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沈黙

作者: 足立 ちせ

 最初は、何も知らなかった。お互いの顔も、名前も、声も全て。


  人は未知のものを恐れるという。


 未来とか、死とか、新型の病気だとか、見知らぬ人を。

 思い返せば私達もそうだった。最初はどちらも人見知りで、『知らない』が怖くて。けれど、いつの間にか知り合い、いつの間にか仲良くなった。


  恐れる未来は、過ぎて知れば過去となる。


 私達は余計な言葉を嫌った。伝わることはわざわざ口にせず、伝えたいことだけを、できる限り綺麗に簡潔に伝えた。彼と一緒にいる時間はとても鮮やかで、それでいて透明感に満ちていて、沈黙さえも言葉に感じた。

 そうして私たちはいつの間にか、知らなかったはずの相手の顔や、声や、仕草や優しさや、そのすべてを。

 愛おしく思っていた。


  人はきっとそれを、恋というのだろう。


 それはお互い、未知の感情だった。未知故に、その感情を恐れることもあった。一緒にいるとどうしようもなく胸が苦しくて辛くて、息すらうまくできなくて、でも離れるともっと悲しくて、寂しくて会いたくて、涙がでた。

 それが恋なのだとようやく気づき始めた時、私達はもう、卒業間近だった。


  進む道は、違った。


 私達は同じ世界を見ていた。しかしそれぞれ違う夢を持っていた。だから私達は、何も言わずに違う未来へ、背を向けて歩き出した。


  だってそれは、余計な言葉だったから。



 そして。またいつの間にか、長い時が経った。



 何年振りかに会った彼の左手の薬指には指輪があって。私達はやはり、お互い何も言わなかった。

 無言という会話。長い、長い、永遠ともとれるような沈黙。

 その会話の中で、私は思う。

『時を経て、私達は変わってしまったのだ』と。もう、なにもかもが遅すぎたのだと。


  余計な言葉は、いらない。


 私は黙って立ち上がろうとした。すると彼は引き止めるように私の左手をつかむ。そして無言で、いつの間にか外していた自分の指輪を、私の薬指にそっと、はめた。


  彼の指輪は、私の指には随分、大きかった。


 「サイズが、分からなかったんだ」

 彼はそう言って、私の手を弱く握ったままこちらをまっすぐに見上げた。そしてそれ以上、何も言わなかった。

 はにかんだ、しかし真剣な彼の表情に。どこか緊張したその声に。私の手を取ったぎこちない仕草や、そこから伝わる、彼の変わらぬ優しさや、その、すべてに。

 私の胸は、愛おしさで溢れかえった。そして気づく。

 私は今でも、彼に恋をしているのだと。手遅れなんかじゃ、なかったのだと。

 言いたいことはたくさんあった。

 分からないからって、まるで結婚したかのようにつけてくるなと言ってやりたかった。プロポーズの言葉がそれかと、他にあるだろうと、文句を言いたかった。夢はどうなったか、何をしていたか、語り合いたかった。

 しかし。


  余計な言葉はいらない。


 だから私は口を開いた。彼の、無言の問いかけに答えるために。

 涙を流し、声を震わせ、何年分かの想いを込めて。伝えたいことを、できる限り綺麗に。簡潔に。


「…大好き」

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