PAGE1.硝煙の中で
「ん………」
当たり前になってしまった曇天の空。
小さく切り取られた窓と、飾り気のない狭い部屋。
そして昔は嫌いだったのに、嗅ぎ慣れてしまった硝煙の臭い。
浅い微睡の世界から日常へと引き戻される。
光は弱く、部屋は薄暗い。
記憶を断ち切って、泥のように眠ったのは明け方だっただろうか。
少し考えて、すぐにやめた。
どうせ、呟く一言は決まっている。
「あぁ・・・また一日が始まる・・・」と。
憂鬱な一時は好きじゃない。
ジャケットの中に忍ばせている拳銃が、
俺の心に潜んでいる憂鬱に重みを加える。
空の銃に弾丸が装填されたマガジンを叩き込み、
予備のマガジンに弾丸が入っているかを目視する。
ゆっくりと身体を解し、扱い慣れた銃の手入れを怠らない。
頼りになるのは、弾丸と俺の腕。
片方でも尽きようものならば、それは俺の命も尽きる時。
呟く一言も呟けなくなるのが、今の俺の現状だ。
疾走る。
駆け続ける。
行き先の定かではない路地裏を駆ける。
迷う事は許されず、スピードも緩められない。
ビルの隙間に身を躍らせ、寸分違わずに銃撃音が耳を掠める。
相手は近い。躊躇うと俺が死ぬ。
音が途切れたタイミングを見計らって、銃を抜き打つ。
眉間を打ち抜かれた見知らぬ誰かが、ゆっくりと崩折れてゆく。
誰かの命を奪った事実を軽く受け流し、再び身を潜める。
銃から零れ落ちる数多の火線と、今も轟き叫ぶ銃声。
この音を煩いと思う思考が焼き切れたのは何時の事だろうか。
いや、そんな事はどうでもいい。
今ここにある確かなものは、利き手に握られている銃。
乾き切った血糊が点々と付いたジャケット。
発火する火薬だけが照らす暗い道。
そして、かつて友と呼び合っていた仲間達の亡骸。
明日は・・・我が身だ・・・
この日も、そうなっていただろう。
が、何かの気紛れが俺を別の世界に連れていった。
そして、その気紛れは温かかった。
今となって考えても、それは奇妙な依頼だった。
「物品の破壊」といった単純なもの。
淡々といくつもの屍を築きながらも、「物品」のある場所に辿り着き、即座に銃を向けた。
暫しの躊躇がその場を支配する。
戸惑いや躊躇は死に結び付く。
それを熟知していた俺でも、その光景は異様に映った。
銃口の向こうで座り込んでいたのは、まだあどけなさの残った少女。
色の異なる双方の瞳が、彼女が違った世界の人間だと思わせた。
だが、傷のない彼女の周りにあるのは、見紛う事のない現実。
無数に転がっている死骸と、大量の血痕が混じり、紅く染まったフロア。
戦場で佇む聖女、少女の佇まいはまさにそれだった。
俺にとって、眩しすぎて凝視すら出来ないもの。
そして、俺のいる世界に踏み入る事の許されないもの。
戦場には聖女なんていらない。
構えた銃は、不運にも戦場に紛れ込んだ彼女が受けなければならない報い。
血で汚れた俺の手に握られた凶弾で彼女を破壊する。
それが俺が出来る唯一の手向けだった。
ふと彼女が微笑んでいるように錯覚えた。
「あなたが、私に死を見せてくれるのですか?」
か細い声が喧騒から浮き彫られてくる。
「最期の言葉を聞こう」
応えずに短い言葉を発する。
辞世の言葉を覚えておく事が俺のこだわり。
死を踏み越える事で、この憂鬱を打ち破れると思い込んでいたから。
彼女の表情に変化はないように見える。
「たくさんの人が私の目の前で亡くなっていきました」
彼女の昔に何があったかなんて興味がない。どうせ死に行く者だ。
高低も抑揚もない無機質な声で、告げられる事実がただただ重い。
「多分・・・死を多く見すぎてしまったのでしょう」
追手が迫ってきているのか、建物の中に響き渡る銃声が徐々に大きくなる。
聴覚を研ぎ澄ます。遺言を聞き逃さないように。記憶に焼き付けるように。
「だから私は・・・」
微笑を貼り付けたまま彼女は、隙のない動きで屍骸からナイフを抜き出し、
「見える死よりも、見えない死を選びます」
扱い慣れていないであろう細い指で、自らの光を断ち切った。
その時に湧き上がった思いが忘れられない。
それは硝煙に染み付いた日常に捨ててしまったモノ。
血塗れの生活の中で置き忘れてしまったモノ。
何だったのか理解すらできなかったのけれど、
心に刻み込まれたのは、たった一つ。
『彼女は死んではいけないんだ』という俺の『本能』。
咄嗟に俺は銃弾を打ち込んだ。
眼前の聖女に向けてではなく、背後から飛び込んでこようとした追手に向けて・・・
いつもと同じように朝日は昇り、
俺はまた、硝煙の中で目を覚ます。
殺伐とした狭い部屋も、切り取られた窓も変わる事はない。
「あぁ・・・また一日が始まるのか・・・」
呟く言葉も全く同じだ。憂鬱も変わらず俺に襲い掛かってくる。
でも、こんな一日でも悪くはない。
どんな絶望の中でも・・・どんな空虚の中でも・・・
「そうか、護るものがあるからか・・・」
傍らのソファーには盲目の『彼女』が安らかな寝息を立てている。
それだけでも俺は今日も生きていける。
切り取られた窓から見える空は、抜けるような蒼だった。