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女神様

「おっそーーーいっ!」


帰って第一声にフェルトの怒鳴り声が響き渡った。

腰に手を当て、鋭い視線で睨みながらずいっ、と前のめりに迫ってくる。


思わず先程の老人の姿が浮かんできた。


「こんなに遅くまで一体何やってたの!? ご飯すっかり冷めちゃったよ! 大体エリクオールはいっつも……!」


こちらの言い分を言わせてもらえる間も無く、フェルトの説教が次々と打ち出される。

まぁ、フェルトが怒るのも無理は無い。

なにせあれからずっと老人の『若き日の愛と青春の日々』を延々聞かされ、いや、聞かせてもらい。

結局話が終わる頃には日はとっぷりと暮れてしまっていた。


「すみません。ちょっと人と話し込んでしまいまして……。次からは気をつけます」


「本当にわかってるの~?」


謝っては見るものの、フェルトの目は疑わしさで一杯のまま変わる様子は無い。


「本当にすみません。」


何度も頭を下げていると、その内にフェルトは小さく溜息を吐いて呆れたように呟いた。


「はぁ……。もういいからさっさとご飯食べちゃって」


「……はい。」


最後にもう一度フェルトにぺこりと頭を下げて食卓に着く。


テーブルの上に並んでいる料理の数々はどれも色褪せたように見えた。

温かかった筈であろうスープも今はすっかり冷めてしまっている。


「あのー、フェルト……」


せめてスープぐらいは温め直してもらえないかと声を掛けてみるが――


「自業自得。」


「はい……。」


素直に返事をして冷たいスープを口に運ぶ。

どうやらシュア家の台所大臣のご機嫌は、まだ斜めのようだ。


「もっと早く帰ってくれば温かくて、もーっと美味しかったのにさ。大体、こんな時間まで話し込むなんて一体何の話してたの?まさか──。」


「──そんな話してません。」


じと目で僕を睨みつけるフェルト。

完全に何か疑われている。

と、僕達の話し声が聞こえたのか、そこへ母さんも姿を現した。


「エリクス、お帰りなさい。今日はまた随分遅かったわね。」


「あ、母さん。」


「お母さん、聞いてよ~。エリクオールったらねー、怪しい密談を――」


「だから違いますって、僕はただ女神様の話を聞いただけです。」


 僕が即座に否定すると、フェルトは『なーんだ』と、つまらなそうに呟いた。

 何を期待してたんですか、何を。


「あら、女神様の話なら私も知ってるわよ。」


「え? 母さんも?」


「お父さんに教えてもらったの♪」


と、母さんは随分嬉しそうに答えて話を続ける。


『そうなんですか』と、僕は感心するように相槌を打った。

まぁ、あの父さんから聞いた話だから一体どこまで本当なんだか分かりはしないが……。

それにしても――


「それでね、それでね♪」


どういうわけか、話している母さんの顔に赤味が差してきていた。

フェルトもそれに気付いて、心配そうな顔を母さんに向ける。


「お父さんったら私に向かってね――」


だが、そんな心配を余所に、母さんは話を続けていった。

顔が益々赤くなっていく。


どうも嫌な予感が……。


「『だがたとえ今女神が現れても、俺の心は奪えないな。俺の心は既にシリンのものになってしまっているんだからな』なーんてね、なんてね――――きゅぅ……」


――パタリ


「わぁあああっ!! お母さんっ!?」


 ……やっぱり。


 予想通りと言うか何と言うか。母さんは顔を真っ赤にしてその場に倒れた。

 フェルトが慌てて駆け寄り、母さんを抱き起こす。


「お母さん! 自分で話して勝手に倒れないでー!!」


 あぁ、もう……。

 居ても居なくても、何故ウチの父親はこうも人に迷惑をかけるのだろうか。

 真っ赤な顔で、幸せそうな笑みを浮かべて倒れている母さんを見て、僕は深い溜息をついた。


***


…………。

………。

……。

…目を開ける。

いつもの見慣れた天井が見えた。

ただ、いつもと様子が違って部屋はまだ暗く、フェルトが飛び込んでくる事も無い。


(……あれ?)


目覚めたばかりでどうにも頭がハッキリしてこない。

ベッドから起き上がって、寝ぼけ眼を擦りながら辺りを見回す。


「ああ、そうですか……。」


窓に目をやり、ようやくそのわけに気付いた。


窓の外は暗く、空には幾つもの星が浮かんでいた。


(確か夕食を終えた後、部屋に戻って……。)

どうやらその時ベッドに寝っころがって、そのまま寝てしまったらしい。


 小さく欠伸一つかいて窓に近寄る。


「…………。」


窓を開けると夜の冷たい風が部屋に入り込んできた。

風が眠気をさらい、月の光を全身に浴びて、そのまま空を見上げた。

月を讃える様に、周りを小さな星々が輝かせている。時折、流れる雲がその闇夜に浮かぶ光を遮る。

別に何か思うわけでもないが、只なんとなく……こういうふうに空を見上げたりするのは好きだ。


「――?」


ふと、何か聞こえたような気がした。

今は深夜。聞こえるといえばせいぜい虫の鳴き声ぐらいなものだ。

だけど今のは――そういったものと違う気がする。


「?」


小首を傾げ、視線を落とす。

昼間とは別の顔の、街の姿が目に映った。

昼間は多くの人で賑わう通りも、今はそんな様子を微塵も感じさせないほどに静かだ。


「あれ……?」


そのままゆっくりと街を見渡していると、また何か聞こえたような気がした。


いや、聞こえたというか感じたというか……。

これはそう、例えるなら『虫の知らせ』とか『風の便り』とか、そんな感じだ。


「………!」


訝しげに思いながらもそのまま景色を見回していると、急にその感じが一層強く感じられた。


(あそこに……何かあるのでしょうか?)


視線のその先は……つい数時間前まで自分が居た場所――ニーニア湖が見えていた。


***


(そういえば……夜に湖を訪れるのは初めてかもしれませんね)


咽返りそうなほどの木や土の匂い、昼間とは違う顔を見せる木々達、

そして少し寒いほどに冷えた空気に包まれ、

自分の中の期待と不安を同時に大きくしていきながら森の中を進む。


あの時感じたものの正体を確かめる。

只それだけの為に真夜中に家を飛び出した自分が何だか少し可笑しい。


(フェルトに気付かれたら何て言われるでしょうね)


いや、もしかしたらいきなり殴られるかもしれない。

下手をすれば三日間食事抜きなんて事も……。


「…………。」


そんな事を想像してしまうと今からでも戻った方が良いのかも知れないと思ってしまう。

だが、今戻ってしまうとあの時の感じが何だったのか気になって眠れそうに無い。


(何も無ければそれはそれで由。もし何かあれば……。)


一瞬だけ足が止まり――


「まぁ、その時はその時ですね。」


また直ぐに歩き始める。

暫く進むと、森が自然と切り開かれ、そこに大きな湖が広がっていた。


パシャリ、と小さな音を立てて水面に波紋が広がり、

水面に映し出された月と星が僅かな光を放ちながら揺らめいた。

昼間では見れない湖の美しさ。

だが、それよりも何よりも、今は……。


「…………ッ!?」


心を奪われるとはこういう事を言うのかもしれない。


湖の中で一人、空を仰ぐ少女。


創られたかのように整った顔立ち。


服の間から覗く白く透き通るような肌。


露を帯びた長く黒い髪。


服と水着の中間様な物を身に纏い。

体に張り付いたそれは、少女の体のラインをはっきりと見せている。

水に濡れた少女の全身を、月の光が照らし、幾重にも輝かせてより一層美しさを引き立たせていた。


その姿は……そう、正に――


「女……神……?」


湖に住むという女神の伝説。

数時間前に老人から聞いた話が頭の中を一気に駆け抜けた。


『女神様はいるぞ。わしはこの目で見たんだからな』


「本当に……。」


「…………。」


思わず零した呟きに反応するかのように、少女がゆっくりとこちらに振り返った。


「…………。」


『目は口ほどにものを言う』などと言う言葉を聞いた事がある。

その通りで、目は様々な感情を映し出す物なのだが……。


「…………。」


少女の宝石の様に美しい目には、そういった感情の表れが一切無かった。

どこか遠くを見つめるような、何もかも見透かしてしまっているような、そんな感じがした。


「…………。」


完全にその場の、少女の雰囲気に飲まれている。

だが、それがわかっていてもまったく微動だにする事が出来ない──それどころか言葉を発する事さえも。

何か言ってしまえばそれだけでこの世界が壊れてしまうような、そんな感覚に捕われた。


「あ……。」


少女が小さく声を洩らして、こちらに向かって手を伸ばした。

反射的に、その手を取ろうと一歩足を踏み出したその時。


ふらっ……


っと、少女の体が一瞬ぐらつき、湖に飲み込まれていった。


「――!」


──瞬間。考えるよりも先に体は動いていた。湖の中に飛び込んで少女の下へと駆け寄る。

湖に浮かぶ少女の身体を抱き起こし、湖から引き上げる。

少女の両目は閉じられているが、定期的な呼吸音が聞こえきた。


良かった、息はある。

僕は安堵の息を吐くと、彼女の顔を覗き込んだ。


「あの……大丈夫ですか?」


「…………。」


小さく声を掛けてみるが反応は返ってこない。

暫く少女の顔を見つめた後、辺りを見回す。

夜の夜中である。当然ながら回りに人など居るはずもない。


「このままってわけには……いきませんよね。」


溜息混じりに小さく呟いて、少女の体を抱え上げた。

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