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ニーニア湖

「それじゃあエリクス君、今日もご苦労様でした。気をつけて帰って下さいね。」


「はい。それでは失礼します。」


今日の勤めを無事に終え、僕は研究室を後にした。


一度大きく伸びをして辺りを見回す。

長い廊下を歩きながら、今日の出来事を思い出す。


──羽帽子の少女


結局、彼女が何者だったのか定かではないが、

あれだけの高位魔法の使い手が"この場所"に現れるとなると、

色々なことを想像してしまう。


(考えすぎはいけませんね・・・さてと)


すぐに思考を切り替えると、これからのことを考える。

真っ直ぐ家に帰ってもいいのだが、夕食までの間は少し時間がある


「さて、どうしましょうかね」


と言いながらも、足取りはいつものところへと向かっていた。


***


日が暮れ始め、世界がオレンジ色に染まっていく。後数分もしないうち夜が訪れるだろう。

僕は目の前に広がる湖に顔を向けた。

やっぱり湖もオレンジに染まっていた。

腰を降ろして湖を眺める。時折吹き抜ける風は、水の澄んだ冷たさを感じさせ体の疲れを一緒に連れ去っていってくれるように思えた。


やはりいつ来てもここは気持ちが良い。

ニーニア湖――。

アスクニアより程近い場所、森に囲まれたその湖はアスクニアの観光名所であり、様々な言い伝えが残されている。

言い残されてはいるのだが――


――湖に向かって願えば願い事が叶う。

――深夜に湖の女神が現れる。

――どこか遠くの国に繋がっている。

――巨大生物ニッシーが住んでいる。

――湖の水を飲むと、その年は病気も大きな怪我もせず健康に過ごせる。

など、その殆んどが(というよりも全て)お約束ともいえるものばかりの上、

一部言い伝えとすら言えない様なものまで混じっている。


一体何処からそんな話が広まったのか……。

そもそも、元々娯楽施設が少ないアスクニアに観光目的で来る人々は殆んどおらず、

道すがらたまたま寄って行く旅人や地元の人間がたまに遊びに来る程度で湖はいつも静かなものだ。

いると言えば、のんびりとした釣り人や若い恋人達ぐらいなもので――


「兄さん、あんたも釣りに来たのかい?」


気さくに話し掛けてきたのは前者の老人だった。いかにも人柄の良さそうな顔で右手には釣竿、左手に竹網の籠を下げている。


「いえ、僕は湖を眺めに来ただけです。どうです? 何か釣れましたか?」


「いや~、これがさっぱりでなー」


老人は苦笑交じりにそう言って空っぽの籠を見せた。本当に、見事なまでに何も入っていない。


「それは残念でしたね」


「あぁ、どうにも……。餌が悪いのかもなぁ~。」


「餌ですか?」

あぁと、老人は釣り針の先を手に持って僕に差し出して見せた。


「…………。これは……ネックレスですよね?」


「これがミミズに見えるか?」


「いいえ」


そう、釣り針の先についているのは確かにネックレスだ。純銀製の、おそらくそれなりに高価な物だろう。

だが……なぜネックレス?


「綺麗だろう?」


「はぁ……。」


困惑する僕を尻目に老人は、手に取ったネックレスを少し自慢げに話を続けていく。


「こんなに綺麗なのに釣れないんだよ」


「は、はぁ……」


心底残念そうに呟かれたが、どう答えて良いか分からず、ついつい曖昧な返事を返した。

だいたいネックレスで魚が釣れるなど聞いた事がない。

いや、もしかしたら何か別の物を釣ろうとしているのかもしれない。

けど……こんなので釣れる獲物ってなんだろう?


「あの……すみません。」


「ん?」


「一体何を釣ろうとしてたんですか?」


「何って……そんなの決まってるだろ」


一体何を今更といった感じの表情で老人が言う。


「女神様だよ」


「え……?」


女神様?


「やっぱネックレス程度じゃ駄目なのかもなぁ」


ぽかん、と呆気に取られている僕を気にも止めず、老人は一人話を進めていく。

今確かにこの人は女神様と言った。

女神って……もしかしてこの湖に住むっていう言い伝えの、あの女神様だろうか?


「しっかし、女神様ってのは何が好きなのかねー?」


「あ、あのー」


「やっぱあれか? 宝石いっぱいの王冠とか指輪とかか?」


「い、いえ、そうじゃなくて――」


「ん? 無難に果物とかの方が良いのか?」


「そうかもしれませんね――ってそうじゃなくて」


『ん?』、と老人は小首を傾げた。

……そんな不思議そうな顔しないで下さい。


「な、なんで女神様を……?」


「そりゃあー、もちろん願い事を叶えて貰う為さ。女神様を捕まえりゃ、一躍有名人。その上願い事も叶えて貰って一石二鳥だろ?」


老人は子供の様に楽しそうに語った。

なんか色んな言い伝えがごっちゃになっているような気がするのだが……。


「あ、あの……。でも女神様って神様ですし……。捕まえるのは無理なんじゃ……」


言われると老人は『うーん』、と腕を組んで考え込んだ。

暫くそうした後、老人は何か結論を出したのか、ぽんと、手を叩いてこちらに振り返った。


「ははぁ……なるほど。そうか……わかったぞ。」


じと目で睨みつけながらずいと、身を乗り出してくる。


「お前さん、女神様の事を信じておらんな?」


「……え?」


「女神様はいるぞ。わしはこの目で見たんだからな」

 

 先程気さくに話し掛けてきてくれた時とは打って変わった老人の迫力に、思わずたじろいでしまう。

 

「そう、ありゃー、もう四十年も前か……」

 

 何かを思案するように、老人は僅かに顔を上にあげてぽつりぽつりと自分の過去を語り始めた。


「あの頃は丁度、クォークドラドの内紛の真っ最中だった……。

当時、クォークドラド軍の伝令隊員っだったわしは、ある秘密作戦に携わっていてな……この森に来ていた。」


クォークドラド国はグランベリスの隣接国であり、ここアスクニアから大きな森を挟んだ場所にある。いや、正確には"あった"というべきだろうが。


「秘密……作戦?」


「そう、秘密作戦。」


「それで、その秘密作戦と言うのは……?」


「亡命じゃよ。」


「…………」


「うぉっほん! とにかくわしは争いごとが嫌いでな。特に内輪もめの兄弟ケンカは見るに耐えん。

なので国を捨てることにした。国境の森を抜けるために歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、歩き回った。そしてその結果……!」


「……結果?」


「道に迷った。」


「…………」


「そりゃそうじゃろ、今でこそ道は整備されているが、当時、この森は樹海と呼ばれるぐらい広く大きくそして入り組んでおったわ。」


「まあ、確かに…国境の代わりになっているぐらいですからね…」


「そう、そしてわしは森の中を散々彷徨った。もはや肉体的にも精神的にも限界を迎えようとしていたそんな時、わしの目の前にこの湖が姿を現した。」


(砂漠の中に現れたオアシスのようなものだったんでしょうね…)


「わしは残った力を振り絞って湖に駆け寄り、脇目も振らず溢れんばかりに水を飲んだ。そうしてようやく一息ついたわしがふと空を見上げると、なんとそこに!」


「女神様がいたと?」


「そうだ! その通り! 女神様だよ女神様! いたんだよ!」


「わ、わかりましたから、そんなに顔を近づけないで下さい。それで……どうしたんですか?」


「うむ。わしがそのあまりの美しさに見惚れていると、女神様はわしに向かって優しく微笑んでくれたんだ。ありゃまさに天使の微笑みだった。いや、女神様だから女神の微笑みか……いや、でも天使も女神様も似た様な者だな……。」


(細かいところにこだわりますね…)


「あー、なんでもええわ。とにかく女神様はわしに向かって微笑んだ後、すっと、空へと登っていって消えたんだ」


「な、なるほど…」


「生憎とその後の事は記憶に無くてな。気が付いた時にはわしは、近くの町、つまりアスクニアの人間に助けられていた」

 

老人は思い出話を終えると、どこか遠くを見つめるようにして湖を眺めた。その横顔がどこか寂しさを思わせる。


僕がどう声を掛けようか思案していると、老人は何かを思い出したかのようにあ、と小さく口を開けて僕に振り返った。


「ちなみにその時わしの看病をしてくれたのが今のわしの婆さん。

いやぁ~、あの時はわしも若かったなぁ~。まさに運命の出会いと言う訳だ。……なんだったら、その時の話もしてやろうか?」


「あ、いえ……。せっかくですがそろそろ帰らないと――」

 

丁重に断ろうとした僕の肩に、老人の手が置かれた。


「まぁ、そう遠慮するな。お前さんにもいつかそういう人間が出来るんだ。参考になるぞ」


「は、はぁ?」


嫌な予感しかしなかった。


***


「そしてわしと婆さんは手と手を取り合い――」


 もうどの位の時間が経っただろうか……。

 時折目に涙すら浮かばせているその光景に、帰るタイミングはすっかり失ってしまった。

 こうなってしまっては後は老人の話が早く終わる事を期待するほかは無い。


 自分の話に酔いしれている老人に気付かれぬよう、ちらりと湖を見る。

 湖は深々と水を湛え、その色をオレンジから黒に変えようとしていた。

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