属性柄、勘が鋭いのは変わらん。私に嘘や隠し事は通用しないと思え」
「……はぃ?」
「あいつの紹介もしようか」
言って、リュシエールが控えていた長身の青年を招き寄せる。
「彼の名はグレイ。肩書きは私の秘書だが、有事の際はサポート全般を担当する。私が知る限りできないことはないから、誰かの手を借りたいならばこいつに言うといい」
ローディのひとつふたつ年上に見える青年は、傍に来ると愛想良く微笑んだ。
ややきつい面差しをしている。青く光る黒髪もアイスブルーの瞳も硬質な印象だが、笑みと動作が柔らかいおかげで嫌な怖さはない。むしろ全体的に品の良さを感じる。
(なんか、どっかの上流階級のお坊ちゃん、って感じの人だなぁ)
どちらにしろ悪い人ではなさそうだ。ローディは笑顔で会釈をした。
「よろしくお願いします、グレイさん」
「ちなみに、グレイは吸血鬼だ」
「………………」
ワンテンポずれて顔を上げ。
グレイのどことなく困ったような微笑を見て。
リュシエールの変わらない笑顔を見て。
エイムズの呆れ顔を見て。
ローディは、絶叫した。
「えええええーっ! 嘘ぉッ!」
「残念ながら、嘘ではないんですよ」
初めてグレイが発した低い声は、彼に似合う美しいものだった。が、そんなことはどうでもいい。ローディは遠慮なくリュシエールを指差した。
「だってリュウさん、さっき天使だって!」
「ああ、言ったな」
「で、グレイさんは吸血鬼っ? 吸血鬼って魔族でしょっ? ですよねっ?」
「ええ」
あまりにもあっさりと肯定され、逆に不安になってきた。指差す手をぱたりと落とし、二人の美形を窺う。
「あのぉ……いろいろ大丈夫なんですか? 今、昼間ですよ? 吸血鬼って、日光が駄目なんじゃなかったでしたっけ。それに、えっと、天使族と魔族って属性の質が真逆すぎるから、近づくと魔力が反発しあってどーたらこーたらって話を、どっかで聞いたような気がするんですけど……。い、いきなり倒れたりしないですか? 大丈夫ですか?」
二人が、驚き顔で目を合わせた。
自分は何かおかしなことを言ってしまっただろうか。
不安と疑問に襲われるも、つかの間。彼らの表情が苦笑へと変わる。
「ええ、大丈夫です」
先に口を開いたのは、穏やかな笑顔に戻ったグレイだった。
「俺は普通の吸血鬼とは少し違うんです」
「何がですか?」
「満月の日は例外なので必ず休ませてもらうことになりますが、それ以外は日中も動けます。吸血鬼に有効とされる攻撃はどれも効きませんし、聖属性の方に触れることだってできますよ」
そう言って彼はリュシエールに抱きつき、髪にキスをした。一方、された側はほんのりと頬を染めて身をくねらせているのだからどうしようもない。
「やだもぅ、恥ずかしいじゃないか、馬鹿っ」
「嬉しいくせに。素直じゃない人ですね」
(えぇー)
飛び交う大量のハートマークが見える。そんな気がする。壮絶に。心配した自分が馬鹿みたいだ。
ともあれ、状況は理解できた。多少のハンデはあるが、人間とほぼ同じように行動できるらしい。それだけわかれば充分である。となれば、いちゃついているカップルを放置するのは──はっきり言って居心地が悪い。ローディはどうにかして話を戻すべく、周囲を見渡した。
「っ! はいはい! リュウさん、質問っ!」
手を上げて注意を引き、扉の前を指差す。するとリュシエールは、グレイに抱きしめられたままだがすぐに振り返ってくれた。その表情はまともな話が通じる顔だ。
「ん? どうした?」
「あちらの軍人さんも仲間になるんですか?」
「あぁ、そのつもりだ。ここに来る途中で軍部に寄ってな。廃棄処分にすると言うから、もらったんだ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「え? 廃棄?」
「どういうことだ?」
疑問符を浮かべるローディとエイムズに向かって意味深な笑みを浮かべたリュシエールが、黒髪の軍人を促す。
「挨拶しろ」
「はっ」
軍人が、ぴしり、と背筋を伸ばしたまま一歩前に出て敬礼した。
「自分はG10-Rであります。公安軍第三部隊において敵情視察および敵掃討の任についておりましたが、リュシエール殿の意向により、本日付けで新設特殊部隊に配属されることとなりました。よろしくお願いいたします」
そしてまた、ぴし、と手を下ろして後退。元の直立不動に戻ったのだった。
「…………」
眩暈がする。
心拍数が上がる。
視界が不明瞭になっていく。
「……この人……まさか…………軍用アンドロイド?」
「うん」
簡潔な肯定。
直後、ローディの頭の中で何かが切れた。膝が崩れ、ソファーに腰から落ちる。
「それ……つまり……それって……」
情報と理解が繋がる瞬間はいつも、まるで落雷のようだ。電気が脳を駆け巡り、全身の筋肉を弾けさす。
「それってつまりっ!」
ソファーを蹴っ飛ばして立ち、テーブルにガーンと左足を上げて拳を掲げる。
「公安軍のG型アンドロイドと言えば! ギムセルド鉱石の魔力を利用した自動修復システムを搭載してる戦闘特化型のプロトタイプ! 今まさに軍が開発を進めてる真っ最中のアンドロイドじゃないですかっ! まさかこんなとこでお目にかかれるなんてぇぇぇぇぇっ! 奇跡ッ!!」
「……ローディ?」
目を点にした美女が呼びかけてくるが、この興奮を抑えるものとはなり得ない。ローディは鞄からPPCとケーブルを出すと、すぐさまアンドロイドに突撃した。
「見せて見せて見せてぇぇぇっ! 制御ボードはどこっ? 背中っ? 首っ?」
ぼーっと突っ立ったままのアンドロイドの背後に回り込み、襟首をおもいきり引っ張る。すると体勢をわずかに崩した彼の首筋に小さなボタンが。
「あったーっ!」
すかさず押すと、背骨上の皮膚が一部分スライドして、接続部が現れた。ケーブル端子を突っ込み、立ち上げたPPCに接続する。タイムラグは二秒。アラートともに表示されたセキュリティ画面はさっさと突破し、流れ出した文字列を舐めるように読み進める。
「ふんふん、なるほどぉ、こうなってるんだー。うっはぁ、馬っ鹿じゃないのっ? 何このマニアックな仕様! うひゃひゃひゃひゃっ」
至福のよだれをじゅるりとすする。とその横で、アンドロイドが体の向きを変えた。
「ローディ・ワイズ殿」
「ひゃい?」
顔を上げると、オレンジ色に近い鮮やかな赤眼が、十センチ高い場所からまっすぐに見下ろしてきていた。
「自分の内部プログラムは一般公開されておりません。許可なく閲覧されては困ります」
「でももう見ちゃったし」
「困ります」
「困ったねぇ」
「はい」
困っているようには見えないアンドロイドから目を逸らすと、ローディは中空を見やった。そのまましばし考え――
「じゃあ、僕は何をしたらいいのかな」
視線を戻して問うと、
「セキュリティを突破された過去事例および対処方法の記述が存在しないため、自分には判断不能です」
「それは困ったねぇ」
「はい」
やはり困っているようにはまったく見えないが、はっきりと頷いたアンドロイドから、エイムズへと目を向ける。
「エイムズさぁん、この場合どうしたらいいと思いますかぁ?」
なぜか頭を抱えているエイムズが、心底疲れた表情で顔を上げた。目が点になったまま固まっているリュシエールたちをちらりと見てから視線をローディに戻し、特大のため息をつく。
「とりあえずストップだ。無断閲覧中止。接続を切れ」
「えー」
「えーじゃない。お前さんの部屋は科学技術局の開発課内に作ってもらってあるから、挨拶ついでにでも課長の許可を取ってからにしろ。確かアンドロイド開発部門の総責任者だったはずだし、ちょうどいいだろ」
後ろ髪が引かれる思いだが、ここまで言われてしまったら仕方がない。おとなしくプログラムごとファイルを閉じて、切断する。
「なぁおい、エイムズ」
その向こうで、正気に戻ったらしいリュシエールが、グレイの腕をすり抜けてエイムズに詰め寄っていた。
「あいつは大丈夫なのか? 任務に支障をきたすようでは困るぞ」
「教師や友人周りの話を聞く限り、重度の機械オタクでメカフェチらしいが、頭のネジが外れなければいたって常識人らしい。少なくともライフルを持ってるときに暴走したことはないそうだ」
「そうか。ならばいいが……。しかし、世の中にはいろんな嗜好の奴がいるものだなぁ」
「どうしてそこで俺を見るんです? リュシエール」
「さ、さぁ? なんでだろうな?」
顔を赤くしたリュシエールは、迫る恋人を両手で押しとどめながらエイムズへと話を振る。
「でっ、ではっ、正規メンバーはまずこの四人で行くんだなっ? 部隊名は決まっているのかっ?」
「もちろんだ」
四人の視線を受け、エイムズが胸を張って不敵に笑う。
「その名も、特攻野郎班」
「却下」
同時に放たれた三つの即答は、内容まで完全一致だった。