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羽帽子の少女

目の前には何も無かった。立ち並ぶ本棚も、そこにいるはずの不審者も、天井も壁も床も。

何も無かった。


ただ足下に広がるのは一面の水。

底は全く見えず水中には何も見えなかったが、自分の足は濡れてもいない。

波紋すら立っていなかった。


「……ッ!?」


理解どころじゃない。

深さなど検討もつかない、どこまでも続く水面。

誰もいないし何もない。こんな場所なんてあるはずがない。

あるはずのない場所にたたずむ自分──


「あるはずがない…。」


つまりこれは幻を見ている……あるいは見せられている、としか思えない。


「気づかれて、攻撃された? …でも、いくらなんでも、素早すぎる…。」


混乱を抑えきれなかった。

とてもではないが、理解も対応も出来るようなことじゃない。


(いったいこれは…!?)


すると、変化が起こった。

空から何かが降りて――いや、落ちてきた。しかし奇妙なことに、それが何であるのかいくら目を凝らしても見えないのだ。

光に包まれているようにも見えるが、それ自体が輝いているようには見えない。

もやに覆われているようにも見えるが、その中に何かがある、という確信が持てなかった。

それはゆっくりと速度を落としながら水面へと近づいてゆく。

そして着水した時――

ここで初めて“普通”と言えるようなことが起こった。

水面に波紋が広がったのだ。

それはゆっくりと広がって大きくなっていく。

際限なく拡散していく。


「ここは……いったい…………。」


その時、目の前を何かがよぎった。


「えっ?」


ふわりと眼前を横切っていった白い何か。

一瞬雪が降ってきたのかと思ったが、そうではなかった。

同じものが降ってきたのでそれが何なのかが分かった。


「………羽?」


僕の手の平に乗っている物、それは白い一枚の羽だった。

それはどこからか次から次へと降り注いで来ている。

ふと気を引かれて手の上のそれをじっと見つめた。


「…………」


その時、初めて気づく。


「よく……見えない。」


視界がぼやけていた。

手の平に乗っている白い羽は輪郭くらいしか見えない。

色と感触でかろうじて羽だと分かる程度だ。

それだけではなかった。

いつの間にか周囲の不思議な風景もぼやけてはっきり見えなくなっている。


「さっきは見えていたのに…。」


すぐ足下に広がっている水面も薄ぼけてしまい、もう水と大気の境さえもほとんど見分けられなかった。


「どうして、いきなり…。」


その瞬間、視界の隅に何かが映った気がした。

ぼやけた水だけの世界の中。そこに映った“異物”。

人らしきもの。小さな光る物。

そして小さな光らないもの。


「!?」


慌てて振り向く。

そしてその次の瞬間には。


古くなった本とインクのあの独特な匂いと、それを真正面からぶち壊す甘ったるい香り。

そして左右から取り囲まれているかのような錯覚を抱かせる背の高い本棚の列。

……戻っていた。

何もかもがさっきの不思議な風景を見る前のまま……では、なかった。

一つだけ異なるところ。


「………あ。」


硬直した姿勢で目の前に立ち尽くす少女の姿が、そこにあった。

考えてみれば(考えるまでもなく)当たり前の結果ではあった。

侵入者の姿を確認するために本棚の陰から身を乗り出した。

そしてその侵入者というのがこの少女だった。

だから目の前にいる。

彼女が驚いているのはそれこそ当然のことだろう、不法侵入の現場を見られたのだから。

そう。それだけの話だ。


そんなことを考えていると、彼女が突然にやりと笑った(微笑んでみせたつもりなのだろう)。

そしてわたわたと動き出す。

その手に抱えていた本を次々と手際良く棚へ戻してゆく。

やたら器用に素早く両手を駆使して並べていき、あっという間に本棚のすき間が埋まった。


「ふぅ…」


そこで再び僕と目を合わせる。今度は幾分マシな微笑みを浮かべながら、手の平をこちらに向けてきた。


(……?)


その手を左右にぱたぱたと振って見せる。

いわゆる“バイバイ”という仕草。

そしてにっこり笑うと、


「…じゃッ!」


くるりと身を翻し、一つしかない扉へ向かって駆け出した。

短距離走選手のようにどんどん加速していく……


そしてトップスピードで扉に。


「てぃあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


たんっ ぐわぁん! どんっがん!!


……どこか気の抜けたような掛け声の後、けたたましい騒音が何度か鳴り響いた。


僕は後頭部を押さえて床にうずくまっている彼女を見下ろしていた。


「……なるほど。あれだけ強固な封印が施されていたのですから、鍵を開けた後も何かしらのプロテクトがかかっていてもおかしくないですよね」


勢いに任せて扉を開けて逃げようとしたのだろう。

しかし扉は開かず顔面から激突した上にひっくり返って背中を強打、そのまま後頭部も床に叩きつけたようだ。

丸くなって動かない彼女はとりあえずそのままにして、扉を軽く押してみる。

開いてはいくのだが、一度閉めると簡易ロックのようなものがかかるらしく力を込めてもゆっくりとしか隙間は広がらなかった。


「慌てて逃げ出そうとするとこうなるワケですか……なかなか手が込んでますね」


「……ぃぅ……っ………って……」


「?」


何か言ったようだったが、うずくまったままなのでよく聞こえなかった。

伝わらなかったのが分かったのかもう一度、少し大きな声で言って来る。


「そう……いうことは…………もっと早く言って……。出来れば……顔、ぶつける前くらいに……」


「殺意のこもった罠がなくて幸いでしたね」


さっぱりと言い切ると手を差し出す。

少女は素直にその手を取り、立ち上がってぱんぱんと服のほこりを払った。

改めて彼女の姿を見てみる。

細い体を包むように流れる髪、その上にちょこんと乗っかっている羽帽子(転んでも落ちなかった)、愛嬌を感じさせる丸い瞳。

どこにも不審な点は見当たらなかった。

しかし彼女は何らかの手段を用いて鍵のかかったこの部屋に密かに侵入し、蔵書を読みあさっていたのだ。

その事実を改めて思い出し、彼女に問いただした。


「……まず聞いておきますが、君はどうやってここに入ったのですか?」


「え? え、えーっとね、解錠したの。解錠の魔法。知ってる?」


「解錠の……知っていますよ。資格試験の倍率は毎年三ケタを超えるとか。そう、あれは資格を取らなければ使用を禁止されているはずですが?」


そう言うと彼女はあっさりうなずいた。


「うん。取ったよ、資格。“陽光の衣”持ってる」


「そんなに高位の!?」


“陽光の衣”とは一般の者が取れる最高位の資格である。

それはつまり、彼女はなろうと思えばすぐにでもプロになることさえ出来るということだ。

普通の少女にしか見えないこの娘がそれほどの魔法の実力を持っているなど、見た目からは誰も想像がつかないだろう。


とは言え……


(いくら“陽光の衣”級と言っても、そう簡単にここの封印を解くことが出来るものでしょうか?)


この部屋に入る時の様子を見れば、並の封印ではないことは素人同然の僕にも分かる。

いくら非常に高い知識と技術を持っていなければ取得出来ない資格とは言っても、しょせん民間人レベルの能力に過ぎない。

それで簡単に開けられてしまうとはどうも納得がいかなかった。


……だが現実に彼女はここにいた。僕よりも先に。

自力であの扉を開けてここに入ったと言うのも信じるしかないだろう。

と、彼女が不安そうにこちらを見上げているのに気がついた。


「何でしょう?」


「えっと……もう行ってもいいかな? そろそろおうち帰ろっかなーって」


「ここへの不法侵入は王権侵害罪と同等の罪ですよ」


「………」


「帰りますか?」


「………ひょっとして私、死刑?」


「場合によっては。」


「ううっ……。」


もちろん嘘だった。どれくらいの罪になるかなど知りはしない。

しかしここは王族寮に匹敵する重要区域。それくらいの重罪になってもおかしくない。

当たらずとも遠からずといったところか。


しかしそんなことは知らない様子の彼女は、一人わたわたしていた。


「むー……、むー…………。」


その彼女を様子を見て、僕は思わず少し笑ってしまった。

ここがどれだけ重要な場所か知った上でこっそり忍び込んでおいて、見つかった時のことは考えていなかったのだろうか?

まさかごめんなさいと頭を下げれば済むとでも思っていたのだろうか。

何にせよ、とても悪事を企んでいたようには見えなかった。


「……どうしよ。死刑はちょっと困るなぁ…………。」


その呟きを聞いて再び笑いがこぼれそうになったので、何とかそれを隠しながら答えを返す。


「まぁさすがに死刑とまではいかないと思いますよ。見たところ蔵書を盗んだり傷つけたりはしていないようですしね」


「当たり前だよ。ちょっと見せてもらってただけだもん。汚したりなんかしないよ」


「とは言え、魔法を使って無断で立ち入ったことも確かですからね。無罪放免ともいきませんよ」


「むー……。」


また少し考え始める。子供が解けない問題を一生懸命解こうとしている姿に似ているようで、出会ったのがこの場所でなければ“陽光の衣”級の有資格者だなどとはおよそ信じられない。


すると彼女はぽん、と手を叩いたかと思うと何やらポケットを探り出した。そして何かを掴み出す。


「えっとぉ……これくらいでいいかな?」


「?」


「そのー……コレあげるからさ、今日のこと黙って欲しいなーって…………思ったんだけど~…………ダメかな?」


そう言った彼女の手に乗せられていたのは、ポップな模様の描かれた包みのキャンディーだった。

色々な種類があるらしく、包みの色も様々だ。これでこの部屋に広がっていたあの甘い匂いの正体が分かった。


「これで見逃せ、と?」


やっと収まった笑いがまた込み上げて来る。


(まるっきり子供そのものの考え方ですね。)


「うーん……まだ足りない?」


そう呟いたかと思うと再びふところを探し始める。

そこから魔法のように包みが出てきて、見る見るうちに彼女の両手いっぱいにカラフルな包みが山と積み重なった。


(いったいどこからこんなに……)


「今はもうこれしかないんだけど…ダメかな?」


僕よりやや低い背をさらに縮めながら、上目遣いに頼み込んでくる。

どうやら本気でこれで許してもらおうとしているらしい。


「ふ…ふふっ、ふふふふ……っ。」


「むぅ。何故か笑われてる」


唇をとがらせて少しスネたように呟く。

その表情を見ていると、益々笑いが止まらなかった。


「なるほど。今度は買収ですか。色々と手を考えますね」


「わっ。そ、そんなんじゃなくって、ただほんのちょっーと、甘い物でも食べて考えを改めてもらえるかなーって思っただけだよ」


 慌てて取り繕うとしている姿がまた可笑しい。こっちが笑いを堪えるのが大変だ。

 目の前の少女はんーと、どうすればいいのかまた悩み始めている。次に彼女がどういう行動に移るのか気になるところだが、僕もそれほど暇ではない。


「わかりました。今日のところは見逃してあげます」


 仕方がないといった感じに、僕は溜息交じりに呟いた。


「そのかわり、もう二度と勝手に入り込んだりしてはいけませんよ? 有資格者がその技術を悪用しているなど、あってはいけないことですからね」


「う…うんっ! ありがとねっ!」


心底嬉しそうな笑顔。感情を隠すそぶりもなかった。


「僕はエリクオール=シュア。このストルルソンの研究室で働かせていただいています。君は?」


「私はリィル。フルネームはリィルテッセ=L=エルフィン」


(幼名付きですか……。)


少し意外だった。まあほとんど形骸化している制度だから、幼名持ちだからといっていちいち驚くほどのことでもないのだろうが。


とりあえず、こんなところでいつまでも油を売るわけにもいかない。

ドルトー先生のお使いも早く済ませないと思い、リィルの手のひらにある

飴玉をひょいと拾い上げた。


***


「手伝ってくれて助かりました。ここの勝手は分からないもので……一人ではもっと手間取っていたでしょうね。」


「いえいえ、どーいたしましてー。」


ドルトー先生から頼まれていた本は見つかった。

目当てのものは部屋のちょうど中央あたりに置かれていた。端から順に探すつもりだったから、一人ではもっと時間がかかっていただろう。

念のため、タイトルが正しいかメモと照らし合わせながら一つ一つ確認を始めると、

彼女はいつのまにか蔵書に手を取り、中を少し読んでは──パタンを繰り返していた。


彼女の本の探しかたは独特だ。

フラフラと引き寄せられるように本棚の前に止まると、埃とすすで汚れて読めない背表紙をじぃっと見てから手に取り、

そして中を開くと何かを探すように目を通す。

効率の悪いやり方ではあるが、そのおかげでいとも簡単に僕が探していた本を見つけることが出来たわけで、

その点は感謝しないといけないのだが。


そんな本を読む彼女の姿を見て、至極もっともな質問をすること忘れていたことに気づく。


「……そういえば結局何をしに来たんですか? わざわざ忍び込んだということは目的があってのことなんでしょう」


一瞬、間を置いて。


「・・・・・・見なきゃいけないものがあったんだ。──どうしても。」


背中越しに聞こえた彼女の声はこれまでとはうって変わって真剣さと、

それ以外の何かが混じったような気がした。


しかし、ルールはルール。

ここは説教くさいのは好きではないが、次見つかった相手が自分じゃなかったときにどんな仕打ちを受けるかわかったもんじゃない。


(一応、もう少しきつく言っておきますか…。)


「えーと、ここにあるものは魔法絡みのものばかり……中には禁呪クラスのものさえあるかもしれませんよ?

どんな理由であれ、勝手に覗かれては困りますよ。そそもそも──」


(…あれ?)


お説教を始めようとした矢先、再び周囲から気配が消えた。

振り返ってみると僅かに漂う甘い香り。風通しが悪いので空気がこもっているのだろう。しかし、さっきまですぐ近くにいた彼女の姿はそこになかった。


「あの隙間から出ていったんですかね……。」


扉はさっきまでと同じで薄開きになっていた。女の子一人くらいなら出ていけるかもしれない。


「器用というか何というか…。」


(…………)


「ちょっとした怪談にできそうですね」


とりあえず目的の本は見つかったわけで。小脇に抱えた本を持って扉を閉めると、階段を上がっていった。

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