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09.馬車

 今日は明け方の出発。リドリスさんによると、旅程の中で一番の長距離移動になる予定。しかも今日の宿泊は、ハリク殿下のご厚意で王家の別荘に宿泊予定とか。これって庶民の私にはありえなことで、緊張する。



 夏の陽射しが暑くなるよりも前、午前の間になるべく距離を稼ぎたいということで、休憩も惜しむように馬車に揺られた。辺りの景色は街を外れると、なだらかな道と牧歌的な風景が続く。吹き渡る風は爽やかだった。


 恐らく、もう我が国の北部まで来ているはず。王家の別荘は最北端と言っても過言ではない位置。なぜこんな、なにもないところに別荘があるのだろう?改めて考えると不思議に思った。


 斜め前に座られた陛下をそっと見ると、昨日買った本をご覧になっていらっしゃった。馬車に乗ってからまだ何も話されない。


 グレーの瞳を縁取る長いまつ毛は伏せられ、黒髪が陽射しを浴びて艶やかに光っていらっしゃる。長い脚は窮屈そうに折り曲げられていて、長い指は優雅にページをめくる。


 私は昨日、あの大きな手と手を繋いだんだ……。


 昨日木陰のベンチで話をした後、ホテルに帰った。陛下と手を繋いでいつもよりゆっくりと、まるでホテルに到着するのを引き延ばすかのように歩いた。


 夕陽は沈んだけれど空はまだ明るく、ようやく一番星が見えるころ。暑かった昼間の空気はいつの間にか気温を落とし、涼しげな風を運ぶ。


 そして手を引かれてホテルへ戻り、そしてなぜか自然に陛下の部屋に入ってしまい、そしてなぜか陛下に抱きしめられて、そしてなぜか眼鏡を取られてしまい、そしてなぜか私の顎を捉えて上を向かせられってしまっていた。


 えっ!?これってなに!?と、焦っていたところに……


 コンコンコン


「ルノエ様?まさか、陛下のお部屋にいらっしゃるなんてことはありませんよね?」

「あっ!リドリスさんっ!!」


 リドリスさんに救われた。なすがままにされていたから、あの時は本当に助かった。


 陛下は残念そうな、苦虫を噛み潰したようなご様子だったけれど…。






 私は再び窓の外に目を向ける。なだらかな草原に吹き抜ける風にそよぐ緑。鳥の鳴き声が空高く響き、道の脇には川が流れる。あの川に足を浸けたら気持ちいいだろうな。休憩の時に近くに川があったら行ってみたい。足を浸けるのが無理でも、魚が泳いでいるかもしれないし……と考えているうちに、お昼の休憩となった。




 大きな樹の影を利用して、そこで休憩。リドリスさんから軽食をいただいて、座りやすそうな石を見つけたので、そこでひとり休憩。周りに目を向けると、陛下はリドリスさんや護衛隊長さんと一緒に簡易テーブルで召し上がっていらっしゃっていた。やはり国王陛下。地面に座られるわけがないと思っていると、呼ばれてしまった。


『ルノエ!』


 こちらへ来いと手招きをされる。そっと視線を外すと『ルノエ!!』と、さらに大きな声で呼ばれた。


 …………行きたくない。


 でも他の護衛の方、お付きの方、みなさんが私に注目しているのでさすがに無視もできなくて。ここに戻る言い理由として、軽食を石の上に置いて陛下の元へ行った。


『なにかご用でしょうか?』

『また端か。ここで食べたらどうだ?』


 そう示された場所は、陛下の隣。


「…………。」


 私の無表情さに、リドリスさんが肩を震わせて笑っていらっしゃる。


『……いや、か?』

『いいえ。そのようなことは……。』

『ロゥ、諦めろ。昨日のお前が悪いんだ。』

『ほぅ……陛下、昨日なにかおありですか?』


 私の顔が赤くなる。それを見てさらに問いただされようとされたのが、護衛隊長のウルファンさん。


『……ああ、お前らはルノエの味方か。』

『はっはっはっはっ!当たり前でしょう、陛下!どこからどう見たって、野獣と仔猫!我らは小さくか弱い者の味方であるべきはずです。な?リド。』

『その通り。』

『………。』


 思わぬ味方の出現に私は嬉しくなった。肩が筋肉で盛り上がり、腕は私の足くらいありそうな隊長さんの顔半分は、濃い茶の髭で覆われていて本当の顔がよくわからないけれど、そのアンバーの瞳は優しく私を見てくださった。


「ルノエ様。この野獣は私共で引き留めておきますので、今のうちに自由を満喫してください。」

「はい!ありがとうございます!」


 最強リドリスさんと強面隊長さんに促されて、私はまたひとり石の上に座って軽食をいただく。が、まわりの視線と含み笑いに耐えきれず、みなさんに背を向けて食事をした。


 大きな影を作ってくれていた樹の向こうには、馬車の中から見た川が流れている。食べ終わったら行ってみよう。




 流れる水。川面が陽射しに反射してキラキラしてまぶしい。川底のまるい小石の間に小さな魚が光って見えた。少し離れた場所では、護衛の方が馬達に水を飲ませている。


 ……ちょっとくらい、いいかな。


 靴を脱いで川岸の石の上に座って、足を浸す。


「わっ!つめたい!」


 山水だろう、川の水は想像以上に冷たくて気持ち良かった。


 この前買っていただいた中でも、お気に入りのミントグリーンのワンピース。暑い陽射しを遮る、つばの広い帽子。風は草の香りが心地よく、足は冷たい。遠く聞こえるセミの鳴き声。川のせせらぎ。海とは違う川の魅力を感じて、嬉しくて楽しくなった。


 シリロがいたら、あの小さな魚を捕まえてくれたかな……。ふいにそんな考えが浮かんでしまった。あるわけないのに……。


 その時、大きな影が私の真上に落ちた。驚いて見上げると。


『陛下!』

『そんなに怯えるな。今、散々リドとウルに絞られた。もう、無理に抱きしめたりしない。』

『………。』

『なんだ、その眼は?信用してないな。』

『………。』

『まあ、いい。』


 陛下はひとつ溜息をつくと、ご自分もさっさと靴を脱ぎだされた。その様子に私はドキリとして、思わず顔をそむける。私よりも格段に大きな足と、太く固そうな足首が見えてしまった。そして陛下は私の隣で川に足を浸された。


 せせらぎに耳を傾け、水の流れを足で感じる。陛下もそれを楽しんでいらっしゃる。黒髪が陽射しに光り、グレーの瞳は川面の煌きを受けて不思議な色に光る。


「気持ちいい………。」


 思わず出た私のひとりごと。陛下は静かに隣にいてくださった。川面を吹き抜ける風に髪を攫われながら川底を眺めていると、陛下の静かな声が聞えた。


『子供のころもこうして遊んだな…。』

『陛下が、ですか?』

『ああ。我が王家とは言っても、俺は普通の家庭のような環境で育ったんだ。母は乳母に任せきりではなく、乳母と一緒に俺を育ててくれた。そして父も、だ。夏にはピクニックにも行ったぞ。』

『………陛下が。』

『意外か?』


 私の反応を見て、楽しそうに笑っていらっしゃる。グレーの瞳に川面の光が反射してキラキラと光る。


『はい。もう少し厳格なのかと思っていました。』

『ああ、そうだな。…我が国の冬は長い。だから家族で短い夏を楽しみ、長い冬は暖炉に集うのだろうな。』

『とても素敵なことですね。』

『…そう言ってくれるか?』

『はい。』


 ロゥアン陛下が仰るには、五年前に先王の父君様が亡くなられ、お后様の母君様もまるで後を追われるように……。お二人ともとても愛し合っていらしていて、御子の陛下でさえお傍へ行くのが躊躇われるくらい、いつもお互いを見つめていらっしゃった。


 少しの疎外感を味わいながらも、母君様がロゥアン陛下に気づかれて手招きをされ、さらに両手を広げて受け止めてくださるのが、陛下にとって至福の瞬間……。


『子の俺を無視していたわけではないが、目に入らないといった様子が悔しかった。そして羨ましくもあったな…。』


 大きな背丈に、長く大きな手足。いつもまっすぐに前を見ていらっしゃる、その堂々とされたお姿からは想像できないけれど、陛下が求めていらっしゃるものが、わかったような気がした。


『もう父も母もいない。今の俺には冬が長すぎる。だからルノエ、楽しみにしてるぞ。』

『はい。…………え?』




 休憩の終わりを告げる声が聞えた。急いで足を拭かなくては…と思って靴を手にした途端、体が浮き上がる。


「きゃあっ!!」

『耳元で叫ぶな、暴れるな。行くぞ。』


 陛下は靴を手にした私を抱き上げて、ご自分は裸足のまま歩かれる。陛下が歩かれる振動で、私の裸足のつま先が所在無げに揺れている。


 恥ずかしい。みなさんの視線が痛い。帽子があってよかった。きっと顔は赤くなってるはず。しかも薄いワンピース越しに陛下の硬い腕や胸の温かさがわかる。ということは、陛下にも私の体の熱が伝わっているということであるわけで………。途端に冷や汗が噴き出た。


 ようやく馬車に着き、私は奥の座席に座らされた。でもそのことを抗議する気力は今の私には残っていなくて、帽子を取って顔を隠していると陛下の笑い声が聞えた。


『フフフ…なんだ、ルノエ?靴を履かせてほしいのか?』

「ちちちちがいますっ!!自分で履けます!」

『わかったから、叫ぶな。…残念だな。』


 そう言って陛下は馬車の外へ出られた。多分、ご自分の靴を履きに。


 残念だなって、なに?履かせたかったってこと?そんなことできない!


 焦りながらどうにか靴を履くと、私は赤い顔をまた帽子で隠した。







 陽が傾き始めた。馬車は焦るように進む。心なしか、護衛の騎馬の方が馬車に近い気がする。辺りは徐々に薄暗くなり始め、気温も下がってきている。


私は寒さのあまり、腕を抱えていた。夏なのに、こんなに寒いなんて想像していなかった。腕だけでなく、膝も足も首も背中も全てが寒くて馬車の中に用意されていた一枚のブランケットを使うか悩んでいた。でも陛下を差し置いて使うなんてできないし…。


『ルノエ、寒いのだろう?これを使え。』


 そう言って、陛下がブランケットを渡してくださった。さらに馬車の天井に作りつけられた小さな荷物入れから、温かそうなカーディガンを出してくださった。それはオートクチュールのお店で陛下に買っていただいた物のひとつ。なぜこんなところに入ってるんだろう?


『ああ、リドが用意した。きっとルノエは寒がるだろうから、とな。』

『…ありがとうございます。』


 素直に羽織ると、あたたかさを感じてほっとした。


『陛下は?寒くないのですか?』

『ああ、こんなのは寒いうちに入らない。大丈夫だ。それとも、寒いと言えば温めてくれるのか?』

『………いえ。』


 さすが北の国の方。私とは鍛え方が違うらしい。それでも馬車が進むにつれ、陽が落ちるにつれ、寒さはどんどん増してくる。窓ガラスがくもり始め、馬車の中も薄暗くなる。でも外はもっと寒いのだろう。護衛の騎馬の方は大丈夫なんだろうか。そんな心配をしていると、陛下が突然、私の隣に移動された。


『っ!…陛下?』

『ああ、やはり肌寒いな。ルノエ、少しだけいいか?』

『!!!』


 返事をするより早く、私はロゥアン陛下に横抱きにされてしまった。そしてさらに私を包み込むように……。


『寒くないか?』

『……はい。』


 温かい。さっきまでの寒さが嘘のように、温かい。そして守られているような安心感。その上、陛下は私の頭をご自分の肩にそっともたれ掛けさせてくださる。眠っていいとでもいうように。馬車の中の闇が増してきても、心も体もふんわりと温かくて怖くはなかった。






 空の明るさもなくなりかけ、外灯を頼りに進み、ようやく王家の別荘に到着した。陛下の手をお借りして馬車から降り立つと、案外簡素な別荘だった。その思いが顔に出ていたらしく、陛下に笑われてしまう。


『ルノエ、そんな残念そうな顔するな。ここは王家の別荘とは言うが実はハリィの父上、オルガー国王陛下が我が国のために作ってくださった別荘だ。王家の方々用ではない。』

『え?どういう意味ですか?』

『明日、あの山を越える。』


 ロゥアン陛下の視線の先を見ると、まだ山頂上部分だけが薄らと夕陽色を残した山が見えた。


 ……あの山を越える?


『あの?あの山を?超えるのですか?馬車で?』

『いや、馬車はここから迂回する。明日から騎馬だ。騎馬であの山を越えるのが最短距離なんだ。だからオルガー国王陛下は我が国のためにこの別荘を用意してくださったのだ。俺たちが山を降りたところに宿泊できる場所があるというのは、本当にありがたいことだ。』


 ロゥアン陛下の国からあの山を降りたところに、この別荘が建てられた。それは我が国とロゥアン陛下の国との友好の証。いつでも来なさいというハリク殿下の父君、オルガー国王陛下の配慮が慮れた。


「すごい……。」

『ああ、すごいな。さすがオルガー陛下だ。それに、この地はもうすぐ雪に埋もれる。だから、実用的な造りなんだ。』


 王家の別荘という言葉に惑わされた自分が恥ずかしい。


 冷たい手だとロゥアン陛下は文句を言いながらも私の手を離してくださらず、そのまま別荘内に足を踏み入れる。内部もやはり実用的に造られていて、私としてはこのほうが落ち着く。


 お世話をしてくださる方々にご挨拶をして、またそのまま陛下に手を引かれ、着いた先は………


『陛下、もしかして……』

『ロゥと呼べと言ったであろう?』

『………。』


 着いた先は明らかに陛下のための部屋。しかも寝室はひとつ。大きな天蓋付きのベッドもひとつ。ついに私は意を決した。


『リィィドリスさーーーん!!!』

『ルノエっ、叫ぶなっ!』


 コンコンコン


「ルノエ様、お呼びでしょうか?」

「リドリスさんっ!!」


 現れたのは恐ろしい笑みを浮かべた、リドリスさん。陛下は深いため息をつかれる。


「おや、おかしいですね。なぜルノエ様がこのお部屋に?おかしいですね。おかしいですね、陛下?」

『…………ああ、おかしいな。』

「ではルノエ様、お部屋へご案内しましょう。この部屋からは遠く離れておりますから、しばしご足労を

 お願いできますか?」

「はい、大丈夫です!」


 やっぱり頼れるリドリスさんは、最強!!







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