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つまづく第一歩

 そこはストルルソンの地下だとは思えないくらい──事実、そうではないのだが──不自然なまでに広大で、明るかった。

 城か教会かというほど精密に敷き詰められた石壁と石畳に覆われた迷宮が三人の前に広がっている。ところどころにツタのような植物が生えているが、初めから意図して植えられたものなのか、壁にも床にも崩れた様子は見当たらない。

 二人の少女の片割れが懐から丸めた羊皮紙を取り出す。いかにも古めかしいそれを広げると、中にはタイル地のような模様が描かれている。少女がそれを指先でそっとなぞると、ちかちかと光が瞬いて回る。

 すると次の瞬間、そこから立体的な地図が浮かび上がった。アリの巣のように何層にも分かれながら末広がりに繋がるそれは、まぎれもなくこの迷宮のものだ。この地図そのものも、そこに記された内容もとびっきりの重要機密だ。エリクスが迷宮に潜る時は、必ずこれが渡されている。


「目標地点は最下層と目される第三十六層。推定所要時間は──」


「分かりました。ではその半分の時間で到達しましょう」


 遮るようにして即答したエリクスの声を聞いて少女が眉をしかめた──ような気がした。


「それでは貴方の生命の安全性が規定値を下回ります。許可されておりません」


「僕は大丈夫ですよ、ルージュ。……そもそもこの中でじっくり休養を取れると思っている上の方々の判断に難があるんです」


 いつもの慎重すぎる計画には付き合っていられない──エリクスの声には呆れと不満、少々の諦めが含まれていた。何しろこのやりとりもまた「毎度のこと」なのだからやっていられない。

 そして二人から少し離れたところで周辺の様子をうかがっていたもう一人の少女が、これまたいつものように賛同する。


「エリクオール様のおおせのままに」


 投げかけられた言葉は上にいた時よりも少しだけ砕けた調子で、彼女が羽を伸ばし始めているのが分かった。


「……エリクオール様のおおせのままに」


 一方の相方は変わらぬ様子で同じ言葉を繰り返すと、羊皮紙をくるくると丁寧に丸めて再び懐に収めた。




 二人は外見の区別をつける気はないようでいつも同じ格好をしているが、その性格にはわずかに、だがはっきりとした違いがあることをエリクスは知っている。小柄で真面目なルージュはいつも地図を任されているのだ。

 そんな彼女の心労を少しでも減らすため……というわけではないが、エリクスは喋り続けていた。


「調査隊は必ず探索中のエリアを隅から隅まで調べ終えてから先に進みます。構造物や書物はもちろんインテリアから瓦礫に至るまで全てをチェックし、罠の解除、モンスターのたぐいの殲滅、速やかな撤退のための拠点づくりまで済ませてようやく次へと進めるんです」


 大変な手間と時間のかかる作業だが、迷宮の中では何が起こるか分からない。いつでも地上に戻れるように、そして──もし全滅しても、次の調査隊がスムーズに引き継げるように、お膳立てを完璧に整えることが求められるのだ。

 当然そんなことはルージュたちも知っていることなのだが、エリクスは構わず歩きながら話し続ける。まるで教師が行う講義のような調子だったが、エリクスにその自覚はなかった。


「つまり僕たちがこれから進む迷宮はクリアリングが済んでいるのだから危険はない。ならば前に進むことだけを考えるべきだと──」


 その時、先頭を進んでいた少女が急に立ち止まり、手を横へ突き出した。即座にルージュがエリクスの前に立つ。エリクスは腰に下げた鞭には手を伸ばさず、何かを確かめるように両手を握ったり開いたりしていた。

 少女たちは背負っていたバックパックを下ろすと正面を見据える。柱が林立しており、視界は良くない。その中の一本の陰から規則正しい小さな足音が聞こえてくる。

 程なくして物陰から足音の主が姿を現した。


 犬や狼に似たシルエットをしているが、体は人間の倍はある。鋭い爪や牙を持っているが、目があるはずの場所には何もなく金属質の体毛がびっしりと生えていた。


「あれは……見覚えがありますね。クレナイ?」


「はい。見たことがあります」


「…………」


「…………」


 会話が途切れる。クレナイと呼ばれた少女は振り向きもせず怪物の動きを注視していた。


「……ルージュ」


 仕方なく、目の前の後頭部に話しかけるように聞いた。彼女もまた振り返ることなく、しかしすらすらと答える。


「カプリカオン。城塞型迷宮を中心に幅広く存在が確認されている魔獣です。特筆すべき能力は持っていませんが獰猛で俊敏、群れを成して襲ってくる事例が多いと報告されております」


「群れ……。討ち漏らした個体……?」


 しかしエリクスは自分で言った言葉を首を振って否定する。


(調査隊がモンスターを見落とすとは思えません……もし見落としたとしても、この魔獣のほうから襲いかかるはず。討伐されず生き残っているのはおかしい)


「来ます」


 思考を遮るようにルージュの声が突き刺さる。カプリカオンは侵入者の動きをロクにうかがうことすらせず、大きく吼えると猛烈な勢いでまっすぐに向かってきた。


「クレナイ!」


「迎撃します」


 そう言った彼女──クレナイの細い肩の周辺に、カラフルな小さい立方体が浮かび上がる。きらきらと輝くそれは位置を組み替えながらめまぐるしく回転していく。そして数秒と立たぬうちに回転が止まると、音もなく消えた。

 カプリカオンは既に彼女まであと二跳びの距離まで近づいている。少女の体を引き裂き、そのままの勢いで後ろの二人も喰い散らすためさらに加速する。

 だがクレナイは臆する様子もなく右手をまっすぐ突き出すと一言、言い放った。


『尖雷槍』


 少女の腕から稲妻が走り、魔獣の体を貫く。魔獣は岩が割れたような悲鳴を上げながら地面に転がると、そのまま動かなくなる。

 長大な槍か矢のように伸びた電撃はカプリカオンの顔面から尻尾まで走り抜け、その体内から焼き殺していた。

 それでも三人はしばらく警戒を解かず様子をうかがう。動き出す気配がないことを確信してから、エリクスは深く一息ついた。


「すぐに移動しましょう。何か異常な事態になっているようです」




 ルージュとクレナイはうなずくと、バックパックを拾って背負う。近くに調査隊が残した拠点があるはずだと、ルージュが進む方向を指差した。

 ただ通り抜けるだけだったはずの迷宮を、一から攻略し直さなければならないかもしれない。その予感がエリクスの不安をかき立てるのだった。

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