最高の場所-1
引っ越し先で最初に梱包を解いたのが、生活雑貨を詰めた箱でも衣類の入った箱でもなくパソコンと通信機器類だと知ったら、親は呆れ、姉と妹はしつこく説教をしてきそうだ。しかしこればかりは性分。もうひとつ言うなら、一人暮らしをするここは自分だけの城である。人にとやかく言われたくはないというものだ。
デスクトップパソコンと自作ファイルサーバーに、各種関連機器類。そしてそれらを設置するスチールラックと机。部屋の中であちらこちらに移動しては使い勝手や配線位置を確かめること数回、ようやく納得できる配置になった愛用の大型機器たちを見やり、ローディは頬を緩ませた。背中の中ほどまで伸びた髪を後ろに払い、床に座ると、片手サイズの改造PPCをあぐらの上に置いた。空間投影型ディスプレイを見ながらキーボードを叩く。
(うん、ちゃんと繋がってるね。ファイルサーバーもデスクトップパソコンも問題なく稼働っと。よしよし、みんないい子だぞ~。じゃあ、これでパソコン周りはひとまずオッケーかな?)
床に散らばった梱包材をかき分け、コードの繋ぎ忘れ等がないか確認する。
と、部屋の一点で目が止まった。正確には固まった。
視線の先にあるのは、床に転がしたままの手作りデジタル時計。表示中の時刻は、一時四十六分。
さー、と血の気が下がった。ローディは大慌てでPPC内のカレンダーを立ち上げ、今日の日付に書かれている予定を見る。
「う。うわぁぁぁ待ち合わせ二時半だぁぁぁっ! なんでアラームをセットしとかなかったんだよ僕の馬鹿ぁぁぁ~っ!」
両手で己の頭を鷲掴みにして、後ろに転がる。
が、こんなことをしている場合ではない。
すぐさま体を起こすとデスクトップパソコンをシャットダウンした。部屋を出て、リビングに山積み状態となっている段ボールをひとつ避け、ひとつまたぎ、ひとつにつまずいて転ぶ。
「うぅぅ、いったぁ~。もっと端のほうに積み直さなきゃなぁ」
うめきながら脱いだ寝間着を放り捨ててベッドルームに駆け込み、開封するだけした段ボールから服を漁った。わずかに迷ったあと襟付きシャツとジーンズを着て、明るくて濃い青色がお気に入りの春物パーカーコートを羽織る。再びベッドルームを飛び出すと、走る足を止めないまま積んだ段ボールの上に置いてあるデイパックを拾い、パソコンが並ぶ部屋に戻った。転がっているPPCとケーブルポーチは鞄、携帯端末と腕時計は上着のポケットに突っ込むと、素早く周囲を見渡す。
「忘れ物はないかなっ? ないよねっ? ないことを祈るっ! よしっ!」
ゆるいウェーブのかかった髪を適当に手櫛で梳いて、指に絡まる毛に苦労しつつ首の後ろでひとつにまとめ、ヘアーゴムでくくる。そうして鞄を右肩に引っかけると、段ボールの山を越えて外へ出た。
玄関ドアが閉まるなり、屋内の無人を感知したセンサーが自動で鍵をロックするのを耳の端で聞きながら、腕時計を出す。
(駅までは十分弱。確か向こうの駅までは二十分くらいだったよね)
見れば、時刻は一時五十五分。
(って、ほんとにギリギリじゃん!)
時計をポケットに落とし、大急ぎでエレベーターを使って一階へ。オートロックドアを抜けてマンションの外に出た。時間帯もあってか人通りの少ない道を小走りで駅に向かう。
黙々と足を動かし、やがて息が上がる頃、駅の入り口が見えた。ローディは速度を上げ、改札のタッチパネルに携帯端末をかざして中に入る。
(えーっと本部行きはぁ……こっちだ!)
急カーブを描いて角を曲がり、一番線ホームに続くエスカレーターを駆け上がる。すると、電車もちょうどやってきたところだ。乗り込み、肩から降ろしたデイパックを抱えて座席に座る。手に持ったままだった携帯端末の時計を確認してみると、二時七分。この分なら最悪の事態は回避できそうである。
(あー良かったぁ。寝坊してないのに、しかも初日に遅刻とかやらかしたら、洒落にならないとこだったよ)
電車の扉が閉まり、ゆっくりと走り出す。
ローディは手で浮いた汗を抑え、ふぅと一息。そうして、何気なしに明るい車内を見やった。
乗客は多くないが、それでもやはり多種多様だ。通路を挟んで向かいに座っている恰幅のいい老人は、身長からしてドワーフだろう。荷物用網棚の下に作られたハンモックでは小さな妖精たちが控えめな声でお喋りをしている。春休み満喫中の大学生と思われる、ローディと同い年くらいのカップルは、人間とラミアの組み合わせだ。窓の外に目を向ければ、有翼人や、ペガサスに乗って移動中の人の姿も見える。夜になれば夜間が主な活動時間になる種族がここに加わるのだろう。
一ヶ月前まで暮らしていたセントラルも多種族傾向にあったが、あそこは特殊な環境でもある。四大陸間で比べれば、やはりこのバーゼルが最も雑多だ。故郷は隣国であるものの電車で五時間もあれば帰れる距離である。様子はほとんど変わらない。肌に慣れた低湿度の空気も合わさって、光景の懐かしさに頬が緩む。
(夏休みとかに戻ってはきてたけど、六年もセントラルで寮暮らしだったもんねぇ。なんか、帰ってきたーって感じするなぁ)
電車がカーブにさしかかり、窓の向こうで流線型を描く車体が光を弾いて輝く。
少しずつ高くなっていく周囲の建物。広く、交通量が増えていく道。ビル群が増え、やがてその向こうに、ひときわ高い建造物のシルエットが見えた。ブルーの反射光が眩しい。
《長らくのご乗車、ありがとうございました。まもなく、連盟本部本館前です》
車内アナウンスとともに速度が落ちる。時刻は二時二十五分。もう一頑張りだ。
ローディは気合いを入れて腰を上げ、デイパックを肩に引っかけた。停車し、扉が開くと同時にスタートダッシュ。看板で方角を確かめながら広い構内を走る。
流線型のラインと直線ラインを組み合わせたデザインは、洗練された雰囲気を放っている。全体を白でまとめ、ガラスを多用した高い天井の屋内は、どこも明るく輝いて見える。行き交う、様々な姿形の人たち。魔法で管理された植物。コンピュータグラフィックスが動く宣伝広告。道案内をおこなう駅員に、ゴミを拾う清掃ロボット。
初めて足を踏み入れた都市国家ニンデルセンの中心部は、入り口の段階ですでにローディの好奇心を刺激して止まない。ここはまさしく、魔法という最古の技術と、科学という最新技術のかたまりだ。
疲れも忘れて走り、改札を抜ける。そして、
「わっ!」
ローディの足を止めたのは、電車の中から見た最も高い建物の姿だった。壁面の三分の二をミラーガラスで覆われた巨大ビルは、まだ距離があるにも関わらず、そびえるという表現が似合う。
「ここが、世界平和連盟本部。世界の最先端かぁ。……うへへ」
ローディは緩んだ頬を両手で叩いて引き締めると、全速力で走り出した。